寓居人の独言

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思い出話 遠藤朝夫先生のこと(20130715)

2013年07月16日 08時37分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 私の中学3年生の時(昭和26年度)の担任の先生は、社会科担当の遠藤朝夫先生である。みんなはオトゲとか三日月と呼んでいた。どういう意味かというと、オトゲとはおとがいつまり下あごのことである。三日月とは細い月の下半分があごになっている某社の宣伝の絵を見て同じだと言うことである。朝夫先生の下あごは長いのである。細面で身長が高く、すらっとした姿はまるで俳優のようであった。その上に笑顔がとっても素的であった。
  学芸会の時に、私に役をくれた。朝夫先生は厳しく何回も何回も練習を命じた。それはベートーベンの短い挿話のなかで、耳が不自由になったベートーベンと弟子(私の役)の2人でウィーンの森を散歩しているときにピアノの音が聞こえてくる。ベートーベンには聞こえない。そこで音のする方へ誘って行った話であったと思う。私はクラシック音楽を全く知らなかったのでどうも調子が合わなかったような気もする。
 その学芸会では、佐々木さんという女生徒が「ニンジン」という一人芝居をやった。それがとても可愛いかった。もう一つ覚えているのは、正永さん、佐々木さんそれともう一人 (申し訳ないが名を忘れてしまった)の3人で「常動曲」とかいう曲に合わせてくるくると踊ったのも可愛かった。これは恐らく音楽担当の中館先生の指導によるものだったと思う(間違っていたらお詫びする)。
 そして修学旅行で東京~鎌倉~江ノ島と2泊3日の旅で、上野動物園に行った。私は国民学校2年生の時に父と行って以来のことでとっても懐かしかった。動物園見学が終わって集合時刻になっても数人の同級生が戻ってこなかった。そのとき朝夫先生は、私と曽根君に「お前たちは東京のことが分かっているだろうから探しに行くように」と命じた。私たちは理由が分からないけど探しに行った。その同級生たちは、動物の名前と特徴をノートに書きながら回っていたので遅くなってしまったと言うことだった。
 朝夫先生は、私が中学を卒業した翌年結婚されて古川に近いところに転勤した。私たちは、高校の帰りにその小学校へ何回も会いに行った。そして翌年には古川市の小学校へ転勤した。そこへも何回かお訪ねした。朝夫先生とは高校のことや将来のことなどをお話しした。そして私が高校を卒業して大学に入った頃に病没されたと噂に聞いた。
 とってもいい先生であったのに残念でならない(写真を現在探しているところである)。


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