goo blog サービス終了のお知らせ 

山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』(講談社文庫)

2018-03-03 | 書評「か」の国内著者
柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』(講談社文庫)

ファンタジー 永遠の名作! 少女の夏の楽しい冒険。心躍る夏休み。6年生のリナは、たった1人で旅に出た。不思議な霧が晴れた後、きれいだけどどこか風変わりな町が現れた。めちゃくちゃ通りに住んでいる、妙ちきりんな人々との交流が、みずみずしく描かれる。『千と千尋の神隠し』に影響を与えた、ファンタジー永遠の名作! 講談社児童文学新人賞受賞

◎小6の一人旅

柏葉幸子は東北薬科大在学中の1974年に、『気ちがい通りのリナ』で講談社児童文学賞を受賞しデビューしています。この作品はのちに、『霧のむこうのふしぎな町』とタイトルを改めて出版されました。柏葉幸子は1953年生まれの児童文学作家です。
本書は『千と千尋の神隠し』に影響を与えた作品として、話題になりました。一人の少女が不思議な異世界へ入り込み、そこで働き、住人との交流を通じて成長していく。基本骨格は同じです。

柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』は、講談社文庫と青い鳥文庫の2種類が存在しています。2つは挿絵が違います。前者は竹川功三郎、後者は杉田比呂美のものです。
講談社文庫は、絶版で入手が難しいと思います。青い鳥文庫はkindle版になっており、入手は容易です。

 物語の冒頭は、次のように展開されます。

主人公の上杉リナは小学6年生。夏休みに父の勧めで、
一人で「霧の谷」へ向かいます。静岡から東北までです。
最寄り駅に着いても、誰も迎えてくれていません。先方に連絡しておくといった父の言葉を思いだして、リナは不安で泣いてしまいます、
そのとき、そばを女の人が通りかかります。「あのう、霧の谷へはどういったらいいんですか?」とリナは尋ねます。女の人は「知らない」と答え、近くの交番へリナを案内します。
 リナは赤いかばんとピエロの顔をした柄のついた傘を持ち、
教えられた方向へ歩き出そうとします。そこにリヤカーつきの耕うん機がやってきます。おまわりさんは運転しているゲンじいさんに、途中までこの子を乗せて行ってもらいたいと頼みます。

◎エピソードの宝箱

ゲンじいさんと別れたリナは、教えられた方へと歩き出します。森のなかを奥に進みながら、リナは途方にくれます。そのとき、

――とつぜん、風がプワーとふいた。森はいっせいにガサゴソといい、かさがぱっとひらいて、風にとばされた。(本文P23)

傘については、最後の方で種明かしがなされます。物語の大切な小道具なのです。傘を追っているうちに、リナは「霧の谷」に入りこみます。

――森の深い緑の中には、赤やクリーム色の家があり、石だたみの道は雨がふったあとのようにぬれていた。森の中に、たった六けん。(本文P26)

 飛んで行った傘は、大きな邸の玄関前にありました。その家がピコットばあさんの下宿だったのです。ピコットばあさんはリナを冷たく迎え、下宿人にするにはここで働かなければならないと告げます。
 下宿には発明家のイッちゃん、名コックのジョン、手伝いをしているキヌさん、ねこのジェントルマンなどがいます。そしてリナは、めちゃくちゃ通りにある様々な店の手伝いに出されます。
本屋、雑貨屋、瀬戸物屋、玩具店などで、リナは転々として働きます。それぞれの店の店主は変わり者で、リナは悪戦苦闘しながら店や店主に溶けこみます。

 これ以上、本書に入りこまないでおきます。柏葉幸子は一つひとつの騒動を、実にこまやかに描き出してくれます。『霧のむこうのふしぎな町』は、極上のファンタジーです。ちょっとだけ哀しくて、ちょっとだけ愉快な「霧の谷」は、たくさんのエピソードが詰まった宝箱のようです。
本書を読んでから、また「千と千尋の神隠し」のDVDを観ました。ピコットばあさんと湯婆などの人物造形は、ぴったりと一致していました。そして「霧の谷」も、みごとにアニメーションとして再現されていました。「千と千尋の神隠し」に感動した方には、
お勧めの一冊です。
山本藤光2017.07.31初稿、2018.03.03改稿

開高健『裸の王様』(新潮文庫)

2018-02-22 | 書評「か」の国内著者
開高健『裸の王様』(新潮文庫)

とつじょ大繁殖して野に街にあふれでたネズミの大群がまき起す大恐慌を描く「パニック」。打算と偽善と虚栄に満ちた社会でほとんど圧殺されかかっている幼い生命の救出を描く芥川賞受賞作「裸の王様」。ほかに「巨人と玩具」「流亡記」。工業社会において人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムが内蔵する物理的エネルギーのものすごさを、恐れと驚嘆と感動とで語る。(文庫案内より)

◎開高健ができるまで

文壇デビュー前後の開高健について、すこしだけ整理しておきます。開高健について書かれた、2つの著作からまとめてみます。

谷沢永一『回想開高健』(PHP文庫)
向井敏『開高健青春の闇』(文春文庫)

開高健は大学在学中に、谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に参加しています。同人仲間には向井敏や牧羊子などがいました。やがて開高健は羊子さんと結婚します。そして羊子さんの後任として、壽屋(現サントリー)宣伝部に中途採用されます。ここで開高健は「洋酒天国」の編集兼発行人となり、坂根進や柳原良平といっしょに仕事をします。さらに山口瞳や山川方夫なども参加してきます。

開高健の実質的なデビュー作(1957年)は「パニック」です。そのあとに発表されてのが「巨人と玩具」でした。「裸の王様」は3作品目となります。それらの作品について、向井敏が種明かしをしていますので、紹介させていただきます。

「パニック」執筆の動機は、たまたま目にした新聞記事「木曽谷ネズミ騒動記」というものでした。

――(補:開高健が)書きはじめてまもなく、彼は同じ新聞記事を種にして新作を書こうとしている作家に出会い、それが『パニック』執筆と筆速を異常に高めるという、第二の偶然に遭遇することになる。/その作家の名は安部公房。(中略)安部公房は昭和二十六年に短篇『壁―S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞を射止め、新作を出すたび当時の文壇を騒がせていた新進気鋭の作家である。その彼が自分と同じササとネズミの物語を書くというのだ。(向井敏『開高健 青春の闇』文春文庫P165-166より)

さらに向井敏はつづけます。

――アンデルセン百年祭の記念行事で裸の王様の絵を募ったところ、フンドシ姿の殿様を描いた子供がいたという話を坂根進から聞きこみ、それをもとにして『裸の王様』の物語を組みたてた。(向井敏『開高健 青春の闇』文春文庫P179より)

初期の開高健は、借り物競走のように題材をさがしていました。開高健は独特の感性で、小さな種を発芽させる名人でもあったのです。

◎報道陣が「パニック」

開高健が『裸の王様』(新潮文庫)で芥川賞を受賞したのは、27歳(1957年)のときです。このときのエピソードを、谷沢永一が書いています。下馬評では、大江健三郎『死者の奢り』が圧倒的に優勢でした。記者やカメラマン、機材などが不足していた時代の話です。芥川賞発表の知らせを待つマスコミ各社は、すべて大江健三郎の下宿前に陣取りました。そのときの開高健の家の様子を、谷沢永一(推薦作『紙つぶて(全)』文春文庫)は実に丹念に紹介してくれています。

――(補:開高健のすまいについて)書斎は、ない。押し入れの横にできた空間、そこをいじましく占拠して、ひきだしもない小さな机をおき、背中すれすれにカーテンで仕きった。「パニック」から「なまけもの」まで、五作が生まれた聖地である。夕食後、この、城、に蟠踞した。しずまりかえった夜である。なにも、ない。情報が、ない。動きが、ない。もともと、電話はそなえつけていない。そういう、時代だったのである。このまま、なにごともなく、いたずらに、夜がふけるのであろうか。もう、あかん、と思た、由である。/そのとき、である。(谷沢永一『回想・開高井健』PHP文庫P223-224より)

このあと、大江健三郎の下宿前にいた報道陣の大移動がはじまるのです。まさに報道陣の「パニック」を描いた、谷沢永一らしい文章です。大江健三郎は翌年(1958年上半期)、『飼育』(新潮文庫)で芥川賞を受賞しています。

芥川賞受賞を機に、開高健は文筆に専念することになります。しかし1964年には、朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへいきます。この体験はのちに、『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇』(いずれも新潮文庫)の3部作として結実します。

◎フンドシ姿の殿様

『裸の王様』(新潮文庫)は、さきにふれたように実話を下敷きにした作品です。

主人公「ぼく」の画塾に、ひとりの少年・大田太郎が友人の紹介でやってきます。少年の父親は大手の絵具会社の社長でした。ところが太郎はただじっとすわっているだけで、絵を描こうとはしません。太郎の父は多忙であり、継母は若くて少年の心情を理解していません。

「ぼく」はいじけた太郎の、内面にある闇にせまります。「ぼく」はかねてから、外国のこどもたちの絵を集めたいと思っていました。「ぼく」はデンマークに向けて書簡で、日本のこどもたちが描いたアンデルセン童話の挿絵と、交換したいとはたらきかけます。

このはたらきかけは、やがて太郎の父親が知ることになります。彼はアンデルセン童話の挿絵を、全国規模の公募にしたいともちかけてきます。「ぼく」は大田社長の魂胆をしりつつ、その話をうけることにします。

その間、太郎の心をひらこうと、「ぼく」はさまざまな工夫をほどこします。すこしずつ太郎に変化がうまれます。やがて太郎は絵を描けるようになります。

「ぼく」はアンデルセン童話の挿絵コンクールの選考会場にいきます。1枚の絵をもって。絵を披露したとたん、会場に哄笑と侮蔑の声がひろがります。「裸の王様」のコーナーにもちこまれた絵には、フンドシ姿の殿様が描かれていました。「ぼく」は「太田社長の息子の太郎くんの絵です」とつげます。審査員たちの表情がかわります。

太郎の絵は絵本や漫画からの借り物ではありません。彼が幼いころ、実母と過ごした田舎で見た芝居の場面をイメージして描いたものだったのです。
(山本藤光:2012.12.09初稿、2018.02.22改稿)

河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)

2018-02-19 | 書評「か」の国内著者
河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)

耐える」だけが精神力ではない。心の支えは、時にたましいの重荷になる。――あなたが世の理不尽に拳を振りあげたくなったとき、人間関係のしがらみに泣きたくなったとき、本書に綴られた55章が、真剣に悩むこころの声の微かな震えを聴き取り、トラブルに立ち向かう秘策を与えてくれるだろう。この、短い一章一章に込められた偉大な「常識」の力が、かならず助けになってくれるだろう。(文庫案内より)

◎「心理学」が身近なものに

河合隼雄はガチガチの心理学者。ずっとそんなイメージの、縁遠い人でした。「嘘」にまつわるタイトル本を、読みあさっていた時期があります。そのときに、河合隼雄の著作とめぐりあいました。履歴を調べてみると「日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した」とあります。河合隼雄は1928年に生まれ、79歳で生涯を閉じています。

――ユング派の精神分析を習った河合隼雄は、その方法で日本の民話を区分けし、それで割りきれない部分から日本社会の母性原理を見出した。(鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち・鶴見俊輔コレクション1』河出文庫P182より)

鶴見俊輔が書いているように、河合隼雄には民話・昔話・児童書などをあつかった著作も数多くあります。シェイクスピアについての著作もあります。非常に幅広い分野で活躍していたのです。

私が河合隼雄の著作にはじめてふれたのは、『ウソツキクラブ短信』(講談社α文庫)でした。日本ウソツキクラブ会長を自称する河合隼雄が、架空人物・大牟田雄三と共著のかたちをとった著作です。ウソをどんどんつきなさい。ウソは世の中の潤滑油なのですといった話が、わんさかつまっています。

遠いところにいた人が、あっという間に身近な存在になりました。堅物の印象が強かったので、勝手に敬遠していたのでしょう。『ウソツキクラブ短信』を読んでからは、『とりかへばや、男と女』(新潮文庫)、『昔話の深層』(講談社α文庫)、『こころの声を聴く・対談集』(新潮文庫)などを読み、『こころの処方箋』(新潮文庫)で完璧にうちのめされました。本書は55の章にわかれ、最後に谷川俊太郎が「三つの言葉」という文章をよせています。まずはそこから紹介させていただきます。

――河合さんがよく口にする言葉が三つある。ひとつは「分かりませんなあ」、もうひとつは「難しいですなあ」、そして三つ目は「感激しました」である。(谷川俊太郎、『こころの処方箋』巻末より)

本書は赤線引きまくりになりました。第1章「人の心などわかるはずがない」から圧倒されました。難解な哲学用語などいっさいなく、ひねくった論理も、上から目線もまったく感じませんでした。そしてこの人は、エラソーにするのとは、真逆のタイプの人だと思いました。

――この子の問題は母親が原因だとか、札つきの非行少年だから更生不可能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。(本文P13より)

 人のこころがわかるのが心理学者である、との先入観を最初の章から叩き壊してみせます。決めつけると心が軽くなる。私の心のなかで、思わず元部下たちに手を合わせていました。これって私の最大の欠点なのです。

――100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間がよくなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。(本文P19-20より)

ここでも打ちのめされました。納得なのです。そして第3章「100%正しい忠告はまず役に立たない」の結びの言葉で、私は完璧に河合隼雄のとりこになったのです。

――ここに述べられたことは、100%正しいことである、などと読者はまさか思われないだろうが、念のために申しそえておく。(本文P21より)

◎わかりやすく平易で感激した

紹介したい文章は山ほどあります。あと2つだけ、ぜひ引用させてください。第12章「100点以外はダメなときがある」には、こんな文章があります。

――誰かと交渉をする場合、上司や部下と話し合うときもそうである。ここぞといいうとき100%をとっておけば、それ以外は60点でいいのだ。平均点は80点以下でも、その効果はまるで違ってくるのである、(本文P56より)

第32章「うそは常備薬・真実は劇薬」は、私が『ウソツキクラブ短信』で河合隼雄と出会った原点の部分です。「人間関係を円滑にするための気遣いから出る悪意のないうそは常備薬」と本書でも書かれています。ただし「多用していると、周囲に不快感を与えることがある」と結論づけられています。

――中毒症状に陥らぬためには、われわれはここぞというときに、真実を言う練習をしておかねばならない。しかし、真実は劇薬なので使い方を間違うと大変なことが起こることを、われわれは良く知っておかねばならない。他人を非難したり攻撃したりするとき、うそが混じっている間はまだ安全である。その人の真実の欠点を指摘するとき、それは致命傷になる。(本文P135-136より)

『こころの処方箋』の推薦メッセージを紹介します。

――人の心などわかるはずがない、ということを前提に、でも、深いことをわかりやすく、やさしいことばで話しかけるような著書の数々は、悩んでいるとき、困ったときに座右の書となります。(勝間和代『読書進化論』小学館新書011、P240より)

河合隼雄には、「子どもとファンタジー・コレクション」(全6巻、岩波現代文庫)という著作があります。2014年4月に完結したばかりで、まだ十分にご紹介できません。

「こころの処方箋」も、シリーズとなっている著作です。ほかに『こころの声を聴く・河合隼雄対談集』や『こころの最終講義』(ともに新潮文庫)があります。『こころの声を聴く』では、安部公房や村上春樹などとの対談でおおいに楽しめます。『こころの最終講義』は、キリシタン神話や日本霊異記にふれた比較的かたい著作です。

河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)を読んで、口にしたい言葉が三つあります。ひとつは「分かりやすいですなあ」、もうひとつは「やさしい文章ですなあ」、そして三つ目は「感激しました」です。谷川俊太郎さんの文章をマネてみました。
(山本藤光:2014.12.13初校、2018.02.19改稿)

川上健一『翼はいつまでも』(集英社文庫)

2018-02-17 | 書評「か」の国内著者
川上健一『翼はいつまでも』(集英社文庫)

初恋と友情…少年と少女の永遠のひと夏。中学2年生の時に初めて聞いたビートルズで、さえない僕の人生は変わった。冒険の小旅行、憧れの少女との交流。ひと夏の思い出が蘇る。第17回坪田譲治賞受賞の清冽な青春小説。解説・角田光代。(アマゾン内容紹介より)

◎スポーツ小説からの脱皮

川上健一との出会いは、1982年に読んだ『サウスポー魂』(講談社文庫)からです。この作品は、伝説のスーパー左腕・江夏豊を描いた作品でした。「小説現代新人賞受賞作家」とのふれこみでした。涙を誘う勘どころはおさえているものの、作品に奥行きがないと思いました。
 
本人もなにかに書いていましたが、10年ほどは売れない時代がつづいたようです。そのころ川上健一は、スポーツ小説ばかりを書いて、私から遠ざかっていきました。
忘れかけていたとき、『雨鱒の川』(集英社文庫)を読みました。川上健一は食傷気味だったスポーツ小説から、卒業していました。泣かされました。川上健一は新境地を開いたと確信しました。

ところが川上健一はまたも、スポーツ小説に戻ってしまいました。もう見限ろうとした矢先に、今度は『翼はいつまでも』(集英社文庫)を突きつけてきたのです。そしてまた泣かされてしまいました。『翼はいつまでも』は、『雨鱒の川』を凌駕するみごとな作品でした。
 
『翼はいつまでも』は、『雨鱒の川』同様の初恋小説です。主人公は青森県十和田市立南中学校2年生で、野球部員の神山くん。この舞台は、著者自身の実体験と重なります。川上健一は甲子園を目指す、十和田工業高校野球部のエースでした。この例でたとえれば、後期の川上作品で私は、二打席二「涙」打を喫したことになります。

『翼はいつまでも』は、ビートルズの歌により勇気をあたえられた物語です。恋に憧れ、性に多大な関心を寄せる少年たち。主人公・神山くんたち野球部員は、そうした青春のど真ん中にいます。ビートルズの歌をBGMとして、作品は彼らの友情と神山くんの初恋をていねいに活写してみせます。

――ぼくの英語力ではどんなことを歌っているのかわかるはずもなかったけれど、〈プリーズ・プリーズ・ミー〉はぼくにこういっているように思えた。/(中略)少しだけ勇気をだしてみろよ。思ったとおりやってみようぜ。ぼくはぼくの好きなことをやる。君は君の好きなことをやれよ!(本文より)

転校生・斎藤多恵がやってきます。彼女には暗い陰がつきまとっています。授業には積極的な、参画の姿勢をみせません。音楽の時間は、けっして歌おうとしません。先生の質問にも、答えられません。そんな多恵と片山くんは、急速に接近します。そして次々と多恵の素顔が明らかになります。

神山くんが、少しずつ積極的な少年として変身してゆく過程。多恵が、少しずつ胸襟を開いてゆく過程。このふたつの過程は、やがてビートルズとアヴェ・マリアのメロディと融和します。

ひとつのできごとのたびに、成長する少年たち。川上健一は飛び石の10年刻みをへて、みごとに完成形に近づいてきました。心洗われる初恋小説。ぜひ多くの方に読んでいただきたいし、『雨鱒の川』にも手を伸ばしてもらいたいと思います。
(山本藤光:2010.05.17)

◎あとづけ:『四月になれば彼女は』もお薦め

『翼はいつまでも』を「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として発信してから、5年がたちました。当初はスポーツ小説ばかりとヤユしていましたが、青春とスポーツは切り離せないもののようです。『四月になれば彼女は』(集英社文庫)も、そんな範ちゅうの作品です。

『ららのいた夏』『雨鱒の川』『翼はいつまでも』と、川上健一作品にハズレがなくなってきました。いいぞ、と心から拍手をおくります。がんばれ、と声をかけたくもなります。
 
この原稿は、サイモン&ガーファンクルの「April Come She Will」(四月になれば彼女は)を聴きながら書いています。川上健一『四月になれば彼女は』は、この曲のタイトルを借用しているからです。

主人公のぼく(沢木圭太)は、高校野球のエースでした。肩を壊して、戦線離脱しています。それからは無為な日々を過ごし、卒業の日を迎えました。主人公は地元の工務店に、就職することがきまっています。

本書はそうした主人公の、卒業後3日目を描いた作品です。相撲部屋への勧誘、駆け落ちをする友人への関与、セックスの誘惑、暴力闘争など盛りだくさんの特別な1日。なにやら、青春の混ぜご飯みたいな作品になっています。でも味はちがいます。昔から盛りつけのうまい作家でした。最近では、素材にこだわりをみせてきたようです。

本書は明らかに、以前の川上作品とは異なる一冊でした。エンターテイメントとして十分に堪能できますが、まだなにか、隠し味が足りないような気もします。川上健一作品には、さらなる「あとづけ」の書評が必要になりそうな気がしています。
(山本藤光:2010.06.08初稿、2018.02.17改稿)


海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(上下巻、宝島社文庫)

2018-02-16 | 書評「か」の国内著者
海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(上下巻、宝島社文庫)

東城大学医学部付属病院の“チーム・バチスタ”は心臓移植の代替手術であるバチスタ手術専門の天才外科チーム。ところが原因不明の連続術中死が発生。高階病院長は万年講師で不定愁訴外来の田口医師に内部調査を依頼する。医療過誤死か殺人か。田口の聞き取り調査が始まった。第4回『このミス』大賞受賞、一気にベストセラー入りした話題のメディカル・エンターテインメントが待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)

◎医師でなければ書けない作品

海堂尊(わたる)は医師です。医師であり、小説を書いている人はたくさんいます。あの忙しさのなかで、よく小説を書く時間があるな。これが医療現場を知っている、私の素直な感想です。
 
海堂尊はペンネームであり、本名を明かしていません。いまは病理を専門にしており、ライフワークは「オートプシー・イメージング」(死亡時画像診断)だといいます。小説では医療崩壊が起こる、真の原因にスポットをあてています。

海堂尊『チ-ム・バチスタの栄光』(上下巻、宝島社文庫)は、手術室での連続事故死を描いた、医師でなければ書けない作品です。これほど人間心理を深く描いた作品は、ほかに知りません。

海堂尊はこの作品で、「2006年このミステリーはすごい大賞」を受賞しデビューしました。その後、『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(ともに宝島社文庫)を発表し、映画でも話題となりました。

海堂作品を読むときは、『チ-ム・バチスタの栄光』から読んでもらいたいと思います。田口、白鳥コンビ誕生の場面にふれてから読むと、一連の作品のおもしろさが倍増します。

キャラが立っている、という言葉があります。海堂尊作品は、登場人物の個性と内面描写に秀でています。読んでいるとすぐに、満場一致で大賞を受賞したことを理解させてくれます。とにかく、ひさしぶりに圧倒されました。すぐに第2作『ナイチンゲールの沈黙』を読みはじめたのは、もちろんのことです。

◎ヒヤリハットを物語に

舞台は桜宮市東城大学医学部付属病院。田口公平は、不愁訴外来を担当する医師です。彼は高階病院長から、内部調査を依頼されます。対象はきわめて難易度の高い心臓移植の代替手術(バチスタ手術)をおこなう、外科医・桐生恭一が率いる手術チームです。桐生は凄腕の外科医としての名声をほしいままにし、失敗事例もありませんでした。
 
それがたてつづけに、3件の死亡例を引きおこしました。その原因を探るべく桐生は、自ら内部監査を申請したのです。調査中は事故が起きませんでしたが、ふたたび事故死が発生します。田口は医療ミスを疑い、リスクマネジメント委員会の開催を求めます。
 
その席に厚生労働省から派遣されたのは、変わり者の白鳥圭輔という男でした。白鳥は田口のパートナーとなって、病死の核心へと迫ります。
 
『チ-ム・バチスタの栄光』は、ざっとこんなストーリーです。私はこの作品の成功は、田口・白鳥コンビの存在だと断言できます。病院という舞台では、とかく一匹狼的な主人公を登場させがちですが、海堂尊は強力なタッグチームを立ち上げました。

 リスクマネジメント用語に「ヒヤリハット」というものがあります。

――ヒヤリハットとは、重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の発見をいう。文字通り「突発的な事象やミスにヒヤリとしたりハッとしたりするもの」である。(Wikpekiaから引用)

ヒヤリハットは、結果として事故に至らなかったものであるため、見過ごされてしまうことが多々あります。すなわち「ああよかった」と、すぐに忘れがちになってしまうものです。

しかし重大な事故が発生した際には、その前に多くのヒヤリハットが潜んでいる可能性があります。ヒヤリハットの事例を集めることで、重大な災害や事故を予防することができます。そこで職場や作業現場などでは、あえて各個人が経験したヒヤリハットの情報を公開し、蓄積または共有することが有効になります。重大な災害や事故の発生を、未然に防止する活動はあらゆる企業でおこなわれています。

病院にとって「ヒヤリハット」の運用は、きわめて重要なものです。死と背中合わせの世界なので、それらは厳重に管理運用されています。海堂尊は、その世界の住人なのです。もっている事例は豊富です。アガサ・クリスティが毒薬の知識を有してミステリー界に登場したと同様、海堂尊はヒヤリハットのネタをもっています。
(山本藤光:2010.04.05初稿、2018.02.16改稿)

菅野昭正・編『書物の達人・丸谷才一』(集英社新書)

2018-02-14 | 書評「か」の国内著者
菅野昭正・編『書物の達人・丸谷才一』(集英社新書)

小説、随筆、書評、翻訳、連句など幅広い領域で活躍し、まさに文学における「達人」であった丸谷才一。その文学世界を読して大好評を博した連続講演(世田谷文学館 二〇一三年)を書籍化。各界の第一人者であり、かつ生前の丸谷と親交が深かった豪華講師陣が、丸谷文学の全貌を多角的に明らかにする。文芸評論、書評、和歌、フランス文学、歌舞伎…視点の異なる各論考が“丸谷才一”で一本につながり、大文学者の多彩な魅力が改めて浮かび上がる。生前の丸谷との貴重なエピソードも収録。(「BOOK」データベースより)

◎人間・丸谷才一を知った 

菅野昭正・編『書物の達人・丸谷才一』(集英社新書)は、丸谷才一の偉大な業績を知るうえで欠かせない一冊です。本書は2013年に「世田谷文学館」で開催された連続講演をベースに書籍化されました。本書の執筆陣は丸谷才一と親交の深かった、川本三郎、湯川豊、岡野弘彦、鹿島茂、関容子の5人です。

丸谷才一の幅広い業績については、いまさらご紹介することもないでしょう。したがって本書から新たに得た発見をまとめることにします。

【書評への関心】
丸谷才一は大学院(英文科)のときに、友人・篠田一士(推薦作『二十世紀の十大小説』新潮文庫)とともにイギリスの新聞や雑誌をとり寄せ、書評欄の充実に驚愕しています。書評の業績への萌芽はここにあったと、湯川豊(推薦作『イワナの夏』ちくま文庫)は書いています。

――「書評といふジャーナリズムこそ社会と文学とを具体的にむすびつけるもの」という丸谷さんの持論が最初につくられたのだと思われます。(湯川豊の章P80)

【丸谷才一の文体】
――丸谷さんの文章を読んでいると、常に対話が行われている文体なんですね。それは、エッセイでも小説でも全部そうです。対話を活かしながら話が進んでいく。常に他者がいて、その他者との会話で論点を深めながら小説なり、エッセイを進めていくのが丸谷さんのやり方です。(鹿島茂の章P142)

【丸谷才一が嫌っていたもの】
――私小説が丸谷さんの文学的な最大の敵だったことはよく知られていますが、私小説で丸谷さんが一番嫌いだったのは、そこには対話がないということなんです。(鹿島茂の章P142)

【丸谷才一が評価していたもの】
 丸谷才一が評価していた文学者の筆頭は、折口信夫と永井荷風です。前者は「官能的なもの」を追及していたからです。後者は「戦争や兵隊」嫌いが自分と似通っていたからでした。(本書を参考にしています)丸谷才一が評価していた作品の筆頭についての記述を引用させてもらいます。

――丸谷さんは『新古今和歌集』が一番好きでした、『新古今』の特徴は、自然が歌われているようだけれども、あれは全然自然ではなく、ほかの歌からの本歌取りであって、文学から文学をつくるものです。(鹿島茂の章P144)

 まだまだ紹介したいことは、たくさんあります。私は丸谷才一の小説もエッセイも好きです。しかしもっとも評価しているのは、書物のナビゲーターとしての丸谷才一です。つぎの4冊は、いつも身近なところにおいてあります。なにを読もうかと迷ったら、すかさず丸谷才一が「これ読め」といってくれます。

1.快楽としての読書・日本篇(ちくま文庫、解説:湯川豊)
2.快楽としての読書・海外篇(ちくま文庫、解説:鹿島茂)
3.快楽としてのミステリー(ちくま文庫、解説:三浦雅士)
4.丸谷才一編:私の選んだ文庫ベスト3(ハヤカワ文庫)

◎丸谷才一と井上ひさし

 奥行きの深い作家として、私は丸谷才一と井上ひさしを高く評価しています。2人の文字は丸みを帯びていて、流れるように走ります。似ているな、と思います。大学生のときに安部公房のサイン会に行ったことがあります。目の前で書いてくれた文字は、角ばっていて一字一字が独立していました。

 2人が似ているのは、文字だけではありません。丸谷は歌舞伎、井上は舞台と軸足をのばしています。日本語や国語に関する著書は2人ともたくさんあります。小説やエッセイにちりばめられているユーモアのセンスも似ています。そしてなによりも、2人は博学だということです。

 残念なことに2人とも、この世を去ってしまいました。懐の深い作家で、2人を追従できるとしたら、田辺聖子くらいしか思い浮かびません。それほど2人は文壇でも突出した人だったのです。

 勝手に2人のお薦め作品を、5冊にしぼって書いてみたいと思います。

【丸谷才一】
1.『女ざかり』(文春文庫)
2.『思考のレッスン』(文春文庫)
3.『文章読本』(中公文庫)
4.『私の選んだ文庫ベスト3』(ハヤカワ文庫、丸谷才一・編)
5.ジョイス『若い芸術家の肖像』(新潮文庫、丸谷才一・訳)

【井上ひさし】
1.『吉里吉里人』(新潮文庫)
2.『戯曲・頭痛肩こり樋口一葉』(集英社文庫)
3.『自家製文章読本』(新潮文庫)
4.『完本・ベストセラーの戦後史』(文春学芸ライブラリー)
5.『四千万歩の男』(全5巻、講談社文庫)

 これだけをならべただけで、圧倒されます。2人に共通していることは、幅広い読書量であることを、いまさらながら感じました。
(山本藤光:2014.09.22初稿、2018.02.14改稿)

川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書)

2018-02-11 | 書評「か」の国内著者
川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書)

ここで語られる 「発想法」 つまりアイディアを創りだす方法は、 発想法一般ではなく、 著者が長年野外研究をつづけた体験から編みだした独創的なものである。 「データそれ自体に語らしめつつそれをどうして啓発的にまとめたらよいか」という願いから、新技法としてKJ法が考案された。ブレーン・ストーミング法に似ながら、問題提起→記録→分類→統合にいたる実技とその効用をのべる本書は、会議に調査に勉強に新しい着想をもたらす。(アマゾン内容紹介より)

◎KJ法を生んだ行動する学者

 手元に「週刊新潮」(2009年7月23日号)の切抜きがあります。残念なコラムなのですが、「墓碑銘」に敬愛する川喜田二郎氏がとりあげられています。タイトルは「チベットを愛し、KJ法を生んだ行動する学者、川喜田二郎さん」とあります。
 
――川喜田二郎さんの専門は文化人類学と民族地理学だが、分野でくくれない存在だった。徹底したフィールドワークによって集めた多面的なデータをどう活かすか、試行錯誤の末『KJ法』という発想・情報処理・問題解決法を生み出した。(前記コラムより引用)

 私にとって「知」の指導者は、野中郁次郎氏、梅棹忠夫氏、花村太郎氏、宮本常一氏、西堀栄三郎氏、そして川喜田二郎氏です。お会いしているのは野中郁次郎氏だけですが、6人の共通点はフィールドワークに長けている点だと思います。「知は現場にあり」を実践している人たちなのです。
 
 6人の先生の著作は、私の書棚の特等席においてあります。辞書と同様にいつでもとりだして、背中を押してもらっています。ぐずぐず考えるなよ。とにかく現場へ行ってごらん。そんな励ましの声が聞こえてきます。6人の先生の代表的な著作を紹介させていただきます。
 
野中郁次郎『知識経営のすすめ』(紺野登との共著、ちくま新書)
梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)
花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)
西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』(生産性出版)
川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書)

 製薬企業の営業企画部長時代に、ワラをもすがる思いで、『経営のためのKJ法入門』(日本能率協会編、同発行)を読みました。営業世界は「我流」がはびこり、業績さえあげていれば立派な営業リーダーとして評価されます。つまり「個人知」が「組織知」とはなっていない世界なのです。
 
 全国の営業リーダーのスキル、ノウハウを集めて、部下育成のマニュアルを作成しよう。そんな動機ですがったのが、『経営のためのKJ法入門』でした。その本から「KJ法」の元祖は川喜田二郎氏であることを知りました。KJが川喜田二郎のイニシャルであることも、知りませんでした。
 
「KJ法」なんてもう古い。これだけは、いってもらいたくありません。どんな護岸工事を施したところで、源流はひとつです。そこから流れ出る水は、清く澄み切っています。企業で盛んに活用されている「ブレーンストーミング」は、「KJ法」の支流のひとつにすぎません。

営業リーダーのレベルアップ研修を、ビジネスの柱にしていた時代があります。テキストのなかから「ビジネスパースンのための用語事典」を引用してみます。

【ブレーンストーミング】
 1つのテーマについて、集団でアイデアを出し合う方法です。ルールは次の通りです。
1.とにかく積極的にアイデアを出す。
2.反対意見は述べない。
3.質は問わない、量を出す。
4.他人の発言に便乗する。

【KJ法】
 川喜田二郎氏が考案したので、その頭文字をとって命名されたものです。あるテーマに関して、アイデアをポストイットに書き出します。書き出したら、似たようなアイデアを集めて、アイデアの山を作ります。その山から、新たな戦略、戦術を導き出すものです。

◎「KJ法」の「心」を学んだ

 川喜田二郎氏の著作『発想法・創造性開発のために』(中公新書)、『続発想法・KJ法の展開と応用』(中公新書)、『知の探検学』(講談社現代新書絶版)は、まじめなフィールドワークの入門書です。
 
「KJ法」を勉強したいという人には、少し専門的すぎるかもしれません。私は本書から「KJ法」の「形」を学んだのではありません。「心」を学んだつもりです。そのあたりのことについては、川喜田二郎氏自身の文章を引用してみます。

――私にとって兵馬の間に起居したような九年。書物などのんきに書く暇もなかったその年月。その間にKJ法の内外でも数知れぬバリエーションが玉石混交で現われている。いまや本道がジャングル化する前に、清流化すべき季節がめぐってきたようである。(川喜田二郎『発想法』の「まえがき」より)

 ここまでは『発想法』の「まえがき」の一部です。川喜田二郎氏は、KJ法の形だけの乱用に危惧感を抱いています。つづきの文章をごらんいただきたいと思います。 

――その清流化のためには、好ましいソフトウェア(標準テキスト)、正則な研修(KJ法や取材法についての)、および、望ましい機器類(たとえばデータカードやKJ手帳)の一体的な活用が、大いに望まれる。これらの三位一体を私は「文化」と呼ぼう。本来、人から人へ伝え得るものはこの文化であるのに、いまの世はその文化の片割れ、つまり、モノとか方法とか研修だけを売買・貸借・贈答の対象と錯覚しているのではないか。(川喜田二郎『発想法』の「まえがき」より)

 私が企業人時代、外資系の会社勤務だったために、英語のテキストと研修に悩まされていました。そのなかに「ワイワイ・コラボレーション」というものがありました。私の営業リーダー研修テキストの「ビジネスパースンのための用語事典」を引用してみます。

【ワイワイ・コラボレーション】
1.コロンビア大学経営学科が「組織診断および変革マネジメント・ワークブック」として開発。
2.ロシュグループでは、マネジメント研修として活用。
3.SSTプロジェクトではワイコラで「同行を阻害する要因」をまとめた。
4.その後マネージャー間の問題解決プログラムとして活用されている。

◎ワイワイ・コラボレーションとは

「ワイワイ・コラボレーション」は、コロンビア大学経営学科が「組織診断および変革マネジメント・ワークブック」として開発したものです。私が勤務していたロシュグループでは、マネジメント研修として活用していました。「ワイワイ・コラボレーション」は、およそつぎのようなステップで学びます。

【ステップ1:ギャップの発見】
・当社に導入すべき点(グループで優先順位を決める)
・導入するに際しての障害(ギャップ)を発見する

【ステップ2:根本原因の分析】
・ギャップの根本原因を探る(WHY)
・ギャップの根っこを明確にする

【ステップ3:解決策の発見】
・ギャップを埋めるための方法を探る(ブレーンストーミング)
・根本原因に対してすべての解決策を発見する

【ステップ4:アクションプランの作成】
・実行に移すためのアクションプランを作成する

【最終ステップ:グループ発表】

 私はスイス本社の研修プログラムを学びながら、「これってKJ法じゃないか」と思いました。いまでも大切に考えているプログラムなのですが、テキストにあった英語名は忘れてしまいました。KJ法は「発想法」の入口でもあり、「問題解決」への出口でもあります。そんな意味で、現在のビジネスの根幹として活用させてもらっています。
(山本藤光:2010.06.16初稿、2018.02.11改稿)

角田光代『八日目の蝉』(中公文庫)

2018-02-08 | 書評「か」の国内著者
角田光代『八日目の蝉』(中公文庫)

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

◎「純推」文学の隆盛

角田光代の代表作は、『対岸の彼女』(文春文庫)として書評を発信してきました。ところが角田光代はいとも簡単に、もう一段高いところに立ってしまいました。『八日目の蝉』(中公文庫)は発売時から評判となり、すでに映画化もされています。文庫本の帯(初版)には、4月29日公開と刷りこまれ、割引券までついていました。

「山本藤光の文庫で読む500+α」は、1作家1作品の紹介を原則としています。しかし若手作家はときどき、書評の差し替えをすることになってしまいます。うれしい悲鳴です。おおいに悩みましたが、角田光代の推薦作を『八日目の蝉』に切りかえることにしました。『対岸の彼女』を抹消するのはしのびがたいのですが、原則に厳しくやらせていただきます。

吉田修一『悪人』(朝日文庫)が評判になったとき、私は『最後の息子』(文春文庫)を推薦作として、書評を発信していました。世間の評判ほど、私は『悪人』を評価していませんでした。サスペンスに逃げたな、という思いこみもあり、辛口になってしまったのかもしれません。ただし、純文学作家・吉田修一という既成概念を除去して読めば、味わい深い高水準な作品なのでした。

角田光代の『八日目の蝉』も、やはり「逃げたな」との思いこみで読みました。ところが反発は瞬時に溶解してしまいました。時間を忘れて、夢中で読みふけったのです。純文学作家がミステリー小説を書くことは、昔からありました。しかしどの作品も、推薦作を超えることはありませんでした。しかし吉田修一、伊坂幸太郎、そして角田光代は、あっさりと純文学系の代表作を超えてしまったようです。3人は世代的にはきわめて近く、私はいつも新作を楽しみにしています。3人の生まれ年と主な作品の、上梓時期をならべてみます。

【吉田修一】
1968年生まれ。
1999年『最後の息子』(文春文庫、500+α紹介作)
2007年『悪人』(朝日文庫)。
【伊坂幸太郎】
1971年生まれ。
2003年『アヒルと鴨のコインロッカー』(創元推理文庫、500+α紹介作)
2007年『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)
【角田光代】
1967年生まれ。
2003年『対岸の彼女』(文春文庫)
2007年『八日目の蝉』(中公文庫、500+α紹介作)

私はいま純文学が推理小説のジャンルに、すり寄りはじめていると感じています。いい加減な命名ですが、「純推文学」なる可能性の萌芽すら感じます。直木賞を受賞した中島京子(推薦作は『FUTON』講談社文庫と『小さなおうち』文春文庫)や売り出し中の朝倉かすみ(推薦作は『田村はまだか』光文社文庫)にも、その予兆を感じています。

「純推文学」ジャンルには先輩作家がいます。列記しておきます。

奥田英朗:1959年生まれ。『最悪』(講談社文庫)
佐藤正午:1955生まれ。『バニッシングポイント』(集英社文庫)
奥泉光:1956年生まれ。『「吾輩は猫である」殺人事件』(新潮文庫)

そうした意味で『八日目の蝉』は、前走していた走者をひとつに巻きこむ、前奏曲なのかもしれません。角田光代には『キッドナップ・ツアー』(新潮文庫)という作品があります。こちらはダメな父親が実の娘を誘拐する話です。『八日目の蝉』はその作品をひとひねり以上させた、作品として完成形に近くなっています。

◎角田光代の2人目の赤ん坊

『八日目の蝉』に話を戻します。主人公・野々宮希和子は不倫相手のこどもを中絶した、30歳の平凡な女性です。彼女が中絶したのち、不倫相手の妻に赤ん坊が生まれます。希和子は赤ん坊を一目見たいと、不倫相手の留守宅に忍びこみます。

――今、赤ん坊はベビーベッドのなかで顔を赤くして泣いている。希和子は爆発物に触れるかのごとく、おそるおそる手をのばした。タオル地の服を着た赤ん坊の、腹から背にてのひらを差し入れる。そのまま抱き上げようとした瞬間、赤ん坊は口をへの字に曲げ、希和子を見上げた。(本文P9より)

希和子は赤ん坊を抱え、そのまま立ち去ります。希和子は赤ん坊に、「薫」という名前をつけ溺愛します。指名手配をされますが、希和子は薫を連れて各地を転々と逃げます。4年間におよぶ逃亡生活の終焉をむかえたのは、小豆島でした。連行される希和子は、最後に薫になにかを叫びます。ここまでが第1章です。日記形式でつづられたこの章では、逮捕されなければこの子の母親になれるのか、という問いかけがくりかえされています。

逃亡する希和子の薫にそそぐ愛情。希和子を迎えいれてくれる人たちの愛情。角田光代がこれまでの作品で描いてきた、「共同体」への志向に寄り沿うような展開がつづきます。第2章は成長した薫の視点で、描かれます。こんな具合です。

――そのときのことを私は覚えている。ほかの記憶は本当にあいまいなんだけれど、その日のことだけは、覚えている。だれもいないフェリー乗り場で、あの人は缶ジュースを買ってくれた。チケットを買って、船着き場にしゃがみこんで海を見ていた。私をぎゅっと強く抱きしめた。せっけんと卵焼きのまじったようなにおいがした。私はあの人を笑わせるために何か言ったはずだ。あの人は声を出さずに静かに笑った。(本文P219より)

成長した薫には、安住すべき場所がありません。薫は誘拐犯・希和子と同じような、不倫をはじめます。そしてものがたりは、感動的なラストへと向かいます。

「八日目の蝉」の意味についてはふれません。『対岸の彼女』を角田光代の推薦作として紹介していましたが、『八日目の蝉』はその作品を超えていました。脱帽。すばらしい作品をありがとうと結びたいと思います。デビュー作『幸福な遊戯』(角川文庫)からのおつきあいですけれど、初々しかった角田光代は2人目の大きな赤ん坊を、生み落としたとお祝いしたいと思います。
(山本藤光:2011.02.18初稿、2018.02.08改稿)

梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫)

2018-02-04 | 書評「か」の国内著者
梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫)

私は体調の悪いときに美しいものを見る贅沢をしたくなる。しかし最近は馴染みの丸善に行くのも気が重い。ある日檸檬を買った私は、その香りや色に刺激され、丸善の棚に檸檬一つを置いてくる。現実に傷つき病魔と闘いながら、繊細な感受性を表した表題作ほか、20の掌編を収録。(「BOOK」データベースより)

◎果物屋と丸善

 梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫)は、詩情豊かで感性に満ちあふれた掌編です。中学校の教科書で読んで以来、何度も読み返しています。残念なことに今では、教科書からははずれてしまっているようですが。さらに大学時代は文章修業として、梶井作品のいくつかを原稿用紙に書き写していました。『檸檬』には20の掌編が収められています。表題作はあまりにも有名ですが、「Kの昇天」「愛撫」「交尾」も好きでした。

なかでも「交尾」が優れていると思いました。「交尾」も10枚くらいの小品ですが、梶井基次郎の真骨頂である自然描写がきわだっています。白猫や河鹿の交尾模様を、とりあげただけの作品です。心洗われるように、それを見守る「私」の心情がみごとに描かれています。

「檸檬」は原稿用紙で、わずか14枚に満たない掌編です。作品は1925(大正14)年、同人誌に発表されました。主人公の「私」は「えたいの知れない不吉な魂」を心のなかに宿した、京都の貧乏学生です。彼は「出来ることなら京都から逃げだして、だれ一人知らないような市へ行ってしまいたかった」と考えています。
 
 そんな思いを心にもちつつ、「私」は1軒の果物屋で足をとめます。周囲の明るさからは、沈みこんだような暗い店でした。「私」は店頭で、自己主張している檸檬を発見します。眺め、とりあげ、「結局、私はそれを一つだけ買うことに」しました。その後の展開は、梶井基次郎独特の世界といえます。私の大好きな場面です。

――その(註:檸檬)重さこそ常づね私が尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり……何がさて私は幸福だったのだ。(本文より)

 それから「私」は今のように鬱屈した状態になる前、いちばん好きだった場所(補:書店・丸善)へと向かいます。そこには「赤や黄色のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロコロ趣味の浮模様を持った、琥珀色や翡翠(ひすい)色の香水壜」などが並んでいます。

それまでさいなまれていた、閉塞感が消えてゆきました。ひとつの檸檬に、浮揚感をおぼえているのです。「私」は画集の棚に立ち、ぺらぺらとめくります。そして画集を紡錘形に積み上げ、思い出したようにその頂に檸檬を乗せます。「私」が画集を紡錘形にしたのは、檸檬そのものの形を意識してのことです。「私」は色とりどりの画集を何度も積みなおし、最後に深い満足感を得ます。そして「それをそのままにしておいて私は、何食わぬ顔をして外へ出」ます。置き去られた檸檬は爆発を予感させました。

作品はここで終わります。はじめて『檸檬』を読んだときに、なんとも詩的で、余韻に満ち満ちた結末だと感心しました。梶井基次郎は五感を巧みにあやつり、内面と重ねてみせます。そのあたりに触れた文章を紹介します。

――「檸檬」を読み進んでいくうちに、頭のなかには無数の色や物の匂いが広がってきた。向日葵、カンナの恐ろしいくらいの鮮やかな色。ひなたの匂いのする布団や糊のきいた浴衣。花火の音と煙。びいどろのおはじきの味。檸檬の何ともいえない、さわやかな甘酸っぱいにおい、(群ようこ『ちくま日本文学028・梶井基次郎』ちくま文庫の解説より)

◎短篇小説とは何か

前記『ちくま日本文学』(全40巻、ちくま文庫)の「028梶井基次郎」には、28の小品が収載されています。さらに『梶井基次郎全集・全一巻』(ちくま文庫)には57の小品がならんでいます。梶井基次郎の短篇小説はいいな、というのが完全読破したときの実感です。

ところがある日、丸谷才一『梨のつぶて』(晶文社)を読んでいて、つぎのような文章に行く手を阻まれました。
――梶井の作品は、散文詩でも短篇小説でもない。それはむしろスケッチとでも呼ぶべきものだ。(『梨のつぶて』晶文社より)

短篇小説とはなにか。まずは書棚から、つぎの本をひっぱりだしてきました。
・阿刀田高:短編小説より愛をこめて(新潮文庫)
・阿刀田高:短編小説のレシピ(集英社新書)
・阿刀田高:海外短編のテクニック(集英社新書)
・阿部昭:短編小説礼讃(岩波新書)
・国文学解釈と鑑賞1978.4:短篇小説の魅力
・筒井康隆:短篇小説講義(岩波新書)

 黄色く変色したページをくくっていて、つぎの文章に出合いました。孫引きですが引用しておきます。
――梶井の文学は小説ではない。(略)小説という文学形式は、想像力、構想力、といった精神の働きのうへに成立するものである。しかし梶井の方法は想像力を拒否する。彼は純粋に視覚力であることを志望する。(「国文学。解釈と鑑賞」1978年4月号「短篇小説への招待」源高根より孫引きしました)

 短篇小説の定義に、確固たるものはありません。「新明解国語辞典」(三省堂)ですら「短く完結しているもの」とそっけない解釈になっています。いろいろ読みあさってみて、私は阿部昭のつぎの文章に胸をなでおろしました。

――短編小説とは何か、というようなことはまず省略したい。短篇小説の定義とか、その発生や変遷の歴史とかいったことは、とても私の手には負えない。定義は知らないが、私は短編と呼ばれるものを愛好し、自分もそんなものを書きたいと思って多少書いてきたにすぎない。読者も大方はそうであろう。そこで、短篇小説とは御存知の通りのものである、としておく。(阿部昭『短編小説礼讃』岩波新書)

 というわけで、あまり深入りせずに書き進めてゆきます。

当時梶井基次郎は、リアリズムの散文家・志賀直哉や幻想的感覚の詩人ボードレールを尊重していました(「新潮日本文学小事典」を参考にしました)。その影響がどこにあらわれているのか、私には知る術もありません。ただただ、感服。カフェの窓際の席で、レモンティを飲みながら読みたい作品、それが梶井基次郎の代表作『檸檬』なのです。
(山本藤光:2012.12.08初稿、2018.02.04改稿)

川上弘美『センセイの鞄』(文春文庫)

2018-02-04 | 書評「か」の国内著者
川上弘美『センセイの鞄』(文春文庫)

主人公・ツキコさんこと大町月子はいつも行きつけの居酒屋で、30歳離れた高校の恩師で古文の先生だった、センセイこと松本春綱に再会する。センセイの「ツキコさん、デートをいたしましょう」の一言から2人の恋愛が始まる。(文庫案内より)

◎『蛇を踏む』と『物語が、始まる』

 川上弘美との出会いを書いておきます。書店に2冊の単行本がならんでいました。いずれも川上弘美の作品です。川上弘美が、第1回パスカル短篇文学賞の受賞者であることは知っていました。この賞は筒井康隆らが中心となって創設されたもので、応募から選考までのすべてを、パソコン通信で行い話題となりました。受賞作『神様』は掲載雑誌が入手できず、その時点では読んでいませんでした。

 その後、川上弘美は「蛇を踏む」で芥川賞を受賞します。文芸雑誌で発表されていたのですが、川上弘美の作品が掲載されたものは読んでいませんでした。書店にあったのは、次の2冊です。すぐに買い求めました。

『蛇を踏む』(1996年9月文藝春秋、帯コピー:芥川賞受賞作)
『物語が、始まる』(1996年8月中央公論社、帯コピー:芥川賞作家の初めての作品集)

 発行月は、『物語が、始まる』の方が1ヶ月早くなっています。しかし単行本の帯コピーが、「受賞作」と比べると、あまりにも弱弱しく感じました。必然『蛇を踏む』を先に読んでしまいました。あとで気がつきました。失敗したと思いました。デビュー作から順番に読べきでした。ささやかですが、読書における私の思いいれなのですから仕方がありません。成長の履歴を確認しながら、じっくりと一人の新進作家を追いかけたかったのです。
  
◎独特の文章で引っ張る

 川上弘美は、独特の作風をもっています。大人のメルヘンといったらいいのでしょうか。シュールレアリズムの手法と、短い言葉のくりかえし。これが読者を不思議な世界にいざないます。どの作品も、冒頭の数行が効いています。芥川賞の候補作になった「婆」(『物語りが、始まる』に所収)はこんなふうです。
 
――鯵夫のことを考えながら歩いていたのだ。早足で歩いていたのだ。鯵夫のことを考えれば考えるほど、早足になるのだった。/そうやって、早足で歩いている最中に、手招きされたのだ。手招きされて、寄せられた。手招きされて、ついつい寄せられた。寄せられて、婆の家に入ったのだ。(「婆」より引用)

 読者はこの数行で、異世界に迷いこみそうな予兆を感じます。同じ単語のしつような反復は読者を、あっというまに物語へと引きこむ力をもっています。「蛇を踏む」の冒頭も、さりげなく放り投げた感じで味があります。
 
――ミドリ公園に行く途中の薮で、蛇を踏んでしまった。踏まれた蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言って、五十歳くらいの女性に変身する。(「蛇を踏む」本文より引用)

 あとは独特の文章でひっぱります。川上弘美は難解な言葉を使いません。やさしい言葉を連ねて異世界を構築しています。こんな具合につづけられます。
 
――夜のミドリ公園を抜けて部屋に戻ると、部屋はさっぱりと片づいていて絨毯の中ほどに五十歳くらいの見知らぬ女が座っていた。/さては蛇だなと思った。/「おかえり」女はあたりまえの声で言った。/「ただいま」と返すと、女は立ち上がって作りつけの小さな炊事コーナーに立っていき、鍋の蓋をあけていい匂いをさせた。(「蛇を踏む」より引用)

 私が好きなのは「消える」という短編。この作品も書き出しがすてきです。
 
――このごろずいぶんよく消える。/いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから二週間になる。(「消える」より引用)

 なんだか、書き出しばかりを大量に引用してしまいましたが、すばらしい才能の作家誕生の予感がします。河野多恵子とか倉橋由美子みたいに、なりそうな感じがしています。長編を読んでみたいと思います。

◎『溺レる』から予感できる完成形

『溺レる』(文春文庫)は、著者6冊目の作品集です。8篇の収載作は「文学界」に掲載されたものばかりで、男と女の淡い恋心が描かれています。川上弘美の文章は、飾りが少なくわかりやすいのが特徴です。著者が好んで使う「重ね語」も、川上弘美ならではのものです。表題作「溺レる」では、こんなふうに使われています。
 
――少し前から、逃げている。/一人で逃げているのではない。二人して逃げているのである。/逃げるつもりはぜんぜんなかった。逃げている今だって、どうして逃げているのかすぐにわからなくなってしまう。しかしいったん逃げはじめてしまったので、逃げているのである。(本文より)

 従来タブー視されていた同じ言葉のくりかえしを、川上弘美はこれでもかと用います。これほど執拗に「逃げらレる」と、読者はなにから逃げているのかを知りたくなります。そこで「はぐらかす」のも川上流なのです。

 表題作「溺レる」の登場人物は2人。主人公・わたしがモウリさんに「何から逃げているのか」と質問します。モウリさんは「リフジンから逃げている」と答えます。モウリさんが同じ質問を「わたし」に返します。わたしには逃げている理由がわかりません。
 
 川上作品には、水墨画を見るような味わいがあります。ストーリーこそ小説の醍醐味、と考える読者にはつまらないでしょう。構図がシンプルで、派手な色遣いもありません。言葉の濃淡、会話の濃淡のなかから、一種独特の世界がみえてくるのです。わかりやすい言葉の羅列と、会話の妙を好む読者にはたまらない魅力です。息をもつかせぬサスペンス小説、謎が謎を呼ぶミステリー小説などとは、ジャンルがちがう不思議な世界。それが川上作品なのです。

 男と女。この2極をセックスだけの対象にしてしまう作品が多いなかで、川上弘美はプラトニックな男と女を描きつづけます。「溺レる」の2人は逃げながら、お金がなくなり、新聞配達をはじめます。お金がたまったら、またなにかから逃げはじめます。

 モウリさんは、ときどき上の空になります。ほっとかれた「わたし」は、それを寂しく思います。2人は食事をし、昔を回想し、死に思いをはせ、逃げるために働き、夜になれば身を寄せ合います。

 川上弘美は不可思議で甘美な世界を、この作品集でも再現してみせました。味わいながら読んでいただきたいと思います。川上作品を読むたびに、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(中公文庫)を思いおこすのは私だけでしょうか。
(ここまではPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」1999年9月5日号に掲載したものに加筆修正しました)

◎湿原を流れる水のような物語

『センセイの鞄』のストーリーは単純です。会話も単調です。それでいて味わい深い作品に仕上がっています。まさしく川上弘美ワールド。純白のキャンバスに、ありきたりの点描をしてゆきます。するとぼんやりとした形があらわれます。あたりまえの言葉のあたりまえの羅列。こんな芸当は著者にしかできないでしょう。

 主人公・ツキコは、37歳の独身女性。行きつけの酒場で、高校時代に国語を教わったセンセイと出会います。センセイはツキコよりも30歳以上年上で、妻に先立たれて一人暮しをしています。

 2人の淡い交際がはじまります。2人の会話は魅力にあふれています。川上弘美は好んで同じフレーズを繰り返しますが、この作品でもいかんなくそれを発揮してみせています。
 
――「おいしいですかツキコさん」/食欲のある孫をいとしむような様子で、センセイは言った。/「おいしいです」/ぶっきらぼうにわたしは答え、それからもう一度、/「おいしいです」と、さきほどよりも感情をこめて、答えた。(本文より)

 ツキコが安心して顔をうずめる、センセイの胸から響いてくる鼓動。どんなとこにも冷静さを失わない、センセイの呼吸。センセイの存在を実感しながら、ツキコは次第に不安になってゆきます。居酒屋で隣席の空間を埋めるだけの存在だったセンセイ。それがツキコの胸のなかで、少しずつ1つの形をなしてゆきます。在るものを失うことへの不安……。
 
――「ツキコさん、ワタクシはいったい、あと、どのくらい生きられるでしょう」/突然、センセイが聞いた。センセイと、目が合った。静かな目の色。/「ずっと、ずっとです」わたしは反射的に叫んだ。(本文より)

 湿原を流れる澄んだ水のように、物語はゆったりと終点を目指します。ハンモックかロッキングチェアに揺られながら、心ゆくまで恋愛小説を堪能していただきたいものです。川上弘美はまたやってくれました。こんなに心洗われる恋愛小説とは、あまり出合うことはないと思います。
(山本藤光:2013.03.06初稿、2018.02.04改稿)