”隣組制度”を最小単位とし”組”とか”区”に分割し、市政の広報活動等を分担する”組織”が構成されている。
隣組は”向う三軒両隣”の六軒(六家族)が、助け合って生活をする、日本古来の制度(?)であった。
所謂・新興住宅地に住まう我々にとって”死語”となった言葉ではないだろうか・・・?
私が住まう環境から云うと”隣組”の概念でなく10軒が一つの”組”を構成している。
そして、約100軒(約10組)を受け持ちとした広報区がある。
公報区には、市の広報活動を担う、一名の”公報委員”が市から委嘱される。
組織的に、上位に位置するのが”区長”で、私が住まう地域では、1000軒余り(約10人の公報委員)を、一人の区長によって組織されている。
今日は”その区”が運営する「ふれあいまつり」が開催された。
10年程前に、公報委員の委嘱を受け、「ふれあいまつり」の運営委員の一員として参加した過去はある。
しかし、最近ではすっかり疎遠になってしまっていた。
今年も、その時期となり、開催を知らせる案内を”回覧板”によって知った。
そして「たこ焼・ビール・カキ氷など」の予約申込書が添付されていた。
久し振りに行ってやれ!と想い、たこ焼とビールを予約注文していた。
17時30分からの開始で、少し前に到着した。
今日の絵日記の絵(写真)は「開会を宣言する様子」そして、予約注文してしていた「ビールとたこ焼」である。
人もまばらで、遠雷も聞こえることから、予約券を早々に使って、帰宅した。
私が、一人・ビールを飲んでいると、「どうした!寂しいか?」と、カマキリの子供が慰めにきた。
上の写真は、暫く相席を願った”カマキリの子供”である。
その時は”カマキリの異変”に気付かなったが、写真を見て、お尻が無い事を知った。大丈夫か?!
帰宅するにあたって、そうとも知らず、草むらに返してやりました。
余談ながら・・・
「隣組」組織は、古くは江戸時代から、そして、戦時体制下では重要視された”相互扶助”制度(?)であったと、私は理解している。
阪神大震災や東日本大震災を経験し、この「隣組」制度が見直されていると言う。
隣人との付き合い方が疎遠となった現代にあって、二度の震災の教訓から、犠牲者を出さない取り組みとして「隣組制度」を活用する動きである様だ。
”負の遺産”として捉えるのではなく、隣人愛を育み、相互援助で犠牲者を出さない手段として使われるなら、日本古来の文化として、活かされるではないだかろうか・・・?