旅に出ると、その土地土地で色々なものを食べます。それが、そこでしか味わえないものだとすると、とてもうれしいものです。みなさんはどんな食べ物に思い出を持っていますか?
その中で日本人に馴染み、どこにいっても食べられる物のなかに日本蕎麦があります。「日本蕎麦なんかどこで食べても同じじゃないの」という人がいるかもしれません。しかし、同じようにみえても、地方によって工夫され、微妙に違っていて、独特の文化とさえ言えるものを持っている所もあるのです。
旅先でちょっと違ったおいしい日本蕎麦を味わうと、忘れられない思い出となるものです。
〇「日本蕎麦」とは?
蕎麦は昔から山間地で栽培されていました。しかし、現在のように蕎麦粉を打って、細長く切り、茹でる、いわゆる“そば切り”と呼ばれる形で食するようになったのは16世紀末あるいは17世紀初頭といわれ、本格的に食べられるようになったのは江戸時代になってからのことだと言われています。
蕎麦の実の中心部分から取ったのを更級粉(芯粉)といい、白っぽい上品な蕎麦となります。それから、外側の皮のほうへいくにしたがって一番粉、二番粉、三番粉、末粉となり段々黒っぽい粉となっていきます。どの部分の粉を使って蕎麦を作るかによって、色合いや風味が異なりますが、それら全部(挽きぐるみ)を使うのを“田舎そば”と呼んでいます。
蕎麦粉ばかりだとつながりにくく、ぼそぼそとした感じとなるため、つなぎに何を使うかで色々と工夫されます。地方により、店により異なりますが、小麦粉、卵黄、やまいも、大豆粉、海草など様々なものが使われています。よく“二八そば”と言われますが、蕎麦粉と小麦粉を8:2に混ぜた蕎麦のことです。
それ以外に、打ち方、水の具合、茹で方によっても微妙に変化して、色・形・味等が異なった蕎麦が出来上がります。
☆「日本蕎麦」の名店のお勧め
(1)あらきそば(山形県村山市)
ここは、創業が1920年(大正9)と100年ほどの歴史のある店で、江戸時代末期に建てられたという昔風の造りの茅葺き屋根の田舎家でした。蕎麦も田舎風の蕎麦粉100%の太くてコシがある、“板そば”と呼ばれるものでとても気に入ったのです。またおかずと称しているものを注文すると、にしんとあけびが出てきてこれも珍味でした。
(2)神田やぶそば(東京都千代田区)
東京には、大きく言って3つの蕎麦の有名な系統(藪系、砂場系、更級系)が有りますが、その中の藪系の総本家で、1880年(明治13)創業と言われる老舗です。極細の腰のある蕎麦はのどごしがよく、よく寝かしたかえしを使った、辛口の汁とよくあいますそれを少し付け、するすると食べるのが‘江戸っ子’とのことでした。江戸の食文化が生んだ芸術品ともいえるもので、注文のときの女将の声が独特で、印象に残ったのです。
(3)元屋支店(長野県長野市)
“信州そば”は全国でも有名ですが、私が長野県の蕎麦を食べ歩いて一番おいしいと思ったのが、善光寺門前にある元屋支店です。“信州そば”は昔からの蕎麦の産地ということもあって、蕎麦は細打ちで喉ごしと香りが良く、蕎麦自体のうまさには定評があります。しかし、汁と一番マッチしていると感じたのがこの店なのです。
(4)小嶋屋総本店(新潟県十日町市)
新潟県魚沼地方発祥の“へぎそば”というのがありますが、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使い、「へぎ(片木)」と呼ばれる器に盛り付けた切り蕎麦のことでした。ここは、1922年(大正11)創業の老舗そば店で、国産の玄そばを石臼で挽いたそば粉を100%使用し、つなぎにはふのり(海藻)、つゆだしは天然の鰹節と昆布を使用していて、化学調味料や添加物は一切使用していないとのことです。また、注文時には「挽きたて、打ちたて、茹でたて」の「三たて」を守って出していて、蕎麦自体は、つるつるとした喉ごしとしこしことした歯ごたえのある美味しいものでした。
(5)羽根屋(島根県出雲市)
山陰地方の“出雲そば”は割子と呼ばれるこぶりの容器に入っていて、三段重ねで一人前です。その容器毎に汁と薬味を入れて食べます。だから蕎麦と汁と薬味の調和が大切です。この店は、江戸時代末期創業で、大正天皇をはじめ、数々の御皇室の方の御食膳に供した歴史を持っていて、‘献上そば’と呼ばれ、香り高い上品な感じのするものです。
その中で日本人に馴染み、どこにいっても食べられる物のなかに日本蕎麦があります。「日本蕎麦なんかどこで食べても同じじゃないの」という人がいるかもしれません。しかし、同じようにみえても、地方によって工夫され、微妙に違っていて、独特の文化とさえ言えるものを持っている所もあるのです。
旅先でちょっと違ったおいしい日本蕎麦を味わうと、忘れられない思い出となるものです。
〇「日本蕎麦」とは?
蕎麦は昔から山間地で栽培されていました。しかし、現在のように蕎麦粉を打って、細長く切り、茹でる、いわゆる“そば切り”と呼ばれる形で食するようになったのは16世紀末あるいは17世紀初頭といわれ、本格的に食べられるようになったのは江戸時代になってからのことだと言われています。
蕎麦の実の中心部分から取ったのを更級粉(芯粉)といい、白っぽい上品な蕎麦となります。それから、外側の皮のほうへいくにしたがって一番粉、二番粉、三番粉、末粉となり段々黒っぽい粉となっていきます。どの部分の粉を使って蕎麦を作るかによって、色合いや風味が異なりますが、それら全部(挽きぐるみ)を使うのを“田舎そば”と呼んでいます。
蕎麦粉ばかりだとつながりにくく、ぼそぼそとした感じとなるため、つなぎに何を使うかで色々と工夫されます。地方により、店により異なりますが、小麦粉、卵黄、やまいも、大豆粉、海草など様々なものが使われています。よく“二八そば”と言われますが、蕎麦粉と小麦粉を8:2に混ぜた蕎麦のことです。
それ以外に、打ち方、水の具合、茹で方によっても微妙に変化して、色・形・味等が異なった蕎麦が出来上がります。
☆「日本蕎麦」の名店のお勧め
(1)あらきそば(山形県村山市)
ここは、創業が1920年(大正9)と100年ほどの歴史のある店で、江戸時代末期に建てられたという昔風の造りの茅葺き屋根の田舎家でした。蕎麦も田舎風の蕎麦粉100%の太くてコシがある、“板そば”と呼ばれるものでとても気に入ったのです。またおかずと称しているものを注文すると、にしんとあけびが出てきてこれも珍味でした。
(2)神田やぶそば(東京都千代田区)
東京には、大きく言って3つの蕎麦の有名な系統(藪系、砂場系、更級系)が有りますが、その中の藪系の総本家で、1880年(明治13)創業と言われる老舗です。極細の腰のある蕎麦はのどごしがよく、よく寝かしたかえしを使った、辛口の汁とよくあいますそれを少し付け、するすると食べるのが‘江戸っ子’とのことでした。江戸の食文化が生んだ芸術品ともいえるもので、注文のときの女将の声が独特で、印象に残ったのです。
(3)元屋支店(長野県長野市)
“信州そば”は全国でも有名ですが、私が長野県の蕎麦を食べ歩いて一番おいしいと思ったのが、善光寺門前にある元屋支店です。“信州そば”は昔からの蕎麦の産地ということもあって、蕎麦は細打ちで喉ごしと香りが良く、蕎麦自体のうまさには定評があります。しかし、汁と一番マッチしていると感じたのがこの店なのです。
(4)小嶋屋総本店(新潟県十日町市)
新潟県魚沼地方発祥の“へぎそば”というのがありますが、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使い、「へぎ(片木)」と呼ばれる器に盛り付けた切り蕎麦のことでした。ここは、1922年(大正11)創業の老舗そば店で、国産の玄そばを石臼で挽いたそば粉を100%使用し、つなぎにはふのり(海藻)、つゆだしは天然の鰹節と昆布を使用していて、化学調味料や添加物は一切使用していないとのことです。また、注文時には「挽きたて、打ちたて、茹でたて」の「三たて」を守って出していて、蕎麦自体は、つるつるとした喉ごしとしこしことした歯ごたえのある美味しいものでした。
(5)羽根屋(島根県出雲市)
山陰地方の“出雲そば”は割子と呼ばれるこぶりの容器に入っていて、三段重ねで一人前です。その容器毎に汁と薬味を入れて食べます。だから蕎麦と汁と薬味の調和が大切です。この店は、江戸時代末期創業で、大正天皇をはじめ、数々の御皇室の方の御食膳に供した歴史を持っていて、‘献上そば’と呼ばれ、香り高い上品な感じのするものです。