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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

ダグラス・ケネディ『仕事くれ。』(新潮文庫、中川聖訳)

2018-03-02 | 書評「カ行」の海外著者
ダグラス・ケネディ『仕事くれ。』(新潮文庫、中川聖訳)

ネッド・アレンにとって、栄光は目前だった。メイン州を出てほぼ10年、マンハッタンはいよいよ彼に微笑みかけようとしていた。だが、破滅は前触れもなく襲ってきた―失業。残された負債。不信を募らせる妻。それでも、辛酸をなめ尽くした彼にも蜘蛛の糸は下りてきた。ビッグ・ビジネスのチャンス。ところが…。『ビッグ・ピクチャー』で世界の注目を浴びた著者の再就職サスペンス。(「BOOK」データベースより)

◎ありきたりな主人公『仕事くれ』

会社内で他部門の人と会うと、交わされるあいさつはこんな具合です。「どう、忙しい?」「まあまあ」。サラリーマンは、忙しくもなく、暇でもない状態が最も好ましいものです。だからこんなあいさつになります。ときには時候のあいさつていどの問いかけに、本気になって答える人もいます。「めちゃ忙しくて、ぶっ倒れそうだよ」。こんな人にかぎって要領が悪く、うだつがあがっていないものです。

『仕事くれ。』(新潮文庫、中川聖訳)の主人公・ネッド・アレンは田舎の出身で、3流大学を卒業したことにコンプレックスをもっています。出世欲は旺盛で、一流品へのこだわりも強くもっています。

現在ネッドは、「コンピュワールド」の地域セールスマネージャーです。「コンピュワールド」は、アメリカで3番目に大きなコンピュータ雑誌です。4年前に業界に参入したものの、2番手の「コンピューターアメリカ」の発行部数に迫りつつあります。ネッド・アレンは腕利きのマネージャーで、雑誌の広告とりに駆けまわる部下たちを強力にサポートしています。
 
多忙な毎日の連続で、妻との日常に亀裂が入りはじめています。しかしネッドはまったく意にかいしません。そんなとき、彼の会社が吸収合併されることになります。彼は「コンピュワールド」の発行人を内示され、降ってわいたような幸運に狂喜します。

のぼりつめたジェットコースターは、ここから一挙に落ちはじめます。とことん奈落まで墜落してしまうのです。まず吸収合併された会社が、更に身売りされることになります。ネッドの発行人の夢は、同時に失墜します。
 
職を失ったネッド。再就職先を探しまわる毎日がつづきます。しかし道はひらけません。穴のあいた広告を、なかば恐喝まがいの行動で埋めた過去が邪魔をしています。「コンピュワールド」の発行人を内示した男への、暴力が露呈します。浮気がもとで妻が離れてゆきます。

急速に「負」へ転ずる日常。喪失感を酒でいやす毎日。ここまではミステリーというよりも、企業小説のようです。これまでの「ツケ」がネッドを包みこみます。

そして、事態はもっと悪くなります。ネッドの同級生が、ある魅力的な仕事をもちかけてきます。巧妙な罠を仕掛けられたネッドは、にっちもさっちもいかなくなります。まだ墜ちるのかと思わず胸を痛めてしまうほどに、主人公は絶望の淵に立たされます。こんなにすさまじい小説は、読んだことがありません。

殺人事件が起きます。それもネッドが見ている前で。しかも状況証拠は、すべて犯人がネッドであるように仕組まれています。手のこんだ罠が、ネッドを呪縛します。迫りくる警察。死を考えるネッド。

スピーディな展開は猜疑が不安に変わり、絶望が絶体絶命にまで追いこまれます。優秀なセールスマネージャーだったネッドには、偉大なる財産がありました。

それは4人の元部下。1人は仕事に絶望して自殺しますが、残る3人は上司の恩を忘れていません。ネッドは、自分を理解してくれる人たちの支えでよみがえります。

ダグラス・ケネディは前作『ビッグ・ピクチャー』(新潮文庫)でも、追いつめられてもけっしてあきらめない主人公を描いてみせました。

◎七転び八起きの人生

人はだれでも、未来に夢をはせます。そして挑戦します。成功か、失敗か、結果がでます。成功なら有頂天になります。失敗なら落ちこみます。簡単にいってしまえば、人生ってこんな感じになるものなのでしょう。

ダグラス・ケネディの小説は、いずれも生真面目にこの世界を描きつづけています。主人公と環境を変えただけのように、感じるほどです。極端にいうと、初期作品『どんづまり』(講談社文庫)のくりかえしなのです。ところが、まったくあきません。読者は知らぬ間に、主人公に感情移入しているのです。

「がんばれ」「負けるな」「やめておけ」……。読者は主人公に向かって、心のなかで何度も叫び声をあげることになります。『仕事くれ』は、入手が難しいようです。アマゾンを検索してみました。1円で38冊ありました。安心してお薦めさせていただきます。

日本にはこのような世界を、描ける書き手はまだいません。最近の池井戸潤(推薦作『下町ロケット』小学館文庫)が近いかもしれません。現代の日本の写し絵のような世界を、堪能していただきたいと思います。
(山本藤光:2009.08.19初稿、2018.03.02改稿)


ゴーゴリ『鼻』(岩波文庫、平井肇訳)

2018-02-28 | 書評「カ行」の海外著者
ゴーゴリ『鼻』(岩波文庫、平井肇訳)

ある日、鼻が顔から抜け出してひとり歩きを始めた…写実主義的筆致で描かれる奇妙きてれつなナンセンス譚『鼻』。運命と人に辱められる一人の貧しき下級官吏への限りなき憐憫の情に満ちた『外套』。ゴーゴリ(1809‐1852)の名翻訳者として知られる平井肇(1896‐1946)の訳文は、ゴーゴリの魅力を伝えてやまない。(「BOOK」データベースより)

◎ロシア写実主義文学の開祖

「山本藤光の文庫で読む500+α」の掲載作を、「外套」と「鼻」のどちらにしようか、迷いました。迷ったすえに、該当(外套ではありません)作を「鼻」としました。

ゴーゴリは、ロシア写実主義文学の開祖です。ゴーゴリは演劇俳優を目指しましたが、挫折して役人になります。在職中に著作を自費出版しましたが、これもまったくかんばしくありませんでした。 

当時ゴーゴリはたくさんの作品を書いており、それらをまとめて「ペテルブルグ物」と呼ばれています。翻訳本がないので読んではいません。ゴーゴリ研究所によると、不安、奇妙な幻想、超自然を描いた作品が多いようです。
 
『鼻』は、ユーモアと諷刺のきいた空想譚小説です。貧乏な床屋が朝食のパンを食べようとします。そのなかから「鼻」がでてきます。よくみると、週2回髭剃りにくる8等官コワリョーフのものだとわかります。驚いた床屋は、自分が誤ってそり落としたのではないかと錯乱してしまいます。

鼻をボロ布に包んだ床屋は、鼻の捨て場所を探します。こっそりと落としたふりをしましたが、「おーい、なにか落としたぞ」と警察に注意されます。あっちこっち迷い歩き、床屋は鼻の始末に悩んでしまいます。

このあたりから、ゴーゴリの筆は滑らかに進みます。なにしろ作者の独白まで、挿入されています。いいな、と思いました。
 
――そこで彼(註:床屋のこと)は、何とかしてネヴァ河へ投げ込むことは出来ないだろうかと思って、イサーキエフスキイ橋へ行ってみようと肚をきめた……。ところで、このいろんな点において分別のある人物、イワン・ヤーコウレヴィッチについて、これまで何の説明も加えなかったことは、いささか相済まない次第である。(本文P77より)

このあと、イワン・ヤーコウレヴィッチが飲んだくれで、自分の髭はそったことがない、などの記述がつづきます。読んでいて、彼が主人公だと思ってしまったほど、ていねいな記述が連なるのです。
 
◎シュールレアリズムの世界

ところがつぎの章になると、鮮やかに場面が転換されます。8等官コワリョフが目を覚まします。鏡を見る。自分の鼻がないことに気がつきます。そして再び、著者の独白が挿入されます。
  
――ところで、これが一体どんな種類の八等官であったか、それを読者に知らせるために、この辺でコワリョフなる人物について一言しておく必要がある。(本文P81より)

ハンカチで欠けた鼻を隠し、コワリョフはいつもの散歩にでます。彼はマントに身を包み、鼻血でもでているように装います。ある街角で、彼は上等な服を着た5等官に出会います。それはコワリョフの鼻をつけた男でした。
 
なぜコワリョフの鼻をつけた男なのかは、説明がなされていません。このあたりが、ゴーリキらしいところなのでしょう。
 
――馬車が玄関前にとまって、扉があいたと思うと、中から礼服をつけた紳士が身をかがめて跳び下りるなり、階段を駆けあがって行った。その紳士が他ならぬ自分自身の鼻であることに気がついた時のコワリョフの怖れと愕きとは如何許(いかばか)りであったろうう!(本文P84より)

鼻男は寺院に入っていきます。追いかけながら、コワリョフは声をかけることをちゅうちょします。やがて勇気をだして、「もし、貴下」と声をかけます。これから先の場面は、読んでのお楽しみとさせていただきます。読者はシュールレアリズムの世界へと、誘われることになります。
 
「鼻」は、もっともゴーリキらしい作品だと思います。これから紹介する「外套」と同じカッコでくくる論評が多いのですが、「鼻」は下級官僚を諷刺している作品ではありません。笑いと諷刺という意味では、のちほど紹介する「外套」の方が優れています。

芥川龍之介の『鼻』が、発表されたのは1916年です。ゴーゴリの『鼻』は、それよりも80年前の1836年に発表されています。芥川龍之介が『鼻』の下敷きにした「池尾禅珍内供鼻語」(『今昔物語』所収)、「鼻長き僧の事」(『宇治拾遺物語』所収)が成立したのは、それぞれ平安時代末期(1100年代)、鎌倉時代初期(1200年代)ですから、ゴーゴリよりも700年以上前になります。
 
私は『21世紀版少年少女古典文学館9・今昔物語』(講談社)で、「世にもふしぎな鼻ものがたり」を読みました。吹きだしてしまいました。『宇治拾遺物語』は手元にないので、まだ読んでいません。
 
夢野久作に「鼻の表現」(「夢野久作全集11」ちくま文庫に所収)という著作があります。少し長いのですけれど、とにかくまじめで愉快な考察です。もちろん有名なフレーズ「クレオパトラの鼻が、今すこし低かったならばローマの歴史を通じて世界の歴史に変化を与えただろう」にもふれられています。
 
◎「外套」も「査察官」も読んでもらいたい

ゴーゴリ「外套」は社会からしいたげられた、下級小役人の悲劇的な運命を諷刺した作品です。苦い笑い、突き刺さる棘、いやみったらしい諷刺、悲哀感が、全編に満ちあふれています。岩波文庫も光文社古典新訳文庫も、「鼻」と「外套」は併載されています。読みくらべて、堪能してもらいたいと思います。
 
ドストエフスキーは、「われわれはみなゴーゴリの『外套』からでたといっています。人道主義小説のゴーゴリの思想は、ドストエフスキーはもちろん、トゥルゲーネフやチェーホフに受けつがれています。

そのゴーゴリは、プーシキン(推薦作『スペードの女王』岩波文庫)から大きな滋養を得ています。本多秋五『物語戦後文学史(下)』(岩波現代文庫)に興味深い記述がありますので引用させていただきます。
 
――ゴーゴリは、『検察官』の主題にしても、『死せる農奴』の主題にしても、プーシキンにもらったといわれる。彼はプーシキンにあてて「お願いです、何か主題をあたえてください、滑稽なものでも滑稽でないものでも結構です。ただ純ロシア的なアネクドート(註:逸話、奇談のこと)をあたえてください。喜劇を書きたくて書きたくて手がぶるぶる震えています……どうかお願いです、主題をあたえてください……」という、有名な手紙を書いた。(上記P116を引用した)
 
「外套」の舞台については、朝日新聞社編『世界名作文学の旅』(朝日文庫下巻)で紹介されています。本書は書店の棚で、見かけなくなっています。世界名作文学を読んでいる方は、常備しておく名著だと思います。私はしばしば未知なる場所へ、空中遊泳させてもらっています。
 
「検察官」は、社会風刺の喜劇です。現代の日本にも通じる、官僚世界が描かれています。この作品でゴーゴリは、ロシア文学のなかで確固たる地位を固めました。

「鼻」「外套」「検察官」を読んでいただくなら、光文社古典新訳文庫をお薦めしたいと思います。この3作品を読んで、ぜひドストエフスキーらの作品のなかに、ゴーゴリの影を見つけてもらいたいものです。
(山本藤光:2010.02.08初稿、2018.02.28改稿)

エラリー・クイーン『Yの悲劇』(創元推理文庫、鮎川信夫訳)

2018-02-28 | 書評「カ行」の海外著者
エラリー・クイーン『Yの悲劇』(創元推理文庫、鮎川信夫訳)

行方不明をつたえられた富豪ヨーク・ハッターの死体がニューヨークの湾口に揚がった。死因は毒物死で、その後、病毒遺伝の一族のあいだに、目をおおう惨劇がくり返される。名探偵レーンの推理では、あり得ない人物が犯人なのだが……。ロス名義で発表した四部作の中でも、周到な伏線と、明晰な解明の論理は読者を魅了する古典的名作。(文庫案内より)

◎トップの座を明け渡したけれど

恥ずかしい話ですが、エラリー・クイーンは女性作家だばかりと思っていました。岡嶋二人『焦茶色のパステル』(講談社文庫)の書評を読んでいて、エラリー・クイン作品も合作の産物であることを知りました。というわけで、エラリー・クイーンを辞書で確認させていただきます。

――アメリカの探偵小説家フレデリック・ダネーと従弟のマンフレッド・B・リーの筆名。二人はこの筆名を用いて合作し、処女作『ローマ帽事件』など合計100冊に近い著書を出している。(『新潮世界文学小辞典』の一部を抜粋しました)

約100冊のクイーン作品のなかで、もっとも評価の高いのは『Yの悲劇』(創元推理文庫、鮎川信夫訳)です。私は『Xの悲劇』も『Zの悲劇』(ともに創元推理文庫)も読みましたが、世評のとおりの印象をうけました。

『東西ミステリーベスト100』(文春文庫1986年発行)で『Yの悲劇』は第1位となっています。その最新版(2013年発行)では、クリスティ『そして誰もいなくなった』に首位をうばわれていますが、第2位と健在です。2冊の『東西ミステリーベスト100』のなかからベスト10を並べてみます。左の数字は2013年度版、カッコ内は1986年版の順位です。

01(04)クリスティ:そして誰もいなくなった 
02(01)クイーン:Yの悲劇
03(10)ドイル:シャーロック・ホームズの冒険
04(02)アイリッシュ:幻の女
05(08)クリスティ:アクロイド殺し
06(03)チャンドラー:長いお別れ/ロング・グッドバイ
07(-)エーコ:薔薇の名前
08(24)チェスタトン:ブラウン神父の童心
09(-)ハリス:羊たちの沈黙
10(14)ディクスン・カー:火刑法廷
18(09)ダイン:僧正殺人事件
19(05)ヒギンズ:鷲は舞い降りた
25(06)ライアル:深夜プラス1
33(07)クロフツ:樽

これをご覧いただいても、『Yの悲劇』の人気の高さはわかると思います。以前私は『ミステリ・ハンドブック』(ハヤカワ文庫1991年発売)を入手して、年内にベスト10をぜんぶ読もうと発奮したことがあります。『Yの悲劇』は第7位でした。トップから読みはじめたので、『Yの悲劇』は7番目に読んだことになります。読み終えてから「絶対読むぞリスト」をながめていて、とんでもない謀略に気づきました。なんとそれまでの6冊はすべてハヤカワ文庫のものだったのです。ちょっと紹介してみます。

1アイリッシュ:幻の女:
2ライアル:深夜プラス1
3ドイル:シャーロック・ホームズの冒険
4チャンドラー:長いお別れ
5ダール:あなたに似た人
6ラヴゼイ:偽のデュー警部
7クイーン:Yの悲劇
8レヴィン:死の接吻
9トレヴェニアン:夢果つる街
10デクスター:キドリントンから消えた娘

ちなみに『そして誰もいなくなった』は24位です。これってだれが考えてもおかしいですよね。世界の古典の頂上に君臨していたのは、クリスティ、クイーン、カーの3人です。カー『火刑法廷』は55位でした。誤植かと思ったほどです。

◎ドルリー・レーンの登場

『Yの悲劇』の舞台は、富豪ヨーク・ハッター家。家主の死体が、ニューヨーク湾から引き上げられます。溺死ではなく、毒物死でした。家主は化学者であり、自宅に実験室までもっていました。遺書が発見されます。「私は完全に正常な精神状態で自殺する」と書かれていました。家主は、一家の人間関係に悩み果てていました。青酸カリでの自殺が有力視されます。
 
ヨーク・ハッター家の居住者は、表紙裏の「登場人物」に譲ります。全部「あやしい」人々なのです。家主が亡くなってから2ヵ月後、ハッター家で殺人未遂事件が起きます。この家には、盲・聾・唖の3重苦を抱えた長女・ルイザが住んでいます。
 
彼女が毎日欠かさず飲んでいる卵酒を、死んだヨーク・ハッターの孫にあたる少年・ジャックが飲んでしまったのです。卵酒には毒物が混入されていました。ジャックは命をとりとめましたが、こぼれた卵酒を飲んだ子犬は死んでしまいます。
 
ヨーク・ハッター事件を調べていたサム警部は、家主の死と孫の殺人未遂事件の接点を捜します。そして元シェイクスピア劇の俳優だった、ドルリー・レーンの登場となります。レーンは聴覚障害者です。しかし相手の口唇読解術にたけていて、コミュニケーションには不自由していません。
 
それから2ヵ月後、ヨーク・ハッターの妻・エミリーが殺害されます。夫の存命中からそうでしたが、エミリーはハッター家に君臨していました。3重苦のルイザをこよなく愛し、彼女と寝室も同じにしていました。殺人事件は、ルイザがいるなかで実行されたのです。
 
ルイザは、失神して倒れていました。目を覚ましたルイザには、犯人の顔や物音を聞きようがありません。殺害現場には、いくつかの物証は残されていました。ルイザのコミュニケーション手段は手動式の展示盤だけです。ルイザは残さている嗅覚と触覚での情報を、証言として伝えました。
 
これ以上先については、読んでのお楽しみとさせていただきます。清水義範も著作のなかでこう書いています。
――この小説(註『Yの悲劇』のこと)もまた、私この身である。この小説のトリックは、読書好きの人間をヒヤリとさせるのだ。書くとか、読むということをトリックに使っているからである。それ以上は言えなのだが。(清水義範『独断流「読書」必勝法』講談社文庫より)

私には最後まで、展開が読めませんでした。本書は名優ドルリー・レーンのシリーズ第2作にあたります。第4作『レーン最後の事件』で完結となります。このシリーズは、X、Y、Z、『レーン最後の事件』の順番に読んでください。名優の進化の過程がよくわかりますので。

(山本藤光:2010.05.25初稿、2018.02.28改稿)

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』(早川ダニエル・キイス文庫、小尾芙佐訳)

2018-02-27 | 書評「カ行」の海外著者
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』(早川ダニエル・キイス文庫、小尾芙佐訳)

32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは? 全世界が涙した不朽の名作。著者追悼の訳者あとがきを付した新版。(「BOOK」データベースより)

◎たどたどしい文章

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』(早川ダニエル・キイス文庫、小尾芙佐訳)は、冒頭から圧倒されます。冒頭の文章(経過報告書)を引用させていただきます。

(引用はじめ)
けえかほおこく1――3がつ3日
ストラウスはかせわぼくが考えたことや思いだしたことやこれからぼくのまわりでおこたことわぜんぶかいておきなさいといった。なぜだかわからないけれどもそれわ大せつなことでそれでぼくが使えるかどうかわかるのだそうです。
(引用おわり)

このたどたどしい文章は、すらすらと書かれたものではありません。主人公のチャーリイ・ゴードンがたくさんの時間をかけて、やっとつむぎ出した文章です。読者はゆっくりと、一字一句をたどらなければなりません。チャーリイ・ゴードンは32歳で、知能は6歳ていどのIQ・70です。

キイスは主人公の書く文章だけで、読者に主人公の知的現状を伝えます。そのためには、引用させていただいたような、ぎこちのない文章にせざるをえなかったのです。チャーリイ・ゴードンは、少しでも頭がよくなりたいと必死に思っています。ともだちから好かれたいとも思っています。

彼には正常な知能の妹がいます。母親は兄のことで、妹が周囲からしいたげられているのを、我慢できません。父親の反対を押し切り、施設へと入れようと画策します。不憫に思ったパン屋のドナーが掃除などの下働きとして、引き取ることになりました。

◎名訳が光る

チャーリイはそこから、アリス・キニアン先生(女性)のいるピークマン大学成人センターに通っています。同時にチャーリイはニーマ教授やストラウト博士のところへ行き、さまざまな検査や心理テストを受けます。そこにはアルジャーノンという、白いネズミがいます。アルジャーノンは脳の外科手術を施され、頭のよいネズミになっています。

複雑な迷路を難なくクリアします。ときにはチャーリイと競わせられるのですが、いつもアルジャ―ノンが勝ちます。チャーリイはアルジャーノンのように手術をして、頭がよくなりたいと願います。大好きなアリス・キニアン先生も、手術を受けることを薦めます。

チャーリイの手術は、大成功に終ります。チャーリイの知能は、日増しに高くなります。それはほぼ毎日書かれる経過報告書によって、如実にわかります。誤字が少なくなり、漢字が増えます。句読点がしっかりとし、内面の吐露も様変わりします。

小尾芙佐の訳は、チャーリイの変化を、みごとな筆さばきで伝えてくれます。原文を読むことができる人は、翻訳の妙を絶賛しています。そのあたりについて、術前術後の経過報告書を併記してみたいと思います。

――ぼくの名まえわチャーリイゴードンでドナーぱん店ではたらいててドナーさんわ一周かんに11どるくれてほしければぱんやけきもくれる。(けえかほうこく1・3がつ3日、P15)

――アリス・キニアンがこんなに美人だなんて、どうしていままで気がつかなかったのだろう? 大きくやさしい茶色の眼で、ハネのような茶色の髪がうなじのあたりまで覆っている。(経過報告11・五月一日、P134)

引用例のように、チャーリイの知能指数は一般人を凌駕するまでになります。その後のてんまつには、触れないでおきます。パン屋の仲間のなかで、頭脳明晰なチャーリイはどうなっていくのか。アリス・キニアンを見初め、どんな愛に進展していくのか。ダニエル・キイスは、高まる知能とこれまでの乏しい社会学習のはざまでで揺れる、主人公を的確に描ききります。。

そして決定的なことがおこります。大好きなアルジャーノンに退行現象が認められます。チャーリイは手術の欠陥を、アルジャーノンの姿に見ます。そして同様のことが自分におころことを予見し、恐怖におののきます。

◎アルジャーノンに花束を

エンディングは「十一がつ21日」に書かれています。その「ついしん」を引用させていただきます。

――ついしん。どおかニーマーきょーじゅにつたいてくださいひとが先生のことをわらてもそんなにおこりんぼにならないよおに、そーすれば先生にもっとたくさん友だちができるから。(本文P485)

そしてもうひとつの「ついしん」で結ばれます。

――ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。(本文P485)

山本藤光はもうすぐ70歳になります。近ごろは明確に退行現象を自覚しています。チャーリイはその予兆を、アルジャーノンに見ました。私はパソコンの画面がぼやける現象で、痛いほどそれを悟っています。「山本藤光の文庫で読む500+α」を読んでいただいているみなさんへ、

本書の紹介が380冊目となります。あと20冊+αでお別れしなければなりません。(追記:このときのゴールは400+αでした。今は500-αに挑んでいます。)

ついしん。いーほんと友だちになてくらさい。せかくののうみそをだいじにひてくらさい。
(山本藤光:2014.02.19初稿、2018.02.27改稿)

ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫、宇野利泰訳)

2018-02-26 | 書評「カ行」の海外著者
ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫、宇野利泰訳)

英米の最優秀ミステリ賞を独占したスパイ小説の金字塔(内容案内より)

◎裏の裏のまた裏

ジョン・ル・カレは、1931年生まれのイギリス人作家です。外交官として、主に西ドイツで任務についていました。小説のデビューは29歳(1961年)のときで、『死者からかかってきた電話』(ハヤカワ文庫)でした。本書はまだ入手できないでいます。ル・カレの実質的なデビューは、第3作『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫、宇野利泰訳)となります。本書はエドガー賞長編賞に輝き、映画化もされ話題になりました。

本書のガイドに「スパイ小説の金字塔」とあるとおり、従前のスパイ小説とはちがっています。華々しいアクション場面はなく、ひたすら登場人物の秘められた胸中に迫ります。こうした展開に不慣れな読者は、途中で投げ出してしまいかねません、それほど展開は、まるで観覧車のようにゆっくりとしています。

主人公はイギリスの諜報部の責任者アレック・リーマスです。彼は東ドイツで活動しており、共産党の最高責任者カルル・リーメックの協力を得ています。東ドイツには情報部の高官ムントがおり、リーマスの部下は次々に彼に消されてしまいます。

◎誰がどこのスパイなのか

ここの構図を理解しておかなければ、観覧車が回りはじめるやいなや悪酔いしてしまいます。ベルリンの壁が存在していた時代の話です。プロローグとエピローグは、ベルリンの壁が舞台となります。東の壁を越えて、カルル・リーメックが西へと逃亡をはかります。リーマスはそれを迎えますが、あと一息のところでリーメックは銃弾をあびます。

中薗英助は『私の選んだ文庫ベスト3』ハヤカワ文庫、丸谷才一・編)に、ジョン・ル・カレを推挙しています。本書がベルリンの壁崩壊後も輝いている理由を、次のように書いています。

――ベルリンの壁が崩壊すれば、壁からの脱出作戦をテーマにしたル・カレの出世作『寒い国から帰ってきたスパイ』の迫真的なスリルが、さめてしまうのは当然である。だが、人間は壁を作るのが好きだし、すべての壁がなくなったわけでもない。東西冷戦を人間どうしの秘密戦に置き換えた記念碑的な小説作品と見れば、これは大いにパッショネートな名作ということになろうか。(同書P186)

東ドイツでの失態のために、リーマスはロンドンへ戻されます。彼には単純な仕事が割り当てられます。ヤケになったリーマスは酒におぼれ、生活はすさんでいきます。そして彼は横領の罪で、諜報部を解雇されてしまいます。

その後リーマスは、心霊研究図書館の事務仕事を見つけます。そこにはイギリス共産党員の、リズという女性が働いています。2人は恋仲となります。しかしリズはリーマスから、やるべきことがあるという理由で別離を告げられます。別れを告げた日、リーマスは理由もなく食料品店の店主を殴って、刑務所に収監されます。

やがてリーマスは釈放されます。留置中には誰一人接見にきませんでしたが、門前でフィードラーたちが待っていました。彼らは東ドイツの工作員で、リーマスに金を与えて同行を求めます。観覧車は頂点に登りつめ、舞台が東ドイツになります。

フィードラーは、東ドイツの情報部幹部です。彼は暖かくリーマスを迎えます。フィードラーには、魂胆がありました。自分の上司であり、リーマスを追放させた張本人のムントを失脚させたいのです。それにはどうしても、リーマスの支援が必要になります。

フィードラーは「ムントは西側のスパイである」と、リーマスに告げます。そして人民裁判でムントを告発します。そこには証人としてリーマスも出廷しています。ムントは数々の証言の、集中砲火を浴びます。ところが裁判はとんでもない結末を迎えます。新たに証言台に呼ばれたのは、なんとリズだったのです。

ここから先は、ネタバレになりますので触れません。読者は集中砲火をあびて倒れたかに見えた、ムントの反撃に固唾をのむことになります。なんら事情のわからないリズは、リーマスのためにと言葉を選びます。

組織のための個の軽さ。疑心暗鬼のなかでのスパイ活動。ジョン・ル・カレは、見事な筆さばきで「裏の裏のまた裏」を描きあげます。物語は1回転した観覧車のように、ふたたびプロローグと同じ場面で結ばれます。リーマスと証言台に立ったリズは、観覧車を降りて、どこにたどり着いたのでしょうか。

主人公リーマスの心の闇と伴走しながら、十分に堪能させられました。スパイ小説の傑作を、ぜひ読んでみてください。主人公の魅力について触れている文章を紹介します。

――スパイ小説といえば、若くて、機敏で、膂力(りょりょく)衆にすぐれ、見るからに颯爽たる人物というのがふつうだが、ジョン・ル・カレの作品に登場する切れ者のスパイたちはたいていが中年過ぎで、見てくれも何となく不景気。動きの最も派手な『寒い国からきたスパイ』の主人公アレック・リーマスでさえ、五十歳だった。(早川書房編集部『新・冒険スパイ小説ハンドブック』ハヤカワ文庫P474)

私はR.D.ウィングフィールド(500+α掲載作『クリスマスのフロスト』創元推理文庫)の「フロストシリーズ」の熱烈な愛読者です。どうやら刑事もスパイも、中年のさえない主人公が好みのようです。
(山本藤光2016.04.28初稿、2018.02.26改稿)


クロフツ『樽』(創元推理文庫、大久保康雄訳)

2018-02-26 | 書評「カ行」の海外著者
クロフツ『樽』(創元推理文庫、大久保康雄訳)

ロンドンの波止場では汽船ブルフィンチ号の積荷おろしが始まった。ところが、四個の樽がつり索からはずれて、下に落ちてしまった。その樽の一つから、金貨と死人の手が現われたのだ! 捜査はドーヴァー海峡をはさんで英仏両国にまたがり、探偵の精力的な活動が始まる。緻密冷酷な犯人をたどってアリバイ捜査の醍醐味を描く代表的傑作。(アマゾンガイドより)

◎クロフツとクリスティ

最初にクロフツという作家の、ミステリー史における位置づけをおさえておきます。

――ミステリー史に登場する最初の警察官は、エドガー・アラン・ポオの『モルグ街の殺人』(補:初出1841年)に登場するパリ警視庁の警視総監G―氏だろう。(『この警察小説がすごい!』宝島社。刈田久志の文章)

ポー『モルグ街の殺人』(新潮文庫、巽孝之訳。五〇〇+α推薦作)は、超一級の作品です。刈田の文章を厳密に書くなら、この作品の主役は素人探偵のデュパンです。警察官は、単なる脇役に過ぎません。

 その後、素人探偵が活躍する形は、ドイルに継承されます。ドイルがシャロック・ホームズシリーズの第1作『緋色の研究』を発表したのは、1888年です。つまりポーの作品から約40年を経て、素人探偵小説が華やかになったわけです。

 それから約30年後の1920年、クロフツ『樽』が発表されます。同年にアガサ・クリスティは、処女作『スタイル荘の怪事件』を発表しています。この作品でのちに有名人になるエルキュール・ポアロが登場します。

ミステリー小説の世界は、この年を境にY字になって発展します。ポーの原型に沿ったクリスティの探偵小説路線と、クロフツに続く本格的な刑事が登場する小説群です。こちらの路線は、R.D.ウィングフィールド『クリスマスのフロスト』(創元推理文庫、芹沢恵訳)と佐々木譲『笑う警官』(ハルキ文庫)を「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介しています。

クロフツは警察官ではない探偵が活躍する小説隆盛の時代に、異質な主役をひっさげて登場したわけです。

◎元祖「警察小説」

「警察官」を主人公にすえると、当然展開は地味なものになります。シャーロックホームズに代表されるような、探偵の鮮やかな閃きが介入する余地はありません。本書が古典的な名作といわれるゆえんは、この設定にあります。その点について、説明されている資料があります。

――クイーンはおろかヴァン・ダインすらいなかった時代、いわゆる本格探偵小説のパターンができあがる以前に彼(註:クロフツ)はまったく新しいミステリを生み出した。それは今日、「警察小説」と呼ばれるジャンルである。(瀬戸川猛資編『ミステリ絶対名作201』新書館P41)

引用文のとおり、クロフツ『樽』は警察小説の元祖です。地道な聞きこみや足での捜査は、今時の読者にとって退屈かもしれません。しかし、文藝春秋編『東西ミステリー海外ベスト100』(2013年版)では堂々第33位に輝いています。ちなみに同書1986年版では第7位でした。その書評の一部を引用します。

――『樽』は、現在読むと、アリバイ破りの本格物というより、リアリズム警察小説の元祖という雰囲気を感じる。犯人が徹底した冷血漢で、最後に派手な拳銃アクション場面が出てくるあたりも面白い、(1986年版同書より)

◎アリバイ崩し

ロンドンの埠頭で荷上げ中に、荷物の樽が落下します。樽の中から金貨がこぼれます。調べると中には女性の死体が入っていました。そこへレオン・フェリックスと名乗る、受け取り人がやってきます。荷役人は上司と警察へ連絡します。しかし警察官が到着したとき受け取り人は、樽とともに消えていました。

バーンリー警部は調べて、フェリックスの自宅へ急行します。フェリックスから樽が届いたいきさつを聞き、二人は樽を未開封で保管されているはずの馬車小屋へ行きます。しかし、またしても樽は消えています。

樽はフェリックスに、金を要求する目的で盗まれました。警部は足跡から樽泥棒を発見します。フェリックス立ち合いのもとに、樽は開封されます。死体を見た瞬間、フェリックスは「アネットだ」と叫んで昏倒します。

警察は新聞広告を出して身元確認を急ぎます。ポンプ製造会社社長ボワラックが、自分の妻ではないかと名乗り出ます。死体は彼の妻・アネットでした。ボワラックは、妻はフェリックスと駆け落ちして家を出たといいます。嫌疑はフェリックスに向かいます。

同じ樽が、二つ存在することもわかってきます。しかし殺人犯と思われる容疑者には、確固たるアリバイがあります。これ以上ストーリーに深入りすることは避けます。地道な殺人事件の捜査は、ていねいに描かれています。

アリバイ崩し。本書の読みどころはそこにあります。最後に『東西ミステリー海外ベスト100』(2013年版)で結ばせていただきます。

――第一部における消失と出現を繰り返す樽のエピソード、そして英仏海峡を股にかけた規模の大きな捜査、姦計によって人を操り嫌疑の外に逃れようとする知能犯の存在と、胸躍る要素に満ちている。複雑なプロットが次第に解きほぐされ、物語の真の姿が明らかになっていく展開は、極上の味わいである。(同書P346)

蛇足ながら小林信彦の著作に次のような文章があります。正解をぜひ発見してみてください。彼は「海外ミステリ。ベスト10・古典部門」で『樽』をリストアップしています。

――クロフツの『樽』は一つだけミスがあることで有名だが。この種のミステリが絶滅しているので、あえて推した。(小林信彦『本は寝ころんで』文春文庫P14)

分厚い作品ですが、息継ぎも忘れて読んでしまいました。お勧め。ただし小林信彦のいうミスの箇所には気づきませんでした。
(山本藤光2017.04.26初稿、2018.02.26改稿)

グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』(ハヤカワepi文庫、加賀山卓朗訳)

2018-02-26 | 書評「カ行」の海外著者
グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』(ハヤカワepi文庫、加賀山卓朗訳)

イギリス情報部の極秘事項がソ連に漏洩した。スキャンダルを恐れた上層部は、秘密裏に二重スパイの特定を進める。古株の部員カッスルはかろうじて嫌疑を免れた。だが、彼が仲良くしていた同僚のデイヴィスは派手な生活に目を付けられ、疑惑の中心に。上層部はデイヴィスを漏洩の事実ともども闇に葬り去ろうと暗躍するが…。自ら諜報機関の一員だったグリーンが、追う者と追われる者の心理を鋭く抉る、スパイ小説の金字塔。(「BOOK」データベースより)

◎2つの代表的なスパイ小説

Kindleで『スタンブール特急』(北村太郎訳)を読みました。紹介しようと文庫を探しましたが、文庫化されていませんでした。グレアム・グリーン作品はハヤカワ文庫epiで、「グレアム・グリーン・セレクション」が刊行されています。それで当然そこに、所収されていると思っていました。しかし初期作品は除外されていました。発表年次別に。入手可能な媒体を紹介させていただきます。

1929年『もうひとりの自分』(集英社文庫)
1932年『スタンブール特急』(Kindle)
1936年『拳銃売ります』(Kindle)
1940年『権力と栄光』(ハヤカワ文庫epi)
1948年『事件の核心』(ハヤカワ文庫epi)
1950年『第三の男』(ハヤカワ文庫epi)
1952年『情事の終り』(新潮文庫)
1958年『ハバナの男』(Kindle)
1966年『喜劇役者』(Kindle)
1978年『ヒューマン・ファクター』(ハヤカワ文庫epi)

ご覧のように代表作のすべては、全集以外で読むことができます。
グレアム・グリーンが評価を高めたのは、『権力と栄光』(ハヤカワ文庫epi、齋藤数衛訳)からです。その後、『第三の男』(ハヤカワepi文庫、小津次郎訳)は、映画化で一躍有名になりました。しかし映画と原作は結末部分がちがい、原作の方の評価は必ずしも高いものではありませんでした。
 
私はこのなかから推薦作として、『ヒューマン・ファクター』(ハヤカワepi文庫、加賀山卓朗訳)を選ぶことにしました。たまたま、ジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ・新訳版』(ハヤカワ文庫NV、村上博基訳)を、読み終えたばかりだったことが影響しています。

グレアム・グリーンは「スパイ経験のある作家」として、広く知られています。実際にオックスフォード大学在学中に、第1次世界大戦で敗れたドイツに雇われ、フランスの諜報活動をしていました。そこで上司だったのが、二重スパイ事件で有名な、キム・フィルビーだったのです。

ジョン・ル・カレはキム・フィルビーをモデルとして、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(ハヤカワ文庫NV)を書いています。本書は3部作となっています。『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』(ともにハヤカワ文庫NV)は未読ですので、残りを読み終えたら紹介させていただきます。

ジョン・ル・カレの「スパイ3部作」に劣らぬスパイ小説として、紹介できるのは『ヒューマン・ファクター』しか考えられません。

◎自らのスパイ体験を交えて

『ヒューマン・ファクター』は以前、宇野利泰訳(ハヤカワ文庫NV)で読んでいます。今回ハヤカワ文庫epiで新訳版(加賀山卓朗訳)を読み直して、改めて静かなストーリー展開に魅せられました。

『ヒューマン・ファクター』の扉には、ジョーゼフ・コンラッドの次の文章が掲げられています。

――きずなを結ぶ者はかならず敗れる。その者の魂には堕落の病菌が重く巣くっている。

この文章は読後に、ぜひもう一度読み直していただきたいと思います。グレアム・グリーンはスパイ小説作家、という縛りを取り払ってくれている文章があります。

――グリーンは世界中を歩きまわって作品をそのたびごとに物にし、ちょうどオーストラリア原住民のブーメランのように飛びたって獲物をきっと一打しては飛びもどるというぐあいであった。(中略)キューバではスパイ合戦の『ハバナの男』、カリブ海ではドミニカの独裁の『喜劇役者』、東南アジアではヴェトナムの『おとなしいアメリカ人』と、いったぐあいである。(開高健『白いページ』光文社文庫P259)

前期のとおり、私はカレの作品と並べて紹介したかったので、『ヒューマン・ファクター』を選びました。しかし開高健が書いているように、足で書いた作品にも魅力的なものがたくさんあります。ぜひ読んでみてください。

『ヒューマン・ファクター』の舞台はイギリスの情報部です。主人公はモーリス・カッスルという、さえない初老の男です。カッスルにはアフリカから連れてきた黒人の妻子がいます。息子・サムは妻・セイラの連れ子ですので、実子ではありません。カッスルがアフリカでスパイ活動をしていたときに、手伝ってくれていたのがセイラでした。

カッスルはセイラに恋をします。そして帰国にあたって、セイラ親子を連れて行きたいと切望します。そんなてんまつについて、池澤夏樹は次のように紹介しています。

――その恋は人種差別の法律に違反する行為だった。つまり、南アフリカには異人種間の恋を禁じる法律があって、それに違反すると投獄される。そういうとんでもない国があった。(『池澤夏樹の世界文学リミックス』河出書房新社P94)

セイラ親子をアフリカから連れ出すとき、カッスルはある厳しい選択をしています。そうしなければセイラ親子を救出できなかったのです。

◎親子水入らずの日常

イギリスにもどったカッスルは、セイラ親子と一匹の犬と幸せに暮らしています。もちろん、イギリスの情報部に籍をおいています。彼はアフリカからの情報処理担当をしています。定年が間近になり、カッスルは親子水入らずの平穏な日常を夢みています。

そんな折り、情報処理部で機密漏洩事件が起きます。カッスルに嫌疑が向けられます。しかし疑いは晴れます。そしてかわりに、同僚のデイヴィスが二重スパイ容疑で抹殺されてしまいます。

グレアム・グリーンは自らの体験を交え、物語を実にていねいに動かします。これから先のストーリーについては触れません。

本書のタイトル「ヒューマン・ファクター」は、人間由来の因子という意味です。このタイトルが象徴しているように、本書の登場人物は独特の個性を持った人ばかりです。

カッスルの同僚で二重スパイ容疑で抹殺されたデイヴィスは、若くて軽はずみな愚かな個性を持っています。カッスルの上司として着任したディントリーは、白黒をつけない優柔不断な個性の持ち主です。これらの因子が物語の展開に、重要な意味を与えます。

十分に堪能させていただきました。最後は丸谷才一にしめていただくことにします。

――これは愛と憐みといふ「人間らしい要素」(『ヒューマン・ファクター』といふ片仮名づくめの訳題は感心しない)を主題とする長編小説である。グリーンの作家としての力量はいよいよ円熟を極め、前半の滑稽から後半の哀愁への移り変り、風俗と社会の定着、スリルとサスペンス、綾とドンデン返しなど、間然するところのない出来ばえだが、なかんづく見事なのは、彼が、宗教臭、カトリック臭のまったくない形で、この人間であることの哀れさを書いたことだらう。(丸谷才一『快楽としての読書・海外篇』ちくま文庫P205)

本書はグレアム・グリーンが70歳を超えてから書かれたものです。読者である私ももうすぐその年を迎えます。それゆえ本書の再読には、力がこもりました。
(山本藤光2016.02.23初稿、2018.02.26改稿)

D.カーネギー『道は開ける・新訳』(角川文庫、田内志文訳)

2018-02-25 | 書評「カ行」の海外著者
D.カーネギー『道は開ける・新訳』(角川文庫、田内志文訳)

「人はどうやって不安を克服してきたか」人類の永遠とも言えるテーマに、多くの人の悩みと向き合ってきたカーネギーが綴る、現代にも通ずる「不安、疲労、悩み」の克服法。不安の正体を明らかにし、不安を分析する基本テクニック、さらには不安の習慣に先手を打つ方法、そして平穏と幸福をもたらす方法まで余すところなく書いた一冊。全世界で半世紀以上にわたって読まれた世界的ロングセラーの新訳文庫版。(「BOOK」データベースより)

◎『人を動かす』を読む

デール・カーネギーは、人間関係に着目した元祖として知られています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、『人を動かす』(創元社、山口博訳)を以前に紹介させていただいています。しかし2014年末に、その続編ともいえる『道は開ける・新訳』(角川文庫、田内志文訳)が出ましたので、そちらを紹介本とすることにしました。

企業人時代の私は、長い間営業畑を歩きました。D・カーネギーも営業職出身者ですので、言説には共感できることがたくさんあります。本書は学者が書くものとは違い、著者自身の体験に裏打ちされたものです。説得力があるのは、そのためなのです。

本書は基本的には、相手を変えるためには自分を変えなさい、という原則で貫かれています。

――人と接する際の基本的な原則を基に、自分が重要視され、評価されていると相手に感じさせるようなスキルを教示する。また、操られていると相手に感じさせないようにしながらつき合う基本的な手法にも重点を置いている。カーネギーは、誰かに自分が望むことをさせるには、状況を一度自分以外の視点に立って観察し、「他人の中に強い欲望を喚起させる」ことで可能になると述べる。(デール・カーネギー『人を動かす』の出版社案内より)

これってあたりまえのことですが、D.カーネギーに説かれると、なんともありがたいセリフに聞こえるから不思議です。扇谷正造は本書のポイントを次のように書いています。私が感動した個所と一致しているので、引用させていただきます。

――鉄鋼王のアンドレー・カーネギーの話である。彼は鉄鋼のことなど、何も知らなかった。彼の成功の秘密は、彼よりも鉄鋼のことをよく知っている数百人の人々をその下に集め得たということであった。つまり彼は人の扱い方のエクスパートであった。(扇谷正造『一冊の本』PHP文庫)

『人を動かす』には引用のとおり、実例が満載されています。

◎不安を除去した1日を設計する

D.カーネギー『道は開ける・新訳』も、『人を動かす』同様に赤線と書きこみだらけになりました。何といっても「序文。パート1・第1章:今日というひと区切りを生きる」が秀逸です。

――すべての知識と情熱とを今日一日に傾けることこそが、明日に備える最上の手段であるということだ。未来への準備とは、そのようにしかできない。(P26)

私は「1日のPDCAサイクル」を大切にしています。このサイクルの「P」は、「毎朝その日の成果を思い描く」ということです。1日の成果を思い描いていると、1日の終わりに成果の検証ができます。〇ならそれは翌日の弾みとなります。×なら翌日の糧とすればいいわけです。

カーネギーは充実した1日を、実現することを強調しています。まったく同感で、設計なしの1日をのほほんと過ごしている人には、ぜひ実践してもらいたいと思います。そのあたりのことを、カーネギーは次のように書いています。

――よき思考とは原因と結果とを踏まえ、論理的かつ建設的な計画へと繋がってゆくものだ。(P28)

もう一度、私の「PDCA」に戻ってみます。「D」は失敗を恐れずに挑戦する。「C」は新しい何かを発見する(気づき、ヒント)。「A」は新しい発見と挑戦を明日の糧にする、となります。。

D・カーネギーについて、一部のガイドブックでは「不安解消のための名著」となっています。しかしこれはカーネギーの理論の一部です。カーネギーがもっとも尊重しているのは充実した1日の設計です。1日を楽しく確実に過ごすために、それにブレーキをかけてしまう不安は除去しなさいといっているのです。

カーネギーは一貫して、「不足しているものを数えるな、恵まれているものを数えてみよう」と主張しています。不安がどこからうまれているかを的確に示した、すばらしい言葉だと思います。「気のもちよう」という言葉があります。まずは頭の片隅からネガティブ要素を取り払い、明るい1日を想像して創造する。それが『道は開ける』の教えです。

◎松下幸之助『道をひらく』

松下幸之助に著作に、似たようなタイトルの1冊があります。ちょっと引用させていただきます。

――他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。(松下幸之助『道をひらく』PHP文庫)

松下幸之助もカーネギー同様に、思い悩んでいても進展はない。まずは一歩を踏み出しなさい、といっています。夢いっぱいの1日を設計しましょう。きちんと1日を思い描けたなら、それは明日へと繋がる第一歩なのです。
(山本藤光:2014.11.13初稿、2018.02.24改稿)

ゴールディング『蝿の王』(ハヤカワepi文庫、黒原敏行訳)

2018-02-25 | 書評「カ行」の海外著者
ゴールディング『蝿の王』(ハヤカワepi文庫、黒原敏行訳)

疎開する少年たちを乗せた飛行機が、南太平洋の無人島に不時着した。生き残った少年たちは、リーダーを選び、助けを待つことに決める。大人のいない島での暮らしは、当初は気ままで楽しく感じられた。しかし、なかなか来ない救援やノロシの管理をめぐり、次第に苛立ちが広がっていく。そして暗闇に潜むという“獣”に対する恐怖がつのるなか、ついに彼らは互いに牙をむいた―。ノーベル文学賞作家の代表作が新訳で登場。(「BOOK」データベースより)

◎少年小説そっくりの設定

新訳版が出ましたので、再読しました。ゴールディング『蝿の王』(ハヤカワepi文庫、黒原敏行訳)は、『十五少年漂流記』を意識して書かれた作品といわれています。しかし、本書はグロテスクで、読後のさわやかさは微塵もありません。

少年たちだけを乗せた飛行機が、無人島に不時着します。物語は金髪の少年がジャングルから、とぼとぼ歩き出してくるところからはじまります。金髪の少年に、太った少年が合流します。
以前に新潮文庫で読んだときに、子どもたちだけが無人島で生き延びている背景が見えませんでした。なぜ子どもたちだけが生き延びているのかが、理解できなかったのです。今度の再読は、その点を究明したかったからです。しかし、結果は同じでした。2つの該当部分を抜き書きしてみます。

【新潮文庫、平井正穂訳】
「大人なんか一人もいるもんか!」
 肥った少年は、一瞬何かを考えこむようすだった。「あの操縦士もかなあ」
 金髪の少年は逆立ちをやめて、湯気の立っている大地に腰をおろした。
「ぼくたちを降下させてから、あの操縦士はどこかへ飛んでいったんだよ、きっと、ここにゃ着陸なんかできっこないもの。車輪のついた飛行機じゃムリだと思うよ」
「ぼくたち攻撃されたんだね!」

【ハヤカワepi文庫、黒原敏行訳】
「大人はひとりもいない!」
 太った少年はちょっと考えた。
「でも、パイロットがいたじゃないか」
 金髪の少年は両足をおろし、湯気を立てている地面にすわりこんだ。
「きっとぼくたちを落としたあと、飛んでいってしまったんだよ。ここには着陸できなかったんだ。滑走する場所がないからね」
「ぼくたちは攻撃されたんだよね!」

 二つの訳ともに、少年たちの置かれた状況が今いちはっきりしません。飛行機は攻撃されています。しかし残骸はありません。大人はパイロットだけしか乗っていなかったのは推察できますが、どうやって着陸して子どもたちを降ろしたのか。その後、どこへ飛び立ったのか。別訳で再読しても、理解ができませんでした。。

 敬愛する丸谷才一は物語の冒頭について、次のような前提で書いています。

――イギリスが原子爆弾による攻撃を受けることになり、少年たちを疎開させる。しかし彼らの乗った飛行機は故障し(それとも敵の攻撃を受け?)、少年たちは孤島に不時着する。大人は一人もゐない。六歳から十二歳までの少年ばかりである。ゴールディングの『蠅の王』は、かういふ少年小説そっくりの設定ではじまる。(丸谷才一『快楽としての読書・海外篇』ちくま文庫P198)

◎高まる恐怖

 無人島に子どもたちだけが残された。この前提でストーリーを眺めてみます。前出の金髪の少年ラルフと肥った少年ビギーは、島に生存者がまだいると思い、海から拾ったほら貝を吹きます。森のなかから、次々と少年たちが姿を見せます。少女はいません。これも疑問なのですが、先に進めます。
 現れたメンバーのなかには、ジャックが隊長を務める合唱隊の少年たちがたくさんいました。ジャックは島での集団生活のリーダーには、自分がなると主張します。結局、選挙で決めることになりました。結果は自信満々のジャックの意に反して、ラルフが選ばれました。ラルフの持っているほら貝は、少年たちにとって権威あるものに映ったのです。
 ラルフは救助を求めるために、ノロシを上げ続けることを説明しました。ジャックは、島に生息している野生の豚狩りに精を出します。やがて、ラルフとジャックの2つのグループに分派してしまいます。

 小さな子どもたちは、島に恐ろしいものが棲息していると信じています。その恐怖は、夜に増幅されます。ジャックは狩りや踊りで、その恐怖を緩和させようとします。いっぽうラルフは、大切なのはノロシを上げることと小屋を作ることだと主張し続けます。そして多くの子どもたちは、狩りや踊りを推進するジャックを支持するようになってゆくのです。

 ジャックの率いる集団は、次第に凶暴化します。それは豚の殺戮にとどまらず、ラルフの率いる集団へと向かいます。2つのグループは、血生臭い争いへと突入します。

 この後のさまざまな事件については、触れないでおきます。「蠅の王」というタイトルの意味は、本文のなかで確認してください。前記のとおり少年たちは孤島に潜む獣に怖れ、そして闇に恐怖を感じています。その度合いが次第にたかまってゆく展開は、みごとな筆裁きで表現されています。

◎反ロマン主義小説

まだ分別のつかない少年が15人もいたら、社会問題になっている「いじめ」が生まれそうです。スティーヴンスン『宝島』(新潮文庫)やヴェルヌ『十五少年漂流記』(集英社文庫)は、少年少女向けロマン主義小説の形をとっています。しかしこれらの小説を意識しつつ、ゴールディングは真逆の設定で挑みました。現代に通じる「いじめ」の世界を前面に出したのです。そのあたりについて、書かれた文章があります。

――南海の孤島という、いかにも冒険小説風の場面設定の中で、物語は読者の思いもよらね方向へと展開する。大人の作った規律から解き放たれた子供たちは、民主的な共同体を運営することができず、弱肉強食の世界に生きる野蛮人へと退化していくのである。(斎藤兆史・文、『世界文学101物語』高橋康也・編、新書館P193)

 教師という大人のいる学校で起こる「いじめ」は、大人不在の孤島では必然的に発生すると考えられます。当初は統制がとれていた少年集団にやがて起こる亀裂。私はこちらのストーリーの方が、起こりうる現実により近いような気がします。

グロテスクな小説が苦手な人にはお勧めできませんが、ロマン主義少年少女小説に感動した方は、ぜひ対極にある世界も垣間見てほしいものです。
最後に清水義範の文章を紹介させていただきます。本書の書評では、もっとも私の感性に近いものでした。

――実にうまく書かれた、社会性の崩壊の悲劇である。要するに、子供には社会秩序なんて作れやしない、という話である。意見はまとまらず、まともな建設的な仕事は続けられず、二派に対立して憎みあい、闘うようになるのだ。幽霊が怖くて怯えきって理性を失ったり、大人に発見してもらうために焚火をしようとしても火を保つことができない、時には山火事を起こしたりする。(清水義範『世界文学必勝法』筑摩書房P191)
(山本藤光2017.06.15初稿、2018.02.25改稿)


エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(ダイヤモンド社、三本木亮訳)

2018-02-24 | 書評「カ行」の海外著者
エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(ダイヤモンド社、三本木亮訳)

企業のゴール(目標)とは何か——アメリカ製造業の競争力を復活させた、幻のビジネス小説。TOC(制約条件の理論)の原典。(内容案内より)

◎日本人には読ませたくない

帯には「17年間翻訳が禁じられていたいわくつきの一冊!」とあります。その理由については、解説で稲垣公夫が言及しています。ここでは出版社のサイトから、引用させていただきます。ただし最近の重版では、「全米で250万部突破」となっています。

――日本人は、部分最適の改善にかけては世界で超一級だ。その日本人に『ザ・ゴール』に書いたような全体最適化の手法を教えてしまったら、貿易摩擦が再燃して世界経済が大混乱に陥る(『ダイヤモンド社書籍オンライン』2013.3.22)

エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(ダイヤモンド社)は、日本でもベストセラーとなりました。総ページ数522という分厚い著作ですが、小説形式で読みやすいものでした。。

主人公のアレックスは、工場長です。生産性が悪いため、3ヶ月の猶予を与えられ、工場の閉鎖を言い渡されます。

彼と彼のスタッフは、必死で考えます。従業員を遊ばせないように、フルタイムで働かせることが効率なのだろうか。しかしそのために、中間生産物が山積みになります。

本書には「なぜ」が、たくさん登場します。悩んでいたアレックスは、かっての恩師であるジョナとの偶然の出会いで、次々と課題を解決していきます。

目の前の問題を考え、ジョナからのアドバイスで、新たなる改善策を探り出します。

生産性が徐々に向上しますが、古い体質の本社はそれを評価しません。生産と販売。この流れが一体となったときに、はじめて工場の生産性は評価されるわけです。

本社には、そんな物差しすら存在しません。仕事一途なアレックスとその家族。貴重なアドバイスをくれる恩師。そしてアレックスの部下たちと本社のマネージャー。本書には、多くの人々が描かれています。だれもが自分なりの視点や思考をもっています。その微妙なズレが、本書のもうひとつの読みどころになっています。

すぐれた作品です。新しいビジネス書の世界を、構築した点でも評価したいと思います。小説風に書かれた作品が、そのままビジネス書になってしまいました。教えられることはたくさんありました。逆転の発想。常識が非常識になる展開。とにかく読んでほしいと思います。きっと勇気を与えられることでしょう。

◎トヨタ生産方式を学んだ

恩師ジョナ先生の教えにより、アレックスは生産性を阻害している原因(ボトルネック)の究明からはじめます。発見したらそこを、最大限の効果を発揮するように、改善しなければなりません。工場にはいくつもの、製造過程が存在しています。アレックスと従業員たちは、ボトルネックを徹底的に検証します。

恩師ジョナの教えたのは、TOC(Theory of Constraints=制約条件の理論)というものです。実はジョナ先生は、著者自身でもあります。著者がこの理論を学んだのは、トヨタ生産方式の生みの親・大野耐一氏からでした。

エリヤフ・ゴールドラットは、TOCをさまざまな問題解決のツールとして完成させました。私もいくつかのビジネス小説に挑戦しました。しかし理論が画期的なものではないために、話題にもなりませんでした。

『ザ・ゴール』は、問題解決のための思考のプロセスを学ぶために、たいへん有益な著作です。ボリュームに圧倒されるかもしれませんが、小説形式なので非常に読みやすくなっています。『ザ・ゴール2』(ダイヤモンド社)も上梓されています。残念ながら、まだ読んでいません。早く読め、と書棚から声が聞こえるのですが。
(山本藤光:2013.02.05初稿、2018.02.24改稿)