私の経験からクモ膜下出血で維持期になって退院して家に帰った時のことです。
家でのリハビリですからどうしてもさぼり気味になります。
病院で何一つ不自由なことなく過ごして退院しているので無理にでも必要なことはさせないとダメです。
それには鬼嫁が必要なのです。
心を鬼にしてなるべく何もしないようにすることが大切です。
鬼嫁宣言
お前はクモ膜下出血で入院したが
退院する前に言っておきたいことがある
家に帰ったら行きたいところには
自分で行け
その時はベンチのあるところに行け
すぐに座るものがないと転ぶぞ
怪我のないように一人で歩け
転びそうになっても
私は助けない
私が助けるといつまでも
お前は何もできない
お前が浮気をしても
私は嫉妬はしない
だけど覚悟はしろ
お前のクレジットカードで
膨大な買い物をする
お前が一生かかっても
払いきれないだろう
それからトイレに入って紙がないようにするぞ
紙持ってきてくださいと言ってもほうっておくぞ
ここにはお前にしかできないことは何もない
だから何にもせずに黙って外を歩いていろ
こんなふうな曲をミャンマーに向けて作れないかなと思います。作るとしたらレディガガでしょうか。ジミーヘンドリックスがウッドストックでやったようにミャンマーの国歌を爆弾のような音をギターで出して演奏するとかはないな。
そんなことで太陽のことを歌にするのは身の程知らずということがよくわかりました。SDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」ということが国連で決められていますが、持続的な開発はどのくらいの時間を想定しているのかなと思ったりします。SDGsに必要なのはバイオエネルギーになりますが、ほとんどのエネルギーは太陽のおかげです。50億年というのは遥か未来のことですが、もしその頃人類が存続していれば、今何らかの手を打っておかないとその頃太陽に飲み込まれそうになって困った人たちが「50億年前の人類が何もしなかったからこんな状態になったんだ」と私たちを責めるかもしれません。まぁその頃、人類はいないかもしれませんが50億年後の人が好感を持てるようなことをしといたほうがいいのではないでしょうか。「50億年の前の人はこんなにしてくれたのに、人類は滅びてしまう」となったほうが、「50億年前の人が何もしなかったから、人類は滅びてしまう」よりマシだと思います。
今日は散歩の時に歌う鼻歌の歌詞が頭に浮かんできました。
「太陽にパンツを履かせたよ
すぐに熱で溶けて無くなった」
というのですが、メロディーはハワイアン風にしています。そのうち歌詞をもう少し増やしてメロディーもつけたいです。
調べてみると太陽の表面温度は6000℃だそうで、溶けにくいと言われているタングステンでも6000℃以下が沸点のようで太陽のパンツの素材は何にしても溶けて無くなるのかなと思いました。
家族にも聞かせたのですが、「くだらん」の一言でカタをつけられました。明日からの散歩で鼻歌を歌いながら作りたいと思います。
フラガールを録画したのでこの頃よく見ています。1月になってから3回以上見たと思います。何回も見ることによって前に気づかなかったことがわかることがあります。早苗と紀美子という二人の女性の主人公がいるのですが二人は同じ年のようです。それで早苗は私服を着てるのですが紀美子はセーラー服を着ています。早苗は女性の仕事になっていた選炭をする仕事で炭鉱で働いているんですね。一方紀美子は親に高校に行かせてもらっているようです。そんなことを服装で表現していたんですね。紀美子がお母さんに「高校へ行ってもととってこい」と言われてます。子どもの権利として学校に行くのではなく、親のために行くんです。このころの高校の立場がわかります。
それから見るたびに先生役の松雪泰子さんの演技力に驚いてしまいます。東京から田舎に来てがっかりしていたのが地元の人に慣れ親しんで行く表情が本当に上手に表現してるなと思います。他に出ている映画も見たくなりました。芸能界のことは本当に知らない私ですが、久しぶりに感動する映画を見ました。
WOWOWとNHKのBS1で続けてフラガールが放映されたのでそれぞれ録画してみました。2006年に作られたそうですが、私はその頃2年間ほど暮らしたベトナムから日本に帰る時の帰りの便の飛行機の中で見ていました。その頃はわからなかったのですが、この映画にはタヒチアンダンスがたくさん出てきますね。私はフラを習っていますが、この映画の中にあるステップの練習風景が面白いです。飛行機の中で見たときは将来フラをなら会うとは思ってませんからあんまり真面目に見てなかったことがはっきりとわかりました。あのいわきの炭山は私には懐かしいものです。この頃石炭は石油に追い出されたんですね。確かに、石炭は重いし、火をつけるにはちょっとした工夫がいります。それに冬の寒い中で煙突のすす払いをしなければなりません。石油になってからは煙突のすす払いをしなくて済むようになりました。
映画の設定は昭和40年なんですが、この頃は炭鉱で落盤事故が頻繁に起きていました。悲しい時代でした。私は札幌の林縁部の小学校に通っていましたが新学期や夏休みが終了した時にたくさんの転校生が炭鉱の町から来ていました。小学校に入学した時は一学年5学級くらいだったのに、卒業時には10学級になっていました。あまり生徒が増えすぎたので教室が足りなくなって、理科室や音楽室などでも授業が行われていました。主人公の早苗さんのお父さんが炭鉱をクビになって夕張に行くシーンがあります。この頃はいわきより夕張の方が景気が良かったんでしょうかね。夕張はメロンで盛り返しましたが、この映画ができた頃は財政破綻をしていました。昭和40年と現在では随分変わったんでしょうね。あの炭鉱の宿舎も私にとっては懐かしい気がします。
録画したフラガールは5回くらい見ました。踊りは下手ですがフラは私の生活の一部になりそうです。
去年2ヶ月くらいジムが閉鎖されました。コロナのクラスターを起こさないためです。その間毎日のように散歩をしていました。でも長く歩いた次の日は足が痛くてあまり歩けない日が多かったと思います。ホノルルマラソンで42.195キロを完歩する(完走ではありません)のが夢ですから長く歩けるようになりたいと思って歩くのですが、歩くことが長く歩けるようになる訓練にはならないという気がしました。要するに不自然な歩き方をしているので足の弱いところに負担がかかって足が疲れるのだと思います。長く歩くためにはどうしたらいいのか考えていました。早く元のように歩けるようになりたいと思って色々試してみました。あまり考えすぎて歩き方を忘れるようなこともありました。
そうこうしてると安全対策をするので来てくださいと言われジムが再開しました。といってもヨーガやフラダンス、エアロビクスのようなスタジオプログラムは始まらないので筋トレと室内用自転車とトレッドミルをやっていました。そのうちジムの体育館の中で密にならないように間隔をとって館内プログラムでポールストレッチやピラティスなどが始まりました。普段に筋トレをしている体育館でのプログラムです。体育館の隣にはフラダンス、ヨーガ、エアロビクスなどをするスタジオがあるのですが、ここで実施されるスタジオプログラムは、まだ始まりません。
筋トレは腿の前と後ろを使うものをしていたのですが、どこか他のところを鍛えないといけないと思うようになったのです。そこで気がついたのはふくらはぎです。館内プログラムでふくらはぎを鍛える体操をやってみると足が軽く動いたのです。
歩いた後は腿よりふくらはぎが痛みます。ふくらはぎに不自然な負担がかかっている証拠だと思います。ふくらはぎの鍛え方を理学療法士に教えてもらいました。手すりを持ったまま踵を上げて下ろすのです。まだ効果は現れてませんが続けてみようと思っています。長く歩くためにはふくらはぎを鍛えればいいのか、それとももっと効果的な方法があるのか、そのうちわかるようになると思います。
あけましておめでとうございます。
最近の流行り言葉で言えば
あけおめことよろメリクリ
です。
メリクリはメリークリスマスということなので正月には関係ありませんが。
そんなことで初詣に近所の神社に行ってきました。家から歩いて30分くらいのところにあります。人はほとんどいなかったので感染に関しては安心できました。ただ賽銭箱が階段で4段くらい上に置いてあって手すりがなく妻に手を取ってもらって階段を登りました。まぁ神社なので足の悪い人に対する配慮はないのだろうと思います。私も4段の手すりなしの階段を平気で登れるようになりたいです。本当に久しぶりの初詣です。蜘蛛膜下出血して退院してから元の生活に少しずつ戻っているような気がします。
当時血圧が高く「鼻歌ウォーキングが血圧を下げる」と聞いて15年くらい前にこのブログを始めました。それが6年ほど前にクモ膜下出血で倒れてつい最近まで休止していました。退院後体力がついてやっと再開できるようになったおかげです。
出血した時に動脈瘤が3っつあるということがわかりました。脳ドックを受けていれば動脈瘤のことがわかってもう少し違った行動をとることができたかもしれません。人の運なのでどうかはわかりませんが、高血圧だったことが関係あったのでしょうかね。今は降圧剤を毎日飲んでいることもあって上が110で下が80くらいになっています。朝に一錠降圧剤を呑んでいるのですが一日中安定しています。つまり、あまり薬の呑んだ時間と血圧に関係がないのです。飲まなくてもいいのかなとは思いますが、かといって勝手に降圧剤をやめるわけにも行きません。かかりつけの医師に色々聞いてみようと思っています。
クモ膜下出血で歩けなくなり、喋れなくなって、すべてのものが2重に見えるようになりました。それでもリハビリ中は歩くことにこだわっていました。このうログを続けることを気にしていたからだと思います。退院してから近くの公園で散歩しています。退院直後は安定して歩けませんでしたが、今ではだいぶ歩けるようになりました。でもまだ出血前ほど長い距離を歩けません。これから長く歩く練習をして鼻歌で散歩をしていきたいと思っています。
今から20年くらい前に柿のタネを庭に植えたところ10年くらい経って実がつき始めました。それ以降、毎年実がついたのですが、渋くてとてもたべれたもんじゃありませんでした。今年もたくさんの実がなったのですが、11月ごろに切り取って美味しそうな実を食べたのですが、とても渋くて食べなかったのです。そのまま放っておきました。ところが去年まで実がなっても見向きもしなかった鳥たちが残ったたくさんの実を全部食べてしまいました。メジロやシジュウカラなどな種類かの鳥がいました。12月になると甘くなったのかもしれません。柿は年数が経つと甘くなるといいますが、鳥が全部食べたので今年の柿は甘かったのでしょうね。来年は鳥との競争になりそうです。実がなって早く食べすぎると渋いし、甘くなるのを待っていると鳥に始末されてしまいます。いつ食べるか難しい判断ですね。
でも庭には実のなる木がない方がいいという人もいてあまり庭の柿のことは大きな声で言えないのです。
今朝台所で食洗機のところにいたらでかいゴキブリがでてきました。ゴキブリに効くようなスプレーを探したのですが見つかりませんでした。弱っていたのか動きの鈍いゴキブリでした。何かゴキブリを退治できるものはないか周りを探してみましたが何も見つかりませんでした。それで仕方なく近くにあった「テント用防水スプレー」をかけてみました。ゴキブリはぱたっとシンクに落ちました。防水スプレーが効いたのでしょうか動かなくなりました。少し他の用事をしてから台所のシンクのところに戻りました。そうしたらゴキブリの姿が見えません。逃げたのでしょうか?防水スプレーがゴキブリ退治に使えるのでしょうか。
これはゴキブリが防水スプレーをかけた私が恥をかかないように忖度で倒れたふりをしたのかもしれません。ゴキブリの忖度とでもいうのでしょうか。今日は朝からゴキブリの忖度に付き合ってしまいました。そういえばこの前、夜中におしっこで起きてトイレに行った時、床の上を歩いていたゴキブリを踏んでしまいました。私に踏まれるとはよほど運が悪いのかと思います。
私はほとんどハワイ語をしゃべれません。それで鼻歌でハワイの歌を歌いながら散歩するのは難しいのです。勝手に日本語の歌詞を当てて鼻歌にしています。
ハワイの神話を歌ったカハラオプナという曲があります。カハラオプナという女の人の婚約者というのが非常に嫉妬深い人で友達にそそのかされてカハラオプナを殺します。フクロウの神様がカハラオプナを生き返らせるんです。で、婚約者はまた殺すんですね。6回殺して6回生き返らせるという物語です。この歌はなんとなくクレージーキャッツの歌詞にして歌うとしっくりするのです。
「ちょいと一杯のつもりで飲んでいつまにやらはしご酒、気がつきゃホームのベンチでごろ寝、これじゃ体にいいわけないよ。わかっちゃいるけどやめられない」という歌詞でカハラオプナを歌うとぴったり合います。日本語で鼻歌を歌うためには、この歌詞をつけてう歌えばいいのかなと思います。これで鼻歌をハワイアンで歌いながら散歩することができます。ハワイ語ができなくてもこの歌詞を使えるなと思います。
今日は天気が良くてお日様が当たります。洗濯物も乾くと思います。そういえば回復期のリハビリに作業療法というのがあってOTと呼ばれてました。リハビリを終えて家に帰っても困らないように家の作業ができるようにするリハビリです。OTの中で料理の時間もあるのでリハビリ室の中は作られた料理のいい匂いがしていました。その匂いの中で私は洗濯物を干したり、乾いた洗濯物をたたんでしまう練習をしていました。OTの療法士は洗濯物をミリ単位でたたむような人でした。秋から冬にかけては空気が乾いて洗濯物がすぐに乾くので洗濯にはいい日が続きます。今日は晴れて日の照る日なのでそんなOTの作業を思い出しながら洗濯物を干しました。
シカゴが流行らせた「長い夜」という曲があります。原題は「25 or 6 to 4」です。4時の25か26分前という意味だと思います。夜遅くというか朝早くという時間です。前の日から起きていて、この時間になれば夜遅くで長い夜になります。この時間に起きてしまうと朝が長いという感じになります。
今から40年以上前の曲ですが、流行っている頃「シ(四)か ゴ(五)」の「4時の25か6分前」という曲だよと冗談を言っていた覚えがあります。もし原題が「24 or 5 to 4」だったら「シカゴが歌う4時の20 シカゴ分前」というダジャレになっていたでしょう。その当時は、10代後半の若いころだったのに、その頃からオヤジギャグを言ってました。テリー・カスのギタープレーを真似して気取っていたりしたもんでした。
その頃はそんな冗談を言っていたのですが最近この歌のことが自分に起こっています。この頃はおしっこがしたくて朝の四時前に起きてしまうのです。一度起きると二度寝ができなくて起きてしまうと「長い夜」じゃなくて「長い朝」になってしまいます。そんなことでオヤジギャグを言っていたバチが当たったかな?と反省の日々です。散歩をしながら鼻歌で「長い夜」を歌ってるわけではありません。