ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

4月の見沼たんぼの散策

2018年04月19日 | 散策
今日は天気が良いと予報で言っていたので、昼食後、車で北に向かい、見沼たんぼへ行って、蝶の写真を撮りながら、散策してみることにした。
 さいたま市緑区にある「見沼自然公園」へ行ってみることにしたが、春らしい清々しい天気で、気分がとてもいい。
 到着すると、園内の駐車場へ車を入れたが、平日なのに結構混んでいたものの、公園に一番近いところに駐車スペースを見つけ、なんとか駐めることができた。
 今年は初めての訪問となるが、いつものように、カメラを首から下げて、散策を開始したものの、気温も湿度も、ちょうどよい感じで、心が弾む。
 最初に、公園の端のツツジが咲いているところへ行ってみたが、そこで、キアゲハを見つけたので、追いかけて、なんとかカメラに収めた。次に、ベニシジミが目にとまったが、この蝶は、珍しいものではないものの、とてもきれいなのでついつい撮影してしまう。次に、ヒメウラナミジャノメが飛んでいたので、すばやく数カットの撮影をした。
 その後は、中央の池に向かったが、鯉がたくさんいて、子供がエサをやっているのが、とても愛らしく感じられる。水面には、カルガモとヒドリガモが何羽か泳いでいたが、冬季よりは大分数が減ってきているようだ。これも何回かシャッターを切っておいた。
 続いて、園内を散策したが、モンシロチョウが飛んでいるものの、動き回っていたので、カメラには収められなかったのが残念!
 湿地帯のところへ行ってみると、キタテハが2頭花に止まっていたので、撮影しておいた。周辺には、タンポポやホトケノザなどの野草の花が咲いていて、とても春らしい景色だ。
 それから、公園を抜け出したが、畑地では、モンシロチョウとキタテハ、ベニシジミくらいしか見つけられなかったので、適当に撮影しながら、歩を進めていった。
 さらに、農道を歩いていくと道端の雑草にヤマトシジミ、モンシロチョウ、モンキチョウ、ベニシジミ、キタテハが群れていたので、何枚か写真を撮りながら、歩いていく。
 そうこうしていると、万年寺の寺林に至ったので、その林縁を注意深く観察してみたものの、何も見なかった。
 さらに歩いて行くと、畑地に菜の花がたくさん咲いていて、モンシロチョウがいくつも舞っていた。とても春らしい長閑な風景だったので、しばしたたずみながら、シャッターを切っていた。
 その後、万年寺の境内にも立ち寄ってみたが、全く蝶の姿はなかったが、ツツジやフジがきれいに咲いていたので、カメラに収めておく。
 再び、見沼自然公園へ戻る途中では、キアゲハ、モンキチョウも見つけたので、適当にシャッターを切っていく。
 見沼自然公園内へと戻ってくるとベニシジミ、ヤマトシジミ、ヒメウラナミジャノメを見つけたので、次々とカメラに収めたが、結構歩き疲れてきた。そこで、2時間弱で散策を終えることにして、駐車場へと戻っていった。
 結局、7種類の蝶としか出会えず、この時期としてはちょっと少ない感じがしたものの、清々しん天気で、暑くもなく、とても気分よく散策できたので、良かったのではないかと思う。
 その後は、来た道を戻っていったが、さしたる渋滞もなく、軽快に走り、途中のスーパーマーケットで買い物をしてから、早めに自宅に帰ってきた。

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帰省先からの復路

2018年01月04日 | 旅行
正月に愛知県の実家に帰省中だったが、三ヶ日が過ぎたので、帰途に就くことにし、早朝実家を出立した。往路は東海道本線を使ったので、趣を変えて復路は中央本線を使うことにする。「青春18きっぷ」を使用して、中津川行の普通列車に乗り込み、東へと向かった。
 車窓はまだ暗く、闇の中を走っていったが、岐阜県に入るあたりから、徐々に明るくなり始める。朝の長閑な田園風景を眺めていると、終点の中津川駅が近づいたが、車内放送によると乗り換えはスムーズにできそうで、安堵した。なにしろ、中央本線と言っても中津川から先はローカル線と変わらず、本数も少ないし、列車の時刻を確認してこなかったので.....。
 乗り換えた、松本行き普通列車は、木曽川沿いの景勝地を進んでいく。車窓からの渓谷美はなかなかのもので、中央本線の楽しみの一つでもある。まだ冬休み中だとは思うが、途中駅からは高校生が何人か乗ってきて、はしゃいでいた。部活の練習にでも行くのだろうか....?
 普通列車なので、駅で特急列車に追い抜かれるため、停車時間が長かったりするが、それもまたのんびり旅行にはアクセントともなる。停車駅の様子をじっくりと観察し、駅の構造など確認したりこの周辺の人々は、どんな生業を立てているのかと想像するのも楽しいことなのだ。
 そうこうしている内に、木曽川の渓谷は深くなり、車窓に寝覚ノ床や木曽の桟などの景勝地を見ながら進んで、鳥居峠の分水嶺をトンネルで越えた。
 ここからは、水域としては日本海側へ注ぐところとなる。そんなことを考えているうちに、木曾谷を抜け、乗換の塩尻駅へ到着した。
 ここで、甲府行きの普通列車に乗り換えるのだが、少し待ち時間があったので、ホーム上を少し歩いて、座り続けてきた、腰を伸ばしてみる。
 塩尻駅を出た列車は、岡谷への短縮ルートを通り、諏訪、茅野と過ぎて、長野・山梨県境を越えたが、まだ昼前でもあるし、天気も良いので、急に小海線へ乗ってみたくなった。こういう時、臨機応変の対応ができるのが、「青春18きっぷ」の強みとなっている。乗り換え時間もそんなに長くないので、思い切って、小淵沢駅で下車してしまった。
 久しぶりに小海線へ乗ることとなったが、標高1,000mを超える高原地帯を走る路線として知られている。車窓からの眺めは素晴らしく、八ヶ岳山麓の牧場や富士山の遠景も楽しめる。とても気分は良いのだが、とにかくゆっくりと走り、単線なので、すれ違いに時間もかかったりして、小淵沢駅で、駅弁を買ってこなかったことを後悔した。
 このまま、小諸駅まで乗り続けると昼食時間を大きく過ぎてしまう。どうしようかと悩んだが、途中駅で降りて、弁当かパンでも買って、腹を満たすこととする。ところが、八千穂駅で下車してみたものの、まだ正月4日のこととて、駅前の売店や食堂がどこも閉まっていたことには閉口した。
 やむを得ず、時刻表を見て、逆方向へ戻る列車が早く来るので、それに乗って、小淵沢駅へと戻ることとする。このような行き当たりばったりの旅ができるのも、「青春18きっぷ」の良いところなのだろうか.....。
 小淵沢駅へ到着した時刻は、昼をかなり過ぎてはいたが、ここで駅弁を買って、ベンチで食べることにした。その後、甲府行きの普通列車に乗り込んてだが、甲府盆地へと降りていくにしたがって、車窓からきれいな富士山が見えてくる。これは、写真に撮っておかなければとシャッターを切ったが、次々と車窓が変化し、富士山の様相も変わるので、カメラを離せなくなってしまう。こうなれば、どこまで、富士山が見え続けるか確かめてみたくなってくる。
 甲府駅で、高尾駅行きの不通に乗り換え、車窓を確認していったが、近隣の山々に見え隠れしながらも、勝沼駅付近までは、富士山を捉えることができたのは、新たな発見だった。
 笹子トンネルを過ぎてからは、車窓に富士山を見ることはできず、それで風景を愛でながら、高尾駅へと到着した。その後は、西国分寺駅まで行って、武蔵野線へ乗り換え、埼玉県の自宅へと戻っていった。

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日帰り京都旅行

2018年01月03日 | 旅行
正月に愛知県の実家に帰省中だが、天気もまずまずとのことなので、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで京都市へ行ってくることにした。
 朝食後実家を出て、中央本線に乗って、金山駅まで行き、東海道本線の大垣行き新快速に乗り換えた。結構空いていたので、ゆったりと座りながら、窓外の景色を眺めていた。電車は濃尾平野を突き進んで、大垣駅へとたどり着いたが、次の米原行きまでは、時間があって、寒いホームで待つこととなった。
 しかし、到着した米原行きは、満員で立ち続けることになったのは失敗だった。これだったらもう少し手前の岐阜駅にでも下りて待っていればよかったと後悔した。
 その上、関ヶ原駅を過ぎるころからは、雪景色にかわり、雪も降ってきたのに雨具を持ってきていないので、心配になった。それでも、なんとか柏原駅で座れることができて一息ついた。
 米原駅から乗り換えて、京都へと向かったが、雪は一向に止みそうもない。座席に座りながら、窓外を眺めて、京都駅に着くまでには、晴れてくれることを願った。
 そうこうしているうちに、京都駅へと到着したが、みぞれ交じりの雨が降っているのには、閉口した。仕方がないので、案内所へ行って、市内の地図をもらい、近場から訪ねてみることにした。
 最初に、歩いて行ける東本願寺へと向かったが、まだ少しみぞれが降っていて冷たい。それでも、10分ちょっとで大きな門の前へたどり着いた。
 この東本願寺は 京都府京都市下京区にある浄土真宗大谷派の本山で、東本願寺は西本願寺に対して呼ぶ場合の通称で、正式には、「真宗本廟」というとのこと。11世顕如の嗣子教如が、弟准如に本願寺住職を譲り本願寺派とは別に大谷派を立て、1602年(慶長7)に徳川家康から与えられた現在の地に大師堂をはじめ伽藍を創建した。このとき以降、准如の本願寺を西本願寺と称するようになり、末寺もそれぞれ分立したそうだ。その後、天明、文政、安政とたび重なる火災にあって堂宇を焼失し、現在の本堂(阿弥陀堂)と大師堂(御影堂)は1895年(明治28)の再建、その他の建築物も明治時代以降のものとなっている。寺宝には、親鸞自筆『教行信証』(国宝)、親鸞聖人画像(安城御影)、本願寺聖人伝絵(ともに国の重要文化財)などがあると聞いた。
 とにかく寺域は広く、建物も大きくて堂々としている。まず御影堂、次に阿弥陀堂へと上がって参拝したが、荘厳な感じがした。
 次に、西本願寺へと歩いて行ったが、みぞれが結構降ってきていて、雨具を持ってきていないことを悔やんだが、仕方がない。小走りに、歩道を進み、信号待ちでは、軒下に避難することを何度か繰り返しているうちに、大きな通りに出て、西本願寺の塀や門が見えてきた。
 やっとのことで、大きな門をくぐって、境内へと入っていったが、この西本願寺は、京都府京都市下京区にあるが、現在地には、1591年(天正19)に豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転したとされている。境内には、安土桃山時代の文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、1994年(平成6)に国の史跡に指定され、同年に「古都京都の文化財」の一部として世界遺産(文化遺産)にも登録された。豊臣秀吉が造らせた伏見城や聚楽第の遺構と伝わるものが多く移築されていて、飛雲閣、大広間、唐門等は安土桃山文化の代表的建造物と言われ、国宝建造物に指定された、絢爛豪華ですばらしいものなのだ。
 しかし、飛雲閣や大広間は一般には公開されていないとのことなので、唐門へ行ってみることにした。本堂へ参拝後、龍虎殿(寺務所)で唐門の場所を聞いたのだが、「外に出て、右に行ったところだ。」と説明され、いったん門外へ出て、塀伝いに歩いて行ったが、いっこうに唐門へは行きつかず、大変な遠回りをすることとなった。幸いなことに、みぞれが止んでいたので、少し救われたが、西本願寺の外周を一周して元へと戻ってくるはめになったのだ。大幅に時間をロスし、歩き疲れて足も痛くなったが、龍谷大学のレトロな校舎を見ることができたのが、慰めになった。それにしても案内板がはっきりしていないのが一因であったことは確かだ。
 気を取り直して、大書院の脇から、やっとのことで唐門へとたどり着いたが、それはすばらしいものだった。さすがに、安土桃山時代を代表する国宝建造物だけあって、豪華絢爛な意匠には、感嘆した。これをみただけでも、わざわざ京都へやってきた価値があるというものである。
 その後は、地下鉄烏丸線の五条駅から乗って北上し、烏丸御池駅で東西線へ乗り換えて東進し、蹴上駅で下車して、琵琶湖疎水へと行ってみることとした。
 琵琶湖疎水は、琵琶湖の南岸(現在の滋賀県大津市三保ヶ崎)から取水し、長等山などをトンネルで抜け、京都市内へ通じる水路で、舟運、発電、上水道、灌漑を目的としてつくられた。田辺朔郎の設計、施工により、明治時代前期の1885年(明治18)に工事が始まり、1890年(明治23)に大津から鴨川までの第一疏水(全長17.7km、幅6.4~11.5m、水深1.7m)が完成する。続いて、鴨川から宇治川までの鴨川運河は、1892年(明治25)に工事が始まり、1895年(明治28)に完成しました。さらに、第一疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走る第二疏水(全長7.4km,幅4m,水深3.1m)が、1908年(明治41)に着工し、1912年(明治45)に完成し、蹴上で第1疏水と合流するようになった。これらの開削工事は、西欧の近代的土木技術を取得した日本人技師による大規模な土木工事であり、明治時代における日本の土木技術水準の高さを示すものだ。そこで、1996年(平成8)に第一疎水の第一・第二・第三隧道の出入り口、第一竪坑、第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋、インクライン、疎水分線の水路閣などが国の史跡に指定される。また、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されたのだ。
 どうしても見てみたいものだったので、まずインクラインから見学していくことにした。これは、水路を通ってきた船を峠のところで引っ張り上げて越えさせ、再び水路に戻す施設で、ケーブルカーのような装置で、船を台車に乗せて、ワイヤーで引っ張り巻き上げ機を使って、登らせるものだ。とてもユニークなもので、気に入った。
 先人の知恵であろうが、昔は、船越と言って、陸路伝いに船をコロと人力で引っ張り上げて峠越えをさせていたところがあると聞いたことがある。
 その坂道を上がっていくと、蹴上発電所への送水管を見ることができた。そこから、疎水沿いにしばらく歩いていくと、有名な南禅寺境内の水路閣へと至った。これも見事なレンガ造りの水路橋で、なかなか絵になる施設なので、何枚も写真を撮らせてもらった。
 ついでに、南禅寺の境内も散策してみたが、この寺は、京都府京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山で、山号は瑞竜山、寺号は正式には大平興国南禅禅寺という。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇、開山は無関普門(大明国師)で、1291年(正応4)に亀山法皇がその離宮を寺に改めて建てたとのことだ。1335年(建武2)に京都五山の第一とされ、1383年(弘和3/永徳3)に足利義満が京都鎌倉五山十刹の制度をつくった際には、天下第一位として五山の上に置かれる。しかし、室町時代の1393年(明徳4)、1447年(文安4)、1467年 (応仁元)の火災で伽藍の大部分を焼失した。現在の伽藍は、江戸時代前期の1605年 (慶長10)以降に、以心崇伝によって再興されたもので、大方丈(国宝)は1611年(慶長16)後陽成天皇より下賜された旧御所の建物の移築、小方丈は旧伏見城の遺構とも言われ、共に狩野派の襖絵があり、山門(国重要文化財)は1628年(寛永5)に藤堂高虎による再建、勅使門(国重要文化財)は1641年(寛永18)に御所の日ノ御門を移築したものと言われている。大方丈南面の庭園は慶長年間(1596~1615)小堀遠州作と伝える禅院式枯山水庭園で、巨石の姿から俗に「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、1951年(昭和26)に国の名勝に指定された。また、境内は2005年(平成17)に、国の史跡に指定されている。寺宝としては、「亀山天皇宸翰禅林寺御起願文案」(国宝)をはじめ、数多くの国重要文化財を含む絵画、彫刻等が所蔵されていると聞く。
 前にも、訪れたことがあるので、今回は境内の建物を見るだけにとどめたが、寺域も広く、豪壮な建物が並んでいて、さすがに京都五山の第一の寺だけのことはあると思った。
 もうとっくに昼を過ぎていて、腹も空いているのだが、周辺には、高そうな料亭みたいなものしか目に入らなかったので、別のところへ移動して食事をとることとする。
 再び、地下鉄東西線の蹴上駅に戻り、東へ向かう電車に乗って、山科駅まで行き、駅前のファーストフード店へ入って、腹を満たした。しかし、予想外に長距離歩いていて、足も痛くなり、これ以上の散策は無理と判断したので、帰途に就くことにした。
 とはいうものの、同じ線路で帰るのも面白くないし、せっかく「青春18きっぷ」で来ているので、草津線・関西線を経由して名古屋へ戻ることにした。
 そこで、東海道本線の電車で草津駅まで行って、草津線へと乗り換えたが、急にローカル色が強くなって、のどかな車窓を愛でながらの鉄道旅となった。ところが、柘植駅が近づくと、関西線の柘植駅~亀山駅が、災害のため不通となっていて、代行バスに乗り換えるようにとのアナウンスが入るようになった。
 はたして、「青春18きっぷ」で乗れるのだろうかとの不安もよぎったものの、ままよと柘植駅までは行ってみることにした。下車後、駅員に聞くと「青春18きっぷ」でも代行バスにのれるとのことだったので、胸をなでおろした。
 柘植駅前から、観光バスのような車両に乗ったが、途中の駅をすべて経由していくので、かなり細い道に入り込み、道幅ぎりぎりで走っていく、心配になったが、運転手の技量を信じて、車窓を楽しむこととした。
 それでも、なにごともなく亀山駅前へと到着し、連絡している関西線の列車へと乗り継いだ。その後は、四日市、桑名と過ぎて、名古屋駅へと至り、中央本線へと乗り換えて、実家に帰着した。 

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伊勢路のドライブ

2018年01月02日 | 旅行
正月に愛知県の実家に帰省中だが、天気も良さそうなので、日帰りのドライブ旅行へ出かけることにした。
 朝食後、自家用車に乗り、東名阪自動車道に入ってから、西へ進路を取る。最初は順調に走っていたものの、四日市を過ぎたあたりから混みだしてきた。やはり、伊勢神宮へ向かう車なのだろうか、県外のナンバーが目立つが、それでも、完全に渋滞することもなく、伊勢自動車道へ入って、久居インターで降りることができる。
 その後は、国道165号線を西進し、途中で左折して、JR名松線を横切って、県道15号線に入り、雲手川沿いに走っていった。
 やっとのことで、三重県津市美杉町にある北畠神社へと到着した。今回の一番の目的は、境内にある南北朝時代の代表的な日本庭園である「北畠氏館跡庭園」だったのだ。
 ここは、伊勢国司の北畠晴具の義父だった管領細川高国が作った池泉観賞様式の武家書院庭園だ。総面積は約850坪あり、武将の手による庭らしく 野生的で、素朴な力強さがあり、石組みと米字池、枯山水のある苔むした築山の緑がすばらしく、紅葉の名所としても知られている。滋賀県の「旧秀隣寺庭園」、福井県の「越前一乗谷朝倉氏庭園」と共に、日本三大武将庭園の一つとされていて、一度訪れてみたかったのだ。
 伊勢国司・北畠顕能によって築かれた居館であった北畠氏館跡に隣接していて、1936年(昭和11)に、「北畠氏館跡庭園」として、国の名勝・史跡の指定を受けている。その後、1996年(平成8)からの館跡の調査によって、15世紀前半に造成された遺構では、日本最古の石垣や多くの建物跡が確認され、陶器、武具、仏具なども出土した。そこで、2006年(平成18)に「北畠氏館跡庭園」と背後にある「霧山城跡」の2件を統合し、指定地域を追加の上、「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」の名称で改めて国の史跡に指定されたと案内板に書いてある。
 通常の場合は、社務所に申し出て、300円也を払って、庭園見学をするのだが、正月3ヶ日のこととて、特別に無料開放されていた。庭園内に入ってみると、米字池を中心とした石組みがみごとで、苔むした築山にとても風情がある。園内をじっくりと散策しながら、いろいろな角度で写真を撮ってみたがとてもすばらしく、紅葉の時期だったらなおさらであろうと思う。
 尚、2017年(平成29)に、「北畠氏館」が続日本100名城に選定されたとのことで、城郭ファンなら背後にある「霧山城跡」とともに巡ってみるのも面白いと感じた。
 その後は、高速道路の渋滞を案じて、早めに伊勢自動車道へ乗ることとした。来た道を戻って、同じ久居インターから、高速道路に入ったが、すでにかなり混み合っていて、まだ昼前なのに亀山ジャンクションの手前で、完全に渋滞にはまってしまった。仕方がないので、亀山パーキングのスマートインターから下道に降り、国道306号線を北上することとする。
 途中からは、広域農道(フラワーロード)へ乗り換え、四日市街へ出て、昼食をとり、食後は国道23号線を北上したが、結構混んでいて時間がかかった。それで、その他に立ち寄ろうとしていた予定をすべてキャンセルせざるを得なくなってしまう。
 木曽川を越え、愛知県に入ってからは順調に走り、途中から名古屋第二環状線に乗って進み、途中で買い物をしてから実家に戻ったが、結構疲れた。 

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2018年元旦の初詣

2018年01月01日 | 旅行
いつも正月に帰省した時には、元旦に家族そろって初詣に行くことにしている。昨年は伊賀国一の宮「敢国神社」、一昨年は三河国一の宮「砥鹿神社」、三年前は美濃国一の宮「南宮大社」、四年前は尾張国一の宮「真清田神社」と参拝してきた。今年は、どこにしようかと思案したが、今まで一度も行ったことのない遠江国一の宮「小国神社」(静岡県周智郡森町)へ行ってみることにする。
 朝食後、自家用車に乗り、東名高速道路に入ってから、東へ進路を取った。途中から、新東名高速道路に乗り換えたが、新しい高速道路で、広めに作ってあり、トンネルも明るくて大きい。そんなに混んでもなく、天気も良かったので、快適に走って、10時前には掛川・森インターで下りることが出来た。
 しかし、「小国神社」に近づくと車の台数が増え、1km以上前から、完全に渋滞にはまってしまう。駐車場が少ないのか、ちっとも前に進めず、1時間近くかかって、やっと神社の無料駐車場に車を入れることが出来た。
 鳥居をくぐって、表参道から参拝しようとしたが、すでに多くの参拝客が列をなしていて、とても前に進めそうもない。仕方がないので、列に並ぶのをあきらめ、裏道からいって、社殿の陰から参拝して済ませることにする。
 それでも、結構の時間を費やして、昼を過ぎてしまったので、早々に引き返すことにして、再び掛川・森インターから新東名高速道路に乗って帰途に着いた。
 途中の浜松サービスエリアに立ち寄って、昼食を食べようとしたが、ここもとても混んでいて、なかなか席が見つけられそうもなく、あきらめて次のパーキングエリアへ向かうことにする。
 次の長篠設楽原パーキングエリアは、比較的空いて、すぐに席も見つかり、昼食を取ることが出来て、ほっとする。このパーキングエリアは、設楽原の古戦場に隣接していて、階段を登ると織田信長の本陣跡(茶臼山)まで行けると案内が出ていた。そこで、食後の腹ごなしを兼ねて、本陣跡(茶臼山)まで登ってみたが、頂上には、小さな祠と碑が立っていて、古の合戦を偲ぶことが出来た。
 その後は、順調に走って、途中で買い物をしてから実家に戻ったが、少々疲れた。 

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青春18きっぷでの帰省途中

2017年12月30日 | 旅行
いつも正月は、自家用車で愛知県の実家まで、帰省しているのだが、年末は大渋滞が予想されるので、今回は、「青春18きっぷ」を使って、のんびりと鉄道で帰ってみることにした。
 早朝に自宅を出発し、上野・東京ラインの新快速に乗り換えて、まずき東海道線を西へと向かった。天気は良くて、陽が昇ってくると、車窓からはきれいな富士山が見えるようになってきた。昔は、もっと見晴らしがよかったのだろうが、近年は高いビルも増えて、見え隠れしながら眺めることとなった。
 朝9時には、国府津駅に到着し、きれいな富士山が見たくなったので、御殿場線へ乗り換えることとした。案の定、小田原市北部の辺りからは、すばらしい富士山が車窓に見えるようになり、眺望の良いところで、写真を撮っていった。御殿場駅で乗り換え、沼津駅には、10時半過ぎの到着となって、1時間半以上かかり、ずいぶん遠回りとなったが、車窓からのすばらしい富士山の眺望を楽しめたので良しとした。
 しかし、沼津駅からの静岡駅行きの普通列車は満員で、最初は座ることもできず、荷物を抱えて難渋したが、吉原駅でなんとか座席が空いてほっとした。
 続いて、静岡駅から浜松駅行きの普通列車に乗り換えたが、これも満員で、しばらくたたされることとなった。それでも、車窓の移り行く風景を見ながら気を紛らわせた。これも、掛川駅からは、座ることが出来、なんとか12時過ぎに浜松駅へ到着した。
 腹も減っていたので、途中下車して昼食を取ることにしたが、なかなか適当なところが見つからず、吉野家の牛丼を食べることになったが、時間が制約されているので、致し方ないところか.....。
 食後は、再び浜松駅に戻り、豊橋駅行きの普通列車に乗ったが、これは空いていたので、ゆったりと座ることが出来た。豊橋駅からは、大垣駅行の新快速に乗り換えたが、これも始発だったので、難なく座ることが出来、三河湾の美しい風景も見ながら、西へ西へと快適に走っていった。
 金山駅で降りて、中央線へと乗り換え、暗くなる前には、実家に着くことが出来たが、長時間座り続けたので、尻が痛くなった。それでも、久しぶりの普通列車の旅で、天気も良く車窓のきれいな景色も堪能し、まずまずの旅路だった。

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旅の豆知識「続日本100名城」

2017年10月27日 | 旅の豆知識
 日本には、かつて多くの城があり、軍事、政治、経済などにいろいろな役目を果たしてきました。その城跡は全国に残り、旅先で訪れることも少なくないと思います。
 近年は、城郭に関する関心が高まり、城ブームといえるような状況もあって、訪問者が増加していいました。そんな中で、財団法人日本城郭協会によって、2006年(平成18)に「日本100名城」が選定され、城めぐりの一助となっていましたが、それに漏れた城郭の中にも、良いところがたくさんあり、「なぜこの城が選定されていないのか?」というような要望も寄せられていたのです。
 そこで、2017年(平成29)4月6日の「城の日」に、同協会から追加の選定が、「続日本100名城」として発表されました。公式ガイドブックの出版やスタンプラリーの実施も予定されていますので、これらを訪れてみるのも良いかと思います。
 
〇「続日本100名城」とは?
 続日本100名城は、財団法人日本城郭協会が2017年(平成29)4月6日の「城の日」に発表したものです。すでに、2006年(平成18)2月13日に、同協会により「日本100名城」が選定されていましたが、それに続くものとして選定を求める声があり、同協会の設立50周年の記念事業の一環として行われました。今回は、協会の会員やファンからの推薦を受けた上で、約500城の候補から、小和田哲男日本城郭協会理事長他5人の専門家が選定を行い、前回100選で史実に即して復元されていないとして落選した城も選定されたのです。「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「地域・時代の代表」といった点を基準にしつつ、数の制限のために惜しくも「日本100名城」に収録できなかった城郭が選ばれていますが、前回同様、各都道府県に少なくともひとつ以上の城が入るようにされました。尚、「続日本100名城」公式ガイドブックの出版、スタンプラリーの実施が予定されています。

☆「続日本100名城」一覧

<北海道>
101 志苔館(北海道函館市) 国の史跡
102 上ノ国勝山館(北海道檜山郡上ノ国町) 国の史跡

<東北>
103 浪岡城(青森県青森市) 国の史跡
104 九戸城(岩手県二戸市) 国の史跡
105 白石城(宮城県白石市)
106 脇本城(秋田県男鹿市) 国の史跡
107 秋田城(秋田県秋田市) 国の史跡
108 鶴ヶ岡城(山形県鶴岡市) 国の史跡、日本さくら名所100選
109 米沢城(山形県米沢市) 県の史跡
110 三春城(福島県田村郡三春町) 町の史跡
111 向羽黒山城(福島県大沼郡会津美里町) 国の史跡

<関東>
112 笠間城(茨城県笠間市) 市の史跡
113 土浦城(茨城県土浦市) 県の史跡
114 唐沢山城(栃木県佐野市) 国の史跡
115 名胡桃城(群馬県利根郡みなかみ町) 県の史跡
116 沼田城(群馬県沼田市) 県重文
117 岩櫃城(群馬県吾妻郡東吾妻町)
118 忍城(埼玉県行田市) 県の史跡
119 杉山城(埼玉県比企郡嵐山町) 国の史跡
120 菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町) 国の史跡
121 本佐倉城(千葉県印旛郡酒々井町) 国の史跡
122 大多喜城(千葉県夷隅郡大多喜町) 県の史跡
123 滝山城(東京都八王子市) 国の史跡
124 品川台場(東京都港区) 国の史跡
125 小机城(神奈川県横浜市)
126 石垣山城(神奈川県小田原市) 国の史跡

<甲信越>
127 新府城(山梨県韮崎市) 国の史跡
128 要害山城(山梨県甲府市) 国の史跡
129 龍岡城(長野県佐久市) 国の史跡
130 高島城(長野県諏訪市) 市の史跡、三大湖城
131 村上城(新潟県村上市) 国の史跡
132 高田城(新潟県上越市) 県の史跡、日本さくら名所100選
133 鮫ヶ尾城(新潟県妙高市) 国の史跡

<北陸>
134 富山城(富山県富山市)
135 増山城(富山県砺波市) 国の史跡
136 鳥越城(石川県白山市) 国の史跡
137 福井城(福井県福井市)
138 越前大野城(福井県大野市) 県の史跡
139 佐柿国吉城(福井県三方郡美浜町) 町の史跡
140 玄蕃尾城(福井県敦賀市) 国の史跡

<東海>
141 郡上八幡城(岐阜県郡上市) 県の史跡
142 苗木城(岐阜県中津川市) 国の史跡
143 美濃金山城(岐阜県可児市) 国の史跡
144 大垣城(岐阜県大垣市) 市の史跡
145 興国寺城(静岡県沼津市) 国の史跡
146 諏訪原城(静岡県島田市) 国の史跡
147 高天神城(静岡県掛川市) 国の史跡
148 浜松城(静岡県浜松市)
149 小牧山城(愛知県小牧市) 国の史跡
150 古宮城(愛知県新城市) 市の史跡
151 吉田城(愛知県豊橋市)
152 津城(三重県津市) 県の史跡
153 北畠氏館(三重県津市) 国の史跡
154 田丸城(三重県度会郡玉城町) 県の史跡
155 赤木城(三重県熊野市) 国の史跡

<近畿>
156 鎌刃城(滋賀県米原市) 国の史跡
157 八幡山城(滋賀県近江八幡市)
158 福知山城(京都府福知山市) 市の史跡
159 芥川山城(大阪府高槻市)
160 飯盛城(大阪府大東市)
161 岸和田城(大阪府岸和田市) 国の名勝
162 出石城・有子山城(兵庫県豊岡市) 市の史跡 / 国の史跡
163 黒井城(兵庫県丹波市) 国の史跡
164 洲本城(兵庫県洲本市) 国の史跡
165 大和郡山城(奈良県大和郡山市) 県の史跡
166 宇陀松山城(奈良県宇陀市) 国の史跡
167 新宮城(和歌山県新宮市) 国の史跡

<中国>
168 若桜鬼ヶ城(鳥取県八頭郡若桜町) 国の史跡
169 米子城(鳥取県米子市) 国の史跡
170 浜田城(島根県浜田市) 県の史跡
171 備中高松城(岡山県岡山市) 国の史跡
172 三原城(広島県三原市) 国の史跡
173 新高山城(広島県三原市) 国の史跡
174 大内氏館・高嶺城(山口県山口市) 国の史跡

<四国>
175 勝瑞城(徳島県板野郡藍住町) 国の史跡
176 一宮城(徳島県徳島市) 県の史跡
177 引田城(香川県東かがわ市) 市の史跡
178 能島城(愛媛県今治市) 国の史跡
179 河後森城(愛媛県北宇和郡松野町) 国の史跡
180 岡豊城(高知県南国市) 国の史跡

<九州>
181 小倉城(福岡県北九州市)
182 水城(福岡県大野城市) 特別史跡
183 久留米城(福岡県久留米市) 県の史跡
184 基肄城(佐賀県三養基郡基山町) 特別史跡
185 唐津城(佐賀県唐津市)
186 金田城(長崎県対馬市) 特別史跡
187 福江城(長崎県五島市) 県の史跡
188 原城(長崎県南島原市) 国の史跡
189 鞠智城(熊本県山鹿市) 国の史跡
190 八代城(熊本県八代市) 国の史跡
191 中津城(大分県中津市) 県の史跡、三大水城
192 角牟礼城(大分県玖珠郡玖珠町) 国の史跡
193 臼杵城(大分県臼杵市) 県の史跡
194 佐伯城(大分県佐伯市) 県重文
195 延岡城(宮崎県延岡市) 市の史跡
196 佐土原城(宮崎県宮崎市) 国の史跡
197 志布志城(鹿児島県志布志市) 国の史跡
198 知覧城(鹿児島県南九州市) 国の史跡

<沖縄>
199 座喜味城(沖縄県中頭郡読谷村) 世界遺産、国の史跡
200 勝連城(沖縄県うるま市) 世界遺産、国の史跡

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旅の豆知識「油田」

2017年10月12日 | 旅の豆知識
 旅行先で、油田跡を目にしたことはないでしょうか。かつては、新潟県や秋田県などに多くの油田があり、盛んに採掘されていました。
 以前から、自動車や飛行機、気動車、原動機、発電用、家庭用などの燃料として、工業製品の原材料として多くの需要があり、太平洋戦争中は、海外からの輸入も制限されたので、国内生産にも重きを置かれました。しかし、戦後の高度経済成長期に、国内エネルギーの石油への転換がはかられ、大量に必要となると安価な海外産にも押され、国内の産出量も減少してしまいますが、現在でも細々と国内生産は続けられているのです。
 近年、閉鎖されてしまった産油施設(鉱場)を産業遺跡として保存しようとする動きもあり、かつての産油地には、「石油資料館」なども出来て、見学できるようになりました。中には、採掘用の櫓や機械が残されていたり、石油が出ている油井が見学できるところもあったりするので、機会があれば、立ち寄ってみることをお勧めします。

〇「油田」とは?
 地層の中で原油(一部はガス)が連続的に存在する部分を油層といい、油層が分布する地域を油田と呼んでいます。油田から石油やガスを採掘しているところを鉱場といいました。
 日本では、奈良時代に編纂された『日本書紀』の天智天皇7年(668年)7月に、「越の国、燃ゆる土、燃ゆる水とを献ず」と記されていますが、この地から自然に湧出した原油を献上したものと言われています。
 古来から、自然に湧出した原油は「臭水、草水(くそうず)」などと呼ばれて知られていました。しかし、国内の油田の本格的な利用は、明治時代以降のこととなり、新潟県の東山油田、西山油田、新津油田などの開発が先行します。大正時代になると、秋田県の黒川油田、豊川油田なども開発されますが、産油量日本一は、新津油田となりました。
 昭和時代になると、秋田県の八橋油田が開発され、日本最大の油田となりますが、北海道の石狩油田なども開発されたのです。
 太平洋戦争後は、海外から安い原油が入ってくるようになり、国内の産油量も減少して、国内需要の1%未満しか賄えないようになりました。それでも、現在も国内数ヶ所の油田で採掘が継続され、油田の探査も続けられています。

☆見学できる油田のお勧め

(1)豊川油田(秋田県潟上市)
 ここでは、江戸時代から明治時代にかけて天然アスファルト(土瀝青)が採取されて利用されてきた歴史がありました。その中で、明治時代前期の1882年(明治15)から石油開発の探査が進められ、1913年(大正2)に、油田の出油に成功したのです。翌年には出油井が5坑井となり、日産5.4klの原油を生産しましたが、多くの石油会社が参入してくるようになりました。しかし、1921年(大正10)には、ほとんど日本石油(株)で操業が行われるようになり、生産量は年間87,000klに達し、掘られた油井の数は718本と有数の油田地帯となります。その後は、生産量が減少していき、1933年(昭和8)には、年間生産量は約2万klとなり、最盛期の4分の1にまで落ち込み、1940年(昭和15)には、開発井の掘削が中止され、以降は採油作業のみとなりました。1942年(昭和17)から1955年(昭和30)までは帝国石油(株)によって油田操業が行われ、それ以降は、東北石油(株)によって操業が継続されます。2001年(平成13)には、原油の生産は中止されましたが、若干の天然ガスの生産は続けられていました。そんな中で、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」に認定され、2009年(平成21)5月10日の「地質の日」には、「日本の地質百選」にも選定されています。現在、ここを管理する「東北石油(株)」の事務所に隣接して、豊川油田の展示室が設けられました。ここには、当時の写真も展示され、わかりやすく解説されていますし、近くには採掘用の機械類も残されています。また、豊川油田跡すぐ近くの池が天然アスファルトの採掘場跡で、日本のアスファルト発祥の地とされていました。

(2)院内油田(秋田県にかほ市)
 昔の由利郡院内村の東には、字名を「臭津(くそうず)」という丘陵地帯があり、古くから石油の露頭があったことが知られていました。明治時代前期の1878年(明治11)に、日本政府に招聘され、各地域で鉱物の資源調査を行っていた地質学博士ベンジャミン・ライマンが、ここを調査して良好な油層を発見します。大正時代になって、1922年(大正11)に、大日本石油鉱業が上小国地区で試掘し、翌年には採油を開始しました。1925年(大正14)には、日本石油、旭石油などが相次いで油田の開発を行います。1931年(昭和6)に仁賀保に平沢製油所を建設し、1945年(昭和20)には、年産11万klに達し最盛期を向かえました。100基以上が稼働していた国内最大規模の油田でしたが、太平洋戦争後は、徐々に生産量が減少していき、1988年(昭和63)には秋田石油鉱業に経営権が移行し、1995年(平成7)に閉山となったのです。その後、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定され、現在油田跡は、にかほ市によって、案内板が立てられ、「院内歴史の里」巡りのコースの一部となりました。原油を採取していたやぐら跡やポンピングパワー棟(院内油田の採油方式)が当時のまま残されていて見学出来、貴重な産業遺産となっています。

(3)黒川油田(新潟県胎内市)
 奈良時代に編纂された『日本書紀』の天智天皇7年(668年)7月に、「越の国、燃ゆる土、燃ゆる水とを献ず」と記されていますが、この地から自然に湧出した原油を献上したものと言われていて、「臭水油坪(くそうずあぶらつぼ)」(国史跡)と横たて穴の油井戸が当時のまま保存されており、日本最古の油田とされています。毎年7月には「燃水祭」を行い、天智天皇が祭られる 近江神宮(滋賀県)に採油したを献上しているとのことでした。明治時代になるとここでも原油の採掘が本格的に始まり、近代的で安全な油井戸の掘方を教えてくれる人を探していました。そんなおり、1873年(明治6)に、村松浜の豪商平野安之丞が、長崎にいたシンクルトンをつれてきて、採油法を指導したのです。シンクルトン井戸(明治の手掘井戸)が残されていますが、木枠をはめた安全な井戸の造り方を教授したもので、深さは10mほどあり、当時の木枠がくさらずに残っています。1891年(明治24)には、手掘りに替わって機械掘りが始まりました。昭和時代前期の1940年(昭和15)頃に最盛期を迎え、昭和30年代には、小学校の給食をつくる際の燃料にも使用されていたとのことです。しかし、1955年(昭和30)頃から産出量が減りだし、1980年(昭和55)頃に黒川油田は、生産を終えました。今も原油が出ていますが、量が少なく、精製するのに手間どることから採油する人はいません。このような経緯から、1996年(平成8)に「シンクルトン記念公園」(日本最古の油田跡公園)が建設され、その中に「シンクルトン記念館」がオープンしました。館内では、日本最古の石油史資料、採油資料が展示され、ハイビジョンで旧黒川村(胎内市)の歴史や文化、胎内の大自然を紹介しています。また、アラブ首長国連邦の子供たちから送られた絵なども展示されていました。公園内には、いくつかの油井戸が残り、タール状の原油が出ているのがわかります。

(4)新津油田(新潟県新潟市秋葉区)
 この地域には、昔から石油が地表ににじみ出しているところがあって、草水(くそうず)と呼ばれ、越後七不思議の一つにも数えられていました。江戸時代以前から、表層付近ににじみ出る原油の採取が行われていましたが、その採掘権は「草水稼人」に独占されていましたが、江戸時代後期の1804年(文化元)に、中野次郎左衛門(貫一の曾祖父)が草生水油採掘権を買い取り「草水稼人」となったのです。明治時代になると、1874年(明治7)に金津村の中野貫一は、借区開坑願を政府に提出し、翌年、認められて開坑し、石油精製の許可を申請して、この地方の原油の精製販売を始めました。最初は、手掘りの採油が長く行われてましたが、1893年(明治26)頃から上総掘りが成功し、採油深度も120~330mまでと深くなっていきます。1899年(明治32)には、日本石油が綱式機械掘りを熊沢鉱場で開始し、採油量は飛躍的に増大しました。その後、1902(明治35)年の日露戦争は、石油の需要を伸ばして、石油産業を発展させ、明治時代末期には、殖産興業の進展も相まって、消費量の増加により、中・小の採掘企業及び個人の採掘場が100前後に達し、採掘の機械化も進展します。そして、1917年(大正6)には、年産12万klを達成して、産油量日本一となり、全盛期を迎えました。しかし、その後は採油量が減少していき、1980年代には、組織的な採掘がほぼ終了し、1996年(平成8)3月には、最後の井戸の採掘が終了したのです。そこで、当時の新津市では実際に使われた石油の採掘・精製施設を産業文化遺産として、そして石油井戸により自然のままに保全されてきたみどり豊かな森林を環境保全林として後世の人々に伝えるために「石油文化遺産施設」として整備することになりました。石油王として隆盛を極めた「中野邸記念館」(中野家の屋敷跡)を中心に、機械掘り3号井をはじめとする石油井戸が25基、全国でも珍しいポンピングパワ-(シ-ソ-の原理を使って石油を汲み上げる施設)、水切りタンク・加熱炉などの石油精製・備蓄施設を保存し、「石油の世界館」「古代館」をつくって、「石油の里公園」としたのです。「石油の世界館」の石油資料展示室では、模型やパネルを使って、石油の歴史や採掘の技術などをわかりやすく展示し、建物中央では、新津の石油採掘に大きく貢献した、上総掘り油井の3分の2の模型をみることが出来ます。また、「古代館」は、石油の生成された同時代に生息していた恐竜をモチーフした休憩ホールとなりました。尚、2007年(平成19)5月に、日本の地質百選に選定そされ、同年11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されています。

(5)尼瀬油田(新潟県三島郡出雲崎町)
 日本海に面する尼瀬海岸には、古くから油が漂着する事例が見られたことから、石油の存在が確認されていました。「尼瀬町絵図」には、草水潤(くそおずのま)という地名も記されています。明治時代になり、1891年(明治24)に、石坂周造らによって日本で初めて機械による掘削が成功したことから、この地が“石油産業発祥の地”とされました。その後、海面を埋め立て、世界初の海底油田として操業を行う油田も出現するなど発展し、最盛期は、1889年(明治22)~1899年(明治31)の10年間で、20世紀初頭の日本の石油資源を支える油田の一つとなったのです。しかし、太平洋戦争前後から採掘量が激減し、1951年(昭和26)には日産44L、1985年(昭和60)には日産9Lとなり、採掘は終了しました。この地は、1966年(昭和41)に、「石油産業発祥地記念公園」として整備が進められ、翌年には、「石油記念館」も開館されたのです。現在は、隣接地に「道の駅越後出雲崎天領の里」がつくられ、2005年(平成17)4月1日に「天領出雲崎時代館」に併設した「出雲崎石油記念館」としてリニューアルオープンしました。館内には、古代石油発見期から近代ロータリー式掘削法にいたる推移、石油精製品や行程、石油化学製品のできるまでの工程、灯具、各種国内油田の地層、原油等が展示され、映像・音声・アクションによって、理解できるような展示になっています。公園内には、近代化産業遺産に認定されている“綱堀式石油井戸C-2号”があり、これは廃坑作業後に、1987年(昭和62)に施設保存のために、同じ場所で地下部を密閉し、井戸芯を9m残した状態で櫓とポンピングパワーを復元したものでした。

(6)相良油田(静岡県牧之原市)
 明治時代前期の1872年(明治5)2月に、海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた元徳川藩士の村上正局によって発見されたことに始まります。翌年に菅ヶ谷新田、時ヶ谷、大知ヶ谷の3ヵ所に鉱区を取得し、手堀り掘削を開始しました。1874年(明治7)には、米国から蒸気機関による「綱堀り機」を購入し、日本初の機械掘りの油井が始まります。1881年(明治14)12月には、石坂周造が相良油田会社を設立しました。1884年(明治17)頃の最盛期には、約600人が働き、年間721klが産出されていましたが、色が琥珀色で、極めて良質の石油として有名だったとのことです。また、手堀りも継続して行われ、1916年(大正5)年頃には手堀井が150坑を数えました。しかし、大正時代以降は、産油量が減少し、太平洋戦争後は衰退して、次々と井戸は取り壊され、1955年(昭和30)年に完全廃坑となります。その後、1980年(昭和55)11月28日には静岡県指定文化財(天然記念物)となり、今では「油田の里公園」として周辺が整備され、園内に「相良油田資料館」が開館しました。館内では、相良油田の歴史を知ることができ、明治時代の手堀りの様子を人形で再現し、機械堀りの様子や菅山(すげやま)地域の状況などをも再現しています。また、産業技術遺産としての相良油田の文化や先人の知恵と汗による偉業を知ることが出来る資料等が展示解説されました。公園内には、1950年(昭和25)に開坑した機械堀井戸(相良油田最後の石油坑)の1つが保存され、手掘井戸の小屋など珍しい施設も再現されています。尚、2007年(平成19)11月30日には、近代石油産業発祥の地として、経済産業省の「近代産業遺産」に認定されました。

☆日本の主要な油田一覧

<北海道>
・茨戸油田(北海道) 1956年発見 1958年生産開始 1971年生産終了
・釧路油田(北海道) 調査中 (JX石油開発)
・勇払油ガス田(北海道) 1989年発見 1994年生産開始 【稼働中】

<東北>
・豊川油田(秋田県) 1913年発見 1913年生産開始 2001年生産終了
・鮎川油ガス田(秋田県) 1989年発見 1995年生産開始 【稼働中】
・由利原油ガス田(秋田県) 1976年発見 1984年生産開始 【稼働中】
・申川油田(秋田県) 1958年発見 1959年生産開始 【稼働中】
・八橋油田(秋田県) 【稼働中】
・院内油田(秋田県) 1878年発見 1923年生産開始 1995年生産終了
・余目油田(山形県) 1960年発見 1960年生産開始 【稼働中】

<中部>
・黒川油田(新潟県) 1980年頃生産終了
・尼瀬油田(新潟県) 1891年生産開始 1980年代生産終了
・大面油田(新潟県) 1916年生産開始 1963年生産終了
・新津油田(新潟県) 1874年生産開始 1996年生産終了
・岩船沖油田(新潟県) 1983年発見 1990年生産開始 【稼働中】
・東新潟油ガス田(新潟県) 1959年発見 1959年生産開始 【稼働中】
・阿賀沖油ガス田(新潟県) 1972年発見 1976年生産開始 1998年生産終了
・田麦山油田(新潟県) 1957年発見 1958年生産開始 生産終了
・南桑山油田(新潟県) 2004年から試験生産
・南長岡油ガス田(新潟県) 1979年発見 1984年生産開始 【稼働中】
・浅川油田(長野県) 1973年生産終了
・相良油田(静岡県) 1873年発見 1874年生産開始 1955年生産終了

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旅の豆知識「炭鉱」

2017年10月11日 | 旅の豆知識
 旅行先で、炭鉱跡を目にしたことはないでしょうか。かつては、北海道の夕張地方や九州の筑豊地方などに多くの炭鉱があり、盛んに採掘されていました。
 昔は、発電用、製鉄用、蒸気機関の燃料、家庭用の燃料などとして、多くの需要があったのですが、戦後の高度経済成長期に、国内エネルギーの石油への転換がはかられ、安価な海外炭にも押されて、次々と閉山してしまったのです。
 しかし、それらの産業遺跡を保存しようとする動きもあり、かつての産炭地には、「石炭博物館」なども出来て、見学できるようになりました。中には、坑道の一部に入れるようにしてあるところもあったり、模擬坑道を造って、再現しているところもあるので、機会があれば、立ち寄ってみることをお勧めします。

〇「炭鉱」とは?
 石炭・亜炭を採掘する鉱山のことですが、採掘した原炭を選別して商品として積出す付属施設を含んでいます。坑内掘りと露天掘りに大別されますが、日本の炭鉱はほとんどが前者でした。
 石炭は、室町時代の古文書に出てきて、そのころから家庭用に採掘されたと考えられています。江戸時代には、藩で開発するようにもなり、製塩用などに使用されていました。明治時代になるとに三池炭鉱や高島炭鉱は官営で開発されるようになり、その後民間に払い下げられたのです。この頃から、蒸気機関の燃料や製鉄の原料などとして、石炭の需要は急激に高まり、本格的な開発が始まりました。北海道の石狩地方、福島県の磐城地方、山口県の宇部地方、九州北部などに炭鉱が増えていき、盛んに採炭されるようになります。太平洋戦争中に、一時採炭量が減りますが、戦後は回復したものの、国内エネルギーの石油への転換や安価な海外炭の増加などによって、1960年代頃から次々と閉山に追い込まれるようになりました。現在では、国内で坑内掘りを続けているのは、北海道釧路市の「釧路コールマイン」(旧太平洋炭鉱)だけとなり、露天掘りも数ヶ所残るのみとなっています。

☆見学できる炭鉱跡のお勧め

(1)夕張炭鉱(北海道夕張市)
 北炭夕張炭鉱は、最盛期の1960年代には、年間100~150万tの出炭量を誇った日本有数の炭鉱でした。しかし、エネルギー政策転換によって、1977年(昭和52)に閉山させられることになります。その炭坑の跡は、現在では「石炭博物館」という文化施設となり、見学することが可能です。石炭と炭鉱のテーマに分け、石炭の生成から開発、利用など技術や労働、生活を実物の資料、坑道、石炭層などから紹介しています。採炭現場の動態展示など石炭産業関連としては世界でも有数の博物館です。周辺には、「幸福の黄色いハンカチ」想い出ひろばがあり、映画撮影で使われた炭坑住宅なども残され、繁栄時の様子を追想することが可能です。

(2)常磐炭鉱(福島県いわき市)
 常磐炭田は、明治維新の頃に、神永喜八、片寄平蔵らにより発見されました。そして、明治時代前期の1870年代から、茨城県北部~福島県浜通り南部にかけての海岸線に面する丘陵地帯にかけて、大規模な炭鉱開発が行われたのです。これは、首都圏に最も近い炭鉱としての地の利があったためでしたが、硫黄分を多く含有した低品位炭という不利な条件がありました。その上、地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下深層部へ掘り下げなければならず、高い掘削技術を要したのです。このような条件下で、太平洋戦争後の高度経済成長期になると、各鉱は採算が次第に悪化し、最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する炭鉱も1976年(昭和51)に閉山せざるを得なくなりました。尚、常磐興産は、炭鉱から出ていた温泉を活用し、炭鉱従業員の雇用先として、「常磐ハワイアンセンター」(現在のスパリゾートハワイアンズ)をオープンさせたことは有名です。その後、1984年(昭和59)10月18日に「いわき市石炭・化石館」が開館し、いわき市が産炭地として繁栄した当時の資料と、市内で発掘された動植物化石と世界の貴重な化石資料を併せて展示しています。また、2007年(平成19)に経済産業省により、常磐炭田が近代化産業遺産として認定されました。今でも、みろく沢炭鉱資料館、石炭発見の地、加納作兵の碑、片寄平蔵の碑、宮沢炭砿長屋、常磐炭礦住吉一坑跡などを巡ると常磐炭鉱の面影を感じることが出来ます。

(3)宇部炭鉱(山口県宇部市)
 ここでは、江戸時代前期から、瀬戸内の製塩用に細々と石炭の採掘が行われていたと思われます。しかし、江戸時代後期の19世紀後半には、山口藩による石炭局開設を機に採掘が本格化しました。明治時代になると炭鉱は民間の手に移り、東見初炭鉱、沖ノ山炭鉱、長生炭鉱などに複数の資本が参入し、開発が進められたのです。その後、太平洋戦争の期間を通じて買収や合併が進み、現在の宇部興産の一部となりましたが、1967年(昭和41)に閉山しました。宇部市内のときわ公園には、1969年(昭和44)に、日本初の石炭記念館としてオープンした「石炭記念館」があります。その展望台は、宇部興産東見初炭坑で閉山まで使用されていた立坑櫓を移設設置したものでした。野外展示としては、石灰石輸送の貨車用で活躍したD51型蒸気機関車をはじめ、矢弦車、坑道で使われた人車や坑内石炭運搬車、鉱業所で使われたランカシャボイラーや巻上機などがあります。屋内の1階展示室には、明治時代から閉山まで実際に使用されていた採炭用機械等が展示され、宇部炭鉱の坑道や採炭現場が再現されていました。2階展示室には、炭坑の保安道具や炭坑で使用された小道具、各炭田出土のいろいろな化石を中心に展示し、宇部炭田の歴史と民俗についてもわかりやすく紹介しています。また、2007年(平成19)に経済産業省により、近代化産業遺産として宇部炭鉱関連遺産が選定されました。長生炭鉱が存在した海上には、吸・排気や排水を担っていた巨大なコンクリート構造物(ビーヤー)2基が残るほか、石碑もあり、本山炭鉱の斜坑坑口跡や市内の各所にかつての炭鉱住宅が散在しています。

(4)筑豊炭鉱(福岡県直方市・田川市など)
 筑豊炭田は、室町時代頃から、家庭用に採炭が始まり、江戸時代には製塩の燃料とされていました。明治時代以降、蒸気機関の燃料や製鉄の原料などとして、石炭の需要は急激に高まり、本格的な開発が始まります。八幡製鉄所の創業が発展を加速させ、明治時代末期には全国出炭量の過半を占めるようになりました。これは、北九州工業地帯の重要な立地条件となり、日本の産業発展に大きく寄与したのです。戦時に出炭量が落ちましたが、太平洋戦争後は回復傾向にあったものの、エネルギーの石油への転換等により、1960年頃から石炭産業の斜陽化が急速に進展しました。最盛期には300近くあった炭鉱も、筑豊最大の三井田川をはじめ、三菱飯塚、日鉄二瀬、麻生、貝島など有力な炭鉱が次々に閉山していって、1983年(昭和58)には、稼行中の炭鉱はほぼ皆無となったのです。そんな中で、1983年(昭和58)にオープンした「田川市石炭・歴史博物館」(福岡県田川市)は、筑豊地方最大の炭鉱であった三井田川鉱業所伊田坑の跡地に出来たもので、日本のエネルギーを支えた筑豊炭田の石炭産業に関する資料を展示した石炭鉱業史の専門館でした。屋外展示スペースには実際に炭坑での作業に使われた電気機関車やトロッコ、炭坑用機械などが展示され、当時の炭鉱夫が暮らした標準的な炭鉱住宅が再現されています。また、この公園内には三井田川炭鉱の二本煙突と伊田竪坑櫓、筑豊地区で使われた蒸気機関車9600形(59684)と石炭用の貨車1両が保存されていました。館内の第1展示室では、「石炭をつくった新生代の植物のイラスト」・「三井田川鉱業所の歴史」・「手掘り採炭道具」・「採炭機械」・「坑道のジオラマ」・「川ひらた(川舟)・鉄道での石炭輸送」や、「石炭の利用」に関する資料などを展示し、石炭のなりたちや石炭採掘の様子、石炭産業の歴史がわかります。第2展示室では、「山本作兵衛コレクション」(ユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に登録)を展示し、第3展示室では、「田川地方の歴史と民俗」をテーマに、郷土の歴史資料を展示していました。尚、2007年(平成19)に経済産業省により、近代化産業遺産として筑豊炭田関連遺産(「田川市石炭・歴史博物館」、復元炭鉱住宅)が認定されています。

(5)三池炭鉱 宮原坑(福岡県大牟田市)
 この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われていたのです。明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発してきました。しかし、1889年(明治22)に払い下げられて、三井財閥の所有する所となり、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成したのです。太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に三井三池争議が勃発して、大きな社会問題となりました。1963年(昭和38)には、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出したことが知られています。その後、石炭需要の減少により、1997年3月30日閉山するに至りました。閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されています。また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されました。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されています。現地には、1995年(平成7)に開館した「大牟田市石炭産業科学館」が建っていました。館内は、三池炭鉱の歴史に関するの展示を見た後で、模擬坑道に入って、炭鉱内の様子を学べるようになっています。その入り口は坑道に下りるエレベーターのようになっていますが、中にはいると振動するだけで、実際に降下するわけではありません。その内部は、採炭用の機械が展示してあって、自動的に解説してくれます。中には、センサーで切り羽が回転するものもあって、結構工夫されていました。そこを、出て三池港の方へ行ってみましたが、展示の中には、石炭積出港として、人工的に造った港湾で、かつては石炭船でにぎわったとあったものの、現在は、人影もなく、かつての大型の石炭積出機がさび付いたまま放置されていたのです。貨車の引き込み線跡は、草ぼうぼうとなり、荒れ果てていて、かつての栄光今何処、海と岸壁だけが昔のままに静まっていました。

(6)端島炭鉱(長崎県長崎市)
 端島は、南北に約480m、東西に約160mで、面積は約6.3haの小さな島ですが、明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、最盛期の1960年(昭和35)には5千人以上の人口があり、東京以上の人口密度を有していました。炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していました。しかし、1974年(昭和49)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島となっています。遠景が軍艦に似ていることから、軍艦島とも呼ばれています。また、2007年(平成19)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定され、さらに、2015年(平成27)、端島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産(文化遺産)に登録されています。長崎港から数社によるクルーズ船が就航していて、上陸して見学することも可能です。

☆見学できる炭鉱跡一覧

<北海道>
・空知炭鉱(北海道歌志内市)関連施設の遺構、ズリ山(選炭の後、不純物や商品にならない石炭を積み上げた山)が見られる
・夕張炭鉱(北海道夕張市)「石炭博物館」(坑道見学もある)、関連施設や高松北炭夕張炭鉱専用鉄道などの遺構など

<東北>
・常磐炭鉱(福島県いわき市)「いわき市石炭・化石館」、「みろく沢炭鉱資料館」、宮沢炭砿長屋、常磐炭礦住吉一坑跡など

<中国>
・宇部炭鉱(山口県宇部市)「石炭記念館」、ビーヤー2基、石碑、本山炭鉱の斜坑坑口跡など

<九州>
・筑豊炭鉱(福岡県直方市)「直方市石炭記念館」、機関車の展示や救護訓練坑道など
・三池炭鉱 宮原坑(福岡県大牟田市)外観のみ自由公開だが、毎月一度内部を定期公開、「大牟田市石炭産業科学館」
・端島炭鉱(長崎県長崎市)軍艦島と呼ばれ、規定の見学コースか船での周遊観光(軍艦島クルーズ)がある
・池島炭鉱(長崎県長崎市)現場体験できる国内唯一の炭鉱施設で、元鉱夫の案内で坑内見学・機器の模擬操作体験等(要申し込み)
・高島炭鉱(長崎県長崎市)「長崎市高島石炭資料館」、炭鉱経営の拠点グラバー別邸跡、立坑の坑口の遺構などが残る
・三池炭鉱 万田坑跡(熊本県荒尾市)捲場建物は切妻二階建、イギリス積みのレンガ造で、巻胴はドイツで、無料区域と有料区域がある

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旅の豆知識「鉱山」

2017年10月10日 | 旅の豆知識
 旅行先で、鉱山を訪ねたことはありませんか。現在採掘されている事業所は、特別の場合でないとなかなか見学できませんが、廃鉱となってしまったところは、観光坑道や資料館などが作られて、坑道内を見学できたり、鉱山についていろいろと学ぶこともできるのです。中には、トロッコ列車に乗って、坑道の中に入り、電動人形によって、当時の採掘の様子が再現されているところも出来ました。
 鉱山で採掘された鉱物は、日常生活に欠かせない製品になっていることも少なくないので、いろいろと知っておきたいところです。
 旅行先で、鉱山を見学できる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみることをお勧めします

〇「鉱山」とは?
 「鉱山」とは、地中に存在する有用鉱物を探査・採掘し、選鉱(有用鉱物と廃石とを選別)・製錬(原料鉱石から必要とする金属を抽出し純度の高いものにすること)して、主として工業用の原料として供給する事業所の事で、基本的には日本の「鉱業法」に基づく鉱物を採掘する事業所に、採石場、石切場などを加えたものが広い意味での鉱山といえます。

・「鉱業法」第3条によれば法定鉱物とは次の41種とされています。
 金鉱、銀鉱、銅鉱、鉛鉱、蒼鉛(そうえん)鉱、錫(すず)鉱、アンチモニー鉱、水銀鉱、亜鉛鉱、鉄鉱、硫化鉄鉱、クローム鉄鉱、マンガン鉱、タングステン鉱、モリブデン鉱、砒(ひ)鉱、ニッケル鉱、コバルト鉱、ウラン鉱、トリウム鉱、燐(りん)鉱、黒鉛、石炭、亜炭、石油、アスファルト、可燃性天然ガス、硫黄(いおう)、石膏(せっこう)、重晶石、明礬石(みょうばんせき)、蛍石(ほたるいし)、石綿、石灰石、ドロマイト、珪石(けいせき)、長石、ろう石、滑石、耐火粘土(ゼーゲルコーン番号31以上の耐火度を有するものに限る)および砂鉱(砂金、砂鉄、砂錫その他沖積鉱床をなす金属鉱をいう)。

 しかし、有用鉱物を採掘する事業場は、金属鉱山(金、銀、銅、鉄などの金属鉱石を採掘)と非金属鉱山(石灰石、ドロマイト、硫黄、石膏、珪石、ろう石、耐火粘土などの非金属鉱物を採掘)に大別され、石炭を採掘する事業場は炭鉱、石油を採掘する事業場は鉱場と称して鉱山とは区別することが多いのです。
 日本では、『古事記』『日本書紀』などに神代の採鉱、精錬に関する記述がみられるほど歴史が古く、古代・中世・近世に至るまで、日本各地に鉱山が開発され、採掘が続けられてきました。しかし、最近50数年の間の鉱山の盛衰は劇的とも思えるほどの大きな変化を遂げています。金属鉱山の多くは、地下資源の枯渇と坑内条件の悪化や安価な海外産の輸入増加により、閉山に追い込まれるところが続出しました。これに対して、非金属鉱山の中の石灰石鉱山等は採掘が続けられています。これは、石灰石資源の豊富さ、技術の飛躍的向上および合理化の進展によるものと考えられています。現在では、金属鉱物の不足分は海外からの輸入に頼ることになりました。

☆見学できる鉱山跡のお勧め(炭鉱を除く)

(1)細倉鉱山跡(宮城県栗原市)
 ここは、金・銀・鉛・亜鉛を採掘していた鉱山で、その歴史は古く、平安時代前期の800年代から始まったと言われています。近年は、三菱マテリアル・細倉金属鉱業(株)によって採掘されてきましたが、1987年(昭和62)3月に閉山するに至りました。しかし、1990年(平成2)から、「細倉マインパーク」として、昔の坑道跡(777m・所要時間約1時間)が、観光用に再開発されていて、中を見学できるようになったのです。鉱山の歴史がいろいろと解説してあったり、人形模型によって採掘の様子を復元してあったり、「宇宙創生空間」という摩訶不思議なところもあって、なかなか面白いものでした。

(2)足尾銅山跡(栃木県日光市)
 この銅山は、室町時代に発見されたと伝えられていますが、江戸時代に幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになりました。銅山は大いに繁栄し、江戸時代のピーク時には、年間1,200トンもの銅を産出していたとのことです。その後、採掘量が減少し、幕末から明治時代初期にかけては、ほぼ閉山状態となっていました。しかし、1877年(明治10)に古河市兵衛が足尾銅山の経営に着手し、数年後に有望鉱脈が発見され、生産量が増大しました。1905年(明治38)に古河鉱業の経営となり、急速な発展を遂げ、20世紀初頭には日本の銅産出量の約40%の生産を上げるまでになりました。ところが、この鉱山開発と製錬事業の発展のために、周辺の山地から坑木・燃料用として、樹木が大量伐採され、製錬工場から排出される大気汚染による環境汚染が広がることになります。禿山となった山地を水源とする渡良瀬川は、度々洪水を起こし、製錬による有害廃棄物を流出し、下流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらし、鉱毒問題を引き起こしました。1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起をして、鉱毒事件の闘いの先頭に立ったことは有名です。1973年(昭和48)に閉山しましたが、今でも銅山跡周辺に禿山が目立っています。尚、現在は足尾銅山観光などの観光地となり、資料館や坑道が見学出来るようになり、国内最大級の坑内観光となりました。

(3)佐渡金山跡(新潟県佐渡市)
 江戸時代に幕府直轄の金山があった所で、幕府の財政を支える上で、大きな役割を果たすと共に、罪人の流刑地としても有名になりました。今では、「史跡佐渡金山」として、資料館ができ、坑道が観光用になり、電動人形によって、当時の採掘の様子が再現されています。金山遺跡のうち相川鉱山関係遺跡が「佐渡金銀山遺跡」として、1994年(平成6)に国の史跡に指定されました。また、大立竪坑櫓、大立竪坑捲揚機室、道遊坑及び高任坑、高任粗砕場などが「旧佐渡鉱山採鉱施設」として、2012年(平成24)に国の重要文化財に指定されています。

(4)土肥金山跡(静岡県伊豆市)
 この金山は、江戸時代に第一期黄金時代を迎えて盛んに採掘されたのです。その後、明治時代から昭和時代にかけては、第二期黄金時代を迎え、佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量があり、坑道の長さは総延長100km以上にも及びましたが、1965年(昭和40)に鉱量枯渇のため閉山しました。1972年(昭和47)からテーマパーク「土肥金山」として観光用に利用されています。金山資料館「黄金館」には、土肥金山に関する資料や鉱石などが展示され、ギネス世界記録にも認定された250kgの世界一の巨大金塊などもあり、観光坑道(350m・所要時間約30分)内には当時の鉱夫らの人形が再現されました。また、「砂金館」では、砂金採りの体験もできます。

(5)大森銀山跡(島根県大田市)
 大森銀山(石見銀山)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山でした。しかし、銀の産出量は減少し、明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱されましたが、昭和時代前期には、完全に閉山するに至ったのです。その後も銀山に関わる施設跡や町並みが残され、武家屋敷、商家、寺社などが往時の姿を留めているので。1967年(昭和42)に石見銀山は「大森銀山遺跡」として県指定史跡に指定され、さらに1969年(昭和44)には国から「石見銀山遺跡」として史跡に指定されたのです。さらに、1987年(昭和62)には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。また、2007年(平成19)には、温泉津と共に、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、世界遺産(文化遺産)に登録されたのです。中でも、石見銀山世界遺産センター(石見銀山関連の展示あり)、大久保間歩(ツアー形式により限定的に坑道を公開)、龍源寺間歩(観光坑道として常時公開)、代官所跡 (石見銀山資料館)、熊谷家住宅 (国の重要文化財)、旧河島家、渡辺家住宅、羅漢寺五百羅漢などを巡ってみると、当時の銀山の様子とその繁栄ぶりがわかって勉強になりました。

(6)別子銅山跡(愛媛県新居浜市)
 1690年(元禄3)に発見され、翌年から約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与した大鉱山でした。一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が巨大財閥となる礎となりましたが、1973年(昭和48)に閉山しています。しかし、1991年(平成3)6月5日に、銅山のテーマパーク「マイントピア別子」としてオープンし、現在は“端出場ゾーン”に本館があり、旧火薬庫を改造して作られた観光坑道(長さ333m・別子銅山の様子を再現)との間を、鉱山鉄道(日本初の山岳鉄道)が復元されて、別子1号が運行されています。また、標高750mの山中にある“東平ゾーン”には、銅にまつわる品々を展示する「東平歴史資料館」、レンガ造りの旧保安本部を活用して銅板レリーフなどを体験できる「マイン工房」、その他数々の産業遺跡が整備されていて、端出場ゾーンとの間を観光バス(要予約)で結んでいます。

☆見学できる鉱山跡一覧(炭鉱を除く)

<東北>
・八戸石灰鉱山[石灰石](青森県八戸市)住金鉱業が操業中。展望台は開放(団体・説明案内は要問合せ)
・尾去沢鉱山[銅他](秋田県鹿角市)坑道見学、資料館有り。
・阿仁鉱山[金・銀・銅](秋田県北秋田市)阿仁伝承館、選鉱設備や阿仁鉱山専用線の遺構。
・小坂鉱山[金・銀・銅・亜鉛・鉛](秋田県鹿角郡小坂町)小坂鉱山事務所、小坂製錬小坂線の遺構など。
・野田玉川鉱山[マンガン](岩手県九戸郡野田村)坑道見学。
・細倉鉱山[鉛・亜鉛](宮城栗原市)坑道見学、砂金堀り体験可能。
・高玉金山[金・銀](福島県郡山市)坑道見学・トロッコ有り。

<関東>
・日立鉱山[銅・硫化鉄](茨城県日立市)資料館、記念館。削岩機コレクション。
・足尾銅山[銅](栃木県足尾市)資料館、坑道見学・トロッコ有り。国内最大の坑内観光。

<中部>
・佐渡金山[金](新潟県佐渡市)。坑道見学、資料館有り。
・西三川砂金山[金](新潟県佐渡市)体験型資料館、砂金とり体験。
・土肥金山[金](静岡県伊豆市)坑道見学、温泉砂金掘り。
・神岡鉱山[亜鉛](岐阜県飛騨市)関連事業は操業中。坑道、スーパーカミオカンデ、カムランド施設の見学は年一度開催。
・尾小屋鉱山[銅・金](石川県小松市)資料館有り、マインロード(坑道)見学。

<近畿>
・明延鉱山[スズ・銅・亜鉛・タングステン](兵庫県養父市)坑道見学(要予約)、廃線の明神電車跡あり。
・神子畑鉱山[銀](兵庫県朝来市)明延鉱業の東洋一の選鉱所あり。
・生野鉱山[銀](兵庫県養父市)坑道見学(ガイドは要予約)、町並みや軌道跡など。

<中国>
・吹屋鉱山[黄銅・硫化鉄](岡山県高梁市)坑道見学。
・柵原鉱山[硫化鉄](岡山県久米郡美咲町)資料館有り、坑道見学は月に一度(要申し込み)
・石見銀山[銀](島根県大田市)坑道見学、石見銀山世界遺産センター、岩見銀山資料館。

<四国>
・別子銅山[銅](愛媛県新居浜市)坑道見学(復元された鉱山鉄道で巡る長さ333mの観光坑道)、砂金取り体験。

<九州>
・鯛生金山[金](大分県日田郡中津江村)坑道見学、地底博物館有り。砂金とり。道の駅が併設
・津久見鉱山[石灰岩](大分県津久見市)露天掘り操業中、見学会有り(要問合せ)
・薩摩金山[金・銀](鹿児島県いちき串木野市)焼酎メーカー・濱田酒造が運営する坑道見学(坑道が仕込み蔵)。

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旅の豆知識「ヘリテージング100選」

2017年10月09日 | 旅の豆知識
 旅行先で、近代的な建造物や建造物群を見て、「なつかしい」「めずらしい」「うつくしい」などと感じたことは、結構あるのではないでしょうか。そんなに古いものではないけれど、祖父から聞いたような感じだったり、昔の映画に出てきたような風景だったり、日本人の心に迫ってくるようなものが.....。
 その中で、「ヘリテージング」という言葉を聞いたことはないでしょうか。「遺産」を意味するヘリテージ(heritage)に(ing)を組み合わせた造語で、日本の近代遺産を楽しむというような意味で、ヘリテージング研究所を主宰する阿曽村孝雄が提唱したものです。
 近年、明治・大正・昭和前期(戦前)の日本の近代遺産を巡ってみる人が増えてきていて、そんな観光コースも各地で用意されるようになってきて、「ヘリテージング」という言葉も徐々に浸透してきました。
 そこで、2006年(平成18)に毎日新聞社が創刊135年を記念して、「ヘリテージング100選」というのを選定しています。いろいろな角度から、国内の近代遺産が100ヶ所選ばれていますので、旅先で立ち寄ってみるのも面白いかと思います。

〇「ヘリテージ100選」とは?
 毎日新聞社が創刊135年を記念して選んだ、100件の近代遺産のことです。日本全国から公募を行い、応募データに基づいて2006年(平成18)10月29日に選考委員会が開かれました。
 選考委員は、伊東孝(日本大学理工学部教授)、岸本葉子(エッセイスト)、増田彰久(写真家)、朝比奈豊(毎日新聞社常務取締役主筆)の4氏で、「懐かしさ」、「美しさ」、「珍しさ」という感動要素が味わえるかどうかが選考基準とされています。
 その後、毎日新聞紙上で、2006年(平成18)11月16日、12月26日、翌年1月24日の3回に分けて発表されました。後援は、国土交通省、文化庁、社団法人日本観光協会、財団法人日本ナショナルトラストで、企画にあたっては、株式会社博報堂とヘリテージング研究所が協力を行っています。

☆「ヘリテージ100選」のお勧め

(1)野外博物館北海道開拓の村(北海道札幌市厚別区)
 北海道開拓の村は、北海道百年を記念して、1983年(昭和58)野幌公園内に開村した北海道開拓時代の野外博物館で、54haの広大な敷地に、52棟の明治から昭和初期にかけての歴史的建造物が移築又は再現されています。また、夏季は馬車鉄道、冬季の土日祝日は馬そりを運行しているのです。村内を市街地・農村・山村・漁村の4エリアに分け、当時の情景も再現しているので、巡ってみると100年以上前の北海道にいる感じがしました。特に、明治時代後期に建てられた建造物が多く、旧札幌停車場、旧小樽新聞社、旧北海中学校、旧浦河公会会堂、旧島歌郵便局などを回ってみると明治時代の息吹が感じられます。近くに、「北海道博物館」もあり、併せて見学して、北海道開拓の歴史を学ぶことができました。

(2)小岩井農場(岩手県岩手郡雫石町)
 小岩井農場は、1891年(明治24)に創業され、創業者である小野義真(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)、三氏の頭文字からとって名付けられたものです。岩手山南麓に広がる火山灰土の原野を開墾して、現在では日本屈指の約3,000haの面積をもつ民間総合農場となりました。その規模を確認するためにわざわざ北方から進入してみましたが、その広大さは日本のものとは思われないくらいです。だんだん観光化されてきて、今日では入園料をとるようになりました。中に入って最初に、羊の囲いの中に入って、羊の頭をなでてみましたが、何種類かいるようです。とてものどかな牧場風景が好きで、しばらく羊と戯れていたら、そのうちに、シープアンドドックショウというのが始まりました。牧場犬のメリーが出てきて、ばらばらになっている羊をまとめ囲いに追い込むのです。なかなかみごとなもので、うまく羊を追い回して、みるみるうちに柵の中に入れてしまい、拍手喝采が起こりました。次に、羊に餌をやってみたが、何頭も先を争ってやって来て、ぺろりと平らげられてしまったのです。農場内にレストランもあり、昼食にバイキング定食を食べてから、牛舎、サイロ、展示資料館、乳業工場と見学しましたが、結構見ごたえがありました。尚、2017年(平成29)に、小岩井農場施設の建造物21棟(本部事務所、倉庫、乗馬厩、倶楽部、牛舎、サイロ、秤量場、冷蔵庫など)は重要文化財に指定されています。

(3)碓氷第三橋梁[通称:めがね橋](群馬県安中市)
 碓氷峠は、1893年(明治26)の開通以来、鉄道越えの難所で、急勾配を上るために、日本初のアプト式鉄道の導入や、日本初の幹線電化など、日本の鉄道史にとっても、とても重要なところでした。しかし、1997年(平成9)の北陸新幹線の長野までの開通によって横川~軽井沢が廃線となってしまいました。その当時の鉄道遺産と資料の保存と公開のためのテーマパークとしてつくられたのが、「碓氷峠鉄道文化むら」で鉄道資料館もあります。また、日本最大のレンガアーチ橋である「碓氷第3橋梁(めがね橋)」やトンネル、日本最初の変電機関車による列車運行を支えた「旧丸山変電所」などの碓氷峠鉄道施設を巡る遊歩道もあって、散策しながら見学できます。

(4)旧新潟税関庁舎(新潟県新潟市中央区)
 1858年(安政5)の日米修好通商条約の締結により、神奈川、函館、長崎、兵庫と並んで開港場の一つに選ばれた新潟は、1868年(明治元)に開港しました。翌年の1869年(明治2)に、関税業務を行う役所として、後に新潟税関となる新潟運上所がつくられたのです。旧新潟税関庁舎は、港町新潟を象徴する建物であり、開港当時の姿を今に伝えている貴重な建物なので、国の重要文化財に指定され、見学することができます。現在は、「新潟市歴史博物館」(みなとピア)の敷地内にあり、博物館本館の中では、新潟港開港に関する展示や税関に関する資料を見ることができます。

(5)大井川鐵道(静岡県島田市)
 1922年(昭和2)開業の大井川鉄道は1949年(昭和24)に本線が全線電化されるまで、蒸気機関車(SL)が活躍していました。電化されて一度は姿を消したSLですが、1976年(昭和51)に国鉄最後のSL、C11-227を「SL川根路号」として再び運転して復活したのです。現在ではSLの運転日、運転本数ともに国内ではもっとも多くなっりました。金谷駅から出発すると、幅広い大井川のゆったりとした流れに沿って、曲がりながらいくつもの鉄橋やトンネルをくぐりながら上流に向かって走ります。ここから、千頭駅までの本線区間39.5㎞がSL運行区間となり現在では毎日運行されているのです。千頭駅から先が井川線でミニ列車に乗り、深い渓谷を臨みながら、井川駅までの25.5㎞を走ります。途中、旧国鉄(現JR)をのぞく民鉄の中で日本一のノッポ橋(100m)といわれる関ノ沢鉄橋がありました。現在では長島ダム建設に伴う線路の付け替え工事によって、アプトいちしろ、長島ダム間1.5㎞に日本唯一のアプト式鉄道が敷かれさらに見所が増えています。終点の井川駅の先には、井川ダムが湖水に水をたたえ、眺望がすばらしく感動しました。

(6)琵琶湖疏水施設群(京都府京都市左京区、山科区、東山区)
 琵琶湖疏水は、琵琶湖の南岸(現在の滋賀県大津市三保ヶ崎)から取水し、長等山などをトンネルで抜け、京都市内へ通じる水路で、舟運、発電、上水道、灌漑を目的としてつくられました。田辺朔郎の設計、施工により、1885年(明治18)に工事が始まり、1890年(明治23)に大津から鴨川までの第一疏水(全長17.7km、幅6.4~11.5m、水深1.7m)が完成します。続いて、鴨川から宇治川までの鴨川運河は、1892年(明治25)に工事が始まり、1895年(明治28)に完成しました。さらに、第一疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走る第二疏水(全長7.4km,幅4m,水深3.1m)が、1908年(明治41)に着工し、1912年(明治45)に完成し、蹴上で第1疏水と合流するようになります。これらの開削工事は、西欧の近代的土木技術を取得した日本人技師による大規模な土木工事であり、明治時代における日本の土木技術水準の高さを示すものでした。そこで、1996年(平成8)に第一疎水の第一・第二・第三隧道の出入り口、第一竪坑、第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋、インクライン、疎水分線の水路閣などが国の史跡に指定されたのです。

(7)倉敷市・美観地区(岡山県倉敷市)
 岡山県倉敷市の倉敷川沿いにある美観地区と呼ばれているところです。江戸時代前期の1642年(嘉永19)に、江戸幕府の天領と定められ、ここに代官所が設置されたことから、蔵屋敷や商家も集中し、備中国の政治・経済の中心地となりました。現在でも、河畔に白壁造りの屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残していてとても貴重なので、1969年(昭和44)に倉敷市の条例に基づき美観地区に定められ、1979年(昭和54)には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのです。中でも倉敷川沿いに、旧大原家住宅(国の重要文化財)、井上家住宅(国の重要文化財)、楠戸家住宅(登録有形文化財)、倉敷館(登録有形文化財)、有隣荘(大原家別邸)、倉敷考古館、 日本郷土玩具館、倉敷民芸館、倉敷物語館などを巡ってみるととてもレトロで情緒ある雰囲気が感じられます。また、隣接する「大原美術館」、「倉敷アイビースクエアー」(倉敷紡績旧工場・近代化産業遺産)などにも行ってみることをお勧めします。

(8)端島[軍艦島](長崎県長崎市)
 端島は、南北に約480m、東西に約160mで、面積は約6.3haの小さな島ですが、明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、最盛期の1960年(昭和35)には5千人以上の人口があり、東京以上の人口密度を有していました。炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していました。しかし、1974年(昭和49)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島となっています。遠景が軍艦に似ていることから、“軍艦島”とも呼ばれています。また、2007年(平成19)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定され、さらに、2015年(平成27)、端島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界遺産(文化遺産)に登録されています。長崎港から数社によるクルーズ船が就航していて、上陸して見学することも可能です。

☆「ヘリテージ100選」一覧

<北海道>
・旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋りょう群[タウシュベツ川橋梁、第三音更川橋梁、第五音更川橋梁など](北海道上士幌町)
・函館市内[旧函館区公会堂、函館ハリストス正教会復活聖堂、元町・末広町周辺の和洋折衷住宅など](北海道函館市)
・小樽市内[日本銀行旧小樽支店金融資料館と北のウォール街、旧日本郵船小樽支店、小樽市鰊御殿など](北海道小樽市)
・野外博物館北海道開拓の村[旧浦河支庁庁舎、旧開拓使工業局庁舎、旧北海中学校など](北海道札幌市厚別区)

<東北>
・弘前市内[旧第五十九銀行本店本館、弘前学院外人宣教師館、旧弘前偕行社、旧弘前市立図書館など](青森県弘前市)
・小岩井農場(岩手県岩手郡雫石町)
・盛岡市内[旧盛岡銀行、旧第九十国立銀行、岩手県公会堂、紺屋町番屋など] (岩手県盛岡市)
・旧登米高等尋常小学校校舎(宮城県登米市)
・野蒜築港事業関連遺構[石井閘門、東突堤・西突堤、北上運河など](宮城県石巻市、東松島市)
・小坂鉱山事務所・康楽館(秋田県小坂町)
・藤倉水源地水道施設(秋田県秋田市)
・十和田ホテル本館(秋田県小坂町)
・山形市郷土館[旧済生館本館](山形県山形市)
・山居倉庫(山形県酒田市)
・天鏡閣(福島県猪苗代町)
・蔵の町・喜多方[甲斐本家、井上合名会社・金忠、安勝寺本堂など](福島県喜多方市)
・安積疏水関連施設[十六橋水門、十六橋、麓山の滝など](福島県猪苗代町、会津若松市、郡山市)

<関東>
・ 水戸市水道低区配水塔(茨城県水戸市)
・シャトーカミヤ (茨城県牛久市)
・イタリア大使館別荘記念公園本邸(栃木県日光市)
・日光金谷ホテル(栃木県日光市)
・旧下野煉化製造会社煉瓦窯(栃木県野木町)
・碓氷第三橋梁[通称:めがね橋](群馬県安中市)
・富岡製糸場(群馬県富岡市)
・日本煉瓦製造旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯6号窯(埼玉県深谷市)
・蔵の町・川越[陶舗やまわ、埼玉りそな銀行川越支店など](埼玉県川越市)
・犬吠埼灯台(千葉県銚子市)
・富津元洲堡塁砲台(千葉県富津市)
・隅田川近代10橋[勝鬨橋、清洲橋、永代橋など](東京都中央区・江東区)
・丸の内かいわい[明治生命館、東京駅など](東京都千代田区)
・銀座・日本橋かいわい[日本銀行本店、三井本館、築地本願寺など](東京都中央区)
・上野の杜かいわい[旧岩崎久弥邸、台東区立旧東京音楽学校奏楽堂、東京国立博物館表慶館など](東京都台東区)
・富士屋ホテル(神奈川県箱根町)
・横浜・関内地区[横浜市開港記念会館、神奈川県立歴史博物館、横浜赤レンガ倉庫など](神奈川県横浜市中区)
・横浜・山手地区[外交官の家、ベーリック・ホール、横浜市イギリス館など](神奈川県横浜市中区)
・多摩川下流の河川施設[川崎河港水門、六郷水門など](川崎市川崎区、東京都大田区)

<中部>
・甲府市藤村記念館[旧睦沢学校校舎](山梨県甲府市)
・旧開智学校(長野県松本市)
・読書発電所施設1構[読書発電所、桃介橋、柿其水路橋](長野県木曽郡南木曽町)
・軽井沢万平ホテル(長野県軽井沢町)
・旧新潟税関庁舎(新潟県新潟市)
・大河津分水路(新潟県燕市)
・佐渡金山産業近代遺跡[大間港、佐渡金山、大竪坑など](新潟県佐渡市)
・入善町下山芸術の森発電所美術館(富山県入善町)
・禄剛埼灯台(石川県珠洲市)
・金沢市内[石川県立歴史博物館、石川近代文学館、尾山神社神門など](石川県金沢市)
・敦賀港かいわいレトロ建築群[敦賀市立博物館、赤煉瓦倉庫など](福井県敦賀市)
・関西電力大井ダム(岐阜県恵那市)
・大井川鐵道(静岡県島田市)
・旧マッケンジー住宅(静岡県静岡市)
・名古屋市・産業観光関連[松重閘門、トヨタ産業技術記念館、ノリタケの森など](愛知県名古屋市中川区・西区)
・名古屋市・東山地区[東山給水塔、鍋屋上野浄水場旧第1ポンプ所、東山植物園温室など](愛知県名古屋市千種区)
・博物館明治村[旧品川燈台等の館内の10件11棟の建築物が国の重要文化財](愛知県犬山市)

<近畿>
・伊勢大橋(三重県桑名市)
・六華苑[旧諸戸清六邸](三重県桑名市)
・近江鉄道電気機関車群と鳥居本駅(滋賀県彦根市)
・舞鶴・赤れんが倉庫群(京都府舞鶴市)
・琵琶湖疏水施設群[水路閣、蹴上インクライン、旧九条山浄水場ポンプ室など](京都府京都市左京区・山科区・東山区)
・南海本線浜寺公園駅(大阪府堺市西区)
・大阪市・中之島界隈[大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館、綿業会館本館など](大阪府大阪市北区・西区・中央区)
・泉布観(大阪府大阪市北区)
・余部鉄橋[架替られました] (兵庫県香美町)
・神戸旧居留地[旧居留地十五番館、旧居留地38番館、神戸市立博物館、商船三井ビル、神港ビルなど](兵庫県神戸市中央区)
・日本聖公会奈良基督教会礼拝堂(奈良県奈良市)
・JR旧奈良駅舎(奈良県奈良市)
・奈良ホテル(奈良県奈良市)
・奈良国立博物館(奈良県奈良市)
・旧和歌山県会議事堂[一乗閣](和歌山県岩出市)

<中国>
・仁風閣(鳥取県鳥取市)
・旧大社駅(島根県出雲市)
・興雲閣(島根県松江市)
・倉敷市・美観地区[倉敷アイビースクエア、大原美術館など](岡山県倉敷市)
・津山洋学資料館(岡山県津山市)
・旧海軍施設群[幹部候補生学校庁舎、海上自衛隊呉地方総監部庁舎、旧呉鎮守府司令長官官舎など](広島県江田島市、呉市)
・山口県政資料館(山口県山口市)
・旧秋田商会ビル(山口県下関市)

<四国地方>
・脇町劇場・オデオン座(徳島県美馬市)
・徳島市水道局佐古配水場ポンプ場(徳島県徳島市)
・豊稔池(香川県観音寺市)
・別子銅山跡およびその関連施設[旧水力発電所、芦谷川鉄橋、第四通洞など](愛媛県新居浜市)
・松山市内[道後温泉本館、萬翠荘(愛媛県立美術館分館郷土美術館)、ロシア人墓地など](愛媛県松山市)
・長浜大橋(愛媛県大洲市)
・一斗俵沈下橋(高知県幡多郡四万十町)

<九州・沖縄>
・河内貯水池堰堤(福岡県北九州市八幡東区)
・柳川市内[西洋館(立花家迎賓館)、並倉など](福岡県柳川市)
・旧三池炭鉱関連施設群[旧三井港倶楽部、旧三池炭鉱宮浦坑煙突、三井港閘門など](福岡県大牟田市)
・門司港レトロ地区[門司港駅、北九州市旧門司三井倶楽部、北九州市旧大阪商船など](福岡県北九州市門司区)
・武雄温泉新館および楼門(佐賀県武雄市)
・旧筑後川橋りょう(筑後川昇開橋)および筑後川導流堤(佐賀県佐賀市、福岡県大川市、柳川市)
・端島[軍艦島](長崎県長崎市)
・長崎市東・南山手地区[グラバー園、大浦天主堂、東山手洋風住宅群など](長崎県長崎市)
・五島列島・平戸の天主堂群[青砂ヶ浦天主堂、田平天主堂、紐差天主堂など](長崎県新上五島町、平戸市)
・旧国鉄宮原線コンクリートアーチ橋りょう群[廣平橋りょう、菅迫橋りょう、幸野川橋りょうなど](熊本県小国町)
・三角西港(熊本県宇城市)
・八代郡築の干拓施設[旧郡築新地甲号樋門(郡築三番町樋門)、郡築二番町樋門](熊本県八代市)
・竹田市・農業水利施設群[白水溜池堰堤水利施設、明正井路一号幹線一号橋、若宮井路笹無田石拱橋など](大分県竹田市)
・綱ノ瀬橋橋(宮崎県延岡市)
・曽木発電所遺構(鹿児島県伊佐市)
・集成館事業施設群[旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館、旧吉野植林所事務所など](鹿児島県鹿児島市)
・樋川(ヒージャー)群[仲村渠樋川、垣花樋川、宝口樋川など](沖縄県南城市、那覇市)

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旅の豆知識「疏水百選」

2017年10月08日 | 旅の豆知識
 旅行先で、実り豊かな水田地帯を目にすることも少なくないと思います。稲穂がどこまでも続く風景は、農村らしいものですが、昔は、水利の便が悪く、畑地や荒れ地になっていたところも少なくなかったのです。そんな土地に水を引いて、水田とすることは、なかなか大変なことで、大規模な灌漑設備を必要としたところも少なくありません。
 従って、昔から疎水と呼ばれてきた用水路を苦労して掘削してきた先人たちの功績があって、初めて現在のような水田地帯が形成されたと言っても過言ではないと思います。
 そんな中で、農林水産省が関わって、「疏水百選」というのが選定されているのをご存知でしょうか。日本各地にある昔から現代に至るまでに造られてきた、いろいろな疏水(用水)が選ばれていて、なかなか興味深いものです。中には、歴史的価値が認められて、史跡や重要文化財、近代化産業遺産等に選定されている施設も含まれていますので、旅先で立ち寄ってみることをお勧めします。

〇「疏水百選」とは?
 疏水は、灌漑・給水・発電などのために、新しく土地を切り開いてつくった水路のことですが、農林水産省と「疏水百選」実施事務局が合同で、2006年(平成18)2月3日に「疏水百選」を決定しました。
 これは、全国からの22万票を超える投票を経て、農業・地域振興、歴史・文化・伝統、環境・景観、地域コミュニティの形成といった4つの視点での評価によって選ばれたものです。
 日本の農業を支えてきた代表的な用水を選定して、用水によりもたらされる“水・土・里”(みどり)を次世代に伝え、日本伝統の景観として美しい疏水の価値を見直し、その保全を推し進める目的でした。

☆「疏水百選」のお勧め

(1)安積疏水(福島県)
 猪苗代湖より取水し、郡山盆地の農業用水・工業用水・上水道に利用され、水力発電にも使用される灌漑用水路です。国家事業として郡山盆地の台地に士族授産と疎水の開削を計画し、明治時代前期の1878年(明治11)にオランダ人の技師ファン・ドールンに設計させ、翌年に国直轄の農業水利事業第1号地区として起工、3年後の1882年(明治15)に完成しました。この工事には、延べ85万人が動員され、総工費40万7千円をかけ、127kmに及ぶ水路を造ったのです。これによって、約9,000haを灌漑して水田面積が増大し、郡山盆地を穀倉地帯に変身させました。1898年(明治31)には、水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達し、1908年(明治41)からは上水道としても利用されます。その後、1951年(昭和26)には、郡山盆地南部を灌漑する新安積疏水が完成しましたが、新疏水路は旧疏水路より一段高位置を流れるようにされました。猪苗代湖周辺の十六橋水門、山潟水門、上戸頭首工、沼上隧道、沼上発電所などを見学すると当時の疎水建設の様子を伺うことが可能ですし、「開成館」(福島県郡山市)に詳しい展示もあります。

(2)見沼代用水(埼玉県)
 利根大堰(現在の埼玉県行田市)により利根川から取水し、埼玉県東部から南部の水田地帯を流れる関東平野最大の灌漑用水です。江戸時代中期の1728年(享保13)に、新田開発のために干拓された見沼溜井に代わる用水として、幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永によって掘削されました。幹線水路延長84kmあり、最初は、現在の行田市下中条付近の利根川右岸に取水口をつくり、伏越(サイホンの仕組みの立体交差)で元荒川、綾瀬川と交差し、上尾市瓦葺で東縁用水、西縁用水に分かれていましたが、下流には、その2つを繋ぐ、2段の閘門式の見沼通船堀(国指定史跡)を設け水運にも利用されていたのです。しかし、1968年(昭和43)4月に利根大堰ができてから、旧取水口は閉鎖され、大堰から毎秒45トンの水を供給するようになりました。灌漑面積は1万7000haあり、埼玉県・東京都の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称されています。

(3)明治用水(愛知県)
 矢作川中流にある現在の豊田市今地区から取水し、西三河地方南西部に灌漑用、工業用の水を供給する用水です。豊田市南部で刈谷市へ延びる西井筋を分流し、安城市北部で高浜市,碧南市へ延びる中井筋と西尾市へ向かう東井筋に分かれて碧海台地に至り、幹線水路延長52km、支線水路延長320km、灌漑面積は約1万haで、1975年(昭和50)からは工業用水にも利用されるようになりました。江戸時代後期の1827年(文政10)に、碧海郡和泉村(現,安城市)の酒造家都築弥厚が用水計画を江戸幕府へ出願したのが始まりで、民間資本を元に1879年(明治12)に本流の工事が開始され、1890年(明治23)には完成式典が挙行されます。水に困っていた碧海台地を潤し、みごとな穀倉地帯に変貌させ、大正時代末から昭和時代初期には、「日本のデンマーク」とも呼ばれる多角的農業地域に発展しました。尚、埼玉県・東京都の葛西用水路、埼玉県の見沼代用水とならび、日本三大農業用水と称されています。

(4)愛知用水(愛知県)
 愛知用水は、木曾川上流御嶽山麓に建設した牧尾ダム(1961年完成)を水源とし、岐阜県南部の木曽川の兼山取水口から取水し、愛知県の尾張丘陵部から知多半島の先端に及ぶ用水路で、幹線水路(112km)と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路(1,012km)からなります。干ばつに悩まされてきた丘陵地の多い知多半島に引水するという目的で、1951年(昭和26)に、農林省直轄調査事業となり、1955年(昭和30)には愛知用水公団が設けられて、1957年(昭和32)に着工し、1961年(昭和36)9月30日に完成しましたが、総事業費423億円かかりました。工業用水は同年12月から、上水道は翌年1月から、農業用水は翌年10月から通水します。1968年(昭和43)に愛知用水公団は水資源開発公団に統合され、2003年(平成15)10月から独立行政法人水資源機構に管理が引き継がれました。その間、1981年度から2004年度(平成16)まで、水需要量の増大に対応するため、阿木川ダム、味噌川ダムの建設や諸設備の拡充などの第二期事業が行われています。当初は農業用水が主でしたが、現在では、上水道・工業用水・農業用水・水力発電に利用する多目的用水となり、2010年(平成22)には工業用水54%、農業用水20%、上水道用水26%で、工業用水が過半を占めるようになっています。

(5)琵琶湖疏水(滋賀県・京都府)
 琵琶湖の南岸(現在の滋賀県大津市三保ヶ崎)から取水し、長等山などをトンネルで抜け、京都市内へ通じる水路で、舟運、発電、上水道、灌漑を目的としてつくられました。田辺朔郎の設計、施工により、1885年(明治18)に工事が始まり、1890年(明治23)に大津から鴨川までの第一疏水(全長17.7km、幅6.4~11.5m、水深1.7m)が完成します。続いて、鴨川から宇治川までの鴨川運河は、1892年(明治25)に工事が始まり、1895年(明治28)に完成しました。さらに、第一疏水の北側に並行し、全水路がトンネル内を走る第二疏水(全長7.4km,幅4m,水深3.1m)が、1908年(明治41)に着工し、1912年(明治45)に完成し、蹴上で第1疏水と合流するようになります。これらの開削工事は、西欧の近代的土木技術を取得した日本人技師による大規模な土木工事であり、明治時代における日本の土木技術水準の高さを示すものでした。そこで、1996年(平成8)に第一疎水の第一・第二・第三隧道の出入り口、第一竪坑、第二竪坑、日本初の鉄筋コンクリート橋、インクライン、疎水分線の水路閣などが国の史跡に指定されたのです。

(6)通潤用水(熊本県)
 熊本県上益城郡山都町にあり、笹原川から取水(上井手)と五老ヶ滝川から取水(下井手)し、白糸台地へ通水する灌漑用水です。江戸時代後期の1854年(安政元)に、水不足に悩まされていた白糸台地の村々の要望を受け、矢部手永惣庄屋であった布田保之助が中心となって建設されました。その上井手水路の途中、五老ヶ滝川の谷に架けられた石造水路橋である通潤橋(橋長は78m、幅員は6.3m、高さは20m余、アーチ支間は28m)は、日本最大の石造アーチ水路橋です。この橋は、日本固有の技術が集大成されたものとして評価され、1960年(昭和35)に、国の重要文化財の指定を受けました。農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を行っていて、観光名所となっています。2008年(平成20)に、「通潤用水と白糸台地の棚田景観」の名称で国の重要文化的景観として選定されていますし、2014年(平成26)、その歴史的背景が評価され国際かんがい排水委員会によるかんがい施設遺産に登録されました。

☆「疏水百選」一覧

<北海道>
・北海幹線用水 (北海道)
・旭川聖台用水 (北海道)
・篠津中央篠津運河用水 (北海道)

<東北>
・稲生川用水 (青森県)
・土淵堰 (青森県)
・岩木川右岸用水 (青森県)
・照井堰用水 (岩手県)
・鹿妻穴堰 (岩手県)
・胆沢平野 (岩手県)
・大堰用水路・立花頭首工 (岩手県)
・奥寺堰 (岩手県)
・愛宕堰 (宮城県)
・大堰(内川) (宮城県)
・上郷温水路群 (秋田県)
・田沢疏水 (秋田県)
・寒河江川用水[二の堰・高松堰] (山形県)
・北楯大堰 (山形県)
・金山大堰 (山形県)
・山形五堰 (山形県)
・安積疏水 (福島県)
・会津大川用水 (福島県)

<関東>
・備前堀用水 (茨城県)
・福岡堰 (茨城県)
・那須野ヶ原用水 (栃木県)
・おだきさん (栃木県)
・渡良瀬川沿岸 (群馬県)
・広瀬用水[広瀬川] (群馬県)
・雄川堰 (群馬県)
・長野堰用水 (群馬県)
・群馬用水 (群馬県)
・見沼代用水 (埼玉県)
・葛西用水 (埼玉県)
・備前渠用水 (埼玉県)
・印旛沼 (千葉県)
・大利根用水 (千葉県)
・両総用水 (千葉県)
・府中用水 (東京都)
・荻窪用水 (神奈川県)
・文命用水 (神奈川県)
・村山六ヶ村堰疏水 (山梨県)
・差出堰 (山梨県)

<中部>
・加治川用水 (新潟県)
・亀田郷 (新潟県)
・十二貫野用水 (富山県)
・常西合口用水 (富山県)
・鷹栖口用水(砺波平野疏水群) (富山県)
・舟倉用水 (富山県)
・辰巳用水 (石川県)
・金沢疏水群[大野庄用水・鞍月用水・長坂用水] (石川県)
・手取川疏水群[手取川七ヶ用水・宮竹用水] (石川県)
・九頭竜川下流 (福井県)
・足羽川用水 (福井県)
・五郎兵衛用水 (長野県)
・塩沢堰 (長野県)
・八ヶ郷用水 (長野県)
・善光寺平用水 (長野県)
・拾ヶ堰 (長野県)
・瀬戸川用水 (岐阜県)
・席田用水 (岐阜県)
・大井川用水[大井川用水・大井川右岸用水] (静岡県)
・源兵衛川 (静岡県)
・深良用水 (静岡県)
・愛知用水 (愛知県)
・豊川用水 (愛知県)
・明治用水 (愛知県)
・濃尾用水 (愛知県)
・枝下用水 (愛知県)
・立梅用水 (三重県)
・南家城川口井水 (三重県)

<近畿>
・愛知川用水 (滋賀県)
・野洲川流域 (滋賀県)
・犬上川沿岸 (滋賀県)
・湖北用水 (滋賀県)
・洛西用水 (京都府)
・琵琶湖疏水 (京都府)
・大和川分水[築留掛かり] (大阪府)
・東播用水 (兵庫県)
・淡山疏水[淡河川疏水・山田川疏水] (兵庫県)
・東条川用水 (兵庫県)
・大和平野 (奈良県)
・小田井用水 (和歌山県)

<中国>
・大井手用水 (鳥取県)
・天川疏水 (島根県)
・高瀬川 (島根県)
・東西用水[高梁川・笠井堰掛] (岡山県)
・西川用水 (岡山県)
・芦田川用水 (広島県)
・寝太郎堰(寝太郎用水) (山口県)
・藍場川(大溝) (山口県)

<四国>
・那賀川用水 (徳島県)
・香川用水 (香川県)
・銅山川疏水 (愛媛県)
・道前道後用水 (愛媛県)
・山田堰井筋 (高知県)

<九州・沖縄>
・大石用水 (福岡県)
・裂田の溝 (福岡県)
・堀川用水 (福岡県)
・柳川の堀割 (福岡県)
・大井手堰[石井樋~多布施川] (佐賀県)
・小野用水 (長崎県)
・上井手用水 (熊本県)
・幸野溝・百太郎溝 (熊本県)
・南阿蘇村疏水群 (熊本県)
・通潤用水 (熊本県)
・緒方疏水 (大分県)
・城原井路[神田頭首工] (大分県)
・杉安堰 (宮崎県)
・清水篠井手用水 (鹿児島県)
・筒羽野の疏水 (鹿児島県)
・宮古用水 (沖縄県)

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旅の豆知識「太平洋戦争の遺跡」

2017年10月07日 | 旅の豆知識
 1941年(昭和16)12月8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争がはじまりました。当初は、占領地域を拡大していきましたが、1942年(昭和17)6月のミッドウェー海戦の大敗北を転機として、戦局は次第に劣勢に転じ、アメリカの本格的な反抗が始まります。南洋の島々が次々に陥落し、1944年(昭和19)にサイパン島が玉砕すると本土爆撃が激化することになりました。
 その後、フィリッピン、硫黄島、沖縄本島とアメリカ軍の侵攻は進み、本土の主要都市が空襲によって、焦土と化すことになります。
 1945年(昭和20)8月には、広島、長崎へ原子爆弾が投下され、ソ連軍の参戦もあって、8月15日には、ポツダム宣言を受諾する玉音放送が流されて、無条件降伏しました。
 この結果、日中戦争から太平洋戦争で亡くなった日本軍人・軍属の数約230万人、日本の民間人の戦没者数は約80万人と言われ、日本の主要都市は、原爆を含む空襲によって壊滅しています。
 この戦争において、人的にも、経済・社会的にも大きな打撃をこうむり、戦後の日本はどん底の生活を体験することとなります。肉親を奪われ、家を焼かれ、仕事もなくし、途方に暮れる中で、食糧不足から、栄養失調になり、餓死する人も出たのです。
 こういうことは、二度と繰り返してはならないと思います。そのためには、戦争を今に伝える遺跡を守り、その教訓を今後の平和のために活かしていかなければならないのではないでしょうか.....。

〇「太平洋戦争戦争の遺跡」とは?
 「戦争遺跡」は、戦争の痕跡、戦跡、戦蹟のことです。戦争のために造られた基地や建物などの軍事施設や戦争被害を受けた建物や土地、記念碑などで、現在も遺構として現存しているものや戦争当時を物語る遺跡で、後世に伝え続けていくことで歴史の教訓とすべきものです。日本全国に2万ヶ所以上あると言われています。
 現在でも日本各地に太平洋戦争の遺跡がありますが、広島・長崎の原爆投下、東京・大阪・名古屋等の大空襲、沖縄戦など一般市民を巻き込み、甚大な被害を与えた跡を見ると、目頭が熱くなり、戦争への怒りがこみ上げてきます。
 また、九州各地の特攻隊基地跡、松代大本営壕跡、沖縄の陸軍壕跡、全国の軍需工場跡などを巡ってみると、よくこんな状態で、戦争継続をはかったものだとあきれるばかりで、当時の軍や政府指導者の考え方に大いに疑問を感じました。

☆「太平洋戦争の遺跡」のお勧め
 
(1) 東京大空襲・戦災資料センター<東京都江東区>
 1945年(昭和20)3月10日の未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は100万人をこえて、推定10万人もの尊い命が失われました。この施設は、その東京大空襲の惨状を次世代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つことを願って、4000名を超える方々の募金で設立された、民立・民営の資料センターです。2002年(平成14)3月9日、戦禍のもっとも大きかった江東区北砂の地に開館しました。映像資料を観たり、団体参観でご要望すれば、体験者のお話をうかがうこともできます。資料・展示保管室では、実際に投下された焼夷弾や空襲の被災品、体験者の手記・写真、戦時下の文書などを見ることができます。

(2) 松代大本営跡<長野県長野市>
 ここは、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために象山、舞鶴山、皆神山の3箇所に掘られた地下坑道跡です。何本もの洞窟が掘られたらしいものの、その中で公開されている象山洞窟に入ってみました。500mほど奥まで入れるのですが、とても不気味なものです。あんな所に立てこもって戦争を続けるつもりだったんだろうかと疑問が広がります。しかし、太平洋戦争の歴史を考える上では貴重なものだと思います。

(3) 原爆ドーム<広島県広島市中区>
 1945年(昭和20)8月6日に原爆が投下され、一瞬の内に市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われました。そのモニュメントとして、世界に原爆のむごたらしさを伝えていて、胸が熱くなります。被爆当時、広島で一番近代的、美的な建物といわれた産業奨励館だったのですが、今は、廃墟となって、世界に原爆の恐ろしさを訴えています。この、原爆直下ではほとんどの人が死亡し、いまだに行方のわからない人も多いと聞きました。ドームをとりまく碑群には多くの千羽鶴が飾られ、訪れる人の祈りを受けていました。原爆ドームを離れ、橋を渡り、平和公園の中に入っていくと、そこにも様々な記念碑があり、千羽鶴や花束で埋まっています。それらに手を合わせながら、広島平和資料館の方へ歩いていきました。以前に5回ほど訪れたことがありますが、何度来ても、その原爆の凄まじさが胸に突き刺ささります。通常展示による広島への原爆投下の実態を見せつけられて、戦争・原爆に対する怒りがわき上がってきました。現在でも、世界中に核兵器が保有され、核戦争の脅威にさらされています。それらの核保有国にこの広島の惨状をよく見てほしいと思うと共に、核兵器廃絶の必要性を痛感しました。この周辺には、南側に広島国際会議場、その他に、原爆死没者慰霊碑・原爆供養塔・平和の鐘・原爆の子の像・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などがあり、原爆の悲惨さを語りかけています。尚、1996年(平成8)には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。

(4) 長崎原爆爆心地付近<長崎県長崎市>
 ここは広島に続いて、1945年(昭和20)8月9日に原爆が投下され、一瞬の内に市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われました。爆心地付近にはいろいろなモニュメントがあって、世界に原爆のむごたらしさを伝えています。それらの中で、浦上天主堂(被爆した聖像、鐘楼ドームなど)、長崎市立城山小学校(当時の建物の一部が残る)、長崎大学医学部(正門の石造の門柱、ゲストハウスなど)、山王神社(片方だけ残った鳥居や被爆クスノキ)、山里国民学校(旧校舎の階段の手すりと柱、裏門の門柱、防空壕など)等を巡ってみましたが、原爆被害のすさまじさを感じました。さらに、「長崎原爆資料館」、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」を訪れて、学びを深め、平和公園へ行って、平和祈念像(北村西望制作)や平和の泉に祈って、再びこのようなことがないように願いました。

(5) 知覧基地跡<鹿児島県南九州市>
 太平洋戦争末期に、神風特攻隊が飛び立っていった飛行場のあったところで、「特攻平和祈念館」には、特攻隊員の遺品や遺影が飾られていました。なんと、1千名以上も突撃していって戻ってこなかったのです。それも、大半が10代から20代の若者で、見ていて涙が出てきました。また、祈念館の隣に特攻隊員が最後を過ごした三角兵舎が復元されていましたが、とてもお粗末な建物で、非常に驚きました。

(6) ひめゆりの塔<沖縄県糸満市>
 太平洋戦争末期の沖縄戦で、沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑です。看護要員として動員され悲劇的最期を遂げた、ひめゆり学徒隊(沖縄県立第一高等女学校生徒で編成)を合祀しています。最後の洞窟が残され、「ひめゆり平和祈念資料館」が建てられていますが、その惨状は涙なしでは見られません。尚、職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名にも上っています。

☆主要な「太平洋戦争の遺跡」一覧

<軍事関係施設>
・陸軍第七師団旭川偕行社(北海道旭川市)
・大湊海軍通信隊根室分遣所[根室市歴史と自然の資料館](北海道根室市)
・陸軍第八師団偕行社(青森県弘前市)
・陸軍第二師団第四連隊兵舎[仙台市歴史民俗資料館](宮城県仙台市)
・軍馬補充部白河支部事務所(福島県西白河郡西郷村)
・支那囲壁砲台(千葉県習志野市)
・館山海軍航空隊赤山地下壕跡(千葉県館山市)
・近衛第一師団司令部庁舎[東京国立近代美術館工芸館](東京都千代田区)
・猿島砲台[東京湾要塞](東京都)
・満州開拓青少年義勇軍訓練所(東京都)
・調布飛行場掩体壕跡(東京都府中市)
・金沢陸軍兵器支廠[石川県歴史博物館](石川県金沢市)
・第九師団司令部[石川県庁舎石引分室](石川県金沢市)
・鈴鹿市北伊勢陸軍飛行場掩体(三重県鈴鹿市)
・帝国陸軍大阪第四師団司令部庁舎[大阪城公園内](大阪府)
・大阪砲兵工廠(大阪府)
・帝国陸軍姫路第十師団兵器・被服庫[現姫路市立美術館国宝姫路城内](兵庫県姫路市)
・呉鎮守府司令長官官舎(広島県呉市)
・海軍兵学校(広島県江田島市)
・大久野島[毒ガス製造施設跡](広島県竹原市)
・回転発射訓練基地(山口県周南市)
・善通寺偕行社[陸軍第11師団陸軍将校の集会所・社交場](香川県善通寺市)
・佐伯海軍航空隊掩体壕(大分県佐伯市)
・知覧基地跡(鹿児島県南九州市)

<軍事工場>
・里山辺地下工場・中山半地下工場(長野県松本市)
・鶉野飛行場及び川西航空機姫路製作所鶉野工場(兵庫県加西市)

<防空壕・地下坑道など>
・松代大本営(長野県長野市)
・浅川地下壕(東京都八王子市)
・高槻地下倉庫(大阪府高槻市)
・沖縄陸軍病院南風原壕群20号(沖縄県島尻郡南風原町)
・ひめゆりの塔[沖縄陸軍病院第三外科壕跡](沖縄県糸満市)

<被災建造物・記念物>
・旧日立航空機立川工場変電所(東京都東大和市)
・半田赤レンガ建物[中島飛行機半田製作所衣糧倉庫](愛知県半田市)
・原爆ドーム(広島県広島市)
・浦上天主堂(長崎県長崎市)

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旅の豆知識「名水百選」

2017年10月05日 | 旅の豆知識
 旅行先で、「名水」と呼ばれるところに行ったことはないでしょうか。それは、湧水や地下水、河川であったりしますが、飲んで美味しいものもあれば、さわやかな清流であったりします。近年、「名水」に対する関心が高まっているようで、遠くから汲みに来ている人を見たりする場合もあります。
 そんな中で、環境庁(現在の環境省)が選定した「名水百選」というのがあるのをご存知でしょうか?日本全国から「名水」を選定したものですが、旅先で訪れてみても、美味しい水が飲めたり、美しい清流に心を癒されたりと結構良いものです。
 今度旅行を計画する時には、こういう場所も立ち寄ってみることをお勧めします。

〇「名水百選」とは?
 1985年(昭和60)3月に、環境庁(現在の環境省)が選定した、全国100ヶ所の湧水・河川(用水)・地下水です。
 その目的は、「全国に多くの形態で存在する清澄な水について、その再発見に努め、広く国民にそれらを紹介し、啓蒙普及を図るとともに、このことを通じ国民の水質保全への認識を深め、併せて優良な水環境を積極的に保護すること等今後の水質保全行政の進展に資すること」とされました。
 ただし、「名水」とは、「保全状況が良好」で「地域住民等による保全活動がある」という意味で、「そのまま飲用に適する美味しい水」ということではありません。
 尚、2008年(平成20)6月、環境省は新たに「平成の名水百選」を選定し、両者合わせて200選となりました。

☆「名水百選」のお勧め

(1)龍泉洞地底湖の水(岩手県下閉伊郡岩泉町)
 龍泉洞は、秋芳洞(山口県)、龍河洞(高知県)と共に日本三大鍾乳洞の1つとして有名です。洞内には、紺碧の地底湖があり、日本一と言われる透明度で、底の方まで澄んでいます。なんともいえない、実に美しいエメラルドグリーンをした水を湛えているのです。階段上から、眺めていると湖底に吸い込まれていきそうな感じさえします。しかし、自然の創りだす造形は見事なものです。鍾乳石や石筍など何千年の時を経て、すばらしい空間を現出させています。感動を胸にして、出てきてから、向かい側にある「龍泉新洞科学館」で、その成り立ちや洞窟生物、発掘された石器・土器などについて学びましたが、ここも小さな鍾乳洞を利用した施設なのです。

(2)御岳渓谷(東京都青梅市)
 山梨県・埼玉県の県境にある笠取山(標高1,953m)南斜面下を源とする多摩川の上流域で、沢井駅南の吊橋の楓橋から上流の御岳橋までの約4kmを御岳渓谷と呼んでいます。両岸には、約4kmの遊歩道が整備され、四季を通じて山水の美が楽しめますが、秋の紅葉はとりわけ有名になりました。秩父多摩甲斐国立公園に属し、JR青梅線も渓谷沿いに走っているので、多くの観光客が訪れています。

(3)忍野八海(山梨県南都留郡忍野村)
 忍野八海は富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池(湧池、出口池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池、銚子池)から成っています。昔々、忍野村は「宇津湖」という湖だったとか、延暦年間に富士山が大噴火し、流れ出た溶岩流によって遮られ、山中湖と忍野湖に分かれてしまったとのこと。忍野湖の方はその後、川の浸食や掘削排水のため枯れ、跡に残った富士山の伏流水の湧出する池として、忍野八海があるのです。この湧水は、富士山に降り積もる雪解け水が、古いものは、80年以上の歳月をかけ、地下水として濾過されてきたもので、池の水は澄んでいます。ほとんど沼地化したところもあって八つの池が全部昔の面影をとどめてはいませんが、1985年(昭和60)には、環境庁より全国名水百選に選定されています。四季の移ろいの中に彩られた富士を清らかな水面に映し込んだ姿は神秘的で、訪れた人々に、感銘を与えます。ここからみる富士山はほんとうに美しく、写真撮影の絶好のポイントとともなっています。 

(4)宗祇水[白雲水](岐阜県郡上市)
 郡上市の旧八幡町の中心部にある湧水で、「白雲(はくうん)水」ともいい、環境省選定「名水百選」の第一号として指定されました。1471年(文明3年)篠脇城主東常縁が連歌師である宗祇に古今伝授を終え、宗祇が帰京する際に、この湧水のほとりで、「もみじ葉の流るる竜田白雲の花のみよしの思ひ忘るな」の一首を、はなむけに詠ったと言われています。江戸時代になり、郡上藩主金森頼錦や遠藤常友等らによって、この湧水の保存のために、石の水場が整備されました。湧水の水源から飲料水、食糧洗浄水、さらし場(食器等洗浄場)の順で使用されるようになっています。1917年(大正6)9月に、有志が集まり宗祇水奉賛会を結成して史跡保存に努めるようになりました。尚、旧八幡町は“人と自然が調和した交流文化のまち”として「水の郷百選」に選ばれていて、宗祇水は名水スポットの一つになっています。

(5)御清水(福井県大野市泉町)
 越前大野城の城下町の生活用水として古くから利用されてきたもので、「殿様清水」とも呼ばれています。安土桃山時代の1573年(天正元)に、金森長近が亀山に越前大野城を構築する際、城下町整備の一環として、生活用水が利用出来るようにしましたが、御清水は亀山の東麓の湧水帯にある清水の一つでした。その後、大切に保護されながら利用され、上流から飲料水、冷却水場、野菜などの洗い場と定められています。御清水に立ち寄ってみましたが、ほんとうにきれいな清水がこんこんと湧き出していて、とても市街地にあるとは思えませんでした。みていると、近所の若いお母さんが子ども連れ出来て、洗濯を始めたのです。この泉は、今でも生活の中に息づいているのだと感じました。尚、ここは“名水と朝市のまち 越前おおの”として「水の郷百選」に選ばれていて、御清水は名水スポットの一つになっています。

(6)四万十川(高知県西部)
 この川は、高知県西部、四国山地西縁の不入山(標高1,336m)の東斜面に源流部をもち、四万十市の南方で土佐湾に注ぐ、四国第一の長流(約196km)です。ダムなどはほとんど設置されておらず、日本を代表する清流として、近年脚光を浴びるようになりました。流域には、増水したときは川に没してしまう、沈下橋が所々に見られ、独特の景観を作っています。しかし、ほんとうに川は清らかでとうとうと流れていて、周辺も自然豊かな山村地帯で、ウナギ・アユなどの内水面漁業も営まれていました。2001年(平成13)には、この川の清流を保つため、「四万十川条例」が県によって定められ、2009年(平成21)、源流域の山村、上流域の山村と棚田など5件にわたり、四万十川流域の文化的景観として国の重要文化的景観の選定を受けています。

☆「名水百選」一覧

<北海道>
1 羊蹄のふきだし湧水[湧水] (北海道虻田郡京極町) 北海道遺産
2 甘露泉水[湧水](北海道利尻郡利尻富士町) 利尻礼文サロベツ国立公園
3 ナイベツ川湧水[湧水](北海道千歳市蘭越)

<東北>
4 富田の清水[湧水](青森県弘前市紙漉町)
5 渾神の清水[湧水](青森県平川市唐竹)
6 金沢清水[湧水](岩手県八幡平市松尾寄木)
7 龍泉洞地底湖の水[湧水](岩手県下閉伊郡岩泉町) 国の天然記念物
8 桂葉清水[湧水](宮城県栗原市高清水桂葉)
9 広瀬川[河川](宮城県仙台市)
10 六郷湧水群[湧水](秋田県仙北郡美郷町) 水の郷百選、水源の森百選、遊歩百選
11 力水[湧水](秋田県湯沢市古館山)
12 月山山麓湧水群[湧水](山形県西村山郡西川町) 磐梯朝日国立公園
13 小見川[湧水](山形県東根市羽入)
14 磐梯西山麓湧水群[湧水](福島県耶麻郡磐梯町)
15 小野川湧水[湧水](福島県耶麻郡北塩原村) 磐梯朝日国立公園

<関東>
16 八溝川湧水群[湧水](茨城県久慈郡大子町) 奥久慈県立自然公園
17 出流原弁天池湧水[湧水](栃木県佐野市出流原町)
18 尚仁沢湧水[湧水](栃木県塩谷郡塩谷町上寺島) 日光国立公園
19 雄川堰[用水](群馬県甘楽郡甘楽町) 疏水百選、土木学会選奨土木遺産
20 箱島湧水[湧水](群馬県吾妻郡東吾妻町箱島)
21 風布川・日本水[湧水](埼玉県大里郡寄居町) 水の郷百選、水源の森百選
22 熊野の清水[湧水](千葉県長生郡長南町佐坪滝ノ上)
23 お鷹の道・真姿の池湧水群[湧水](東京都国分寺市西元町)
24 御岳渓谷[河川] (東京都青梅市) 秩父多摩甲斐国立公園
25 秦野盆地湧水群[湧水](神奈川県秦野市)
26 洒水の滝・滝沢川[河川] (神奈川県足柄上郡山北町) 日本の滝百選

<中部>
27 竜ヶ窪の水[湧水](新潟県中魚沼郡津南町)
28 杜々森湧水[湧水](新潟県長岡市西中野俣)
29 黒部川扇状地湧水群[湧水](富山県黒部市、下新川郡入善町) 水の郷百選
30 穴の谷の霊水[湧水](富山県中新川郡上市町)
31 立山玉殿の湧水[湧水](富山県中新川郡立山町) 中部山岳国立公園
32 瓜裂の清水[湧水](富山県砺波市) 水の郷百選
33 弘法池の水[湧水](石川県白山市釜清水町)
34 古和秀水[湧水](石川県輪島市門前町鬼屋)
35 御手洗池[湧水](石川県七尾市)
36 瓜割の滝[湧水](福井県三方上中郡若狭町) 水の郷百選
37 御清水[湧水](福井県大野市泉町) 奥越高原県立自然公園、水の郷百選
38 鵜の瀬[河川] (福井県小浜市神宮寺)
39 忍野八海[湧水](山梨県南都留郡忍野村) 国の天然記念物
40 八ヶ岳南麓高原湧水群[湧水](山梨県北杜市)
41 白州/尾白川[河川] (山梨県北杜市) 南アルプス国立公園
42 猿庫の泉[湧水](長野県飯田市羽場)
43 安曇野わさび田湧水群[湧水](長野県安曇野市) 水の郷百選
44 姫川源流湧水[湧水](長野県北安曇郡白馬村)
45 宗祇水(白雲水)[湧水](岐阜県郡上市)
46 長良川(中流域)[河川] (岐阜県美濃市、関市、岐阜市)
47 養老の滝.菊水泉[湧水](岐阜県養老郡養老町) 養老公園
48 柿田川湧水群[湧水](静岡県駿東郡清水町)
49 木曽川(中流域)[河川] (愛知県犬山市~可児川合流点)

<近畿>
50 智積養水[用水] (三重県四日市市)
51 恵利原の水穴(天の岩戸)[湧水](三重県志摩市磯部町)
52 十王村の水[湧水](滋賀県彦根市西今町)
53 泉神社湧水[湧水](滋賀県米原市大清水)
54 伏見の御香水[地下水] (京都府京都市伏見区)
55 磯清水[地下水](京都府宮津市文珠) (天橋立) 日本三景、丹後天橋立大江山国定公園
56 離宮の水[地下水](大阪府三島郡島本町)
57 宮水[地下水](兵庫県西宮市)
58 布引渓流[河川] (兵庫県神戸市中央区)
59 千種川[河川](兵庫県西部の宍粟市、佐用町、上郡町、赤穂市)
60 洞川湧水群[湧水](奈良県吉野郡天川村) 吉野熊野国立公園
61 野中の清水[湧水](和歌山県田辺市)
62 紀三井寺の三井水[湧水](和歌山県和歌山市)

<中国>
63 天の真名井[湧水](鳥取県米子市)
64 天川の水[湧水](島根県隠岐郡海士町) 大山隠岐国立公園
65 壇鏡の滝湧水[湧水](島根県隠岐郡隠岐の島町) 大山隠岐国立公園
66 塩釜の冷泉[湧水](岡山県真庭市) 大山隠岐国立公園
67 雄町の冷泉[湧水](岡山県岡山市中区)
68 岩井[湧水](岡山県苫田郡鏡野町) 氷ノ山後山那岐山国定公園
69 太田川(中流域)[河川] (広島県広島市)
70 今出川清水(出合清水)[湧水](広島県安芸郡府中町)
71 別府弁天池湧水[湧水](山口県美祢市秋芳町) 秋吉台国定公園
72 桜井戸[湧水](山口県岩国市)
73 寂地川[河川] (山口県岩国市) 西中国山地国定公園

<四国>
74 江川の湧水[湧水](徳島県吉野川市)
75 剣山御神水[湧水](徳島県三好市) 剣山国定公園、日本百名山
76 湯船の水[湧水](香川県小豆郡小豆島町) 瀬戸内海国立公園
77 うちぬき[自噴水] (愛媛県西条市)
78 杖の淵[湧水](愛媛県松山市)
79 観音水[湧水](愛媛県西予市)
80 四万十川[河川](高知県西部)
81 安徳水[湧水](高知県高岡郡越知町)

<九州・沖縄>
82 清水湧水[湧水](福岡県うきは市) 水源の森百選
83 不老水[地下水] (福岡県福岡市)
84 竜門の清水[河川] (佐賀県西松浦郡有田町) 黒髪山県立公園
85 清水川[河川](佐賀県小城市) 天山県立公園
86 島原湧水群[湧水](長崎県島原市)
87 轟渓流[河川](長崎県諫早市) 多良岳県立公園
88 轟水源[湧水](熊本県宇土市)
89 白川水源 湧水(熊本県阿蘇郡南阿蘇村) 阿蘇くじゅう国立公園
90 菊池水源[河川](熊本県菊池市) 阿蘇くじゅう国立公園
91 池山水源[湧水](熊本県阿蘇郡産山村) 阿蘇くじゅう国立公園
92 男池湧水群[湧水](大分県由布市) 阿蘇くじゅう国立公園
93 竹田湧水群[湧水](大分県竹田市)
94 白山川[河川] (大分県豊後大野市) (稲積水中鍾乳洞) 阿蘇くじゅう国立公園
95 出の山湧水[湧水](宮崎県小林市)
96 綾川湧水群[河川](宮崎県東諸県郡綾町)
97 屋久島宮之浦岳流水[河川](鹿児島県熊毛郡屋久島町) 世界遺産、霧島屋久国立公園、日本百名山
98 霧島山麓丸池湧水[湧水](鹿児島県姶良郡湧水町)
99 清水の湧水[湧水](鹿児島県南九州市) 疏水百選、水の郷百選
100 垣花樋川[湧水](沖縄県南城市)

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旅の豆知識「日本百名橋」

2017年10月04日 | 旅の豆知識
 旅行先で、いろいろな橋を渡ることも多いと思います。最新の土木建築技術を結集して、近年作られた長大な吊り橋(明石海峡大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋等)は、渡っている時の眺望もよく、近くの展望所からの眺めも良いので、観光名所にもなっています。また、古来から残されてきた木橋(神橋、猿橋等)や石橋(眼鏡橋、通潤橋等)なども近年脚光が当たり、文化財に指定されて、観光客が訪れるようにもなりました。
 そんな中で、松村博著『日本百名橋』(1998年鹿島出版会発行)という本があることをご存知でしょうか。この著書の中では、日本各地にある古来から現代までの名橋を紹介していて、とても興味深いものです。
 旅先で、そこに紹介されている名橋に立ち寄ってみるのも面白いのではないかと思いますが.....。

〇「日本百名橋」とは?
 橋梁工学の専門家であるの松村博(大阪市都市工学情報センター理事長)著『日本百名橋』(1998年鹿島出版会発行)において私選した日本の100の橋(番外に20橋あり)のことです。選定基準は、その橋の有する知名度、技術、デザインなどで、写真・文章・ 地図によって詳細な紹介がされていました。

☆「日本百名橋」のお勧め

(1)日光・神橋(栃木県日光市)
 日光東照宮への参道入口の大谷川(だいやがわ)に架かる木橋で、日本三奇橋の一つとされています。室町時代から知られ、当時は刎橋だったと考えられていますが、江戸時代前期の東照宮造営と同時に架け替えられ、現在の石造橋脚を有する構造となりました。1792年(寛政4)以後は、赤く塗装がなされるようになりましたが、1902年(明治35)の足尾台風による洪水で流失したため、1904年(明治37)に再建されます。現在のものは、長さ28m、幅7.4m、水面からの高さ10.6mあり、歴史的に見ても重要な橋なので、1944年(昭和19)に、国の重要文化財に指定されました。

(2)甲斐の猿橋(山梨県大月市)
 相模川の支流桂川の渓谷に架かる甲州街道の木橋で、日本三大奇橋の一つとされ、国の名勝に指定されています。長さ30.9m、幅3.3m、水面からの高さ31mの深い渓谷上に架けられているため橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から、長く斜上に突き出された四段の「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木で、橋を支えていました。サルが何匹もつながって対岸に渡るのを見て、この架橋法を思い付いたといいます。江戸時代には有名で、荻生徂徠『峡中紀行』、渋江長伯『官遊紀勝』など多くの文人が訪れて、紀行文や詩句を残し、浮世絵師の葛飾北斎や歌川広重も描いていました。

(3)明石海峡大橋(兵庫県神戸市・淡路市)
 兵庫県神戸市垂水区・淡路市とを結ぶ吊り橋で、中央径間が1,991mもあり、現在、世界最長の吊り橋となっています。昭和時代後期の1970年(昭和45)7月に、本州四国連絡橋公団が設立され、1973年(昭和48)10月に、工事実施計画が認可されました。その後、1986年(昭和61)4月26日に起工式が行われ、1988年(昭和63)5月に工事が着工、1996年(平成8年)9月に閉合し、平成時代の1998年(平成10)4月5日に開通しました。神戸側の橋桁内に舞子海上プロムナードという遊歩道と展望台が設けられています。橋台内のエレベータで、47mの高さまで上がり、そこから海側まで150mほど歩けるのですが、床が透明になっている部分があって、スリリングで、直接海面を望むことができました。また、神戸側の陸上には、「橋の科学館」が開設されており、明石海峡大橋を中心に橋についての技術的・歴史的展示があって、勉強になります。 

(4)錦帯橋(山口県岩国市)
 錦川に架橋された木造のアーチ橋で、日本三名橋または、日本三大奇橋の一つとされ、国の名勝に指定されています。江戸時代前期の1673年(延宝元)に、岩国藩主吉川広嘉によって建造されたもので、全長193.3m、幅員5.0mあり、太鼓橋を5つ連ねたような構造でした。橋が流されないための工夫だとされていましたが、惜しくも1950(昭和25)9月14日のキジア台風で流失し、3年後に再建されたものです。その後も、何度か修復されて、現在に至っていますが、河原から、仰ぎ見ると、弓なりになった橋が連なり、独特の景観を形作り、錦川をはさんで、遠く山上に岩国城天守閣が望まれて、彩りを添えていました。1966年以降は、「入橋料」が徴収されるようになり、掛け替え・管理の財源に充てられています。「

(5)瀬戸大橋(岡山県倉敷市・香川県坂出市)
 昭和時代後期の1988年(昭和63)4月10日に開通した、瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称です。下津井瀬戸大橋(吊り橋:1,447m)、櫃石島高架橋(高架橋:1,316m)、櫃石島橋(斜張橋:792m)、岩黒島高架橋(高架橋:93m)、岩黒島橋(斜張橋:792m)、与島橋(トラス橋:877m)与島高架橋(高架橋:717m)、北備讃瀬戸大橋(吊り橋:1,611m)、南備讃瀬戸大橋(吊り橋:1,723m)、番の州高架橋(高架橋:2,939m)からなり、2階建て構造で、上部が4車線の瀬戸中央自動車道用、下部がJR本四備讃線が走る鉄道用ですが、さらに新幹線が敷設できるようになっていました。橋梁部は9,368 m、高架部を含めると13.1kmの延長があります。尚、香川県坂出市番の州緑町に「瀬戸大橋記念館」、岡山県倉敷市児島に「倉敷市瀬戸大橋架橋記念館」があって、瀬戸大橋に関するいろいろな展示がされています。

(6)祖谷の蔓橋(徳島県三好市)
 祖谷渓に架けられている、サルナシ(しらくちかずら)などの葛類を使った原始的な吊り橋で、日本三奇橋の一つとされています。西祖谷山村善徳にあるものが著名で、長さ45m・幅2mあり、有料で渡ることができますが、14m下の谷底が見え、スリリングでとても勇気が入りました。重要有形民俗文化財に指定され、保護されていて、3年毎に架け替えが行なわれています。さらにその奥地、同市東祖谷菅生に「奥祖谷二重かずら橋」というのも残されていますが、周辺は、平家落人伝説のある日本有数の秘境となっていました。

(7)長崎眼鏡橋(長崎県長崎市)
 中島川に架かる石造二連アーチ橋で、日本三名橋の一つとされ、1960年(昭和35)に国の重要文化財に指定されています。江戸時代前期の1634年(寛永11)に、中国から来日して興福寺の2代目住職となった黙子如定(もくすにょじょう)によって架けられました。長さは22m、幅3.65m、水面までの高さは5.46mあり、水面に映る姿が眼鏡のように見えるところからこの名が付いています。その後、度重なる水害にも耐えてきましたが、1982年(昭和57)の長崎大水害では、半壊するという深刻な被害を受けたものの、復旧されました。このような橋は、江戸時代以降、長崎を中心に九州各地で造られ、1839年(天保10)に、造られて現存する諫早市のものも有名で、国の重要文化財に指定されています。

☆「日本百名橋」一覧

<北海道>
•豊平橋(北海道札幌市豊平区)
•旭橋(北海道旭川市)
•幣舞橋(北海道釧路市)

<東北>
•湊橋(青森県八戸市)
•上の橋(岩手県盛岡市)
•蛇の崎橋(秋田県横手市)
•臥龍橋(山形県寒河江市)
•大橋(宮城県仙台市青葉区)
•信夫橋(福島県福島市)
•十綱橋(福島県福島市)

<関東>
•水府橋(茨城県水戸市)
•日光・神橋(栃木県日光市)
•大渡橋(群馬県前橋市)
•碓氷第三橋梁(群馬県安中市)
•水郷大橋(千葉県佐原市)
•秩父橋(埼玉県秩父市)
•四谷見付橋(新 - 東京都新宿区、旧(現・長池見附橋) - 東京都八王子市)
•氷川大橋(東京都西多摩郡奥多摩町)
•千住大橋(東京都荒川区)
•両国橋(東京都墨田区)
•常盤橋(東京都中央区)
•日本橋(東京都中央区)
•永代橋(東京都中央区)
•二重橋(東京都千代田区)
•八幡橋(弾正橋)(東京都江東区)
•横浜ベイブリッジ(神奈川県横浜市中区)
•六郷橋(神奈川県川崎市川崎区)
•馬入橋(神奈川県平塚市)

<中部>
•万代橋(新潟県新潟市中央区)
•直江津橋(新潟県上越市)
•愛本橋(富山県黒部市)
•越中・舟橋(富山県富山市)
•犀川大橋(石川県金沢市)
•九十九橋(福井県福井市)
•甲斐の猿橋(山梨県大月市)
•中津橋(長野県佐久市)
•桃介橋(長野県木曽郡南木曽町)
•中橋(岐阜県高山市)
•永保寺・無際橋(岐阜県多治見市)
•富士川橋(静岡県富士市)
•大井川橋(静岡県島田市)
•浜名橋(静岡県浜松市)
•矢作橋(愛知県岡崎市)
•納屋橋(愛知県名古屋市中区)
•枇杷島橋(愛知県清須市)
•長良大橋(岐阜県岐阜市)

<近畿>
•伊勢・宇治橋(三重県伊勢市)
•瀬田唐橋(滋賀県大津市)
•大宮橋(滋賀県大津市)
•谷瀬の吊橋(奈良県吉野郡十津川村)
•不老橋(三断橋)(和歌山県和歌山市)
•三条大橋(京都府京都市中京区)
•五条大橋(京都府京都市下京区)
•上賀茂神社・橋殿(京都府京都市北区)
•渡月橋(京都府京都市西京区)
•東福寺偃月橋(京都府京都市東山区)
•宇治橋(京都府宇治市)
•上津屋橋(流れ橋)(京都府八幡市)
•泉大橋(京都府木津川市)
•長柄橋(大阪府大阪市北区、東淀川区)
•難波橋(大阪府大阪市中央区)
•高麗橋(大阪府大阪市中央区)
•淀屋橋(大阪府大阪市中央区)
•心斎橋(大阪府大阪市中央区)
•住吉の反橋(大阪府大阪市住吉区)
•明石海峡大橋(兵庫県神戸市、淡路市)
•餘部橋梁(兵庫県美方郡香美町)
•神子畑橋(兵庫県朝来市)
•武庫大橋(兵庫県西宮市)

<中国>
•智頭橋(鳥取県鳥取市)
•瀬戸大橋(岡山県倉敷市)
•京橋(岡山県岡山市北区、中区)
•松江・大橋(島根県松江市)
•羅漢寺・反橋(島根県大田市)
•厳島・反橋(広島県廿日市市)
•元安橋(広島県広島市中区)
•錦帯橋(山口県岩国市)
•平安橋(山口県萩市)

<四国>
•琴平・鞘橋(香川県仲多度郡琴平町)
•三架橋(香川県観音寺市)
•吉野川橋(徳島県徳島市)
•祖谷の蔓橋(徳島県三好市)
•長浜大橋(愛媛県大洲市)
•御幸の橋(愛媛県大洲市)
•播磨屋橋(高知県高知市)
•一斗俵沈下橋(高知県高岡郡四万十町)

<九州・沖縄>
•常盤橋(福岡県北九州市小倉北区)
•筑後川昇開橋(佐賀県佐賀市)
•長崎眼鏡橋(長崎県長崎市)
•諫早眼鏡橋(長崎県諫早市)
•西海橋(長崎県西海市、佐世保市)
•祇園橋(熊本県天草市)
•通潤橋(熊本県上益城郡山都町)
•呉橋(大分県宇佐市)
•耶馬溪橋(大分県中津市)
•虹澗橋(大分県豊後大野市、臼杵市)
•橘橋(宮崎県宮崎市)
•西田橋(鹿児島県鹿児島市)
•天女橋(沖縄県那覇市)

【番外】
•上山・新橋(山形県上山市)
•真間の継橋(千葉県市川市)
•芦峅寺 布橋(富山県富山市)
•木曽の桟(長野県木曽郡上松町)
•八橋(愛知県知立市)
•裁断橋(愛知県名古屋市熱田区)
•飛鳥の石橋(奈良県高市郡明日香村)
•橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)
•天橋立(京都府宮津市)
•行者橋[古川町橋](京都府京都市東山区)
•雪鯨橋(大阪府大阪市東淀川区)
•木の根橋(兵庫県丹波市)
•八十橋(兵庫県加古川市)
•雄橋(広島県庄原市)
•縮景園・跨虹橋(広島県広島市)
•表御殿庭園石橋(徳島県徳島市)
•独逸橋(徳島県鳴門市)
•弓削神社 太鼓橋(愛媛県喜多郡内子町)
•霊台橋(熊本県下益城郡美里町)
•池田矼(沖縄県宮古島市)

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