SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

安田南と沖山秀子

2013-07-06 | バンド・音楽

最新の「JAZZ批評」は私の青春時代の特集だったので、
興奮しながらおもわず掲載。
「日本映画とJAZZ」という特集で、これだけでも興奮ものだが、
巻頭特集が「安田南と沖山秀子」なのだ。
二人とも私が10代の頃に強烈に印象深かったJAZZシンガー、女優だったのだ。













「十九歳の地図」は中上健次の小説が映画化されたものだ。
勿論、小説を先に読んでいたのだが、数年後に映画化された。
二本立てで放映されていた。もう1本が思い出せない。
映画になった1979年は私自身が19歳だったのもあり、「十九歳の地図」は思い出深い映画になった。
監督は柳町光男で音楽が板橋文夫というすごい布陣。
ここに出演した沖山秀子がすごく印象的な演技で、後世まで引きずるようなすごさがあった。
板橋文夫も大好きなJAZZピアニストだったのだが、重く低く暗いピアノが映画の全編に流れるのが強烈だった。
マルサの女で伊丹十三が使った全編に流れる本田俊之のサックスのファンキーなJAZZの使い方は十九歳の地図における板橋文夫を即座に思い返した記憶がある。
それぐらい板橋文夫のピアノは印象深い。
それにしても沖山秀子の汚れて情念に満ちた女性の役は19歳の私には強烈であった。
ぼろいアパート、ひどい雨、板橋文夫、沖山秀子・・・
でも、そんな彼女は関西学院大学を出たインテリでもあったのだよな。
(この映画にはなんと友部正人も出演している。)




(ジャケット写真は中平卓馬!!)






そういえば安田南もタバコやアングラ劇団のイメージもあるが、目黒十中出身で裕福であったらしい。
JAZZ=暗い=アングラ
みたいな印象があるが必ずしもそうではないんだろうな。
ただ、裕福なだけに体制に反対したかったのはあったかもしれない。
時代がそういう感じだった。
中津川フォークジャンボリーでJAZZを歌った安田南と観客で問答が起こり、ステージが紛糾して、自分たちのテントで歌い直したという逸話も残ってる。
私の好きな写真家の中平卓馬と安田南は付き合っていたという話も
このJAZZ批評で初めて知って驚いた。
中平卓馬には奥さんも子供もいたのだ。
でも、「きまぐれ飛行船」で片岡義男と一緒にしゃべっていた時の安田南は極めて淑女で知的だった。
二人のゆったりしたやり取りは本当に印象的で、毎週楽しみだった。
安田南はさらっとした知性派なのだが、時々天然ボケをするのが面白かった。
ずっと長い間二人のやり取りを楽しめたのだが(7年間だったそうだ)、あるときから安田南が欠席し始めた。
この本で知ったのだが、体調を崩してフェイドアウトしたようだ。
他の人の証言では薬の件が書いてあるので、そうだったのかもしれない。
忽然と世の中から消えてしまった。
2005年に亡くなっている。
そういえば、沖山秀子は2011年に亡くなったそうだ。
二人とも精神的に病んでしまったり、バランスを崩したり、沖山秀子は自殺未遂を何回かしている。
劇的な人生だが、時代に翻弄されたとも言えるし、時代に立ち向かったとも言える。
1970年代という時代に燦然と個性を発揮していた二人だったのだ。
もう二度と現れないだろう。








安田南の1stでライブ。
バックは大好きな山本剛トリオ!!
歌も演奏も最高だ。
ライブハウスは青山の「ロブロイ」だが、TVで知られる前の阿部譲二の店なのだ。
暴力団組員にして慶應義塾高校に通ってたあの阿部譲二だ。
そんなすごい人脈の中にいたのだなぁ。









山本剛トリオは黄金のメンバー。
福井五十雄、小原哲次郎にサックスの大友義雄も参加する。
イントロの「いきます。」というのが忘れられない名盤。
歌は本当に上手い。
ジャズボーカルが苦手という人も聴いたらイイ。
すばらしいから。
「お行儀の悪いビリー・ホリデー」って言わしめた安田南だが、
素敵すぎる歌だよ。

(裏ジャケットに写るポスターが中村誠一だよ!)









コメント (7)
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