我が家の千恵子選手の「アルツハイマー型認知症」の状況は
緩やかではあるが少しずつ進行しているようだ。
普段の生活やその言動は他者から見ると到底そういう状態には
見えないようだが、私にはもちろん、近くに住む子供たち家族にも
その緩やかなれども進行しているという様子はわかるのだ。
むろん本人も認識している。
ただ、私たち家族はそれを悲観的には考えていないし、その負の
特徴や特異な症状として語られるようなものも今のところ見られない。
本人は自分でも体力と共に衰えていく直近の記憶や判断力、
行動力などをわかっている所為か「自信喪失」に近い言葉や表情が
増えてきたように感じる。
そんな中で長年の生活のルーティーンのように現在も変わりなく
続けている日常生活の炊事、洗濯、掃除などはほぼ問題なく、
本人自らも現状維持のために・・と足腰の痛みに耐えながらも
笑顔でやっている。
ただ、動作は以前に比べると緩慢だがそれは致し方ないことだと思う。
そんな千恵子選手が自分自身で『こんなはずじゃなかったのに・・』とか
『このままではいけない・・』思うことも屡のようだ。
そして少しずつ辞めさせていただいた絵手紙教室の最後の教室を
辞めた今年の3月からは「ほっ」と安堵した思いと、今後も自分のため
(認知症の進行緩和)にやり続けなければ・・という思いで時々
絵手紙を描いてきたが以前に比べ、集中力に欠ける自分に気づき、
何か集中して継続できるものを・・と考えていた時に毎日目を通す
朝日新聞のコラム【天声人語】の「書き写しノート」を知ったようだ。
そして早速4月半ばからその「天声人語書き写しノート」の活用を
はじめ、現在は6冊に至った。
この書き写しノート活用の功罪については賛否両論あるようだ。
ネットでは読解力や作文力などの効果効用などが語られる一方で
効果なし・・と言う意見もあるようだが当の本人はそういうことよりも
文章を読み、理解しながら限られた文字数(603文字)をきちんと
その枠内に書き納めるという集中する作業に魅力を感じ、集中する
ことによって自分自身の状態を確認したかったのだろう。
そう思うこと自体は私も良いことだと思う。
本人は体力と共に日々衰えていくように感じている気力に
緩くても、あまり効き目がなくても自分でできることを残された人生で
継続していきたいようなのだ。
このことはかなり前から思っていたようで実践してきたこともいくつかある。
1993年から書き始めたあの石原出版社の「10年日記」も2022年に
3冊目を書き終え、昨年からは4冊目に入ったのだが、本人はさすがに
あと10年は無理かも?・・思ったようで昨年からは高橋書店の
「3年日記(2023~2025年)」に切り替えたのだが・・・
書き始めて32年になることを思えば、挫折することなくよくもこんなに
長く続けられたものだと感心もするのである。
そして絵手紙を27年間続けてきたことにも彼女なりの努力には
家族であってもよく頑張った‥と思う。
書き写しノートに向かっているときは私もなるべく声をかけないように
しているが、本人自身もその時の気持によって掲載した画像のように
書き終えた後の気分も違うようである。
認知症の症状の一つに「昔のことはよく覚えている・・」ということが
あると言われるがまさにそのとおりで、数日前から今日までのことや
数時間前やほんの数十分前の記憶が曖昧・・ということは千恵子選手にも
多く表れている。
それを本人自身もわかっている上での『何かを継続してやりたい‥』は
私達周りの者も大切にしなければならないと思うのである。
「天声人語」の書き写しノート
思いついたことを欄外に・・
603文字を間違いなく升目に入れていくためにはやはり集中力?
やはり難しいのか・・・ 心理状態が書き写しを左右?
なかなか慣れないようだが・・・ 書き終わると満足感も・・・
吉行淳之介に関するものを検索?・・・