翌朝は、早めに起きだして、7時過ぎからカメラを携えて、散策に出かけた。しばらく、街道筋を東に向かって歩くと、町並みの中に、赤坂関川神社がある。その境内に松尾芭蕉の「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の句碑があるが、御油宿と赤坂宿の近さを夏の夜の短さにかけて詠んだものだ。
赤坂関川神社の松尾芭蕉句碑
カメラに収めてから、さらに東へ歩くと、宿場も終わって、有名な御油の松並木となる。今でも両側に松の木がたくさん茂っているが、その中を御油宿に向かって歩いていった。途中の児童公園の所に、看板があり、十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さんが喜多さんを狐が化けたと勘違いして縛り上げる滑稽話が書かれていた。当時は、竹林もあって狐が出てきそうな所だったのだ。そんな状況も想像しながら、いろいろと写真を撮って戻ってきた。
8時から朝食を取り、宿を出て、旧東海道をたどり、藤川宿へと至った。ここでは、駐車場に車を入れて、しばらく宿場を歩いてみたが、脇本陣の跡が資料館となっていて、見学した。少し行ったところにある棒鼻は、安藤広重著『東海道五十三次 藤川宿』に描かれている。その前に、むらさき麦が栽培されていて、興味を持ったが、松尾芭蕉の「爰も三河 むらさ麥の かきつばた」の句に出てきて、近年復活したものだそうだ。近くの十王堂には、寛政5年建立の芭蕉句碑も建てられていた。
その後、旧東海道を離れ、岡崎から豊田市域を通過して、長久手町にあるトヨタ博物館も見学した。大きな建物で、展示スペースも広く、クラシックカーがたくさん置いてあったので興味深く、結構時間がかかってしまった。それから、昼食を食べて、実家へと向かった。
赤坂関川神社の松尾芭蕉句碑
カメラに収めてから、さらに東へ歩くと、宿場も終わって、有名な御油の松並木となる。今でも両側に松の木がたくさん茂っているが、その中を御油宿に向かって歩いていった。途中の児童公園の所に、看板があり、十返舎一九著『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さんが喜多さんを狐が化けたと勘違いして縛り上げる滑稽話が書かれていた。当時は、竹林もあって狐が出てきそうな所だったのだ。そんな状況も想像しながら、いろいろと写真を撮って戻ってきた。
8時から朝食を取り、宿を出て、旧東海道をたどり、藤川宿へと至った。ここでは、駐車場に車を入れて、しばらく宿場を歩いてみたが、脇本陣の跡が資料館となっていて、見学した。少し行ったところにある棒鼻は、安藤広重著『東海道五十三次 藤川宿』に描かれている。その前に、むらさき麦が栽培されていて、興味を持ったが、松尾芭蕉の「爰も三河 むらさ麥の かきつばた」の句に出てきて、近年復活したものだそうだ。近くの十王堂には、寛政5年建立の芭蕉句碑も建てられていた。
その後、旧東海道を離れ、岡崎から豊田市域を通過して、長久手町にあるトヨタ博物館も見学した。大きな建物で、展示スペースも広く、クラシックカーがたくさん置いてあったので興味深く、結構時間がかかってしまった。それから、昼食を食べて、実家へと向かった。