腕時計をしない生活になってかなりの年月が経つ。
私が腕時計をしなくなったのは携帯電話が急激に普及した頃から
だっただろうか。
仕事中は片時も離さず携帯電話(スマホを含む)を持ち、家庭内では
いくつもの時計をあちこちに置いてあるし、テレビを見ているときも
時間帯によっては常に時刻は表示されるので腕時計をしないことに
よって不便を感じたことは全くない。
車に乗っている時も時計はあるし・・・
とは言うものの・・・腕時計の良さも・・・
腕時計をつけるのは長い間の習慣だったので特別苦にはならず、
腕に時計があればちょっと見るだけですぐに時刻がわかるという
便利さはあり、スマホの画面の時刻表示より時計の文字盤のほうが
温かみもあるように思えて何故か「ほっ」とするのである。
しかし・・・反面、その習慣をやめて一種の開放感のようなものを
感じているのも事実で、今はむしろそれ(時計をしないこと)が
快適で当たり前のようになっているように思うこともあるので
あらためて考えると不思議でもある。
あの時計はどうなっているかな・・・と棚にしまったいくつかの時計を
取り出してみた。
長く愛用したシチズンの時計も息子からプレゼントしてもらった
タグホイヤーも私が好んで購入したいくつかのカシオのGショックも
最近は電池交換をしていなかったので当然のことながら停止していた。
当時は必需品でありながらそれほどありがたさも感じなかったが
防水検査や耐圧テストなどで腕から離れているときはしょっちゅう
左手首を見ていたことを懐かしく思いだした。
それぞれの時計にいくつもの色々な思い出があるがこれらの時計は
もう二度と使われることなくこのまま多くの思い出を秘めたまま
眠り続けることになるだろう。
動かなければ価値のない時計・・・・
時計は動かなくても外観はいつまでもほぼそのままだが私たちは
頭や体を動かし続けなければ心身共にどんどん劣化するばかり・・・
動かなくなった時計は外部から何か手を加えてやらなければ機能は
回復しないが私たちは自らの意思で自分に刺激を与え、時計のように
正確無比・・・ということは無理でも人としての心を持った
社会生活や人間関係を保つ機能は持ち続けることができると思う。
(迷惑や害にならない程度の誤差を感じながらも・・・)
そう思うと、誤差の無かったこれらの時計を時々見ることで何か
励みのようなものを感じるかも知れない。
そのためにも一つぐらいは電池交換や防水検査、耐圧テストなどを
していつでも使えるようにしておいた方が良いのかも知れない。
便利すぎるスマホの時計画面を見るよりも素朴でも温かみがある
懐かしい文字盤を見ればさらに懐かしい思い出も拡がり、更に元気に
なるだろう。
40年以上前でしたか・・
デジタル時計が流行りカシオのGショックが羨ましくもっている奴は自慢してましたね
勿論今は持ってますが
私はアナログ時計が好きでGショックでもアナログです
デジタルだと現在時刻を見るだけで
例えば今から40分後と言うと計算しなければなりませんね
私はアナログだと視覚で40分後を直ぐに理解できます
デジタルだと一度頭の中でアナログにして割り出すという事になり二度手間になりますからね
私位かな・・そんな事を言うのは?
私も時計は基本的にアナログ派です。
仰るとおり予定時間も、そして経過時間も一目瞭然、
三つの針による映像も24時間それぞれきれいな形として目に入りますからね。
帰国してからです。
それまでは、毎日、腕時計をして出かけていました。
海外では日が長く感じるからでしょうか~
一方、日本では、駅、職場、テレビをつければ表示されており、あまり必要性を感じなくなりました。
何より体内時計が正しく、お腹が空けばお昼かな?で時計をみると、ピンポーン!ということが多いです。あはは…💦
お疲れのところ、賛同いただくコメントをありがとうございます。
料理も得意なすずさんの体内時計は一年中ほとんど誤差を生じない正確なものなのでしょうね。
私は常用する多機能式3個以外にアナログ式もたまに太陽光に当てて充電してしますが、時折忘れて止まっていることがあります。
3個の1つは山岳系(気象情報・高度計など)、2つ目は健康系(睡眠時間、脈拍、血圧、歩数計など)、3つ目は万能デジタル系(電話、メール、カメラ、音楽、他)くだらないものが好きで自分でも困ります。