朝8時に岩間温泉「山崎旅館」を出立し、来た道を戻っていったが、ほんとうに山深いところにある秘湯の一軒宿なのだと感心した。
一里野集落まで出ると、道はだいぶ良くなって、スムーズに走れる。川沿いに西へ向かい、国道157号線へ出てからは、北へと向かった。下吉野で左折し、トンネルを越えて、鳥越城跡へと向かったが、途中で道を間違え、引き返すことにはなったものの、なんとかその登り口までは辿りついた。しかし、ここからの上り坂は、きつくカーブも多くて難儀したが、なんとか上の駐車場まで至ることはできた。
この鳥越城跡は、一向一揆に関係する遺跡でもある。加賀国では一向一揆が守護大名富樫氏を排除して、100年に渡って自治を守ったのだが、織田信長の軍勢に攻められ、鳥越城が最後の拠点として戦ったのだ。最後は、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられた言う。加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義をもつので、国の史跡に指定されている。現在では、石垣や塀、建物の一部等が復元されていて、歩いて巡ってみたが、山城の様子が彷彿として、興味深いものだった。また、本丸からの見晴らしは抜群で、敵が攻めてきたのがよくわかったものと思われた。
一巡してからは、山を下り、山麓の道の駅「一向一揆の里」へ立ち寄った。ここには、「鳥越一向一揆歴史館」が併設されていて、加賀一向一揆の資料や鳥越城跡の発掘品などが展示され、興味深く学ぶことができたのだ。
その後は、国道360号線を西へ向かい、途中で左折して、国道8号線へ出て、西へ西へと走っていった。今度は右折して、北陸自動車道の加賀インターへ行く道に入り、そのまま北上して、吉崎御坊跡(福井県あわら市)へと向かった。
吉崎御坊は、室町時代の1471年(文明3)に、本願寺第8世の蓮如上人が創建し、浄土真宗(一向宗)布教の北陸の拠点となったところだ。この頃は、一山隆盛を極めたが、1474年(文明6)に火災で本坊などを焼失し、さらに翌年の戦火によって、すべてを失って、蓮如上人は吉崎を退去することになる。その後、仮堂は建てられたが、1506年(永正3)に、一向一揆勢は朝倉貞景と争って敗北し、廃坊となったのだ。
江戸時代になって、本願寺派と大谷派が別院を山麓に建て、それぞれ吉崎御坊を称している。そこに、本願寺維持財団が運営する「吉崎御坊蓮如上人記念館」があって、蓮如上人の足跡を学ぶことができるので、最初に見学することとした。上映されている映画も見て、係の人から説明も受けて、その概略を把握してから、山上の吉崎御坊跡へと向かった。
ここは、1975年(昭和50)に国の史跡に指定され、公園として整備されていて、吉崎御坊跡の石碑が立ち、御坊の本堂跡、蓮如上人銅像(高村光雲作)、蓮如上人御腰掛石などがあり、順次見て回って、往時の様子を想像してみた。
それからは、来た道を戻って、国道8号線へ出て、金沢方面へと向かった。すでに、12時を過ぎていたので、途中の道の駅で昼食に味噌カツ丼を食べ、さらに北東へと走っていった。
金沢市街へ近づくと環状線で回り込んで、湯涌温泉方面へと進路を変え、「金沢湯涌江戸村」へと至った。ここは、金沢市立の野外民家博物館で、江戸時代後期の建造物を中心に、農家4棟、武士住宅1棟、商家2棟、宿場問屋1棟、武家門1棟、総計9棟からなっている。湯涌温泉街の旧白雲楼ホテル(廃業)の隣にかつて存在した「旧金沢江戸村」の閉鎖にともない、この民家施設を引き継いだ金沢市が、新しく移築したものも含めて、2010年(平成22)9月に「金沢湯涌江戸村」として開設したものだ。
建造物は、加賀藩ゆかりの地から移築復元されたもので、すべて国の重要文化財、または石川県・金沢市の有形文化財に指定されていて、江戸時代の貴重な建物をこれだけまとまって見学できるところはそうない。しかも、農家、商家、武家屋敷などを比較して見られるし、茅葺き農家の燻蒸や、体験講座、障子貼りなど、さまざまな活動を行っていて、参加することも可能だという。
園内に入ると江戸時代の建物が並んでいて、興味がわいた。一軒一軒中に入って、じっくりと見学したが、江戸時代の調度品もそろえられていて、なかなか見ごたえがあり、いろいろと撮影しながら歩いたので、結構時間がかかってしまった。
見学後は、県道10号線で県境を越えて富山県へと入り、刀利ダムあたりから北上して、南砺市にある今日の宿、法林時温泉へ16時過ぎに至った。→続く
一里野集落まで出ると、道はだいぶ良くなって、スムーズに走れる。川沿いに西へ向かい、国道157号線へ出てからは、北へと向かった。下吉野で左折し、トンネルを越えて、鳥越城跡へと向かったが、途中で道を間違え、引き返すことにはなったものの、なんとかその登り口までは辿りついた。しかし、ここからの上り坂は、きつくカーブも多くて難儀したが、なんとか上の駐車場まで至ることはできた。
この鳥越城跡は、一向一揆に関係する遺跡でもある。加賀国では一向一揆が守護大名富樫氏を排除して、100年に渡って自治を守ったのだが、織田信長の軍勢に攻められ、鳥越城が最後の拠点として戦ったのだ。最後は、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられた言う。加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義をもつので、国の史跡に指定されている。現在では、石垣や塀、建物の一部等が復元されていて、歩いて巡ってみたが、山城の様子が彷彿として、興味深いものだった。また、本丸からの見晴らしは抜群で、敵が攻めてきたのがよくわかったものと思われた。
一巡してからは、山を下り、山麓の道の駅「一向一揆の里」へ立ち寄った。ここには、「鳥越一向一揆歴史館」が併設されていて、加賀一向一揆の資料や鳥越城跡の発掘品などが展示され、興味深く学ぶことができたのだ。
その後は、国道360号線を西へ向かい、途中で左折して、国道8号線へ出て、西へ西へと走っていった。今度は右折して、北陸自動車道の加賀インターへ行く道に入り、そのまま北上して、吉崎御坊跡(福井県あわら市)へと向かった。
吉崎御坊は、室町時代の1471年(文明3)に、本願寺第8世の蓮如上人が創建し、浄土真宗(一向宗)布教の北陸の拠点となったところだ。この頃は、一山隆盛を極めたが、1474年(文明6)に火災で本坊などを焼失し、さらに翌年の戦火によって、すべてを失って、蓮如上人は吉崎を退去することになる。その後、仮堂は建てられたが、1506年(永正3)に、一向一揆勢は朝倉貞景と争って敗北し、廃坊となったのだ。
江戸時代になって、本願寺派と大谷派が別院を山麓に建て、それぞれ吉崎御坊を称している。そこに、本願寺維持財団が運営する「吉崎御坊蓮如上人記念館」があって、蓮如上人の足跡を学ぶことができるので、最初に見学することとした。上映されている映画も見て、係の人から説明も受けて、その概略を把握してから、山上の吉崎御坊跡へと向かった。
ここは、1975年(昭和50)に国の史跡に指定され、公園として整備されていて、吉崎御坊跡の石碑が立ち、御坊の本堂跡、蓮如上人銅像(高村光雲作)、蓮如上人御腰掛石などがあり、順次見て回って、往時の様子を想像してみた。
それからは、来た道を戻って、国道8号線へ出て、金沢方面へと向かった。すでに、12時を過ぎていたので、途中の道の駅で昼食に味噌カツ丼を食べ、さらに北東へと走っていった。
金沢市街へ近づくと環状線で回り込んで、湯涌温泉方面へと進路を変え、「金沢湯涌江戸村」へと至った。ここは、金沢市立の野外民家博物館で、江戸時代後期の建造物を中心に、農家4棟、武士住宅1棟、商家2棟、宿場問屋1棟、武家門1棟、総計9棟からなっている。湯涌温泉街の旧白雲楼ホテル(廃業)の隣にかつて存在した「旧金沢江戸村」の閉鎖にともない、この民家施設を引き継いだ金沢市が、新しく移築したものも含めて、2010年(平成22)9月に「金沢湯涌江戸村」として開設したものだ。
建造物は、加賀藩ゆかりの地から移築復元されたもので、すべて国の重要文化財、または石川県・金沢市の有形文化財に指定されていて、江戸時代の貴重な建物をこれだけまとまって見学できるところはそうない。しかも、農家、商家、武家屋敷などを比較して見られるし、茅葺き農家の燻蒸や、体験講座、障子貼りなど、さまざまな活動を行っていて、参加することも可能だという。
園内に入ると江戸時代の建物が並んでいて、興味がわいた。一軒一軒中に入って、じっくりと見学したが、江戸時代の調度品もそろえられていて、なかなか見ごたえがあり、いろいろと撮影しながら歩いたので、結構時間がかかってしまった。
見学後は、県道10号線で県境を越えて富山県へと入り、刀利ダムあたりから北上して、南砺市にある今日の宿、法林時温泉へ16時過ぎに至った。→続く