ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

あるテレビ番組を観て思ったこと

2016年01月06日 | 日記
 映し出されるBSテレビの映像を観ていた。
 聞きなれた電車の路線名が聞こえた。
 そして、集中した。
 的場 浩司さんと、安達 祐実さんが旅人を演じる「聞き込みローカル線 気まぐれ下車の旅」という番組であった。
 二日目となって、私の散歩する地域にまで及んできた。
 それは、私が利用する電車の、隣り駅で下車し、西北西に約1Km進むと海岸に至る。
 私には、見慣れた風景である。
 番組が終わって、考えた。
 役者さんである二方が、この風景を観て、感激する会話が、何故か空々しく聞こえるのである。
 それは、旅先で写真を撮ってる私の姿を、地元の人が見れば「何が良いの?」と、思っている、私と重なるのである。
 そして、私は何を求めて、バイクや他の移動手段で旅行するのだろうか?と云うことに考えてみた。
 海岸や、山岳、そして街中の観光地を訪れた時、カメラのシャッターを切る。
 思い出として(写真に)残したいと思うのは、私の日常にはない”異風景”だからであろう。
 三陸海岸の「碁石海岸」の荒々しさや、佐渡島「素浜海岸」の静けさ等々の光景が、今も思い出される。
 そして、前記の”空々しい”は、現(撮影時の)風景ではなく、夕焼け時が最も美しい事を知っているから思ったのでは?と正当化する私である。
 海を越えた地平線(山)に沈む太陽=夕日は美しいと、今も思う。
 毎日ではない。
 年に数度である。
 また、季節によって、太陽が沈む位置も、北から西へと大きく変化する事も”自然の成せる技”と驚きと・新鮮さを覚えるのである。
 ”空々しい会話”に感じたのは「こんな景色・風景ではないよ!もっと美しいですよ!」と訴えたかったからでしょうか・・?
 旅先で観る風景は、プロローグかも知れないし・クライマックスかも知れない。
 旅人は、細切れな・一画面の風景に感嘆している事になる。
 一日中、いや、年間を通じて、初めて自他共に認める”その場所”の景色に出会う事ができる。
 本質を知り・真実を知るには、時間の経過(による観察)が必要で、手間隙掛が掛かると云うことなのでしょう。
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