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北川歩実『透明な一日』(創元推理文庫)

2018-03-07 | 書評「き」の国内著者
北川歩実『透明な一日』(創元推理文庫)

結婚の承諾を得るため千鶴の実家へ赴いた幸春は、千鶴の父・久信が前向性健忘という記憶障害に陥っていることを知らされる。数日後、幸春の知人が公園で何者かに襲われ命を落とす。当初は強盗事件と思われたものの、悲劇はこれだけでは終わらなかった…。十四年前の放火事件との関係は、そして幸春と千鶴の結婚の行方は?多重どんでん返しの末に明らかになる驚愕と感動の真相。(「BOOK」データベースより)

◎新人賞の予選にすら通らなかった

北川歩実『透明な一日』(創元推理文庫)は、著者6番目の出版になります。デビュー作『僕を殺した女』(新潮文庫、初出1995年)以来、ずっと読み続けてきました。前作『金のゆりかご』(集英社文庫)は紀伊國屋店員の仕掛けで、かなり売り上げを伸ばしました。しかしその後は、大きな話題になる作品の発表はありません。

北川歩実は覆面作家として登場し、いまだに素性は明かされていません。しかし作風から推察すると、男性の精神科医師の可能性があります。北川歩実は、「脳」にこだわったきました。言語・記憶・意識・知恵などをはじめ、天才の脳、霊長類の言語機能など特異な頭脳をモチーフとした作品が続いています。

北川歩実のデビュー作『僕を殺した女』は、文芸誌の新人賞に応募されています。結果は予選にも通らなかったようです。もっとおもしろい作品に改めなければならない。そして大幅に改稿された作品が、いきなり単行本として出版されました。(このエピソードは、新保博久「もう一人の〈宮部みゆき〉を求めて」―『波』1996年6月号を参考にしました)

『僕を殺した女』では、目覚めたときに主人公・僕の身体が突然女のものになっています。しかも時間が5年後にタイムスリップしています。2つの難解なトリックに挑んだ本書は、新保博久が書いているように、大きな可能性を予感させられました。しかし真摯に作品に挑む覆面作家は、いまだに新たな衝撃を与えてくれません。

◎衝撃の最後の1行

最近『透明な一日』が、kindle版になりました。小さな活字が苦手な私にとって朗報でした。再読しました。そして本書を北川歩実の推薦作とすることにしました。

『透明な一日』(創元推理文庫、初出1999年)は、時間が止まってしまった千鶴の父親をめぐる話です。交通事故の外傷により前向性健忘症になった竹島久信は、その後の毎日の記憶が残りません。それ以前のことは鮮明に覚えていますが、今朝の食事もつい先刻の来客のことすら忘れてしまっています。

このあたりの設定は、小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫、初出2004年)のヒントになっているのかもしれません。

――脳は短期記憶として蓄えた情報から取捨選択して、長期記憶に転換している。それは、撮影テープから必要に応じて保存テープにダビングしている状況を思い描けばわかりやすい。/千鶴の父親の場合、このダビング操作にトラブルが生じている。/物語の主軸は、主人公・能勢幸春と恋人・竹島千鶴である。二人は幼なじみで、ともに連続放火事件により母親を失っている。幸春が七歳、千鶴が四歳のときである。千鶴は火災現場から奇跡的に救出された。救出したのは木村泰典という青年で、後に料理の修行でイタリアへ渡る。(本文より)

物語は放火事件の14年後からはじまります。帰国した木村泰典は、パリで再会した恋人・吾川美南を伴って千鶴の部屋を訪ねます。木村泰典は、千鶴の命の恩人です。吾川美南は千鶴の中学生時代の家庭教師でした。

2人は千鶴を介して知り合い、パリで急速に親しくなりました。そこへ幸春が顔を出します。幸春も千鶴も大学生になっています。千鶴は妊娠しており、2人は結婚を決意しています。ところが千鶴の父親・久信は結婚を認めません。彼は千鶴がまだ12歳だと思いこんでいるのです。

14年前の忌まわしい事件で、つながった2組のカップル。6年前の交通事故で、時間が止まった千鶴の父親。その日常を支える後妻と周囲の人々。そんなときに、木村泰典が何者かに殺されます。続いて泰典の婚約者であった、吾川美南も殺害されます。 

更に千鶴の祖父も交通事故に遭い、意識不明の重体に陥ります。すべての現場は、千鶴の実家がある公園付近です。そして千鶴に関係のある人ばかりが、狙われています。

犯人は誰なのか? 千鶴の父親・久信。その後妻で元料理屋の女主人だった留美。久信に代わって研究を仕切る神林秀夫。千鶴の父親に密かに想いを寄せる研究室の小田英里子。

事件はとんでもない結末を迎えます。老化してはいますが、私の脳は単行本で読んだときの衝撃を忘れていませんでした。あの1行が最後に待っている。それだけを追い求めての再読だったようです。北川歩実はどんでん返しの名手です。ご堪能ください。最新作を紹介できないのは残念ですが、私の衝撃はこの作品で止まっているとお伝えしておきます。
(山本藤光1999.08.13初稿、2018.03.07改稿)

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