ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

帰省途中の旅(3)

2005年12月31日 | 旅行
朝起きて、明るくなり始めた7時頃からカメラ片手に散策へ出かけた。風が強く、とても寒いので、防寒に注意して出かけたのだが、吹きっさらしの所へ行くと飛ばされそうだ。神島灯台から朝焼けの海の写真でも撮ろうと思ったんだけど、途中の遊歩道が強風のため危険だと思い、引き返してきた。しかし、この風で市営定期船は来るのだろうか?一抹の不安がよぎった。
 宿に戻って、一服してから朝食となったのだが、女将さんから「船は欠航しないようだ」と聞かされ、安心した。食後手早く荷物をまとめ、8時45分発に乗るために船着場へと向かった。
 港の防波堤には、大きな波が打ち寄せて、砕け散っている。そんな中を定期船が入港してきたが、左右に大きくローリングしていて、心配になった。
 大晦日の朝のこととて、乗船客も少なく、数人を乗せて出航したんだけど、港を出ると前後左右に大きく揺れて、気が気ではない。大波をくらったら転覆するんじゃないかと...。祈るように気持ちで、外海を見つめていたが、鳥羽湾へはいると揺れも少なくなって、ホッと胸を撫で下ろした。菅島へ寄港後、ほぼ定刻通りに佐田浜港へ到着し、駐車場から車を出して、パールロードの方へと走っていった。
 結局、パールロードは通らず、旧道の方を進んだが、海岸沿いの曲がりくねった細い道で、走りにくかったものの、なんとか石鏡まで至った。そこで、石鏡灯台を探したんだけど、なかなかみつからない。漁港で人に聞き、やっとたどり着いたら、ホテル「いじか荘」の脇に隠れたように建っていた。高台にあって、海の眺望はいいのだが、なにしろ風が強く。カメラを構えても、風圧でブレてしまうような状態なのだ。それでもなんとか、数カットを収めて、次へと向かった。
 一端パールロードーへ出てから南下し、少し走ってから、また脇道に逸れて、国崎の集落の方へと下りていった。目指すは鎧埼灯台なんだけど、これも道を間違えて、人に何度も聞いてやっと岬の端へとたどり着いた。高台に白亜の灯台が立っていて、海岸線の眺めがすこぶる良い。しかし、風が強くて、岩の上へ立っての撮影は容易ではなかった。それでも、なんとかカメラに写し込んで、さらに南下していった。
 
 鎧埼灯台

 相差の集落を過ぎて、再びパールロードーに合して進んだが、的矢湾をまたぐ橋上からの景色が良かったので、しばし、車を駐めて、シャッターを切った。
 その後、国道260号線へ出て、先端にある御座岬を目指した。御座の港までは、難なく行けたのだが、そこから先の道は細くてわかりにくく、何度も御座埼灯台の場所を聞きながら試行錯誤した。白浜の海水浴場の前を通り、別荘地となっている急斜面を登って、先端に近い空き地に車を駐めた。それから、遊歩道を10数分歩いてやっと、灯台までたどり着いた。白亜の灯台は、訪れる人もなく静かに立っていたが、その雰囲気が気に入って、何十枚も写真を撮ったのだ。

 御座埼灯台

 撮影後は、車に戻って、来た道を下っていった。鵜方に近いところで、昼食をすませ、国道167号線を北上し、途中から右折して、志摩路トンネルで伊勢市へと入っていった。伊勢インターから伊勢自動車道に乗り、東名阪自動車道へ乗り継いで愛知県へと至って、旅を終えた。
今回の旅は、離島巡りとなったが、そこには、昔から続く人間の生活が息づいているようにも思える。美味しい海の幸に恵まれ、写真もたくさん撮って、とても良い旅となった。


帰省途中の旅(2)

2005年12月30日 | 旅行
朝起きて、明るくなり始めた7時頃から、カメラ片手に周辺を散策してみた。冬の朝は近畿といえども寒く、防寒に注意して外へ出た。榊原温泉は昔は“七栗の湯”として知られ、清少納言『枕草子』117段に、「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と出ていて日本三大名湯の一つとして有名なんだ。鄙びた温泉街を少し歩くと、杉の大木に囲まれて佇む式内社「射山神社」があった。平安時代の927年(延長5)に人々が湯の神を祀り、現在も毎年2月にはクマザサで沸騰したお湯を参拝者にかける「御湯」という伝統行事が開催されると案内板に書いてあったが、それほど昔からの由緒を持った所なのだ。何枚か写真を撮りながら周辺を散策して、30分ほどで、宿へと戻ってきた。
 すぐに朝風呂に入ったが、冷えた体が融けていくようでとても心地がよい。浴後は、食堂での朝食をとり、手早く荷物をまとめて8時半には宿を立った。
 国道165号線へ出て東進し、23号線へぶつかって右折して鳥羽方面へと向かった。二見浦の先にある神前灯台の写真を撮ろうと防波堤の近くに車を駐め、海岸線へと出てみた。灯台の姿は見えるのだが、断崖絶壁上にあり、行き方がわからない。浜で海藻を拾っていた地元の人に聞いてみたのだが、要領を得ないのだ。仕方がないので、できるだけ近づいて下から望遠でとらえるだけにした。
 撮影後は、国道に復してさらに東へ走り、離島へ渡る連絡船乗り場のある佐田浜へと至った。窓口で菅島行きの出航時間を確認したら、まだ1時間弱の余裕があるので、離島の旅館指定の市営第1駐車場へ車を入れ、鳥羽駅周辺の土産物屋をのぞいて時間をつぶすことにした。
 佐田浜港発11時35分発の市営定期船に乗り、菅島へと向かったが鳥羽湾内の波は穏やかで、とても風光明媚だ。20分弱で到着し、下船後港の前の軽食喫茶で昼食をすませ、菅島灯台へと遊歩道を歩いていった。最初は海岸縁を巡る平坦路であったが、途中から急な上り勾配となり、アップダウンしながら、先端へと向かっていった。この島は東西約4kmの細長い島で、灯台はその東北端に立っている。1873年(明治6)7月に初点灯したレンガ造の現役では日本最古の洋式灯台で、かの“灯台の父”と呼ばれる英国人技師ブラントンの設計・建設によるものなのだ。「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっていて、以前から一度来たいと思っていた。
 岬の尾根筋に小さな門があり、その奥に、ヨーロッパの古城を思わせる白亜の美しい灯台が見えてきて、あまりのすばらしさに息を飲んだ。国産の白色レンガを使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席したという由緒あるものなのだ。無人化によって使用されなくなった退息所(灯台職員官舎)は、国指定重要文化財となり「明治村」に移築保存され、以前見学したことがある。
 
菅島灯台

 ここから望む神島や伊良湖岬はとてもすばらしく、灯台や周辺の景色を何十枚もカメラに撮し込んだ。
 
 灯台付近からの眺望

 その後、遊歩道を巡り、監的哨跡(旧陸軍の施設で砲弾の着弾点を確認するための監視所)へも登ってみたが、ここからみる景色もすばらしかったのだ。廃墟となっているコンクリート造建物の屋上からは360度の眺望があり、鳥羽湾から答志島、伊良湖水道そして神島、伊良湖岬まで見渡せて感嘆の声を上げた。もちろん写真を撮りまくったことは言うまでもない。
 
 監的哨跡とその眺望

 撮影後、尾根路を西へ歩き、役行者の石碑のあるところから港への急坂を下っていった。港の前に菅島小学校があるのだが、校舎の一部に灯台がモチーフされていて興味を持った。そして、市営定期船乗り場へと戻ってきたんだけど、神島行きまでには少し時間があったので、待合室で待っていたが、出航時間が近づいても、殆ど人が現れない。まあ、この島から神島へ行く人も少ないんだろうけど...。

 市営定期船

 鳥羽から来た定期船は、ほぼ定刻どおりに港へ入ったが、帰省客で混み合っていて、通路にまで、人と荷物が溢れていた。それに乗り込み、14時20分に神島へ向けて出航したが、ここからは外海に出ることになるので、少し波が高くなり船が揺れていた。しかし、ほぼ定刻どおり15時前には神島港へと入っていった。
 神島は伊勢湾の入口に浮かぶ、周囲約4km、人口500人余の小さな島で、標高170mの灯明(とうめ)山を中心として全体が山地状で、集落は季節風を避けるように北側斜面に集まっている。そして、なによりも三島由紀夫の小説「潮騒」のモデルになったことで、有名で昔から一度来たいと思っていたのだ。
 神島へ着いて、今日の宿「山海荘」に荷物を置くと、さっそく島一周の散策に出かけた。ほんとうに急斜面にへばりつくように人家が密集して建っていて、歩道が急勾配でアップダウンしながらその間を縫っていた。まず、集落の東側にある八代神社へと行ってみたのだが、真っ直ぐ伸びた214段もの階段を登らなくてはならず、閉口した。ここで、元旦の夜明けにゲーター祭りと呼ばれる起祭りが行われるという。
 社殿参拝後、時計回りに島を一周しようと、裏手の遊歩道を上っていったんだけど、勾配がきつく、断崖絶壁になって海に落ち込むような細道を進んでいく。しかし、伊勢湾、伊良湖岬から太平洋の景色はすばらしいのだ。しばらく行くと、神島灯台の門が見えたが、小説「潮騒」に描かれている灯台職員宿舎(退息所)は無人化に伴い撤去されていて空き地となっていた。その奥に白亜の灯台が立っていたんだけど、そこからの眺望がすこぶるよく、しばしたたずみながら何度もカメラに収めた。
 
 神島灯台

 さらに、遊歩道を進むと木製の階段となり、アップダウンしながら監的哨跡へと至る。ここは、旧陸軍省が砲弾の着弾点を観測した施設で、小説「潮騒」では、主人公とヒロインがクライマックスを迎える場所であり、映画の情景を思い浮かべながら見学した。コンクリート造の2階建となっており、屋上に上ることも出来て、眺めもすばらしいのだ。おりしも、西に夕焼けが広がっていて、その幻想的な雰囲気に何十回もシャッターを切った。 さらに歩いていくと、神島小中学校のあるニワの浜へ出るが、風が吹き抜けていて冷たい。ここは、小説「潮騒」で海女が集まって漁をしていた所で、そのダイナミックな景色と共に印象に残った。その後も、祝が浜、古里の浜と巡って港へと戻り、2時間弱の散策を終えた。
 宿に戻って、散策の汗を流すために風呂へと向かったが、ここのは、4階にあって、港から伊勢湾まで見渡せる展望浴場なのだ。ゆっくりと浸かりながら、旅の疲れを癒した。 浴後、部屋で休憩していたら、1階食堂での夕食となったが、食卓には、刺身(スズキ、タイ)、サザエつぼ焼、エビ、タコ煮物、ガシ2尾煮物、スズキ切身焼物、など新鮮な海の幸が並べられ、酒も2合注文して、美味しく頂いた。
 食後は、部屋に戻って、テレビを見ていたが、季節風が強く、ガラス戸を揺らすのが気になった。あまり風が強いと、波が高くなり、定期船が欠航するんじゃないかと...。そうしたら、どうしようなどと考えていたら、眠くなってきたので、床に就いた。
続く

帰省途中の旅(1)

2005年12月29日 | 旅行
朝6時過ぎに自宅を立って、笹目橋を渡って、都内へと入っていった。環状8号線を走ったんだけど、思ったよりは混んでなくて、1時間ほどで東名高速に乗ることが出来た。その後も車は多いものの、帰省ラッシュと言うほどのことはなく、まずまずの流れで、8時過ぎには静岡県境を越えた。御殿場インターで朝食休憩を取ったんだけど、富士山がくっきりと姿を現していたので、カメラに収めておいた。
 食後も西に向かって走ったんだけど、富士山があまりにきれいなので、パーキングエリアごとに停車して写真を撮っていくことにした。最初の駒門パーキングでは東名高速を走る車にのバックに大きな富士山を移し込めるのがいい。シャッタースピードを変えて、疾走感を出せるように工夫してみた。
 次に立ち寄った愛鷹パーキングでは、手前の山に隠れて、見えなかったので断念した。その次の富士川サービスエリアは、富士山の眺望の良いことで知られているところ。展望台からは、富士川に架かる赤い橋のバックにみごとな富士山が見えていて、何回もシャッターを切った。
 次の由比パーキングでは、姿は現していたものの、頂上付近には雲がかかっていて、輪郭がぼやけ始めていた。それでもカメラには収めておいたけど...。しかし、次の日本平パーキングでは、人家の陰に隠れて、思ったようなアングルが撮れなかったので、断念した。上り線の方からは見えるんだけどね。
 さらに西進を続け、静岡市域を抜け、日本坂パーキング、牧之原サービスエリアと停まってみたんだけど、水平線に雲がかかり、全く姿をとらえることも出来なかったので、これで富士山撮影は打ち切り、さらに西へと走っていった。
 天気も良いので、浜名湖サービスエリアで小休止することにしたんだけど、ここから見る湖の景色が良く、カメラを持って、付帯する公園を散策してみたんだ。カップルや家族連れが銘々のスタイルで楽しんでいたんだけど、少し風は冷たかった。
 それからは、さらに西へと走って、愛知県境を越えたのだが、カーラジオでは、岡崎周辺の事故渋滞を報じていた。その区間を通過するのにかなり時間がかかりそうだったので、思い切って、手前の音羽蒲郡インターで下りて、下道を走ることにした。三河湾オレンジロードを抜けて、蒲郡市街へ抜け、そこからは国道23号線バイパスで、一気に知立へと向かった。もう昼を過ぎていたので、食事の出来るところを探したんだけど、見つからない。仕方がないので、名古屋南インターから伊勢湾岸自動車道へ乗って、三重県へと至ることにした。木曾三川を越えて、みえ川越インターで下り、後は国道23号線を南下した。
 四日市市内の「吉野屋」で昼食をすませてから、伊勢湾沿いに走り、所々で海や漁港の風景をカメラに収めていくことにした。津の贄埼灯台をカメラに収めてからは、内陸に入り、今日の宿榊原温泉「国民宿舎 紫峰閣」へと向かった。
 この宿は、4年前にも泊まったことがあるが、温泉街の中を流れる湯の瀬川に沿って立地する古い木造の2階建で、部屋からの眺めがよい。荷物を置いて一服してから、さっそく地階にある大浴場へと向かった。浴槽の真ん中には、鯉のモニュメントがあって、その口から勢いよく湯が注がれている。泉質は、アルカリ性単純温泉で、ぬるぬる感も充分あって、はいりやすい湯だ。のんびり浸かりながら、長駆のドライブ疲れを癒した。
 浴後ほどなくして、部屋に夕食が運ばれてきたが、刺身、ホタテ和え物、カジキ切り身焼物、エビフライ、ニンジン・竹の子・肉団子、茶碗蒸しなどが並べられ、1泊2食付7,350円(込込)の低料金の割にはまずまずだ。お酒も冷やで2合頼んで、テレビを見ながら美味しく飲みかつ食べた。その後は、横になってテレビを見ていたら、旅の疲れと酒の良いから睡魔に襲われ、早めに眠りに就いた。
続く

伊豆の富士山撮影と温泉の旅(3)

2005年12月25日 | 旅行
朝早起きして、明るくなり始めた6時半過ぎから、富士山の写真を撮りに散策へ出た。天気は良く、はっきり姿を現してはいるんだけど、ちと寒い。それをがまんして、海岸線を西へ歩き、所々で立ち止まって、シャッターを切っていった。しかし、ここから見る富士山は、岬の山がじゃまをしていて、右下3分の1ほどが隠されている。もう少し高いところで撮影したら、全貌が見えるかと期待して、丸山へと登ることにした。頂上は昔の城跡となっていて、平らではあるが、木々がじゃまをして充分な視界が得られなかったのは残念だ。
 
 丸山山頂からの富士山

 その後、山を下り、さらに西へ歩いて、断崖上からも富士山をねらってみた。そうこうしているうちに1時間近い時を過ごしてしまったので、宿へと戻っていった。
 前日に予約してあった、露天風呂へ貸切で入浴してから、朝食をすませ、出立の準備を整え、8時半には宿を立った。土肥から国道136号線の峠道を上がり、西伊豆スカイラインへと出た。心配していた路面凍結もたいしたことなく、北へと走って、達磨山下の駐車場へと車を入れた。山頂まで、600mと出ていたので、登り始めたんだけど、坂がきつくて、息が切れる。しかし、駿河湾を望む眺望はすばらしく、みごとな富士山を期待して、頂上までがんばった。頂から見渡す富士山は、すばらしいの一語に尽きる。しばし、シャッターを切るのも忘れて、見とれていた。今までにも、このコースは何度か通ったことはあるが、これほどみごとな富士山を見たのは初めてだ。望遠、広角様々な角度から、カメラに撮し込んでおいた。
 
 達磨山山頂からの富士山

 撮影後、山を下り、車に戻ってさらに北上した。途中のだるま山高原レストハウスからも駿河湾越しにすばらしい富士山が望めたので、撮影したんだけど、立ち去りがたくって、レストハウスに入って、コーヒーを飲みながら富士山を眺めていた。
 その後は、修善寺の街を過ぎ、大仁温泉「一二三荘」で立ち寄り入浴(300円)したんだけど、源泉掛け流しの湯が心地よかった。
 浴後は、国道136号線を北に走り、三島市街を抜けて、裾野インターへと向かった。昼時になっていたので、インター近くのコンビニで食事の出来るところを訪ねたら、「蕎仙坊」という蕎麦屋を教えてくれたので、行ってみることにした。
 富士山麓の林の中に、古民家がポツンと立っていたのだが、とても落ち着いたたたずまいが気に入った。出てきた蕎麦もとても美味しく、意外なところに良い店があるものだと感心した。
 昼食後は、裾野インターまで戻って、東名高速に乗り、帰途に着いたが、ほとんど渋滞もなく、スムーズに走り、都内の環状8号線も混んでいなかったので、予想以上に早く帰宅することが出来た。
 今回の旅は、少し寒かったものの天気には恵まれ、たくさんの富士山の写真を撮ることが出来たし、美味しい海の幸や蕎麦も食べられたので、まずまずだったかな...。

伊豆の富士山撮影と温泉の旅(2)

2005年12月24日 | 旅行
7時頃が日の出と聞いていたので、6時過ぎには起床して、準備を整え、7時前には宿を出て、カメラ片手に散策に出かけた。まず、港へ行ってみるとまさに陽が昇らんとするところで、急いで防波堤の突端まで行って、シャッターを切りまくった。冬の日の出は、空気が澄んでいて、とてもきれいに見える。ただ、ちょっと寒かったけど...。
 その後、城ヶ崎自然研究路に沿って歩いていったんだけど、断崖絶壁が連なっていて、なかなかみごとな景観だ。写真を撮りながら、橋立吊り橋まで至り、海岸線にまで下りてみて、その絶景を堪能した。
 1時間ほどの散歩を終えて、宿に戻り、朝風呂に入って、体を温めてから、朝食にした。食後、荷物をまとめ8時半には出立して、国道135号線を南下していった。少し走ると、海岸線に白田温泉の案内板が見えた。この温泉地ではまだ入浴したことがなかったので、立ち寄り入浴できる所を探してみることにした。そうしたら、「白田川観光ホテル」に“立ち寄り入浴500円”という看板が出ていたので、入浴していくことにした。ちょっと古い建物で、内湯だけではあるものの、源泉が掛け流しになっていて、なかなか良い湯だった。そのなめらかな感触を楽しみながら、ゆったりと浸かっていた。
 浴後は、さらに東海岸を南下し、爪木崎へ立ち寄っていくことにした。まず、下田灯台の写真を撮ろうと思ったんだけど、断崖絶壁の下にあり、徒歩で近づくのは危険だと言われた。仕方がないので、恵比寿島へ渡って、望遠レンズで、とらえてみることにした。この日は波も高く、岩礁に砕け散っており、そんな光景もずいぶんカメラに撮し込んでみた。
 その後、爪木埼灯台まで行ってみたんだけど、折しも“すいせん祭“の開催中で、結構観光客が来ていた。陽も高くなって、少し暖かくなって来ていたので、遊歩道を散策してみたが、海がとてもきれいで伊豆大島、新島、神津島などもはっきり見え、ここでも何十枚も写真を撮ることになった。断崖絶壁のここかしこに咲いている水仙の花は、なかなか絵になっていたのだが...。
 ちょうど昼時になっていたので、ここのレストハウスに入り、「あしたばそば」というのを食べてから、次へと向かっていった。下田市街を通り抜け、下賀茂温泉へと至ったんだけど、ここは20年前に泊まったことがあって、懐かしく感じたが、廃業した旅館も目について、活気がないようにも思われた。熱帯植物園を見学してから、「銀の湯会館」へ立ち寄ったんだけど、町営の割には入浴料900円はちょっと高い気がした。
 石廊崎を経由しないで、西海岸へ出てからは、国道136号線で北上していった。その時に、雲見大橋から富士山がよく見えたので、そのたもとに車を駐め、波打ち際まで下りて、写真を撮ったのだ。広角から望遠へといろいろカメラに収めておいた。
 
 雲見から見た富士山

 その後も、富士山の写真を撮りながら北上していったんだけど、仁科灯台の写真を撮りたかったので、沢田公園露天風呂のある方へ、左折した。露天風呂の駐車場に停めて、海岸線を少し歩いたんだけど、風が強くて、吹き飛ばされそうだ。灯台は、吹きっさらしの高台にあるので、その階段を登るのが怖かった。それでも、なんとかたどり着いて、シャッターを切った。
 撮影後は、堂ヶ島へ至り、「加山雄三ミュージアム」を見学してから、さらに北上していった。陽も傾き掛け、夕映えに富士山が浮き上がっていたので、要所要所で撮影しながら、日没後八木沢温泉へとたどりついた。
 「国民宿舎ふじみ荘」へ宿をとったんだけど、名前の通り、各部屋から富士山が望めるのを売りにしている。窓から、そのシルエットを拝んでから、浴場へと向かった。ここには、男女別の大浴場の他に、露天風呂があるんだけど予約貸切制となっていたので、翌朝に予約を入れ、まずは大浴場で汗を流した。
 浴後ほどなくして、食堂での夕食となったが、食卓には、寄せ鍋、刺身、エビフライ、もずく酢、肉ダンゴなどが並べられ、1泊2食付き6,975円(込込)の低料金の割にはまずまずだったかな...。お酒も2合冷やで頼んで、美味しく飲みかつ食べた。
 食後は部屋へ戻り、テレビを見ながら、明日のコースを考えていたんだけど、酔い心地の中で、まどろんできたので、床に就いた。
続く

伊豆の富士山撮影と温泉の旅(1)

2005年12月23日 | 旅行
昨晩が職場の忘年会で、かなり酔っぱらい起き出すのが、遅くなってしまった。だから、いつもより相当遅れた10時半の出立となった。
 戸田橋を渡り、環状8号線へと入っていったんだけど、もうこの時間では渋滞は必至だった。ノロノロ運転で、2時間以上を費やして、やっと東名高速へ乗った。さらに、高速道路上も車が多くて、流れが悪い。途中のサービスエリアで、昼食休憩を取って御殿場インターで下りたのは、午後2時を過ぎていた。
 その後、芦ノ湖スカイラインを走ったんだけど、先日の大雪がまだ残っていて、一部路面凍結しているところもあり、慎重にハンドルを回していった。しかも、期待していた富士山も雲に隠れ、とても外が寒いので写真撮影もままならない。
 しかし、箱根峠を越え、伊豆スカイラインへと入って来ると、路面凍結もなくなり、運転しやすくなってきた。相変わらず、富士山は雲が多いが、相模湾はよく見え、展望所に車を停めながら、シャッターを切っていった。
 スカイラインを下り、伊豆高原へと至った頃にはもう陽が傾いていて、城ヶ崎温泉にある今日の宿へと急ぐしかなくなっていた。
 それでも、八幡野港にある「港屋旅館」には、5時過ぎには到着することが出来た。部屋に荷物を置くとすぐに温泉へと向かったが、ここのは4階に造られた展望浴場だ。明るければ、港から相模湾が見渡せるとのことだが、もう真っ暗になっていて、望めなかったのが残念!それでも、ゆったりと湯に浸かって、旅の汗を流した。
 浴後ほどなくして、部屋での食事となったが、食卓には刺身、海鮮鍋、サザエ壺焼き、タコ酢など新鮮な海の幸が並べられた。お酒も冷やで2合頼み、美味しく飲みかつ食べて、満足した。
 食後は、テレビを見ながら“明日はどこへ行こうか”などと考えていたら、まどろんできたので、床に就くことにした。
続く

山梨県の富士山撮影と温泉の旅(2)

2005年12月04日 | 旅行
朝、6時頃に目覚めたんだけど、かなり寒くって、まだ外は真っ暗だった。仕方がないので、明るくなってきた、7時過ぎから恒例の散歩に出かけることにした。防寒対策をしっかりして、愛機ニコンD70を首からぶら下げて、外へ出たけど天気は曇りだ。山村の集落はひっそりとしていて、人影もない。少し歩くと人家はつきて、山道が次の集落へと続いている。ダム湖を眺めながら、のんびりと歩いていった。老平という集落まで行ってみたが、ほんとうに急傾斜地の僅かばかりの空間に人家がかたまってある。こんな不便なところで、どういう暮らしをして、生計を立てているのだろうかと気になった。何枚か写真を撮りながら、戻りつつ、ダムサイトまで降りてみた。湖底には、水没した民家跡もあるかと思うけど、今は、静かに水を湛えているだけだ。舞っている枯葉が、厳しい冬の訪れを告げているようにも感じた...。
 小一時間の散策を終え、宿に戻って、朝風呂に入ったんだけど、冷えた体が、ぬくぬくしてくるのが心地よい。浴後は、朝食を済ませて、手早く荷物をまとめた。
 8時半過ぎには出立し、来た道を戻って、国道52号線へ出てからは、身延山を目指した。久遠寺の門前町を通り抜け、身延山ロープーウェイ久遠寺駅下の有料駐車場に車を入れて、ゴンドラに乗って、山頂へと向かった。このロープーウェイは、45人乗りの3線交走式で、斜長1,665 m、高低差763 mを秒速5mの速さで登っていって、約7分で山頂にある奥院駅へ着いた。空中からは、久遠寺や門前町、そして富士川の雄大な流れが一望の下にあって、すばらしかったんだけど、雲が多く、富士山の頭が隠れていたのは残念!
 
 身延山頂から見た富士山

 奥院駅から歩いて、数分のところに「奥之院思親閣」があり、参拝をして戻ってきたら、もう富士山が霞み始めていた。遊歩道でも散策しながら、写真を撮ろうかとも思っていたんだけど、山々がぼやけてしまうのと寒いので早々に戻ることにした。
 再びロープーウェイで下ってきて、久遠寺にも参拝したんだけど、さすがに日蓮宗の総本山だけあって、壮大な伽藍が建ち並んでいる。宝物館へも立ち寄ってみたんだけど、ちょうど世界平和に関する展示をしていて、宗教者による平和活動に興味を持った。
 参拝後は、国道52号線を北上して、笛吹市に出来たばかりの山梨県立博物館を目指した。市川大門からは、笛吹川沿いに走っていったんだけど、もう昼近くなっていたので、途中の蕎麦屋に立ち寄って、天ざる蕎麦で腹ごしらえをしたんだけど、結構美味しかったんだ。
 山梨県立博物館は、今年10月15日の開館で、まだ2ヶ月も建っていないので、どこもかしこもピカピカだ。入館料500円を払って、見学したんだけど、常設展示は、テーマ性を持たせて、わかりやすく展示してあるものの、順路がはっきり示されていなくて、迷いやすいのが難点かな...。企画展示の「やまなしの道祖神祭り」もとてもユニークな各地の行事に、興味を持った。しかし、見学していたら、雨が降り出し、早めに帰途に着くことにした。
一宮御坂インターから中央自動車道に乗って、東進していたら雪に見舞われたのは、びっくりした。降り出しても夕方からの予報だったから...。特に、塩山トンネルを越える辺りでは、周辺の景色が真っ白になっていて、かなり雪が降っていたんだ。ただ、道路に積もるように状態になっていなかったのだけが幸いだったけど...。もう少し、帰途に着く時間が遅かったら、雪のためにどうなっていたことやら...。でも、とにかく、夕方には無事に帰ってこれてホッとした。
 今回の旅は、とにかく富士山の写真を各所で撮れたのが最高だった。また、南アルプス山麓にある雨畑湖の初冬の枯れた風景が印象に残った。帰路に雪に見舞われたものの、良い旅行だったかな...。


山梨県の富士山撮影と温泉の旅(1)

2005年12月03日 | 旅行
この季節になると山の方は寒いんだけど、空気が澄んで、写真を撮るにはいいんだよね。今日は天気が良さそうだから、山梨県へでも行って、富士山の写真でも撮ってこようと思うんだけど...。でも、富士山って気まぐれで、写真を撮ろうと思って行って、なかなか顔を見せてくれないときもある。はたしてどうなることやら...。ただ、日曜日は下り坂で、曇りのち雨の予報なんだ。でも、翌日は、今年10月に出来たばかりの山梨県立博物館へ行く予定だから、多少雨でもいいかな、というつもりで、出かけることに...。
朝6時過ぎに自宅を出立し、渋滞の予想される高速道路を使わないで、山梨県へと向かったんだ。外環の脇道を西へ走り、小金井街道へ出てからは、南下して、関戸橋で多摩川を越えた。
 その後は、相模原市から国道413号線へ乗って、“道志みち”へと入ろうとしたのだけど、城山で道を間違えた。それでもさまよいながら、なんとか復して、途中のコンビニで朝食を取ってから、県境を越え、山梨県へと入っていった。
もう3時間以上車を運転し続け、疲れてきたので、道端にあった。道志温泉「日野出屋」で立ち寄り入浴していくことにした。築100年という古建築で、黒光りした柱や梁に年輪を感じさせる。入浴料500円を払って、内湯の方へ入ったんだけど(別に露天風呂もある)、岩風呂になっていて、透明な湯が湛えられていた。のんびりと浸かって、旅の疲れを癒したんだけど、とても静かだった。
 入浴後は、国道413号線をさらに西へ走り、山伏峠を越えて、山中湖へと至った。ここから、富士山の写真を撮っていったんだけど、その表情は、時々刻々と変わるので、ほんとうに油断できないんだ。最初に撮った山中湖東岸では、かなり雲に隠れていたんだけど、見ている内に変化していくんだよね。とにかくシャッターを切りまくったんだ。
 
 山中湖東岸から見た富士山

 その後、山中湖北岸でも撮ったんだけど、その頃にはかなり富士山の全貌がわかるようになってきた。ただ、ちと寒いのが辛かったんだけど...。

 山中湖北岸より見た富士山

 そして、場所を変え忍野八海へ行ったんだけど、富士山はよく見えるものの、完全逆光となっているので、思うように撮し込めなくって、あんまりいい写真は撮れなかった。
 
 忍野八海から見た富士山

 次に、「富士吉田市立博物館」を見学し、近くで昼食にうどんを食べてから、「富士山レーダードーム館」も見てみたんだ。
 それから、河口湖へと至って、ロープーウェイで天上山へと上がり、富士見台駅の展望台から富士山を撮影した。ここでは、ほとんど雲もなくて、すばらしい富士山が全貌を表していたんだけど、逆光で、写真は今一だったかな...。

天上山から見た富士山

 さらに、河口湖北岸でやや逆光の中で富士山をとらえてみました。河口湖周辺は、かなり人家があり、旅館やホテル、民宿などが建ち並んでいて、リゾート地帯となっています。湖にはボートを浮かべて楽しんでいる人達の姿も見受けられました。
 
 河口湖北岸から見た富士山

 撮影後、西へ走って、西湖に着いたときには、陽が傾きかけていて、湖畔に並べられていたボートが印象的だった。夏場には賑わっていた場所も、ひっそりと静まりかえって、湖面がさざやいでいた。ここから見る富士山は、裾野の山の重なりと、湖の調和がとてもいいように思う。

 西湖西岸から見た富士山

 その後、本栖湖へと至ったんだけど、陽が傾き始めた、本栖湖北岸での写真が一番よく撮れたと思う。ここからの富士山は、現在の野口英世の千円札裏側に描かれているものなんだけど、逆さ富士はめったに見られないとのこと...。この日は、ほとんど雲もなく、とてもきれいだったよ。
 
 本栖湖北岸から見た富士山

 その後は、日も傾きかけてきたので、撮影を終え、国道300号線を西へ走って、今日の宿のある雨畑湖温泉へと向かった。下部温泉近くを通り、国道52号線を横切って、南アルプス山麓にある早川町へと入っていったのだ。
ただ、先の豪雨で、土砂崩れがあって、道路が通行止めになっていて、途中から迂回路に谷底の河原を走らされたのは大変だったけど...。
 それでも、なんとか陽が落ちる前に「VILLA 雨畑」へ到着することが出来た。ここは、ものすごい山の中のダム湖畔にあり、1983年に閉校した旧硯島小中学校を利用した温泉宿泊施設で、体育館、校庭、プールなども残されていた。でも、2003年に改造されたとのことで、結構きれいにしてあったし、町営の施設なので、1泊2食付き7千円と安かったんだ。
 受付をすませてから部屋に案内されたんだけど、シングルベットが3つ並んだ洋室だった。和室もあるようだけど、トイレと洗面が付いていて、8畳ほどの広さがある。外は以前は校庭であったと思われ、教室を仕切って改造したのだろうけど、そうとは思えないほどしっかりと造ってある。
荷物を置いて、小休止してから、別棟となっている浴室へと向かった。これも、旧校庭の一角にある平屋建ての「すず里の湯」で、左右に男女別に分かれた内湯がある。純和風の造りで、まだ新しく女性用には露天風呂も併設されていると聞いていた。男性用浴室には、湯温の異なる2つの浴槽があり、結構広い。温泉分析書を見ると源泉14.2℃、pH7.44の単純硫黄泉(低張性・中性・冷鉱泉)で、沸かしてはいるものの、掛け流しになっていた。無色透明の入りやすい湯に、のんびり浸かり、旅の疲れを癒した。
 浴後、しばらく部屋で休んでいたら、6時から食堂での夕食となった。食卓には、天ぷら、紅マスの塩焼き、名物の豆腐、野沢菜、酢の物などが並べられ、蕎麦も出てきた。料金にしてはまずまずで、お酒も2合頼んで、飲みかつ食べた。
 食後は、部屋に戻って、ベットの上に寝っ転がり、テレビを見たり、本を読んだりしていたら、睡魔に襲われてきたので、眠りに就いた。
続く