ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(光文社古典新訳文庫、池田真紀子訳)

街道沿いのレストランで働き始めた俺は、ギリシャ人店主の美しい妻コーラにすっかり心を奪われてしまった。やがて、いい仲になった彼女と共謀して店主殺害を計画するが…。緻密な小説構成の中に、非情な運命に搦めとられる男女の心情を描きこんだ名作。(「BOOK」データベースより)
◎人を呪わば穴二つ
ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(光文社古典新訳文庫、池田真紀子訳)が出ました。4度目の再読となりますが、大好きな作品なので飛びつきました。
今から30年前に読んだのは、ハヤカワ文庫(小鷹信光訳、タイトル「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」)です。つぎに読んだのは、集英社文庫(中田耕治訳、タイトルは同じ)です。そのあとに出張の車中で、kindle版(底本は講談社文庫、田中小実昌訳)を読んでいます。
さらに驚くべきことに、光文社古典新訳文庫が新訳で登場した翌月に、新潮文庫からも新訳(旧版は田中西二郎訳、新訳は田口俊樹訳)が発売されたのです。新訳の新潮文庫はまだ読んでいません。これらの前には、飯島正訳(荒地出版社)、蕗沢忠枝訳(旅窓新書)などの邦訳もあったようです。
本書が刊行されたのは1934年です。発売してすぐに、大きな話題となりました。ところが過激なセックスシーンに批判もあり、アメリカの一部の州では発売禁止となったほどです。
「人を呪わば穴二つ」ということわざをご存知でしょうか。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』には、郵便配達夫はでてきませんし、2度ベルを鳴らす場面も登場しません。作者が前記ことわざをイメージして、つけたタイトルなのです。では「人を呪わば穴二つ」とはどんな意味なのでしょうか。辞書で確認してみます。
――人をうらんで、その人を不幸におとし入れようとすれば、自分もまた、不幸な目にあうということ。「人を呪わば身を呪う」ともいう。(新国語研究会編『暮らしに役立つ・ことわざ辞典』より)
これでも意味が分かりにくいと思います。「他人を呪い殺せば、自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、相手と自分の分で墓穴が二つ必要になる」ということから発したことわざのようです。
ケインの文章について、ふれられた著作があります。紹介させていただきます。
――ケインの文体は、しばしばヘミングウェイのそれと比較される。彼は贅肉をそぎ落したベイシックな文体を意図的に使用して、この作品を書いた。抽象的な表現はいっさい避け、形容詞はごくわずかしか使わず、たたきつけるような言葉で自分が人々に読ませたいと思ったストーリーを語った。(キーティング『海外ミステリ名作100選』早川書房、P80より)
丸谷才一は著書『深夜の散歩』(ハヤカワ文庫)のなかで、ケインはカミュに影響をあたえたと書いています。
――カミュの『異邦人』にはJ・M・ケイン『郵便配達はベルを二度鳴らす』が大きな影響を与えているというのは、ぼくが長いあいだ心ひそかに誇っていた発見である。たとえば、世界の不条理の象徴としての裁判というとらえ方。全篇が死刑囚の手記である。しかも最後に書き記すという手法。しかし、まず何よりも、極めてヘミングウェイふうの文体。それらはすべて両者に共通しているのだ。(丸谷才一『深夜の散歩』ハヤカワ文庫P242より)
カミュへの影響について丸谷才一は、「自分が文章に書く前に、イギリスの作家レイナー・ヘブンストールに書かれてしまった」と後悔しています。この点については、前記引用者のキーティングも断定形で書いています。
◎どの訳文を選ぶのか
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の主人公は、24歳の「俺」(フランク・チェンバーズ)で、無職の風来坊です。「俺」はニック・パパダキスというギリシャ人が経営するガソリン・スタンド兼レストランへとたどり着きます。「俺」は店主からの依頼で、その店で働くことになります。店主の美しい妻コーラに惹かれたためです。
多情な女コーラはすぐに「俺」フランクと関係をもち、夫を殺害する計画を練ります。1度は邪魔がはいって失敗します。しかし2度目に自動車事故に見せかけて、パパダキス殺害を成功させるのです。彼には死亡保険がかかっていました。
検事サケットは、2人の犯行と疑いをかけます。しかし弁護士カッツの活躍で、無罪を獲得します。ふたたび「俺」とコーラの、甘い生活がはじまります。そんなときに、思わぬことが勃発します。
ここから先についてはふれません。キーティングや丸谷才一がいうように、ヘミングウェイと似たケインの文章を堪能してください。参考までに、主人公がギリシア人夫妻の世話になった翌日の場面を5つの訳で比較してみます。ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、好みの訳文で読むことをお薦めします。
【池田真紀子訳・光文社古典新訳文庫】
翌日、二人きりになった機会に、拳でコーラの脚を叩いた。彼女はバランスを崩して倒れそうになった。
「何のつもりよ?」歯をむき出してうなるピューマみたいだった。そういう彼女は本当にいい。
「調子はどう、コーラ?」
「退屈」
そのときから、また彼女の匂いを感じるようになった。
(P24より)
【中田耕治訳・集英社文庫】
翌日ほんのちょっと、彼女とふたりきりになったので、つよく拳で腿をなぐりつけてやったが、もう少しでぶったおれるほどだった。
「なんだってそんなまねをするのよ」
女は豹みたいにうなった。おれはそういうときの彼女が好きだった。
「どうだい、コーラ?」
「いやらしい」
そのときからまた彼女のからだが匂いたった。
(P16より)
【小鷹信光訳・ハヤカワ文庫】
翌日、ほんのしばらく、あいつと二人っきりになった。おれは、あいつの足めがけて拳を突き上げた。ひっくりかえるほど、強く。
「すごい手をつかうのね」あいつはクーガーのようなうなり声を洩らした。そんなあいつがおれの好みにぴったりだった。
「ご機嫌は、コーラ?」
「最低よ」
そのときから、おれはまたあいつの匂いを嗅ぎはじめた。
(P21より)
【田中小実昌訳・kindle】
翌日、ほんのわずかだが、コーラとふたりきりになれた。おれは拳骨で、コーラの脚をぶんなぐった。かなり強くなぐり、コーラはぶったおれそうになった。「どうして、そんなことをするの?」コーラはアメリカライオンみたいに歯をむいた。おれはそんなコーラが好きだ。
「ごきげんいかが、コーラ」
「つまらない」
それから、また、コーラのからだがにおいだした。
(位置No.171より)
【田口俊樹訳・新潮文庫】
翌日、いっときコーラとふたりだけになると、おれは彼女の脚に拳を叩き込んだ。下から上に。強く叩きすぎて彼女はもう少しでこけそうになった。
「なんでそんなふうになるの?」彼女は歯を剥き出してうなった。ピューマみたいに。
「気分はどうだい、コーラ?」
「最悪よ」
そのときからおれはまた彼女のにおいを嗅ぎはじめた。
(本文P22より9
私が池田真紀子訳をとりあげたのは、新しいからという理由です。新潮文庫の新訳も気になりますが、ほかの本も読まなければなりません。ですから新潮文庫については、しばらくたってから読んでみたいと思います。
ヘミングウェイ、ケイン、そしてカミュ。ぜひ読みくらべてみてください。きっと読書がさらに楽しいものになると思います。
(山本藤光:2015.01.10初校、2018.02.23改稿)

街道沿いのレストランで働き始めた俺は、ギリシャ人店主の美しい妻コーラにすっかり心を奪われてしまった。やがて、いい仲になった彼女と共謀して店主殺害を計画するが…。緻密な小説構成の中に、非情な運命に搦めとられる男女の心情を描きこんだ名作。(「BOOK」データベースより)
◎人を呪わば穴二つ
ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(光文社古典新訳文庫、池田真紀子訳)が出ました。4度目の再読となりますが、大好きな作品なので飛びつきました。
今から30年前に読んだのは、ハヤカワ文庫(小鷹信光訳、タイトル「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」)です。つぎに読んだのは、集英社文庫(中田耕治訳、タイトルは同じ)です。そのあとに出張の車中で、kindle版(底本は講談社文庫、田中小実昌訳)を読んでいます。
さらに驚くべきことに、光文社古典新訳文庫が新訳で登場した翌月に、新潮文庫からも新訳(旧版は田中西二郎訳、新訳は田口俊樹訳)が発売されたのです。新訳の新潮文庫はまだ読んでいません。これらの前には、飯島正訳(荒地出版社)、蕗沢忠枝訳(旅窓新書)などの邦訳もあったようです。
本書が刊行されたのは1934年です。発売してすぐに、大きな話題となりました。ところが過激なセックスシーンに批判もあり、アメリカの一部の州では発売禁止となったほどです。
「人を呪わば穴二つ」ということわざをご存知でしょうか。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』には、郵便配達夫はでてきませんし、2度ベルを鳴らす場面も登場しません。作者が前記ことわざをイメージして、つけたタイトルなのです。では「人を呪わば穴二つ」とはどんな意味なのでしょうか。辞書で確認してみます。
――人をうらんで、その人を不幸におとし入れようとすれば、自分もまた、不幸な目にあうということ。「人を呪わば身を呪う」ともいう。(新国語研究会編『暮らしに役立つ・ことわざ辞典』より)
これでも意味が分かりにくいと思います。「他人を呪い殺せば、自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、相手と自分の分で墓穴が二つ必要になる」ということから発したことわざのようです。
ケインの文章について、ふれられた著作があります。紹介させていただきます。
――ケインの文体は、しばしばヘミングウェイのそれと比較される。彼は贅肉をそぎ落したベイシックな文体を意図的に使用して、この作品を書いた。抽象的な表現はいっさい避け、形容詞はごくわずかしか使わず、たたきつけるような言葉で自分が人々に読ませたいと思ったストーリーを語った。(キーティング『海外ミステリ名作100選』早川書房、P80より)
丸谷才一は著書『深夜の散歩』(ハヤカワ文庫)のなかで、ケインはカミュに影響をあたえたと書いています。
――カミュの『異邦人』にはJ・M・ケイン『郵便配達はベルを二度鳴らす』が大きな影響を与えているというのは、ぼくが長いあいだ心ひそかに誇っていた発見である。たとえば、世界の不条理の象徴としての裁判というとらえ方。全篇が死刑囚の手記である。しかも最後に書き記すという手法。しかし、まず何よりも、極めてヘミングウェイふうの文体。それらはすべて両者に共通しているのだ。(丸谷才一『深夜の散歩』ハヤカワ文庫P242より)
カミュへの影響について丸谷才一は、「自分が文章に書く前に、イギリスの作家レイナー・ヘブンストールに書かれてしまった」と後悔しています。この点については、前記引用者のキーティングも断定形で書いています。
◎どの訳文を選ぶのか
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の主人公は、24歳の「俺」(フランク・チェンバーズ)で、無職の風来坊です。「俺」はニック・パパダキスというギリシャ人が経営するガソリン・スタンド兼レストランへとたどり着きます。「俺」は店主からの依頼で、その店で働くことになります。店主の美しい妻コーラに惹かれたためです。
多情な女コーラはすぐに「俺」フランクと関係をもち、夫を殺害する計画を練ります。1度は邪魔がはいって失敗します。しかし2度目に自動車事故に見せかけて、パパダキス殺害を成功させるのです。彼には死亡保険がかかっていました。
検事サケットは、2人の犯行と疑いをかけます。しかし弁護士カッツの活躍で、無罪を獲得します。ふたたび「俺」とコーラの、甘い生活がはじまります。そんなときに、思わぬことが勃発します。
ここから先についてはふれません。キーティングや丸谷才一がいうように、ヘミングウェイと似たケインの文章を堪能してください。参考までに、主人公がギリシア人夫妻の世話になった翌日の場面を5つの訳で比較してみます。ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、好みの訳文で読むことをお薦めします。
【池田真紀子訳・光文社古典新訳文庫】
翌日、二人きりになった機会に、拳でコーラの脚を叩いた。彼女はバランスを崩して倒れそうになった。
「何のつもりよ?」歯をむき出してうなるピューマみたいだった。そういう彼女は本当にいい。
「調子はどう、コーラ?」
「退屈」
そのときから、また彼女の匂いを感じるようになった。
(P24より)
【中田耕治訳・集英社文庫】
翌日ほんのちょっと、彼女とふたりきりになったので、つよく拳で腿をなぐりつけてやったが、もう少しでぶったおれるほどだった。
「なんだってそんなまねをするのよ」
女は豹みたいにうなった。おれはそういうときの彼女が好きだった。
「どうだい、コーラ?」
「いやらしい」
そのときからまた彼女のからだが匂いたった。
(P16より)
【小鷹信光訳・ハヤカワ文庫】
翌日、ほんのしばらく、あいつと二人っきりになった。おれは、あいつの足めがけて拳を突き上げた。ひっくりかえるほど、強く。
「すごい手をつかうのね」あいつはクーガーのようなうなり声を洩らした。そんなあいつがおれの好みにぴったりだった。
「ご機嫌は、コーラ?」
「最低よ」
そのときから、おれはまたあいつの匂いを嗅ぎはじめた。
(P21より)
【田中小実昌訳・kindle】
翌日、ほんのわずかだが、コーラとふたりきりになれた。おれは拳骨で、コーラの脚をぶんなぐった。かなり強くなぐり、コーラはぶったおれそうになった。「どうして、そんなことをするの?」コーラはアメリカライオンみたいに歯をむいた。おれはそんなコーラが好きだ。
「ごきげんいかが、コーラ」
「つまらない」
それから、また、コーラのからだがにおいだした。
(位置No.171より)
【田口俊樹訳・新潮文庫】
翌日、いっときコーラとふたりだけになると、おれは彼女の脚に拳を叩き込んだ。下から上に。強く叩きすぎて彼女はもう少しでこけそうになった。
「なんでそんなふうになるの?」彼女は歯を剥き出してうなった。ピューマみたいに。
「気分はどうだい、コーラ?」
「最悪よ」
そのときからおれはまた彼女のにおいを嗅ぎはじめた。
(本文P22より9
私が池田真紀子訳をとりあげたのは、新しいからという理由です。新潮文庫の新訳も気になりますが、ほかの本も読まなければなりません。ですから新潮文庫については、しばらくたってから読んでみたいと思います。
ヘミングウェイ、ケイン、そしてカミュ。ぜひ読みくらべてみてください。きっと読書がさらに楽しいものになると思います。
(山本藤光:2015.01.10初校、2018.02.23改稿)