ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

”絵”を画けない日であっても・・!

2017年07月04日 | 日記
 幼き頃の「台風の思い出」!と、言えば”夜の恐怖”であった。
 何故か、日中の台風の襲来と云う記憶が無いのである。
 幼き・あの時代、親達は何を以って台風の襲来に備える”知恵”があったのだろうか・・?と、思う。
 天気予報は、ラジオ放送か・船舶向けの天気予報を専門に扱うラジオ放送、そして新聞(の天気予報)であった。
 現在の様な、きめ細かなサービスでは無かった。
 年に何度か襲来する台風にあって、父は”やり過す”場合と、雨戸(間口三間余り)を補強する事があった。
 商売をする父が、風雨が強まり、客が居なくなった事を見計らって、雨戸を閉め、垂木で補強するのである。
 父の行動をみて、年間・数度の台風の襲来で、家を揺るがす風雨や、停電は当たり前で有っても、自然と「(今度の台風は)何か違うんだ!」と、教えられた。
 普段は、父の仕事があって”家族団らん”と云うのは無かった。
 しかし、戸締りをし、停電となった家内では、一つの蝋燭の明りを頼りに集まる。
 自然とゲームとなる。
 極めて単純なゲームであった。
 確かなルールは忘れたが、擂鉢を中心に集まり、十円玉位の大きさのコメ菓子?を転がすのである。
 一番上になった者の勝ち!というゲームである。
 両親や、祖父母・兄弟が集っての”ゲーム”である。
 電灯の明かりでは無い、蝋燭の明りの揺らぎの中に家族の顔があった。
 幼き心の中に「台風は怖い!でも、(台風よ)また来て・・!」と、思った記憶が蘇る。
 今日(7月4日)長崎県に上陸した台風は、愛媛県・宇和島市に再上陸し、四国を横断・徳島県から太平洋に至った台風3号で、思い出した”幼き頃の思い出”であった。
 就職とともに住み慣れた此の地は、自然環境に恵まれ、ややもすると、幼き頃の自然の怖さを忘れる環境にある。
 此れはイケない!と思いつつ、日常に押し流されている現状である。
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