ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

北海道旅行(10)

2005年09月25日 | 旅行
 フェリーはほぼ定刻通り、朝4時15分に着いたんだけど、車が最後尾に乗っていたから、下船するのに15分ほどかかってしまった。
まだ外は暗く、ライトを点けながら、八戸インターへと向かい、後は八戸自動車道から東北自動車道へと一気に南下したが、沿線は台風17号の影響で雨が降り続いていた。
東北地方を過ぎ、栃木県境を越えたところで、ガソリンの消費が早いのに気が付いたが、しばらくして、ガソリンメーターがほとんど0を指すようになっていた。警告ランプも点灯し、いつガス欠になってもおかしくない状態だ。ガソリンの消費を出来るだけ抑えるために、カーラジオを消し、クーラーも止めて、スピードを落とした。その甲斐あってか、なんとか那須高原サービスエリアのガソリンスタンドに到達して、ホッと胸を撫で下ろした。
 車を点検してもらったら、オイルがかなり減少し、タイヤの空気圧も減っていた。さらに左側の後輪にネジが刺さっていて、パンク寸前だったのだ。どうりで、ガソリンの消費が早いわけで、寸前の所で難を免れたのだ。
給油、修理後は順調に走り続けて、12時半頃には、東北自動車道を下りて、自宅に帰り着いて、9泊10日の旅を終えた。
 今回の北海道旅行は、苫小牧から襟裳岬、そして太平洋岸を納沙布岬まで、岬と灯台巡りを思う存分することが出来た。そして、からまつの湯、雌阿寒温泉、糠平温泉、ホロカ温泉などの秘湯にもたくさん入ったんだ。また、毛ガニ、サンマの刺身、イクラ、サケなど美味しいものもたくさん食べられた。特に、最後の大雪山黒岳の紅葉はすばらしく、いっぱい写真を撮ってこれたので、良い旅行だったかな...。

北海道旅行(9)

2005年09月24日 | 旅行
早朝宿を抜け出して、紅葉谷まで行って、写真を撮ろうと思ったんだけど、今年はまだ下は紅葉していないと言われ、断念した。仕方がないので、温泉街をぶらついただけで、宿へと戻ってきて、朝風呂に入った。7時から朝食を済ませ、早立ちをして、大雪山黒岳に紅葉を見るために登ることにしたのだ。
 7時半には、層雲峡・黒岳ロープウェイの層雲峡駅(標高670m)へ行き、順番を待った。紅葉シーズンとのこととて、結構並んでいる登山者がいて、10分間隔で運行している。15分ほどの待ち時間で、乗ることが出来たが、101人乗りのゴンドラは、標高差630mを約7分で運んでくれ、天気は上々で視界がよい。下界がパノラマのように展開して、すばらしいんだけど、まだ全然紅葉はしていない。今年は、例年より遅れているとのことだけど...。標高1,300mにある黒岳駅からは少し歩いて、黒岳ペアリフトへと向かったが、とても爽快だ。このペアリフトが標高1,520mの7合目まで通じているんだけど、この辺りから紅葉している木々が見えるようになり、山頂付近は真っ赤に色づいていて、期待がふくらんでいく。
 終点には、ロッジ兼登山事務所があり、ここで登山者名簿に記載して、頂上を目指したのが、8時50分となった。ここから、8合目までの道は曲がりくねっていて、道程が長く感じられ、しんどかったものの、紅葉は最高だ!すばらしい青空の中で、叱咤しながら足取りを進めた。
 8合目付近で一息ついてから、また登り始めたんだけど、目の前を小さな動物が横切っていった。あっ、シマリスだ!とカメラを構えたときには、もう藪の中へ見えなくなってしまった。残念!ここらへんからは、勾配が急になってたいへんだが、その分高度を稼ぐことができて、ぐんぐん上へと昇っていく。
 9合目付近になると視界が開け、一面錦の絨毯だ!あまりのすばらしさに、シャッターを切る回数も増えていく。とうとう、10時10分頃には黒岳山頂(標高1,984m)に立つことが出来たんだけど、ここからの眺望がまたすばらしかった。裏側には雪渓も見え、紅葉とのコントラストが絶妙だった。青空の下に旭岳を望み、とにかくシャッターを切りまくった。しかし頂上は、天気は良いものの風が強く、防寒着を一枚重ねなければならなかったが...。
 しばらく、登頂した感激を味わってから、早めの下山にかかった。下りは、上り以上に慎重に足を運ばないとスリップする危険もあるのだ。それでも、一歩一歩踏みしめていって、高度を下げていった。下山時も紅葉のすばらしさには目を奪われ、また何十枚も写真を撮ることになったのだが...。
 撮影しながら、ゆっくり下りてきたものの、1時間ほどで、7合目のロッジにたどり着いた。ホッと一息つくと共に休息して、ホットココアを飲むことにした。紙カップのものなんだけど下山してきたときに飲むのは美味しいんだ。
 しばらく、休憩を取ってから、リフトとロープウェイを乗り継いで、層雲峡の温泉街まで下りてきた。
もう昼を過ぎていたので、食事の出来るところを探したのだが、どこも満員で行列が出来ていた。仕方がないので、車で下りて、途中食堂を見つけることにした。しかし、山の中のこととて、しばらくは何もなく、ようやく上川の町まで下りてきて、ドライブインを見つけた。ここの名物、上川ラーメンを食べたんだけど、なかなか美味しくって、満足!満足!
 その後は、一気に国道540号を西進し、愛別からは高速に入って、時間を短縮した。道央自動車道に乗り継いでからは、スピードを上げて南下していき、札幌市内へと入って、知人の宅に立ち寄った。
 その後は、国道36号線を南下し、苫小牧市街へ入ってから、夕食をすませて、苫小牧フェリーターミナルへと至ったのだ。
 そして、21時15分発のシルバーフェリー八戸行きで、北海道を離れたんだけど、そんなに混んでなくて、2等室に充分なスペースを占めることが出来た。酒とつまみを買い込んで、寝酒として飲んでから、眠りに就いた。
続く

北海道旅行(8)

2005年09月23日 | 旅行
いつもは、朝の散歩に出かけるんだけど、雨が降っていて、断念した。部屋でのんびりしていてから、朝風呂に入り、朝食をすませて、出立の準備を終えた。
8時半頃には宿を出て、国道241号線を西へと走り、途中左折して、雌阿寒温泉へ立ち寄っていくことにした。天気の悪いときには、温泉巡りに限るのだ。「野中温泉別館」で350円払って、入浴させてもらうことにしたんだけど、ここの温泉は硫黄臭がする木の浴槽で、山間の秘湯らしさが漂っている。露天風呂へと続いているので、外へと出てみたが、若い女性が入浴していたので、びっくりした。ここの露天風呂は混浴なのだ...。雨が小康状態となっていたし、とても良い湯なので、その雰囲気と浴感を充分に楽しんで、上がってきた。
 それからは、オンネトーへと向かったんだけど、雨が降っていないのを幸いに、湖畔を一周してみることにしたのだが...。歩き始めてみると、薄暗く、不気味な静寂が続いていて、ヒグマでも出てきそうな雰囲気なんだ。おっかなびっくり歩きながら、写真を撮っていった。遊歩道の真ん中ぐらいで湖岸へ出たら、青く透き通るような糸トンボがいたので、2カットカメラに収めたんだけど、とてもきれいだったんだ。ここは、とても原生的な雰囲気があって、写真撮影にはいいんだけど、一周すると結構時間がかかる。一時間半位を費やして、出発点へと戻ってきた。
 その後は、さらに山道へと入っていって、ダートの林道を経由して、国道241号線へ復し、足寄へと向かった。もう昼を過ぎていたので、中心街のラーメン屋に入って、腹を満たしたんだけど、雨が降り出してきていて、写真撮影もままならない。仕方がないので、「足寄動物化石博物館」へ入って時間をつぶすことにした。
 ここが、なかなか面白かったんだけど、デスモスチルス中心に展示してあったんだ。これは日本を代表する絶滅した哺乳類なんだけど...。この全身骨格の化石は、これまでに世界で2体しか発見されておらず、いずれも日本にあるんだそうだ。どうやら、この仲間は元々北太平洋の沿岸地域にしか生息していなかったみたいなんだけどね。復元された姿を見るとカバとサイの角のないのをたして2で割ったような感じかな...。実に奇妙な外観をしているんだ。これが、この町でも発見されていて、それで展示の中心になっていたのだが、とても興味深くって、結構時間を費やしてしまった。
見学後は、再び国道241号線を西進し、途中から短縮路に入って、国道273号線へ出て、糠平湖畔へと至ったんだ。ここは、昔からの湯治場ともなっていて、温泉街を形成している。その一軒「元祖 湯元館」で500円払って、立ち寄り入浴させてもらうことにした。男女別の大浴場には、源泉が掛け流しとなっていて、湯が常に溢れていて、気持ちいい。裸で、通路をくぐると打たせ湯と露天風呂があるんだけど、こちらは混浴なものの、女性は誰も入っていない。ともあれ、この露天風呂のロケーションが良いのが気に入った。深い森林と渓谷に望みとてもワイルドな雰囲気があるのだ。のんびり湯に浸かっていると、とても雄大な気分になれる。良い湯を堪能して、旅館を出てからは、北へと向かった。
国道243号線を走って、途中左折し、山へと分け入って、幌加温泉へも立ち寄っていくことにした。「幌加温泉旅館」で入浴させてもらったのだが、築50年という木造2階建は、年期が入った学校のような建物で、文化財にでも指定したくなるような趣だ。さっそく浴場へと向かったが、これがまたすごい。入るなり、あまりのすばらしさに感動してしまった。打たせ湯と食塩泉と硫黄泉の3つの浴槽から、常に湯があふれ出し、床に千枚田状の堆積物を成している。よほど成分が濃くて、大量の掛け流しとなり、年月を経ていなければ、こうはならない。まさにね50年の年輪と言ったところか...。浴感もすばらしく、浴槽の底がじゃりじゃりするのも天然の感じがして良い。とても、気に入って、じっくりと湯を堪能した。ただ、露天風呂は、先の台風で壊されてしまい、使用不能となっていたのは残念だったけど...。
 浴後は、国道273号線へ戻って北上し、三国トンネルを越えて、層雲峡温泉へと至り、今日の宿「ホテル雲井」に入った。ここの温泉は、内湯だけのものの、やはり源泉掛け流しとなっていて、湯は良かった。ゆっくり楽しんでから、大広間での夕食となり、美味しく飲みかつ食べて良い気分となった。
 その後は、テレビを見ながら明日のブランを考え、寝てしまった。
続く
 

北海道旅行(7)

2005年09月22日 | 旅行
早起きして、宿を抜け出し、近くで日の出をカメラに収めてから、車で野付埼灯台へと向かった。野付半島は、湾曲した砂州になっていて、先端までは結構距離がある。15kmほど走って、一般車が入れる一番奥の駐車場に停めて、後は歩くことになった。10分弱のんびりと歩くと灯台の下へと至るんだけど、周辺は真っ平らな草原で、そこにポツンと立っているって感じなんだ。草藪には、大量の蚊がいて、襲撃を受け、ずいぶん刺されてしまったので、かゆくって仕方がない。それでも、いろいろな角度から灯台を撮って、波打ち際へも出てみた。ここから見る国後島はなかなか大きくって、北方領土の近さを実感するんだ。これもカメラに収めてから、宿へと戻っていった。

 野付埼灯台

 散策の汗を流すために、朝風呂に入ったんだけど、熱めの湯が心地よくって、上がってきてからの朝餉も食が進んだ。
8時半には、荷物をまとめて宿を立ち、今までの岬と灯台巡りの旅を終え、国道272号線で内陸部へと向かった。秘湯巡りをしようと、まず「中標津保養所温泉旅館」に立ち寄ろうとしたんだけど、入口がわからずに周囲をぐるっと一周することになってしまった。ようやく見つけて、500円を払って入浴したんだけど、これもまた良い温泉で、毎分600リットルの湧出量があるとのことで、湯量は豊富だ。大浴場には、大小2つの浴槽があるんだけど、掛け流しになっていて、とても心地よい浴感だ。露天風呂もあって、充分に温泉を堪能した。
 その後は、北にある開陽台に行って、根釧台地を展望してみることにした。小高い丘の上に円筒形の展望台があるんだけど、格子状になった防風林と牧場の広がりがよくわかり、野付半島から国後島まで、眺望できてすばにらしい。ただ、天気が曇りで肌寒く、スカッとしていなかったのが残念だけど...。
それからは西へ進んで、養老牛温泉へと至り、「ホテル養老牛」で日帰り入浴した。ここも良い温泉で、源泉掛け流しになっていて、渓流沿いの露天風呂が心地よかった。
入浴後は、その奥へダートの林道を入っていき、「カラマツの湯」へも立ち寄っていくことにした。ここは、深い森林の渓谷沿いにあり、男女別脱衣場と露天風呂が一つあるだけで、無料だけど混浴だ。ほんとうに、ヒグマでも出てきそうな大自然の中の立地なのだけど、結構知られるようになったのか、ライターの先客が数人いた。いずれも露天風呂巡りをしているような人たちで、挨拶を交わしながら、情報交換をした。
 その後は、来た道を戻ってから、北25号を西進し、国道243号線へ出て、屈斜路湖を目指したのだ。すでに、12時を過ぎていたので、弟子屈町内で昼食を取り、湖畔へと至った。まず、屈斜路湖を一望してみようと、津別峠の展望台へと上がっていったんだけど、途中から霧がかかってきて、峠上では完全に視界がなくなってしまった。仕方がないので、展望台からの撮影をあきらめ、峠道の途中から湖をカメラに収めただけで、下ってきてしまった。
 
津別峠下から屈斜路湖を望む


 湖畔には、ナノハナのような黄色い花が一面に咲いているのだが、この時期にナノハナでは季節はずれだと思い、ちょっとひっかかった。それでも、あまりにきれいに広がっているので、遠景の山々と共にシャッターを切っておいた。
 その後、和琴半島へと至り、無料の露天風呂へ入ろうと思ったんだけど、天候が悪く寒々とし、風邪を引きそうだったので断念した。しかし、せっかく来たんだから、半島は一周しようと、防寒を施して、歩き出した。森林の中を湖岸沿いの遊歩道を進んだのだが、季節はずれですれ違う人もなく、不気味なくらいの静寂だ。それでも、先端のオヤコツ地獄まで行くと、展望デッキのようなものがあって、湖が見晴らせるのだ。ここからの眺望はすばらしく、眼下に噴出口があって、水蒸気が出ているのも面白い。しばし、景色を眺めながら、写真を撮っていた。それから、ぐるっと回って1時間ほどの散策となったが、ちょうどよい運動量といったところか...。
 散策後、屈斜路湖を離れて、阿寒湖へと向かうことにした。弟子屈町まで戻り、国道241号線を西へ走ったんだけど、峠では霧が深く、双岳台、双湖台という展望地は通過せざるを得なかったのは残念!
 阿寒湖畔の温泉街へ着いて、今日の宿「温泉民宿 桐」を探したんだけど、土産物屋の並びにそれを発見した。1階は、民芸品店「桐里」になっていたんだ。2階の部屋に通されてから、浴室へと向かったんだけど、男女別に分かれているものの、浴槽は2人入ればいっぱいという感じだった。でも、トドマツで造られた浴室と浴槽はぬくもりがあって心地よく、源泉も掛け流しになっていて、溢れていた。気持ちよく旅の汗を流して、部屋で休んでいたら、しばらくして階下での夕食となった。1泊2食付き7,500円(込込)の低料金にもかかわらず、毛ガニが一匹出たんだ。これ、東京で買ったら2千円くらいするんじゃないかな?久しぶりに毛ガニを食べたんで、美味しかったけど毛がとげのようになっていて、むくときに痛いんだよね...。それに、ラムシャブ、サケのチャンチャン焼、豚角煮、ワカサギ天ぷら、イカ塩辛などが出てきて、とても豪華だったんだ。お酒も頼んで、満腹となった。
 食後は、満足して部屋に戻り、ゴロリと横になって、テレビを見ていたら、眠くなってきてしまった。その夜も、とてもいい眠りに就くことが出来た。感謝!感謝!
続く

北海道旅行(6)

2005年09月21日 | 旅行
早起きして宿を抜けだし、車で湯沸岬灯台まで行ってみることにした。駐車場からはしばらく歩いたが、岬の先端から見る風景はすばらしく、沖合に何艘も漁船が出ているのも絵になる。我を忘れて、写真を撮り続けていたら、あっという間に小一時間経ってしまい。朝食の時間もあるので、宿へと引き返していった。
 食後は手早く荷物をまとめ、8時過ぎに宿を立って霧多布湿原へと向かった。まず、浜中町霧多布湿原センターへ立ち寄ったんだけど、開館は9時からとのことで中には入れず、外から湿原の写真を撮ろうとしたが、あまりよい眺望ではないので、引き返すことにした。霧多布湿原は、徒歩で周遊できるところも少なく、ちょっと残念だったが、次へと向かうことにした。
 太平洋岸を東へ向かったんだけど、とてもよい眺望で、運転していても心地よい。途中、風景写真を撮りながら、落石岬へと至った。草原の真ん中にゲートがあって、それ以上は車で入れず、仕方がないので、その道路脇に車を駐めて歩き出した。前方に、コンクリート造りの廃屋があったが、どうやら無線中継所の跡のように見えた。その裏から、木道がまっすぐ、森林の中を貫いている。そこをずんずんと進んでいくと、15分ほどで灯台へと至るとのことだが、木道の幅は狭く、大人2人が横向きになってなんとかすれ違えるくらいなんだ。その上、高さが1m位あって、下は湿地なので、落ちたらどろんこになりそうだ。そんなことを思いながら歩いていったんだけど、誰一人すれ違う人はいなくて、深閑としていた。森から出て、草地に入ると正面に赤と白に塗られた灯台が佇立していて、とても絵になっている。周辺は断崖絶壁が続き、太平洋の眺望もすばらしいのだ。いろいろな角度から写真を撮っていたら、時の経つのを忘れてしまうかのようだった。

 落石岬灯台

 次の予定もあるので、撮影を切り上げて戻っていったが、後ろ髪引かれる思いのする所だった。車まで帰ると近くにオオモンシロチョウが飛んでいたので、それをカメラに収めてから、さらに東へと向かった。
 その後、花咲岬にも立ち寄って、岬と灯台の写真を撮ったんだけど、ここには根室車石というのがあって、名所となっている。落石岬とは異なって、観光客も結構来ていたのだ。ここから眺める太平洋もすばらしく、次々と写真を撮っていったのだが、灯台下でぐらぐらと揺れたのには驚いた!後で、聞くと震度4の地震だったんだそうだけど....。

 花咲灯台

 それからは、再び東進を続け、根室市街を通過して納沙布岬へと至った。ここの土産物屋兼食堂で昼食をすませてから、周辺を散策したんだけど、最東端へ達したというのは感慨深いものだ。天気も良くて、納沙布岬灯台からは北方領土の歯舞諸島、国後島、択捉島までもが見渡せた。灯台周辺でたくさん写真を撮ってからは、「北方館」「平和の塔」などにも入って、北方領土問題についての知見も得た。

 納沙布岬灯台

 その後は、根室湾を右手に見ながら、西へ走り、ノッカマップ埼灯台へも立ち寄ってカメラに収めてから、さらに西進した。再び根室市街を通過し、国道44号線沿いにある風蓮湖畔の道の駅「スワン44ねむろ」で小休止した。
 それからは、国道244号線で北上したが、別海町域は、広大な平原の中に、牧場が続いていて、北海道らしさを感じさせる。北方領土展望台にも立ち寄ってから、野付半島の付け根にある今日の宿、オホーツク温泉「国民宿舎 ホテル楠」へたどり着いたが、鉄筋コンクリート造りのしっかりしたて建物だ。
 部屋に荷物を置くとさっそく温泉浴場へと向かったのだが、このお湯が思いの外良くてびっくりした。無色透明の少し熱めの湯が、掛け流しになり、浴槽から溢れていたのだ。入るとぬるぬる感があって、とても心地よい。
 気分良く入浴をすませて、部屋に戻ると、ほどなくして大広間での夕食となった。食卓には、サケのチャンチャン焼き、シマエビ、イクラ、コンブ、天ぷら(サツマイモ、シシトウ、シマエビ)、サンマの唐揚げ、サンマの刺身など地物ばかりが並べられていた。そしてサケの頭があったのだが、これがやわらかくて丸ごと食べられるように調理されていた。特に、サンマの刺身は絶品で、周辺の海域で今漁の最盛期とのことでまさに旬のものなのだ。1泊2食付き7,900円(込込)の低料金にもかかわらず、よくこれだけのものが出せると感心した。お酒も2合冷やで頼んで、大いに飲み食いした。
 後は、部屋に戻って、テレビを見ながら明日のコースを考えていたが、内陸部に入っていって、秘湯巡りをしようなどと考えていたら眠くなってしまった。それで、床に就いたら、心地よい眠りに落ちた。
続く
 
 

北海道旅行(5)

2005年09月20日 | 旅行
朝6時に宿を抜け出して、カメラ片手に散策へと出かけた。牧場で草を食んでいる馬たちを写真に穫りながら、南へと歩いていくと、十勝川の河畔へと出たが、ほんとうに自然の中を流れているという感じで、周囲には人工物が見あたらず、とても雄大だ。その雰囲気に浸りながら、カメラのシャッターを切っていた。引き返しながら牧場の中を歩いていくと空に熱気球が浮かんでいるのが見えた。これもカメラに収めてから、宿へと戻っていったが、小一時間の心地よい散歩となった。
 散策の汗を流すために、朝風呂へと向かったが、ここのモール泉はほんとうに快適なのだ。リフレッシュして、朝の食卓へと向かった。
 食後、8時過ぎに宿を立って、まず十勝大津を目指して、国道38号線を南下した。しかし、途中に国道から右折するところを間違え、どんどん森林の方へと入っていってしまい、ダートの山道となってしまった。ままよと、そのまま進んだら太平洋岸へと出てしまったのだ。どうやら十勝太の海岸丘陵付近と見定めて、西進することにした。黄金の滝に立ち寄ってから、国道336号に出て、十勝川を越え、十勝大津灯台へと至った。この灯台は、海岸丘陵上に立っていて、車道が閉じられていたので、麓から歩くことにした。灯台付近からの眺望はすばらしく、南に太平洋を望み、北に十勝平野が広がっている。感動しながら、何度も何度もシャッターを切った。
 撮影後は、車に戻って、さらに西進し、長節湖を撮影してから、海岸線を引き返し、釧路方面へと向かった。道々撮影しながら行ったら、結構時間を取られてしまい、白糠町でで給油するときには、正午を過ぎていた。そこで、食事の出来るところを訪ねたら、20km先のレストランを教えられて、びっくりした。さすがに北海道は広大で、内地とは距離感も違うらしい。それでも、道がまっすぐでスピードも出せるので、15分ほどで到着し、十勝名物の豚丼を食べることが出来たのだが...。
 食後は、さらに東へ走って、釧路市街へと至り、まずレンガ造りの「港文館」へと立ち寄った。ここは、旧釧路新聞社の社屋を復元したものだが、かの石川啄木が、釧路在住76日間に新聞記者として働いたところなのだ。内部は、啄木の資料などが展示してあって、興味深く見学した。
 その後は、米町公園へも行ってみたんだけど、ここからみる釧路港はすばらしい!啄木の歌碑もあって、立ち寄りたいスポットなのだ。それから、近くにある釧路埼灯台も撮影したのだが、その下に石炭の貯炭場があってまだ石炭が掘り出されているようだ。聞くと、太平洋炭坑は閉山したものの、一部子会社に引き継がれて、海外労働者の研修の場として、採炭が続けられているとのことだった。日本に残った、唯一の炭坑とのことで、感慨深げにカメラに収めておいた。
 撮影後は、時間も押してきているので、先を急ぎ、海岸沿いに厚岸湾を目指した。途中、昆布森灯台を撮影したのだが、ここから見る太平洋も広大で、鄙びた漁村の風景と共に、写真に切り取った。
 さらに東へと向かい、厚岸の町へ出てからは、厚岸大橋を渡って、半島を走った。北海道らしい、広大な風景が展開する中で、ビワセ展望台へも立ち寄ったが、霧多布湿原の雄大さには息を飲んだ。ここでも、何枚も写真を撮ってから、霧多布岬へと入っていった。
今日の宿は、温泉がないのでその前に一風呂浴びようと、霧多布温泉「ゆうゆ」へ行ってみたが、丘の上の近代的な建物で、露天風呂からの眺望が良かった。
 浴後、今日泊まる宿を探したのだが、見つからず湯沸岬灯台駐車場まで至ってしまった。携帯電話で確認したら、通り過ぎていたので引き返し、ようやく民宿「カントリーハウス えとぴりか村」を発見した。ログハウス風の平屋建で、こぢんまりとしているが、こういうのもアットホームでいい。食事も地元の食材を使っていて、美味しく、同宿の人たちと歓談しながらの楽しい夕餉となった。部屋にテレビはなかったけれど、懐かしいまんが本が山のようにあって、久しぶりに読みふけることが出来たのだ。そして、読み疲れて寝てしまった...。
続く

北海道旅行(4)

2005年09月19日 | 旅行
早朝、宿を抜け出して海岸まで散歩に行ったんだけど、荒涼とした風景の中に、廃屋や廃船があり、烏が群れをなしていて、最果てを感じさせるんだ。人っ子一人出会わない中、その雰囲気をカメラで切り取っていったのだが、これもまた印象に残るものだった。
 宿に戻って、宿舎の方の内風呂に入り、浴後に朝食を取ったんだけど、食堂でのバイキング方式だった。牛乳やコーヒーも飲めて、こういうのもたまにはいいかな...。
 8時過ぎに宿を立って、襟裳岬方面へと向かったんだけど、まず浦河灯台へと立ち寄ってみた。中心街の裏山に立っていたので、見晴らしが良く、街並みや港から太平洋までが一望できる。様々な角度から写真を撮っていたら、周辺の草地にいくつかの蝶が飛んでいた。これを望遠レンズで、のぞいていたら、見慣れない蝶を発見した。一見、モンシロチョウのようにも見えるんだけど、前翅の表側に黒紋がないので、どうやら違うように思えた。調べてみたらオオモンシロチョウだったのだが、初見なので驚いた!それ以外にもモンキチョウ、ヒメアカタテハ、ミドリヒョウモンなどが飛んでいて、カメラで追いかけ回していたら、ずいぶん時間がかかってしまった。

 オオモンシロチョウ

 その後は、一端海岸線を離れ、内陸に入って、日高育成牧場を見学することにした。明治時代の開拓期から軍馬などの育成で知られてきた所だが、現在では、JRAの競走馬育成に使われているとのこと...。メモリアルホールへ入って、その歴史についても学んだ。とにかく広大で、その広がりが北海道らしさを感じさせる。草地には、アザミの花がたくさん咲いていて、そこに各種の蝶が群れていたので、夢中になってカメラで追いかけていた。クジャクチョウ、カラスアゲハ、ミドリヒョウモン、オオモンシロチョウ、モンキチョウなどに向かって、シャッターを切り続けていたのだ。
 
 カラスアゲハとクジャクチョウ

それから再び海岸線に出て、国道235号線に復し、先端を目指したのだが、途中幌泉灯台にも立ち寄って、写真を撮っていたら、襟裳岬到着が12時を回ってしまった。仕方がないので、まず食堂で腹ごしらえしてから、襟裳岬と灯台の撮影へと向かった。
 ここには、11年前の11月初旬にも来ているが、その時は土産物屋も開いていず、訪れる人もほとんどなくて、強い風が吹きすさんで荒涼としていた。その時と比べると3連休の性もあって、人出が多いんだけど風の強さは相変わらずだ。いろいろな角度から岬と灯台をカメラに収めていったのだが、新しく「風の館」という施設が出来ていたので、興味を持って入館することにした。ここでは、風を作る装置によって、風速25mを体験できたのが面白かったんだけど、とてもすさまじいものだ...。
 でも、予想以上に時間を使いすぎてしまって、襟裳岬を発つのが、午後2時半となってしまった。やむを得ないので、黄金道路はスピードを上げて通過するだけにしたのだが、そのすばらしい光景をカメラに収められなかったのが残念だ。
 その後、広尾灯台に立ち寄ってカメラに収めたものの、十勝海岸の湖沼群は割愛して、今日の宿十勝川温泉へと急ぐことになってしまった。これもちょっと残念....。
しかし、十勝平野の道路は広くてまっすぐで、その上通行量が少ないので、スピードが出せる。思いの外時間を短縮できて、夕方5時半頃には、民宿「田園」にたどり着くことが出来た。ここには、12年前にも泊まったことがあるんだけど、目の前が牧場で、馬が草を食べ、のどかな風景が広がっていて気に入ったのだ。しかも、ここの温泉は全国でも希少なモール泉で、コーヒー色の湯に植物性の腐食成分が浮かんでいる独特のものだ。露天風呂も併設されていて、そのぬるぬる感のある湯を充分に堪能した。
 浴後ほどなくして夕食となったが、品数も豊富で美味しく、お酒を飲みながら、楽しく食事した。食後は、部屋に戻って、テレビを見ながら明日のコースを考えたのだが、徐々に睡魔に襲われてきて、早めに床に就いた。
続く

北海道旅行(3)

2005年09月18日 | 旅行
朝8時頃に知人宅を出立し、国道453号線を南下して、支笏湖畔へと至ったんだけど、大自然に包まれた静寂の雰囲気が気に入った。天気は曇りだが、雨は降り出しておらず、東側から回り込んで、苔の洞門へ行ってみることにした。

 支笏湖

 駐車場から林間の歩道を15分ほど歩いていったものの、苔の洞門は崩落のため中に入ることが出来ず、展望所から入口を眺めるだけになってしまった...。
 その後、来た道を戻って、湖の反対側にある「丸駒温泉旅館」へ立ち寄り入浴していくことにした。入浴料1,000円は、北海道の温泉にしては高いような気もしたが、ここの露天風呂はすばらしい!支笏湖に臨み、底から湯が沸き出しているようで、湖水を取り入れて湯温調節している。従って、湖水面の上下によって、露天風呂の深さも変化するとか...。この日は、120cmほどあって、小さなプールのようで、立って入浴する感じだった。別に内湯とそれに続く露天風呂もあり、ここからの湖水を眺めながらの入浴もすばらしかった。

 「丸駒温泉旅館」の天然露天風呂から

浴後は、樽前山の麓を経由して太平洋岸へと至った。昼食に白老牛でも食べようと思ったのだが、適当な店が見つからず、国道36号線沿いのラーメン屋ですませることになってしまった。でも、なかなか美味しかったが...。
 食後は、国道を東へ走り、まず苫小牧灯台へ立ち寄った。国道脇の小さな川の河口に位置していて、太平洋に臨んでいる。この灯台をいろいろな角度からカメラに収めて、さらに東へと走っていった。
 日高地方へは、途中から暫定無料供用されている日高自動車道を利用したが、草原の中をまっすぐに貫いていてとても快適だ。通行量も少なく、すいすいと走って、厚真インターまで至った。この後は、未開通なので、国道235号線へ下り、さらに東へと海岸線を走った。
 日高門別灯台へも立ち寄って写真を撮ったが、周辺の荒涼とした海岸線が、最果ての旅情をかき立て、ついついたくさんのシャッターを切ってしまった。
 撮影後も海岸線を走って、道の駅「サラブレッドロード新冠」で小休止し、次に目指す静内灯台の位置を訪ねた。国道から、丘の上に上がったところにあったので、聞かなければ、通り過ぎてしまうような場所だ。陽が傾ききかけている中、灯台下までいって、カメラのシャッターを切ったが、すでに点灯していて、灯台らしい感じがしていた。
 その後は、国道225号線へ復して東進し、三石町内へ入り、今日の宿泊場所三石温泉「はまなす荘」を探した。太平洋を望む小高い丘の上に建っていたが、日帰り入浴施設に併設された宿泊所といった趣の平屋建てだった。
 部屋に荷物を入れるとすぐに大浴場へと向かい、旅の汗を流して、一息ついた。浴後すぐに、食堂での夕餉となったが、カレイ煮付け、鴨鍋、マンボウ、刺身(ハマチ、タコ)デザートなどが並べられていて、1泊2食付き5,920円の低料金の割には良かったかな...。お酒も冷やで2合たのみ、美味しく飲み食いした。
 食後は、部屋に戻ってテレビを見ながら、明日のコースを考えたりしていたら、まどろんできてしまった。旅の疲れもあって、早めに床に就いた。
続く

北海道旅行(2)

2005年09月17日 | 旅行
 早朝6時に、朝食も取らず「プラザホテル古川」を立った。古川インターまで直行し、再び東北自動車道を北上していった。岩手県へ入ってさらに走り、紫波サービスエリアで朝食休憩を取ったが、混雑していて、なかなか注文したカツカレーが出てこずに待たされた。
 食後は、再び車を走らせていったが、道路は空いていて順調だ。秋田県を通過し、青森県へと入ってきたが、秋雨前線の影響もあって、天気は曇りがち、北海道は雨との予報だ。
 10時前には、青森港のフェリーターミナルへ到着し、11時25分発の道南自動車フェリーの乗船券を購入したが、まだ出港までは時間があるので、ガソリンを満タンにし、コンビニでお茶と弁当を買い求めて、準備を整えた。
 フェリー「えさん」は定刻に出発したが、トラック輸送中心の船なので、至って簡素な造りで、客室も広くない。しかし、乗船客も多くはないので、充分なスペースを占めて、寝転がった。外は曇りで、風も強く、あんまりデッキに立っていられないので、室内で本を読むかテレビをみているしかない。でも、長躯の運転の休養にはなる。
定刻の15時10分を少し過ぎて、北海道の地へ上陸することができたが、相変わらず天候は良くない。今日中に札幌市へ着かなければならないので、先を急いで、国道5号線を北上していった。
国縫インターからは、道央自動車道へと入って、時間短縮をはかったが、雨も降っていて、路面状態が悪く、あまりスピードを上げることは出来なかった。それでも、19時過ぎには札幌南インターで下りることは出来たものの、市街地で道を間違え、知人宅へ到着したのは20時を回ってしまっていた。
久しぶりの再会を祝し、3名で近くの飲み屋へ繰り出し、飲みかつ食べながら歓談した。心地よい、対話に旅の疲れも癒え、その晩は知人宅へ泊まることになった。
続く

北海道旅行(1)

2005年09月16日 | 旅行
 遅い夏休みを1週間ぶち抜きで取って、9泊10日の北海道旅行へ出ることにした。昨年、一昨年も夏休みに北海道へ行っているので、これで3年連続となるがなぜか、魅せられるところがあるのだ。
金曜日の仕事を定時に終えて、夕方5時半から愛車フォレスターに乗って、旅は始まった。東北自動車道を一気に北上し、出来るだけ北へ行って、今晩はビジネスホテルにでも泊まりたいと考えていた。
 3連休前の金曜日夕方なので、渋滞も懸念されたが、すいすいと走って、栃木県、福島県と通過していった。宮城県域に入って、走行距離も300kmを超え、仙台通過時には9時を過ぎようとしていた。疲れも貯まってきたので、そろそろ限界かなと思い。古川インターで下りて宿を探すことにした。
 古川市の中心街へと向かい、「プラザホテル古川」に飛び込んでみたら、幸いシングルが空いていて、朝食付き5,900円で泊まれるとのことなので、ここに決めた。部屋に荷物を置いてから、近くの飲み屋へ行って、遅い夕食をすませ、お酒も2合ほど飲んで、戻ってきた。
 明日は早立ちなので、その行程も考えて早めに床に就くことにした。
続く

旅で構造改革を考える

2005年09月11日 | 旅で考えること
 日本中を旅していると地方の変貌ぶりに驚くことが結構ある。特に、駅前の様子が、だいぶ変わってきているようだ。再開発によって、広場が整備されされるのは良いが、どこも同じ様に均一化されていくのが、気にかかる。特に、地方都市に同じ様な、大手スーパーの巨大な建物を見つけることほど、味気ないことはない。この町には、以前訪れた時、駅前通りに、風情のある商店街があったのに、今は閉店している店が目について、閑散としていたりもする。こういう状況を目の当たりにするととてもさびしい気がするのだ。どこの地方都市も皆、東京に右習えし、近代化の中で、個性が失われていくのはいかがなものだろうかと....。
 昔から続く温泉街でも大きな変化が起こっている。温泉ファンとしては、老舗の温泉旅館が店を閉じ、荒廃しているのを見ることほどつらいものはない。熱海や鬼怒川などの有名温泉地でもしかりである。温泉宿に泊まって、話を聞くと一様に宿泊客の減少を嘆く声が聞かれる。往時の半分から3分の2くらいになっていると言う女将もある。ほんとうに深刻な状況だ。リストラ構造改革によって失業者が増え、所得の減少する世帯が増え、温泉旅行をするゆとりもなくなってきているのか...。また、企業の側でも特に中小では経営が厳しく職員旅行や泊まりがけ研修などをなくす所が多いと聞く。そんな中で、温泉街は疲弊しているのだ。
 農山村の荒廃については、一昨日書いたが、地方都市や温泉街以上に深刻な様相を呈しているところも多いのだ。
 ところで、自民党・公明党連立の小泉内閣が誕生して4年になるが、そこで進められてきた構造改革の現状を旅先で見ると上記のような印象となる。中小の商店や温泉旅館が淘汰され、大型店が進出してくる。まあ、大型店の中でのスクラップアンドビルドも同時進行しているのだが...。また、農山村の経済を支えてきた農林水産業が振るわなくなって、地域経済全体に大きな陰を落としている。そういう中で、景観や街並みに変化が現れてきていて、すこぶる違和感を感じるのだ。
 日本的な景観が好きで、国内を巡っているものにとってとては残念でならない。構造改革によって、効率や経済性を追求するあまりに、地方都市の商店街が廃れ、伝統的な街並みが変わっていったり、農山村が荒廃して、山紫水明の景観が破壊されていくのは耐え難いものがあるのだ。
 地方で営々と農山村や商店街を守ってきた人々の生活に安寧がもたらされて、それによって地域活性化がはかられた方が良いようにも思うのだが...。
 

旅で平和を考える

2005年09月10日 | 旅で考えること
 日本中を旅しているとつくづく平和っていいなあ~。だからこそ、自由に旅が出来るのだと思う。先日、アフガニスタンを旅していた日本人の教諭2人が拉致殺害される事件があったが、イラクなどでも同様な事件が何度か起こっている、戦闘状態にある国や治安が悪化している所では、旅するのも命がけなのだ。
 ところで、日本列島にも各所に60年前の第2次世界大戦の傷跡が残されている。旅先で、そういうところに立ち寄ることも結構あるのだが、沖縄へ行ったときには、沖縄本島の南部戦跡にあるひめゆりの塔で、看護で従軍した女学生の悲惨な体験を生き残ったひめゆり部隊の方から聞いて涙した。摩文仁の丘の平和祈念公園では、慰霊碑に刻まれた膨大な戦没者数に驚愕したのだ。
 鹿児島県を旅したときは、知覧の「特攻平和会館」で、その壁に張り巡らされた特攻隊員の顔写真を正視することが出来ずに涙ぐんだ。10代、20代の前途ある青年がいかに多く敵艦への自爆攻撃を敢行して死んでいったのかと...。それは、「加世田市平和祈念館」でも同じ思いだった。
 また、広島や長崎を旅したときは、原爆によって、一瞬の内に何万、何十万の人が亡くなり、都市が壊滅したようすを知って、戦慄した。それは、戦後60年を経た今日でも原爆症に苦しむ人々を残している。
 その他にも、東京大空襲をはじめ日本各地が爆撃され、多くの一般市民が犠牲になると共に、焦土とされた爪痕が所々に残されているのだ。
 旅の途上で、このような所を訪れる度に、戦争の悲惨さを胸に刻み、平和の尊さを感じている。そして、第2次世界大戦後60年間、日本で戦争がなかったことのありがたさが身に染みるのだが、それは、日本国憲法第9条の戦争放棄や戦力不保持、交戦権否認の原則があったればこそと思っている。
 しかし、今この憲法を変えようとする動きが起こっている。8月1日に発表された自民党の『憲法改正草案の一次案』を読んだのだが、憲法第9条2項の戦力不保持を改め、自衛軍を保持できるとした上で、「自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。」としていて、海外へ派兵しての戦争へも参加できる内容となっている。しかも、民主党の『憲法提言中間報告』では、「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」に限定しているのに比べて、「国際的に協調して行われる活動」という規定はあいまいで、今回のイラク戦争のように国連決議がなくて、アメリカとイギリスが強行したようなケースも含まれると考えられるのだ。
 でも、このイラク戦争は、「イラクが大量破壊兵器を持っていて、危険性が高まっている」ことを口実に始められたはずなのに、それは発見されなかった。戦争で多くの人々が犠牲になっているにもかかわらず、そのことに対する責任は明確にされず、ブッシュ大統領もブレア首相も辞任していない。このような道理がないと思われる戦争にまで、日本が加わらなければならないのだろうか...。小泉首相は真っ先にイラク戦争を支持しておきながら、大量破壊兵器が発見されなかった責任については口をつぐんだままで、いまだに自衛隊をサモアに駐留させている。
 しかも、イラク戦争は、アメリカやイギリスなどによって、戦闘終結宣言がなされた以後の米英軍犠牲者の方が多く、イラク住民も多くが殺されていて、いまだに戦闘状態が継続していると見ている向きも多い。その中で、ことし7月のイギリスサミット時の地下鉄・バス爆破事件が起きたとも考えられている。マスコミでは、同時多発テロなどと書いているけれども、イラク戦争が継続している中での後方攪乱と見る向きもあるのだ。
 要するに、戦争すると言うことは、その戦闘地域だけではなくて、その後方の施設や支援国への攻撃の危険性を常にはらんでいるということだと思うのだ。日本が、イラクへ自衛隊を派遣したときもその危険性を考えて、日本国内の列車や空港などでも厳重な警戒が実施され、国内を旅していたときに何度もチェックを受けた記憶がある。
 やっぱり戦後60年間戦争に参加せずに、平和を守ってきたことを大切にしなければならないと思う。憲法9条を変えずに、戦争に参加しないで、平和を守る日本を続けていきたいと思う。その方が、安心して、自由に旅が出来ると考えるのだが...。

旅で農山村の荒廃を憂う

2005年09月09日 | 旅で考えること
 日本中を旅していると、農山村の荒廃が目立つようになった。農村部では、かつての青々とした水田地帯に耕作されない所が目立つようになり、景観を損ねている。また、農村の中心集落の商店街も活気がなく、シャッターを閉じたままの店も見られる。それが、昔ながらの街並みに変化を来させてもいる。逆に水田地帯に大型のスーパーマーケットが建てられたりしていて、著しく違和感を感じさせる場合もある。
 これが、山村部へいくともっと深刻で、耕作放棄された棚田が目立ち、手入れされていない森林で樹木が立ち枯れしていたりもする。また、人が住まなくなって、荒廃した民家も目に付くし、お年寄りばかりが農作業している姿も見られる。
 先日の台風14号では、九州、四国、中国地方に大きな爪痕を残したが、山村部での土砂崩れが目立ち、その下敷きになって、死亡したり行方不明になっている人たちも高齢者がほとんどだ。しかも、高齢者の一人住まいや高齢夫婦世帯が多いのだ。これらの災害の原因には、希に見る異常な降水量があったことも事実だが、山村地帯の荒廃もその一つに挙げられている。荒廃した棚田や山林は保水力を失い、鉄砲水の原因となっているし、それらを管理できなくなってしまった山村の過疎高齢化が背景にある。
 山村地帯の過疎高齢化が問題とされて久しいが、いっこうにそれが改善される気配がなく、ますます高齢化が進行している。一部には、伝統的な祭りが出来なくなったり、消防団さえ維持できなくなっている所もあると聞く。極めて深刻な状況と言わざるを得ない。
 これらのことは、政府与党の行ってきた、国土の管理や公共の福祉、所得の再分配などの政治がうまくいっていないことを示しているようにも思えるのだが...。確かに、高度成長期以来土木建築費には多くの予算が費やされ、道路や河川、ダ工事などは行われてきた。旅先でもその様子はよくわかるのだが、肝心の住民の生活基盤が脅かされ、農林業採算が取れなくなって、耕作放棄や森林の放置、そして農山村地帯からの人口流失(とりわけ若年労働力)を引き起こしてきた所が多いようにも思う。これらが、国土の荒廃を促し、農山村の公共福祉にも影響を与えているようにも考えられるのだ。
 国の重要な役割の一つ、所得の再配分政策の面では、最近これがうまくいってないことが顕著になっていると思う。9月8日付「朝日新聞」朝刊に出ていたが、日本の貧困度(国民平均所得の50%以下の所得しかない「貧困者」の全人口比)は年々上昇し、1980年代半ばの10%ちょっとの水準から、現在では15%を超えている。一方で、所得格差(上位2割と下位2割の所得総額の比率)は年々広がり、1980年代前半には10倍以内だったものが、2002年には168倍にも達しているという。要するに貧困世帯が増加する一方で、富裕層との格差が著しく広がっていると言うことだ。
 山村地帯の高齢者世帯などはまさにこの貧困層に属すと思われるが、このような所に所得を再配分して、活性化させ、国土の荒廃を食い止め、公共の福祉の面でも充実が図れないかと思うのだ。そうしないと、山紫水明の美しい国土には蘇っていかないのではないか...。
 ところが、いま政府自民党は2007年度あたりをめどに消費税の増税を企図しているようだし、民主党も消費税の3%増税を打ち出している。これは、所得再配分の面からは的を得ていないよう思えるのだ。消費税は、物を買うたびに税金が取られるので、貧困層にも応分に負担がかかるからだ。
 このように、所得格差が拡大しているときには、累進課税を強化して、富裕層に多く負担してもらって、国土の保全や公共の福祉を進める方が良いようにも思うのだが...。ちなみに、所得税の最高税率はかつての50%から、1999年以降37%に引き下げられてしまっている。また、法人税の最高税率も引き下げられ、さらに租税特別措置法によって、1億円以上の企業は優遇されている。日本経済も回復基調にあるようなので、こちらの方にメスを入れる方が良いように思えるのだが...。
 旅をしながら徒然に思ったことを書いてみたが、農山村に活気がみなぎり、山紫水明の日本が蘇ってくれることを願って止まないのだ。

旅で郵政民営化を考える

2005年09月08日 | 旅で考えること
 日本中を旅行していると、山間僻地や離島などにも結構行くことがある。そんな時に郵便局があるととても助かるのだ。現金をおろすのに便利だし、旅先から振り込みをするのにも都合がいい。それが、手数料無しで、引き下ろせたり、安く振り込めるので、助かっているのだ。最近、銀行はリストラの性か、支店数が減り、とりわけ農村部で減っているような気がする。そういうわけで、郵便局はとても助かるのだ。
 それが、郵政民営化をするとそんな山間僻地や離島の郵便局が統合されたり、廃止されたりするのではないかと心配している。聞くと、郵政公社は現在は黒字経営で、郵便や貯金、簡保の利益で、職員の給与や経費をまかなっているので、税金は少しも使われていないという。それじゃあ~、民営化しても税金の節約にはならないわけだ。その上、利益の中から半分は国庫に納付しているそうだから、結構国家財政を助けていることにもなっているらしい。それなのに、なぜ民営化しなければならないのかよくわからない。
 銀行と同じようになったら、手数料も上がるかもしれないし、不採算な店舗は廃止されるだろう。私が旅先で利用する山間僻地や離島などは真っ先にその対象になるのではと危惧している。
 ところで、国でやっているということは、公共の福祉という点と所得再配分の効果を併せ持っていると思うのだ。同じ日本人に生まれたのなら、住むところの不便さや人口の多寡で差別されるものではないと思う。基本的なサービスは国民全体にあまねく行われなければならないこともあるのではないか...。そういう意味で、国で郵便局をやっている意味があると思うんだけど...。
 そんなわけで、私にとってはどうも郵政民営化は好ましくないように考えるのだ。あんまり、儲けと効率化ばかりを追求する時代でもなくなってきているようにも思えるのだが...。