292:町おこし
――『町おこしの賦』第9部:おあしすの里19
「町長にお会いしたいとおっしゃっています」
女性職員は恭二に、一枚の名刺を差し出した。町おこし研究・北嶋大三郎とあった。恭二は、応接室に通すように命じた。
白髪の初老の男だった。
「突然、お忙しいところを押しかけてきて、申し訳ありません。昨日、丸一日標茶町を歩いて、どうしてもお話をおうかがいしたくなりました」
北嶋はていねいに頭を下げた。恭二は標茶町助役の名刺を渡し、座るように手で合図をする。
「昨日はどこにお泊まりになったのですか?」
「藤野温泉ホテル本館に、泊まりました。モール温泉はすばらしい湯質で、感激しました」
恭二は、自分の妻の実家だといおうとして、その言葉を飲みこんだ。
「私は全国の、町おこしを見て歩いています。国の地域再生会議の、メンバーでもあります。ここへくる前には、帯広の屋台村を見てきました。しかしあそこは、屋台を経営しているメンバーだけしか参加しておらず、地域ぐるみの取り組みにはなっていませんでした」
北嶋はそこでいったん、言葉を切った。そして宙を仰ぎ、続けた。
「標茶町は違いました。ホテルの支配人に、インタビューをさせてもらいました。標茶町の活性化のために、自分は、自分たちのホテルは何をすべきかを、真剣に考えていました。観光客に喜んでいただくには、それ以前に町民の幸せがある、と支配人はいっていました。この精神は、昨日見てまわった随所に、存在していました。驚きました。それで標茶町の責任者の、お話が聞きたくなったのです。すみません、突然おじゃましてしまって」
北嶋はもう一度頭を下げ、にっこりと笑った。
恭二は胸ポケットから、標茶町役場クレドを取り出した。
「これは役場のクレドですが、町民の誰もがこの文章を念頭においています。おもてなしの心は、人間力が豊かでなければ生まれません」
北嶋はクレドに目を落とし、「写真に撮ってもいいですか?」と尋ねた。恭二は了承した。