ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

銚子電気鉄道線乗りつぶしの旅

2018年09月08日 | 旅行
今日は、真夏日にはなるが、猛暑にはならないとの予報だったので、いろいろと考えた末、余っている「青春18きっぷ」の最後を使って、日帰りで千葉県へ行って、銚子電気鉄道線の乗りつぶしをしてくることにした。
 特別に早起きをし、手早く朝食を済ませてから、自宅を出て、武蔵野線の始発電車へと乗り込み、東へと向かった。新松戸駅で常磐線へ乗り換えて北上して、我孫子駅で成田行き普通列車に乗り継ぐ。土曜日の早朝なので乗客は少なく、しばらくすると窓外には田園風景が広がってきた。電化はされているが単線なので、電車のすれ違いに時間がかかり、小林駅で5分ほど停車するとのことだったので、改札まで駆けて行って駅スタンプを押してきた。
 成田駅での乗り継ぎ時間が結構あったので、改札で駅スタンプを押してから、駅前のロータリーまで出て、駅舎の写真も撮影する。その後、この駅始発の銚子行きに乗り込み、のんびりと車窓を見ていたが、低空で飛行機が侵入してきて、成田国際空港への着陸態勢に入っていたので、何枚か望遠で捉えた。とにかく成田後の車窓風景はのんびりしていて、睡魔に襲われる。
 佐原駅で鹿島線の鹿島神宮行きにに乗り換えようと下車したが、20分ほど時間があったので、改札で駅スタンプを押してから、外へ出て駅舎の写真を撮り、トイレも済ませて、電車に乗ろうとしたが、0番線がわからず、誤って改札入り口前に止まっている1番線の電車に乗ってしまったら、すぐに扉が閉まった。不安がよぎるのと同時に、反対方向へと走り出し、成田方面へと戻っていくではないか.....。焦ったがどうしようもなく、次の大戸駅で飛び降りたものの、佐原駅へ戻る電車は1時間後だった。しかもこの駅は無人駅でろくな待合室もなく、日差しがきつくて、汗が滴る中で、待つこととなる。そこで、少しでも涼を求めて、30分後に来る成田行きに乗り込み、次の駅でUターンしてくることとしたが、こういう時に融通が利くのが、「青春18きっぷ」なのだ。
 ということで、下総神崎駅まで行き、改札で駅スタンプを押してから、戻る電車に乗り込んだ。再び着いた佐原駅で、0番線を確認したら、駅舎の先の1番線の反対側に作ってあり、鹿島神宮行きが停まっている。今度は、しっかりと行先表示を確認してから、電車に乗り込んだが、1時間余りのロスとなった。鹿島線は、利根川を渡り、水郷地帯を行くので、橋が多く、田園風景が続いている。そんな景色を愛でながら、終点までやってきたが、時間を大分ロスしているので、鹿島神宮参拝をあきらめ、駅スタンプを押しただけで、来た電車で折り返すことになった。
 その電車を香取駅で降り、銚子行きに乗り換えたが、とにかくこの辺りは利根川沿いに平野が広がり、長閑さが漂っている。車窓からぼんやりと眺めているといつしかまどろんでいったが、終点で降りるので心配はない。
 銚子駅では、銚子電鉄線の乗り換え時間が30分以上あったので、改札で駅スタンプを押してから、外へと出た。この駅には駅弁はないとのことだったので、駅前のコンビニで弁当を買い求めることにする。その後、銚子電鉄線の乗り場へ行き、ベンチで弁当を食べてから、11時40分発の電車に乗り込んだ。車内で、1日乗車券「弧廻手形」(700円)を買い求めたが、濡れせんべい1枚とお守りの引換券が付属しているのをユニークに思う。
 この銚子電気鉄道は、この銚子駅から外川駅(6.4km・駅数10)を結ぶ銚子電気鉄道線を運行するローカル私鉄事業者だ。1922年(大正11) に銚子鉄道として会社を設立し、翌年7月5日に、銚子遊覧鉄道の廃線跡を転用して、銚子駅~外川駅間が非電化で開業する。1925年(大正14年)に 直流600Vで電化されたが、1945年(昭和20)に太平洋戦争による空襲で変電所と車庫が焼失し、運転休止に追い込まれまれる。戦後の同年12月に国鉄から蒸気機関車を借り入れて運転再開し、翌年に電車運転を再開、1948年(昭和23)に企業再建整備法により銚子電気鉄道となった。1976年(昭和51)から食品製造販売事業開始し、1995年(平成7)より、「銚電のぬれ煎餅」の販売を開始し、評判となる。2006年(平成18)に経営危機に陥り、多方面の支援を受けて、経営が継続されるが、現在でも鉄道事業は赤字で、食品製造販売事業などで補って存続しているとのことだ。
 入線してきた電車は、前が3000形(元伊予鉄道700系)と後ろが2000形(元京王電鉄2010系)の2両編成でとてもレトロな感じがした。先頭車両の一番前右側最前列に座席を占めたが、土曜日なので鉄道ファンなど結構乗客が多く、すぐに満杯となり、立っている人も見られた。しかも、次の、中ノ町駅では、小学校の団体客が乗り込んできて混雑し、お年寄りの方も乗ってきたので席を譲って、窓際に立った。
 沿線風景は、とても長閑で、単線なのでゆっくりと走る。しかも、閉塞運転でタブレット交換をしているのを見て驚いた。窓外の景色にシャッターを切りながら、20分ほどで終着の外川駅へと着く。
 この駅は、とてもレトロな駅舎で、改札も出札も昭和時代前期の風情のままだ。改札を出て駅スタンプを押し、何回もシャッターを切ってから、折り返しの電車に乗り、次の犬吠駅で下車した。
 この駅でも駅スタンプを押してから、1日乗車券付属の引換券で、売店にて濡れせんべい1枚を手に入れる。次の電車まで1時間以上あるので、徒歩10分ほどのところにある犬吠埼灯台まで行ってみたが、結構暑くて汗が出る。灯台の入り口で200円を払って、上まで登り、太平洋を眼下にしたが、風がとても強く、風の当たる側には行けないほどだった。それでも、大海原や海岸線をカメラに収めてから、下りてきた。付属する資料館や元霧笛室を見学し、周辺の歌碑などを見ながら、犬吠駅へと戻っていく。
 電車に乗り込んでからは、再び沿線の写真を撮りながら、銚子駅へと到着したが、総武本線経由の電車までは1時間以上待ち時間があったので、やむなく、14時5分に出発する成田線の千葉行きへ乗り込んだ。それからは、窓から外を見ていると疲れも加わって、眠くなってきてしまうが、行きに見た風景なので、自然に任せて進んでいく。成田駅を過ぎたら、押鉄旅に切り替えようと考えるようになり、佐倉駅で下車して、駅スタンプを押すこととする。それからも、四街道駅、千葉駅、稲毛駅、津田沼駅、船橋駅で下車して、駅スタンプを押しながら西船橋駅へと到着した。
 ちょっと疲れてきたので、乗り換えた武蔵野線では途中下車せずに進み、19時前には自宅に帰りつくことができた。

JR両毛線・八高線乗りつぶしの旅

2018年09月03日 | 旅行
今日は、台風21号が北上してきているものの、まだそれほとには天気は崩れず、関東一帯は曇りとの予報だった。そこで、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで北関東へ行って、JR両毛線と八高線の乗りつぶしをし、駅スタンプも収集してくることにした。
 特別に早起きをし、急いで朝食を済ませてから、自宅を出て、武蔵野線の始発電車へと乗り込み、西へと向かった。南浦和駅で京浜東北線へ乗り換え、ここから北進して、大宮駅で宇都宮行き普通列車に乗り継ぐ。平日の早朝なので、がらすきかと思ったが、結構通勤客が乗っていて、まどろんでいる。それでも、前の方の車両の席は空いていて、ゆったりと座ることができた。利根川を渡り、栃木県境も越えて、小山駅へと至って、両毛線へと乗り換えたが、待ち時間はそれほどない。
 ここから両毛線の旅となるが、のんびり、じっくり行こうと決めて、先頭車両へ乗り込んだ。ほどなくして発車したが、電化はされているものの、単線となっている。
 まず、栃木駅で下車し、駅のスタンプを押してから改札口を出て、駅舎の写真も撮ったが、高架化されていて、立派な駅前広場があった。20分ほどでホームへ戻り、次の電車で西へと進む、今度は佐野駅で下車し、改札で駅スタンプを押したが、行き違いのために停車時間が長かったので、同じ電車に戻って、次へと進む。
 足利駅でも停車時間を利用して、駅スタンプを押し、さらに西進していく。車窓から沿線風景を眺めていたが、とてもレトロな雰囲気のする山前駅舎が見えたので、下車してみることにした。一応有人駅で、駅スタンプも置いてあったので、押印後駅舎の外に出て写真を撮ったが、昔ながらのたたずまいが気に入ったものの、雨がぱらついてきたのが気になる。
 次の電車へ乗り込んだが、桐生駅止まりだったので、終点で降りて、駅スタンプを押し、改札の外へ出て、駅の写真を撮ったが、この駅も高架化されていて、立派な駅前広場があった。暑さ対策なのか、駅舎前の歩道にミストが出る仕掛けがあったのが気になる。その後、ホームへと戻ったが、向かいのホームのわたらせ渓谷鉄道の1両編成の車両が目についたので、近くまで行って、カメラに収めておいた。
 再び電車に乗り込んだものの、次の岩宿駅の雰囲気が気になり、下車することとする。改札を出て、駅スタンプを押し、駅前広場に出てみたが、田舎の小駅のたたずまいで、赤い屋根が印象的だったので、何回もシャッターを切った。観光案内板によると徒歩15分のところに日本の旧石器時代発見の嚆矢となった岩宿遺跡があるとのことで、行ってみたいとも思ったが、少し雨も降っていたので、次の電車でさらに進むことにする。
 次の国定駅へ到着すると、対向する電車が遅れているので、8分ほど停車するとのアナウンスがあった。それで、急いで改札まで行き、駅のスタンプだけを押してきた。そのまま同じ電車で進み、伊勢崎駅で下車して駅スタンプを押す。この駅も高架化されていて、駅舎も駅前広場も立派だったので、カメラに収めておいた。
 次発はこの駅が始発となっていて、折り返しとなる電車が早めに入ってきたので、早々に乗り込む。電車は群馬県の県都に向かって進み、前橋駅へと着いたが、ここも高架化されていて、なかなか立派な造りだった。途中下車し、駅スタンプを押し、駅前広場に出て写真も撮ったが、さすがに県庁所在地だけあって、大きくてゆったりとした感じがする。
 次の電車は、この駅始発の上野東京ラインの東海道本線直通で、15両編成と長い。先頭車両まで歩いて行って、電車のヘッドをカメラで写してから、車両に乗り込んだが、ガラガラだった。
 出発した電車は、数分で利根川を越え、新前橋駅へと入っていったが、この駅で上越線と合流することになる。再びこの駅で下車し、改札近くにあった駅スタンプを押したものの、次の電車まで待ち時間が数分しかなかったので、改札から外へは出ずにホームへと戻っていった。
 次は、交通の要衝となっている高崎駅で下車したが、信越本線、上越新幹線、北陸新幹線、八高線、上信電鉄の乗換駅となっていて大きな感じだ。11時10分発の八高線への乗り換えまで、20分ほど余裕があったので、駅スタンプを押してから、昼食を買い込むことにする。駅弁販売所では、「峠の釜めし」、「だるま弁当」などの名物駅弁も売っていたが、1,000円ほどするので、構内のコンビニで、安く済ませることにした。弁当とお握り1個で500円余を払い、それを持って、八高線の高麗川行ディゼルカーへと乗り込む。発車までに食べ終わり、のんびりと車窓を眺めながら行くことになったが、この線は非電化の単線で時間がかかり、列車本数も少ない。従って、一度下りると1時間は待たなければならないので、途中下車は控えることとする。
 八高線は首都圏最後のローカル線と言われるだけあって、車窓風景は田舎そのものだ。あまりにものんびりしているので、東北地方か、北陸地方でも走っているかの錯覚に陥ってしまう。外秩父山系の山並みや田んぼをぼんやりと眺めているととても癒され、ディゼルカーのエンジン音も心地よく響いてくる。
 そんな景色と雰囲気を愛でながら、1時間半ほどかかって、高麗川駅へと到着した。ここでの八王子行きの乗り換え時間が20分ほどあったので、改札口を出て駅スタンプを押し、例のごとく駅舎の写真を撮ってみたが、とてもレトロな感じがして、好感を持つ。
 ここからは、川越線も分岐しているが、どちらも電化されていて、近代へと近づいていく。八王子方面も最初の内は、変わらない田舎の風景が続くが、入間市を過ぎるあたりから、宅地造成地が目につくようになり、駅も新しく大きくなってくる。拝島駅周辺は首都圏の雰囲気が漂い、青梅線や五日市線、西武線との乗り換えターミナルともなっていた。
 この駅で下車し、駅スタンプを押していたら、急に青梅線に乗って、押鉄旅をしてみたくなってくる。こういう時は、気分のままに行くことにしているので、その電車に乗ってしまった。
 それからは、各駅に下車して、駅スタンプを押していくが、電車間隔が10分ほどなので、そんなに待つこともなく進み、15時には青梅駅まで到達した。ここから先は、1時間に1本くらいしかないので、Uターンすることとする。
 その後は、立川駅で途中下車してから、中央本線で、西国分寺駅まで行き、武蔵野線へと乗り換えて、17時頃には帰宅することが出来た。電車にばかり乗っていたよう見えるかもしれないが、途中下車して階段を上り下りし、駅スタンプを押したり、写真を撮ったりしていたので、万歩計は1万5千を超えており、結構疲れを感じた。