ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

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旅で構造改革を考える

2005年09月11日 | 旅で考えること
 日本中を旅していると地方の変貌ぶりに驚くことが結構ある。特に、駅前の様子が、だいぶ変わってきているようだ。再開発によって、広場が整備されされるのは良いが、どこも同じ様に均一化されていくのが、気にかかる。特に、地方都市に同じ様な、大手スーパーの巨大な建物を見つけることほど、味気ないことはない。この町には、以前訪れた時、駅前通りに、風情のある商店街があったのに、今は閉店している店が目について、閑散としていたりもする。こういう状況を目の当たりにするととてもさびしい気がするのだ。どこの地方都市も皆、東京に右習えし、近代化の中で、個性が失われていくのはいかがなものだろうかと....。
 昔から続く温泉街でも大きな変化が起こっている。温泉ファンとしては、老舗の温泉旅館が店を閉じ、荒廃しているのを見ることほどつらいものはない。熱海や鬼怒川などの有名温泉地でもしかりである。温泉宿に泊まって、話を聞くと一様に宿泊客の減少を嘆く声が聞かれる。往時の半分から3分の2くらいになっていると言う女将もある。ほんとうに深刻な状況だ。リストラ構造改革によって失業者が増え、所得の減少する世帯が増え、温泉旅行をするゆとりもなくなってきているのか...。また、企業の側でも特に中小では経営が厳しく職員旅行や泊まりがけ研修などをなくす所が多いと聞く。そんな中で、温泉街は疲弊しているのだ。
 農山村の荒廃については、一昨日書いたが、地方都市や温泉街以上に深刻な様相を呈しているところも多いのだ。
 ところで、自民党・公明党連立の小泉内閣が誕生して4年になるが、そこで進められてきた構造改革の現状を旅先で見ると上記のような印象となる。中小の商店や温泉旅館が淘汰され、大型店が進出してくる。まあ、大型店の中でのスクラップアンドビルドも同時進行しているのだが...。また、農山村の経済を支えてきた農林水産業が振るわなくなって、地域経済全体に大きな陰を落としている。そういう中で、景観や街並みに変化が現れてきていて、すこぶる違和感を感じるのだ。
 日本的な景観が好きで、国内を巡っているものにとってとては残念でならない。構造改革によって、効率や経済性を追求するあまりに、地方都市の商店街が廃れ、伝統的な街並みが変わっていったり、農山村が荒廃して、山紫水明の景観が破壊されていくのは耐え難いものがあるのだ。
 地方で営々と農山村や商店街を守ってきた人々の生活に安寧がもたらされて、それによって地域活性化がはかられた方が良いようにも思うのだが...。
 
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旅で平和を考える

2005年09月10日 | 旅で考えること
 日本中を旅しているとつくづく平和っていいなあ~。だからこそ、自由に旅が出来るのだと思う。先日、アフガニスタンを旅していた日本人の教諭2人が拉致殺害される事件があったが、イラクなどでも同様な事件が何度か起こっている、戦闘状態にある国や治安が悪化している所では、旅するのも命がけなのだ。
 ところで、日本列島にも各所に60年前の第2次世界大戦の傷跡が残されている。旅先で、そういうところに立ち寄ることも結構あるのだが、沖縄へ行ったときには、沖縄本島の南部戦跡にあるひめゆりの塔で、看護で従軍した女学生の悲惨な体験を生き残ったひめゆり部隊の方から聞いて涙した。摩文仁の丘の平和祈念公園では、慰霊碑に刻まれた膨大な戦没者数に驚愕したのだ。
 鹿児島県を旅したときは、知覧の「特攻平和会館」で、その壁に張り巡らされた特攻隊員の顔写真を正視することが出来ずに涙ぐんだ。10代、20代の前途ある青年がいかに多く敵艦への自爆攻撃を敢行して死んでいったのかと...。それは、「加世田市平和祈念館」でも同じ思いだった。
 また、広島や長崎を旅したときは、原爆によって、一瞬の内に何万、何十万の人が亡くなり、都市が壊滅したようすを知って、戦慄した。それは、戦後60年を経た今日でも原爆症に苦しむ人々を残している。
 その他にも、東京大空襲をはじめ日本各地が爆撃され、多くの一般市民が犠牲になると共に、焦土とされた爪痕が所々に残されているのだ。
 旅の途上で、このような所を訪れる度に、戦争の悲惨さを胸に刻み、平和の尊さを感じている。そして、第2次世界大戦後60年間、日本で戦争がなかったことのありがたさが身に染みるのだが、それは、日本国憲法第9条の戦争放棄や戦力不保持、交戦権否認の原則があったればこそと思っている。
 しかし、今この憲法を変えようとする動きが起こっている。8月1日に発表された自民党の『憲法改正草案の一次案』を読んだのだが、憲法第9条2項の戦力不保持を改め、自衛軍を保持できるとした上で、「自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。」としていて、海外へ派兵しての戦争へも参加できる内容となっている。しかも、民主党の『憲法提言中間報告』では、「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」に限定しているのに比べて、「国際的に協調して行われる活動」という規定はあいまいで、今回のイラク戦争のように国連決議がなくて、アメリカとイギリスが強行したようなケースも含まれると考えられるのだ。
 でも、このイラク戦争は、「イラクが大量破壊兵器を持っていて、危険性が高まっている」ことを口実に始められたはずなのに、それは発見されなかった。戦争で多くの人々が犠牲になっているにもかかわらず、そのことに対する責任は明確にされず、ブッシュ大統領もブレア首相も辞任していない。このような道理がないと思われる戦争にまで、日本が加わらなければならないのだろうか...。小泉首相は真っ先にイラク戦争を支持しておきながら、大量破壊兵器が発見されなかった責任については口をつぐんだままで、いまだに自衛隊をサモアに駐留させている。
 しかも、イラク戦争は、アメリカやイギリスなどによって、戦闘終結宣言がなされた以後の米英軍犠牲者の方が多く、イラク住民も多くが殺されていて、いまだに戦闘状態が継続していると見ている向きも多い。その中で、ことし7月のイギリスサミット時の地下鉄・バス爆破事件が起きたとも考えられている。マスコミでは、同時多発テロなどと書いているけれども、イラク戦争が継続している中での後方攪乱と見る向きもあるのだ。
 要するに、戦争すると言うことは、その戦闘地域だけではなくて、その後方の施設や支援国への攻撃の危険性を常にはらんでいるということだと思うのだ。日本が、イラクへ自衛隊を派遣したときもその危険性を考えて、日本国内の列車や空港などでも厳重な警戒が実施され、国内を旅していたときに何度もチェックを受けた記憶がある。
 やっぱり戦後60年間戦争に参加せずに、平和を守ってきたことを大切にしなければならないと思う。憲法9条を変えずに、戦争に参加しないで、平和を守る日本を続けていきたいと思う。その方が、安心して、自由に旅が出来ると考えるのだが...。
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旅で農山村の荒廃を憂う

2005年09月09日 | 旅で考えること
 日本中を旅していると、農山村の荒廃が目立つようになった。農村部では、かつての青々とした水田地帯に耕作されない所が目立つようになり、景観を損ねている。また、農村の中心集落の商店街も活気がなく、シャッターを閉じたままの店も見られる。それが、昔ながらの街並みに変化を来させてもいる。逆に水田地帯に大型のスーパーマーケットが建てられたりしていて、著しく違和感を感じさせる場合もある。
 これが、山村部へいくともっと深刻で、耕作放棄された棚田が目立ち、手入れされていない森林で樹木が立ち枯れしていたりもする。また、人が住まなくなって、荒廃した民家も目に付くし、お年寄りばかりが農作業している姿も見られる。
 先日の台風14号では、九州、四国、中国地方に大きな爪痕を残したが、山村部での土砂崩れが目立ち、その下敷きになって、死亡したり行方不明になっている人たちも高齢者がほとんどだ。しかも、高齢者の一人住まいや高齢夫婦世帯が多いのだ。これらの災害の原因には、希に見る異常な降水量があったことも事実だが、山村地帯の荒廃もその一つに挙げられている。荒廃した棚田や山林は保水力を失い、鉄砲水の原因となっているし、それらを管理できなくなってしまった山村の過疎高齢化が背景にある。
 山村地帯の過疎高齢化が問題とされて久しいが、いっこうにそれが改善される気配がなく、ますます高齢化が進行している。一部には、伝統的な祭りが出来なくなったり、消防団さえ維持できなくなっている所もあると聞く。極めて深刻な状況と言わざるを得ない。
 これらのことは、政府与党の行ってきた、国土の管理や公共の福祉、所得の再分配などの政治がうまくいっていないことを示しているようにも思えるのだが...。確かに、高度成長期以来土木建築費には多くの予算が費やされ、道路や河川、ダ工事などは行われてきた。旅先でもその様子はよくわかるのだが、肝心の住民の生活基盤が脅かされ、農林業採算が取れなくなって、耕作放棄や森林の放置、そして農山村地帯からの人口流失(とりわけ若年労働力)を引き起こしてきた所が多いようにも思う。これらが、国土の荒廃を促し、農山村の公共福祉にも影響を与えているようにも考えられるのだ。
 国の重要な役割の一つ、所得の再配分政策の面では、最近これがうまくいってないことが顕著になっていると思う。9月8日付「朝日新聞」朝刊に出ていたが、日本の貧困度(国民平均所得の50%以下の所得しかない「貧困者」の全人口比)は年々上昇し、1980年代半ばの10%ちょっとの水準から、現在では15%を超えている。一方で、所得格差(上位2割と下位2割の所得総額の比率)は年々広がり、1980年代前半には10倍以内だったものが、2002年には168倍にも達しているという。要するに貧困世帯が増加する一方で、富裕層との格差が著しく広がっていると言うことだ。
 山村地帯の高齢者世帯などはまさにこの貧困層に属すと思われるが、このような所に所得を再配分して、活性化させ、国土の荒廃を食い止め、公共の福祉の面でも充実が図れないかと思うのだ。そうしないと、山紫水明の美しい国土には蘇っていかないのではないか...。
 ところが、いま政府自民党は2007年度あたりをめどに消費税の増税を企図しているようだし、民主党も消費税の3%増税を打ち出している。これは、所得再配分の面からは的を得ていないよう思えるのだ。消費税は、物を買うたびに税金が取られるので、貧困層にも応分に負担がかかるからだ。
 このように、所得格差が拡大しているときには、累進課税を強化して、富裕層に多く負担してもらって、国土の保全や公共の福祉を進める方が良いようにも思うのだが...。ちなみに、所得税の最高税率はかつての50%から、1999年以降37%に引き下げられてしまっている。また、法人税の最高税率も引き下げられ、さらに租税特別措置法によって、1億円以上の企業は優遇されている。日本経済も回復基調にあるようなので、こちらの方にメスを入れる方が良いように思えるのだが...。
 旅をしながら徒然に思ったことを書いてみたが、農山村に活気がみなぎり、山紫水明の日本が蘇ってくれることを願って止まないのだ。
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旅で郵政民営化を考える

2005年09月08日 | 旅で考えること
 日本中を旅行していると、山間僻地や離島などにも結構行くことがある。そんな時に郵便局があるととても助かるのだ。現金をおろすのに便利だし、旅先から振り込みをするのにも都合がいい。それが、手数料無しで、引き下ろせたり、安く振り込めるので、助かっているのだ。最近、銀行はリストラの性か、支店数が減り、とりわけ農村部で減っているような気がする。そういうわけで、郵便局はとても助かるのだ。
 それが、郵政民営化をするとそんな山間僻地や離島の郵便局が統合されたり、廃止されたりするのではないかと心配している。聞くと、郵政公社は現在は黒字経営で、郵便や貯金、簡保の利益で、職員の給与や経費をまかなっているので、税金は少しも使われていないという。それじゃあ~、民営化しても税金の節約にはならないわけだ。その上、利益の中から半分は国庫に納付しているそうだから、結構国家財政を助けていることにもなっているらしい。それなのに、なぜ民営化しなければならないのかよくわからない。
 銀行と同じようになったら、手数料も上がるかもしれないし、不採算な店舗は廃止されるだろう。私が旅先で利用する山間僻地や離島などは真っ先にその対象になるのではと危惧している。
 ところで、国でやっているということは、公共の福祉という点と所得再配分の効果を併せ持っていると思うのだ。同じ日本人に生まれたのなら、住むところの不便さや人口の多寡で差別されるものではないと思う。基本的なサービスは国民全体にあまねく行われなければならないこともあるのではないか...。そういう意味で、国で郵便局をやっている意味があると思うんだけど...。
 そんなわけで、私にとってはどうも郵政民営化は好ましくないように考えるのだ。あんまり、儲けと効率化ばかりを追求する時代でもなくなってきているようにも思えるのだが...。
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