行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

懐かしいけれど、あの頃には戻りたいとは思わない!

2017-08-14 14:03:33 | あの頃の東京って?
私が育った、杉並区の荻窪あたりでは、

東京オリンピック前の昭和30年代、

ゴミ箱は、各家庭の前に箱形の箱が

設置されており、公的なゴミの回収は、

月に1度程度しか来なかった記憶があります。

通常は、庭先に埋めたり、或いは、

庭先やたき火で燃やせるような

自然素材のゴミが多く、

今のようなプラスティック等の化成品ばかりの

膨大なゴミの量は出ていなかったと思います。

また、瓶や金属、不要な家具・道具、被服などは、

廃品回収業者が有料で引き取ってくれました。

少なくとも、昭和30年代前半の頃は、

確か、お豆腐屋さんには鍋を持って、

買いに行きましたし、醤油やお酢も、

瓶を持って買いに行った記憶があり、

今現在のような大量なゴミが出る生活ような

都市型消費生活では決してありませんでした。

ある意味では、まだ循環型の社会であった

のかもしれません。

また、スーパーが駅近くに、

初めて開店したのが、昭和35年頃でした。

美味しい本格的な洋菓子店が近くに出来たのも、

同じ頃だったと記憶しています。

お菓子屋さんも確かにありましたが、

煎餅や飴、和菓子が中心で、

美味しいチョコレートや洋菓子は、

やはり舶来品と呼ばれた外国製品ばかりで、

銀座やデパートなどでしか買えませんでした。

それは、大人の世界も同じで、

タバコ、酒類、自動車などは外国製が

圧倒的に優れていた時代でした。

という訳で、当時は駄菓子屋さんが

全盛期の時代であったのかもしれません。

今、考えると危険な着色剤、保存料なども

多々使われており、安全なお菓子とは

到底言えなかったのですが・・・。

とは言え、当時の私達子供達にとっては、

数十円を持って、十分楽しめるお店で、

よく利用した記憶があります。

そんな駄菓子を見ると、確かに懐かしいと

感じますが、今現在の便利で平和な日本に

比べたら、アジアの貧しい一敗戦国家であった

あのには戻りたいとは決して思いません。

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