ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旧東海道の旅(2)

2006年12月31日 | 旅行
朝起きて、明るくなってきた7時頃から湯谷温泉街周辺を散策してみることにした。カメラを首からぶら下げて、外に出てみたが、天気は良いものの、やはり寒い。それでも、ぶらぶらと歩きながら、板敷川にかかっている橋を渡り、JR飯田線湯谷温泉駅まで行ってみた。とてもレトロな雰囲気が漂っていて、気に入った。この駅は、昔の温泉旅館「湯谷ホテル」の一角を利用したもので、なかなか面白い。ここには、若山牧水も泊まって『鳳来寺紀行』に書かれているんだよね。ホームには、鉄道マニアが一人写真を撮るためにがんばっていた。そんな町並みをぶらぶら歩きながら写真を撮り、吊り橋の所まで下りてきた。ここから見る渓谷はとてもきれいで、絵になっている。ちょっと昔の温泉街の風景を彷彿とさせ、とてもなつかしい気分になって、宿へ戻ってきた。
 小1時間の散策後、湯に浸かって、体を温め、朝食を取って、出立の準備を整えた。
 8時半過ぎには宿を出て、まず鳳来寺へと向かうことにした。鳳来寺山パークウェイも2年ほど前に無料化されたとのことだったが、駐車場では500円が必要だった。ここから、15分ほどアップダウンした道を歩くと、東照宮そして本堂へと到る。その道が、なかなか深山幽谷の趣があって、良いのだ。カメラに何カットも収めながら、参拝をして戻ってきた。
 その後、反対側の門前町の方へ山を下り、表参道へも行ってみることにした。昔は、徒歩の参拝客で、賑わったのであろうが、今では、1,425段を登る参詣人も少なく、とても寂れた感じがした。それでも、数軒の旅館と鳳来寺硯を売る店が営業しているようだったが...。
 ここにも、松尾芭蕉の足跡があるので、自然科学博物館の所に車を置いて、しばし散策してみることにした。参道には、多くの句碑や歌碑、モニュメントなどがあって、古来から文人墨客の多くが訪れていることがわかる。若山牧水、種田山頭火などなど...。そんな参道を少し歩くと、松尾芭蕉のモニュメントがあり、1691年(元禄4)閏10月23日に芭蕉がここを訪れていることを知った。しかし、仁王門にさしかかったところで、持病が出て、やむなく下山し、門前にあった「家根屋」という宿に泊まったとある。そこには、もう建物もなかったが、井戸跡と句碑「夜着ひとつ 祈り出して 旅寝かな」があって、当時を偲ばせてくれた。
 さらに歩いて、石段を登り、仁王門まで、行ってみたが、両側に杉並木が生い茂り、霊山の趣を湛えている。その途中に芭蕉の句碑「こがらしに 岩吹きとがる 杉間かな」があり、ここら辺りで、芭蕉が引き返したのかと、想像してみた。
 その上に、若山牧水の碑もあるとのことで、石段を登っていったが、傘杉を過ぎる辺りから、勾配もきつくなって、しんどい。それでもなんとか松高院を過ぎ、牧水歌碑まではたどり着いた。この碑は、大きな岩に穿たれたもので、「仏法僧 仏法僧と なく鳥の 声をまぬつつ 飲める酒かも」とあり、旅と酒をこよなく愛した牧水らしい歌にほほえんだ。
 本堂はさっき参拝したので、ここから引き返すことにして、下っていって、鳳来寺を後にした。その後は、思い切って南下し、豊川市域に入って、まず西明寺を訪れた。徳川家康ゆかりの禅寺の古刹で、本堂前にベルツ博士の墓碑と供養塔が建っていた。ベルツ博士は1876年(明治9)、日本政府の招聘により来日し、東京医学校(後の東京大学医学部)で内科教授として教鞭をとった。その頃、日本の医療上で大きな問題となっていた寄生虫病、恙虫病、脚気などの研究で業績を上げたが、日本の温泉の医療における活用をすすめたことでも知られているのだ。1880年(明治13)に著した「日本鉱泉論」(ベルツが日本の温泉地の改良を目的として内務省に提出した建白書の翻訳書)と「ベルツ水」が有名だ。
 その後、御油で旧東海道へ復したが、ここから、赤坂宿へ到る松並木(約600m)は、“御油の松並木”として国の天然記念物にもなっている。かの十返舎一九著『東海道中膝栗毛』でも、弥次さんが狐に化かされたと思いこんで喜多さんを縛ってしまうシーンが登場する。そんな鬱蒼とした松並木だったのだ。
 ここから、赤坂宿へ出たところの関川神社に芭蕉句碑「夏の月 御油より出でて 赤坂や」があるが、近接する赤坂宿と御油宿間の距離の短さを詠み込んだ名句で、1676年(延宝4)の作だ。この宿には、江戸時代から続き今でも営業している旅籠「大橋屋」があり以前泊まったこともあるので、懐かしく思って、カメラに収めておいた。ちょうど昼を過ぎていたので、近くの食堂で昼食を取ってから、次の藤川宿へと向かった。
 その途中に、法蔵寺があり、これも徳川家康のゆかりがあり、新撰組隊長近藤勇の首塚もあって、しばし巡ってみた。
 その後、藤川宿へと入っていくと、古い家並みもあって、往時を偲ばせる。その出口近くの藤川小学校前に西の棒鼻跡があった。ここには、浮世絵師歌川豊広の歌碑「藤川の 宿の棒鼻 みわたせば 杉のうるしと うで蛸のあし」 が建てられていた。その先に、十王堂があり、その境内には松尾芭蕉の句碑「爰も三河 むらさき麦の かきつばた」があるが、1793年(寛政5)芭蕉の百回忌に西三河の俳人が再建したものとのこと。この辺では、このむらさき麦を復元し、今でも栽培しているそうだ。
 それからは、少し行って、国道1号線に合してからは、旧東海道を離れ、実家へ向かって走っていった。

旧東海道の旅(1)

2006年12月30日 | 旅行
正月に愛知県の実家に帰省する折りに、旧東海道をたどって松尾芭蕉の足跡を訪ね、途中どこかの温泉に泊まっていこうと思い立った。そこで、帰省ラッシュを避けるために早朝5時に自宅を出て、戸田橋を越え、環八に出て、東名高速を目指した。早立ちしてのが幸いして、全く渋滞もなく、6時前には東名高速に乗れて、ホッとした。
 その後も、どんどん西へ向かって走っていったんだけど、ほとんど車の混雑もなく、静岡県へと入っていった。途中、富士山がとてもきれいで、駒門パーキングまで来たときには、朝日が当たって、紅富士状態になっていたので、車を駐めて、撮影したんだけど、とてもすばらしい光景だった。
 
 東名高速駒門パーキングエリアから見た紅富士

 その後、どこから下道に下りて、旧東海道をたどろうかと思案したんだけど、とりあえず、静岡市までは、高速を走ることにした。
 清水インターで下りてからは、静清バイパスを西に向かい、丸子まで行って、旧東海道をたどることにしたんだけど、「今昔東海道独案内」と「完全東海道五十三次ガイド」を携えては来ているものの、うまくたどれるかどうか...。
 まず、旧丸子宿に入っていくと、橋のたもとに、かやぶき屋根を見つけた。これが有名なとろろ汁の「丁字屋」で、安藤広重描くところの『東海道五十三次』丸子宿の図そのままの構図となっている。その前に、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にちなんだ碑と松尾芭蕉の句碑「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」がある。松尾芭蕉と言えば、『奥の細道』の旅があまりにも有名だが、生涯旅に明け暮れ、東海道も何度か通っていて、足跡を残しているのだ。
 しばし、弥次喜多と芭蕉の気分に浸ってから、旧東海道を西へ向かっていった。この辺りは、国道1号線と合わさっったり、離れたりしていて、走りにくい。宇津ノ谷峠を旧道で越え、岡部の宿へと入っていった。さらに西進を続け、藤枝宿を通過して、島田市街へと至った。
 ここに芭蕉は、1691年(元禄4)と1694年(元禄7)の2回立ち寄ったことがあるそうだが、それ以外にも『野ざらし紀行』の旅で、1684年(貞亨元)8月に通過している。そんなわけで、市内数カ所に芭蕉の句碑が建てられていて、それらを巡ると共に、国指定史跡になっている川越遺跡も見学した。
 その後、大井川橋を越えて、金谷宿へと入り、石畳道が復元されている金谷坂へたどり着いた。駐車場に車を駐めてから、この石畳を登り始めたんだけど、かなりの急勾配でしんどいものの、富士山も見えて、景色は良い。なんとか、上まで行って、芭蕉句碑「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけむり」をカメラに収めてから、戻ってきた。これは、『野ざらし紀行』の中に出てくる句だ。

 金谷坂から見た富士山

 その後は、自動車道で迂回しながら牧ノ原台地へと上り、「お茶の郷」で土産物を買ってから、久延寺へと向かおうとしたんだけど、道を間違え、台地を下ってしまったので、やむを得ず、そのまま日坂宿へと入る。
 それから、掛川へと到ったんだけど、掛川城は下から見るだけにして通過し、袋井市域へと向かった。
 ここに来て、法多山の看板を見つけ、急に立ち寄ってみたくなった。まだ、遠州三山は参詣したことがないので、巡ってみたくなったのだ。
 そこで、法多山に参拝し、門前の茶屋で昼食をすませ、油山寺、可睡斎と巡ったら、かなり時間を費やしてたしまった。そこで、今日の宿湯谷温泉へ直行することにして、旧東海道を離れた。
 どんどん走っていく内に、道を間違え、迷いながら奥浜名湖畔へ出たら、とても良い景色だったので、何枚も写真を撮った。
 撮影後は、国道257号線へ出て、炭焼田トンネルを越え、愛知県へと入っていった。その後、湯谷温泉へと至り、夕方5時前には「遊泉閣 蓬莱」へと入った。
 ここは、国道沿いにある木造二階建で、老夫婦が営んでいるようで、親切ていねいに応対してくれた。部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かうことにする。内湯だけで、沸かしてはいるものの、源泉掛け流しとなっていて心地よい。湯の花も舞っていて、湯を堪能しながら、旅の疲れを癒した。
 部屋に戻ると、しばらくして夕食が運ばれてきたが、しし鍋、イワナ塩焼、天ぷら、刺身、モズク酢、茶碗蒸しなどが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、飲みかつ食べて、酔い心地に...。食後は、横になって、テレビを見ながら、明日のコースを考えていたら、まどろんできたので、床に就いた。
続く

童謡のふる里 おおとね温泉「100の湯」

2006年12月17日 | 埼玉の温泉巡り
天気があまり良くないけど、雨は降り出しそうにないので、ドライブがてら温泉に入りに行くことにした。2005年8月21日にオープンし、泉質がよいと言われている町営の日帰り温泉入浴施設「100(とね)の湯」へ向かうことにした。
第2産業道路を北上し、国道16号線を越えて、県道3号線(さいたま栗橋線)へ出て、さらに北進した。東名高速道路を潜り、国道125号線へぶつかってから右折し、さらに左折して、大利根町域へと入っていった。
 それからは、田舎道を「100の湯」の案内板をたよりに、くねくねと曲がって、やっとのこと、公共施設が集まっている所へと至った。その一角に、「大利根町総合福祉会館」があり、ここに「100の湯」が併設されているのだ。初めての人にはわかりにくいかも知れない。
 駐車場は建物の前にあり、玄関を入ると、まさに地方の公民館のような造りだ。その受付兼売店のような所で、町外入浴券(大人500円)を購入した。町民だと大人300円で、その差別を付けているところが、町営施設たる所以なのであろうか...。
 浴室は男女別に分かれ、内湯の浴槽が真ん中に一つあるだけの極めてシンプルな造りで、6,7名が一度に入れる大きさだ。町内の老人(70歳以上)は200円で入浴できる性か、結構お年寄りの利用客がいた。

 「100の湯」の浴槽

 掲示されていた温泉分析書で確認したが、源泉名を童謡のふるさとおおとね温泉といい、源泉温度46.1℃、pH7.7のナトリウム-塩化物温泉(弱アルカリ性・等張性・高温泉)で、無色澄明、塩味、殆ど無臭でガス発泡あり、湧出量は毎分280リットルと豊富とのことだ。加温はされているものの、加水・循環一切なしの源泉かけ流しで使用されているそうだ。塩素消毒はしているらしいが、塩素臭は感じられなかった。
 湯に浸かってみると、少し黄色がかった色で、湯の花のようなものも見られ、ぬるぬる感のある心地よいものだった。気に入って、じっくり入りながら、その感触を味わった。最近作られる日帰り入浴施設は、各種の浴槽やサウナなどを併設するものが多いが、こういうシンプルな温泉で、じっくり湯を味わうのいいと思うのだ。
 結構時間をかけて入浴し、しっかり体も洗って、リフレッシュして上がってきた。
 その後は、加須市へ向かい、昼食に名物のうどんを食べてから、「加須未来館」に立ち寄って、利根川の流れを見てから、戻っていった。

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湯快爽快さいたま三橋温泉「湯けむり横丁 おおみや店」

2006年12月04日 | 埼玉の温泉巡り
 2泊3日で、群馬県の旅に出た最終日の帰路、旅の疲れを癒すために、さいたま市にある、湯快爽快さいたま三橋温泉「「湯けむり横丁 おおみや店」に立ち寄っていくことにしたんだ。
 ここは、2005年3月15日にオープンした天然温泉に入れるスーパー銭湯で、源泉名は、湯快爽快さいたま三橋温泉、泉温は34.7℃のナトリウム-塩化物泉(弱アルカリ性・低張性・温泉)で、湧出量は毎分402リットルと豊富と聞いていた。前から一度入浴してみたかったんだけど、土日祝の大人一般入浴料が1,200円と高いとのことだったので、安い平日料金800円の時に行こうと思っていて、なかなか実現しなかったんだ。でも、前を通ったことは何度かあったんだけど...。
 しかし、今日は月曜日なので、ようやく念願叶って、入浴することにした。建物は、国道17号線バイパスの脇にあり、北行き車線からしか入れないので、次の信号まで通過して、Uターンすることとなった。駐車場は建物の周辺に230台分あり、かなり大きい。その玄関近くに駐めて、中へと入っていった。
 シューズロッカーに靴を入れた後、スリッパはなく、そのままカウンターまで、行って驚いた!なんと入浴料金が値下げになっているではないか...。土日祝の大人一般入浴料が1日1,000円になり、平日料金には、2時間券600円というのが、新設されていた。これだったら、土日祝に来てもよかったのにと、悔しく思った。今のところ、温泉日帰り入浴料は、1,000円が限界と考えているので...。
 券売機で2時間券600円を購入し、受付に出すと、フェイスタオルまで渡してくれて、サービスがいい。
 浴室は2階にあり、階段を上がっていくと、左が男湯、右が女湯と分かれる。脱衣して、ロッカーに衣服を入れて、内湯スペースへと入っていくと、「白湯」、「電気風呂」、「寝湯」、「座り湯」、「水風呂」等があるが、いずれも温泉は使われていない。しかし、「高温サウナ」も併設されていて、利用することが出来る。
 ドアを開けて、露天風呂スペースへと出て行くと、「あつ湯」、「ぬる湯」、「信楽壷湯」4つ、「うたた寝之湯」、「うたせ湯」とあり、屋根付きの「庵湯」もあって、すべてに温泉が使われている。メインの「ぬる湯」(39℃設定)は30人ほどが入れ、「あつ湯」(42℃設定)は、5、6人が入れて、2つ共岩風呂になっている。“源泉掛け流し”をうたっているけど、やや源泉温度が低い(34.7℃)ので、加温のために循環しているものと思われる。それでも、結構、オーバーフローしていたので、半循環といったところか...。

 湯快爽快さいたま三橋温泉「「湯けむり横丁 おおみや店」の露天風呂「あつ湯」と「信楽壷湯」

 入ってみると、薄い茶褐色をし、なめると塩分味も結構あり、湯の花の浮遊も見られ、浴感は悪くない。とくに。「ぬる湯」が気に入って、のんびり浸かりながら旅の疲れを癒した。この脇には、打たせ湯が2筋あって、3mほどの高さから落下していたので、肩や腰に当てて、長駆のドライブによる凝りをほぐした。屋根付きの「庵湯」は40℃設定で、ヒノキの香りと肌触りが気に入り、心地よく入浴できた。
 館内には、食事の出来る「湯らり亭」、「手もみ本舗」、「足底つぼ本舗」、「リラクゼーションルーム」、おやすみ処「むさしの間」、「足湯」なども併設されているので、いろいろと利用しながら、1日をのんびり過ごすのも良いかも知れない。
 じっくりと湯に浸かって、汗を流した後は満足して帰途に着き、途中買い物して、自宅へと戻った。

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群馬県の旅(3)

2006年12月04日 | 旅行
 朝7時頃から宿の周辺を一回りしたんだけど、雪は降っていないものの、やはり寒いので、30分ほどで切り上げてきて、朝風呂に入って暖まったんだ。
 朝食後はのんびり部屋で過ごし、9時前に宿を立って、まず近くにある桜山へ行ってみることにした。この時期に桜って変に思うかも知れないけど、ここは、2度咲き桜の名所で、特に寒桜が有名なんだ。15分ほどで、山頂近くの駐車場に着いたんだけど、全山桜の木が花を付けていた。そんな中を散策しながら写真を撮ったんだ。特に、頂上からの展望はすばらしく、感嘆したよ。1時間半ほど歩き回ってから、車まで戻ってきて、山を下り、神流川を渡って、埼玉県へ入った。
 そこで、武蔵の国二の宮「金讃神社」に参拝したんだけど、紅葉がすばらしくって、ここでも何回もシャッターを切ったんだ。
 その後は、国道254号線で帰途に着き、途中、東松山市にあるインド料理専門店「マハラジャ」でチキンカリーを昼食に取ったんだけど、とても辛くて美味しかったよ。
 食後も、さらに国道254号線を南下して、川越市内へ入り、そこからは、国道16号線へ乗り換えてさいたま市へと戻ってきた。そのバイパス脇にある三橋温泉「湯けむり横丁」おおみや店で日帰り入浴して、旅の汗を流したんだ。
 入浴後は、ロジャース他で買い物して自宅へ戻ってきた。
 今回の旅は、寒い日が多く、四万温泉では、雪に降られて、参ったよ。車の運転が困るほどではなかったけど、外を散策するにも寒くって、資料館や博物館といった室内の所中心に巡ってきた。でも、温泉は4つも入ってきたし、特に四万温泉の「積善館」では、露天風呂、家族風呂、石風呂、元禄の湯と1つの旅館に4ヶ所も浴室があって、湯を楽しんできたよ。そうそう、そこの露天風呂に入っていたら、カモシカの子供が覗きに来たんで、びっくりしたよ。

群馬県の旅(2)

2006年12月03日 | 旅行
 朝7時頃から旅館の周辺を散策してみようと思ったんだけど、小雪もちらついているし、とても寒いので、短時間で戻ってきて、後は、温泉に入っていた。
 その後、8時から朝食を取って、部屋でのんびりし、9時に宿を立ったんだ。
 来た道を戻り、中之条からは、榛名山の裏側を走る道の方へと入っていった。途中に、大戸という所があるんだけど、ここは江戸時代に関所があって、お尋ね者国定忠治が捕まったことで有名な所なんだよね。その南に処刑された場所があり、お地蔵さんが立っていたので、手を合わせた。
 その後、「かやぶきの郷」という所へ行ってみたんだけど、「薬師温泉旅籠」に併設された施設で、入浴料込みの入場券が1,200円(入場だけだと500円)だった。昔ながらの茅葺き民家が数棟移築され、中には、民具が展示されていて、とても興味深かったよ。温泉にも入れるんで、露天風呂に入浴したんだけど、渓谷沿いの見晴らしの良い所で、とても気に入った。
 それからは、どんどん南下していって、安中市内へ入り、武家屋敷を散策してから、昼食を撮った。そして、富岡市域へと入っていって、「富岡市立美術博物館」と「群馬県立自然史博物館」を見学したんだけど、「自然史博物館」は中生代の恐竜の展示が充実していて、子供がたくさん来ていたよ。実物化石の骨格標本や機械式に動くティラノサウルスなど見応えがあった。
 見学後は、今日の宿八塩温泉へと向かったんだけど、ここは、埼玉県境に近く、1泊2食付8.650円(込込)で泊まった「鬼石観光ホテル」はとても見晴らしの良い所だった。ここでも、温泉に入って、疲れを取り、休んでいたら、ほどなくして部屋での夕餉となった。食卓には、肉鍋、イワナ塩焼、刺身、天ぷら、ゆば、かぶら蒸しなどが並べられ、低料金の割にはまずまずだった。美味しく食べながらお酒も飲んで、いい気分になった。後は、布団を敷いて、テレビを見ながら横になっていたら、眠くなったので、眠りについてしまったけど...。
続く

群馬県の旅(1)

2006年12月02日 | 旅行
 忙しかった仕事も一段落したので、土日月と3連休を取ることにしたんだ。ただ、どこへ行くかを決めていなかったんだけど、土曜日の朝、急に思い立って、群馬県の四万温泉へ行くことにした。仕事疲れをいやして、リフレッシュしてこようと思っているんだけど、はたしてどんな旅になることやら、...。
 そんなわけで、出立が9時半頃になってしまったので、初日はとにかく走るだけになってしまった。渋滞している高速道路を避けて下道を行くことにし、第2産業道路を北上し、国道17号線へ出、上武国道で群馬県へと入っていったんだ。
 まず、赤城山の麓の蕎麦屋で昼食を取ったんだけど、なかなか美味しかったよ。
 その後は、渋川を経由して吾妻川沿いに中之条へと至った。そこで、歴史民俗資料館を見学したんだけど、明治時代に建てられた小学校を保存し、その中にいろいろな郷土資料や民俗資料が展示されていて、とても興味深く見学したよ。
 その後は、さらに北上し、今日の宿四万温泉へ着いた。早めの4時前の到着となったんだけど、泊まった「積善館」にはいろいろな浴室があって、楽しめるからいいかと思って...。建物もとてもレトロで築300年は経っているとか...。とても風情があって気に入ったんだ。それに、本館だと休前日でも1泊2食付き7,500円(込込)の低料金で泊まれるんだよね。
 部屋に荷物を置くとさっそく湯巡りを始めたんだけど、まず最初に「元禄の湯」というメイン浴室に浸かりに行った。この建物も古く、群馬県の文化財に指定されているんだよね。2,3人が入れる浴槽が5つと個室の蒸し風呂があり、お湯は源泉掛け流しで、とても心地よかったよ。それから、「岩風呂」に行ったんだけど、ここは、地下のような所にあり、混浴なんだ。でも、誰も入っていなかったけど...。それから、別棟にある「杜の湯」へ行ったんだけど、ここにはとても大きな露天風呂があるんだ。そこに入っていると庭側から除いているのがいる。何かと思ったら、カモシカの子供なんだよね。とてもビックリしたよ。「山荘の湯」にも入ってから、部屋へ戻り、6時から大広間で夕食を食べたんだ。箱に入った「京風弁当」で、きれいに作られていたんだけど、ちょっと量が少なかったかな...。でも、お酒も冷やで2合頼んで、とても良い気持ちになった。後は、テレビを見ながら横になっていたら、まどろんできたので、早めに床に就いてしまった。
続く