奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その360)

2017-08-19 18:18:52 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密
興福寺・北円堂を知らずして古都奈良の歴史は語れない

奈良県民140万人の文化とは如何なるものかと考えてみた。
一つは京阪神へ通う100万人のサラリーマン文化ではないだろうか。秋篠川の源流域にある太古からの農業灌漑用の池(大渕池とか菖蒲池・蛙股池など)が散在する丘陵地に形成されたベッドタウンとしての住宅地には戸建てであっても兎小屋と外国人に揶揄される狭苦しい家が密集するばかりであり、文化の香りとしては、一人巧成り名を遂げた佐伯勇氏の「大和文華館と松柏美術館」と子弟が通う「帝塚山学園」があるのみである。神社・仏閣は今も住宅地の中に残る農業従事者が伝統を守っているに過ぎない。しかしその農業従事者の主たる収入はアパート経営などの不動産業に拠るのである。-------
奈良県民の残りの40万人によって奈良県の観光ガイドブックに登場する神社仏閣は維持されているのが実状である。サラリーマンの子弟であっても春日大社の巫女になるケースもあるが、それは賃仕事に就いているだけであり、京阪神へ通うのと変わらない。------
神社・仏閣にしても世界遺産クラスから全国津々浦々にあるような普通の村の鎮守や願寺も多くあり、世界遺産クラスは僅かであり、その僅かな世界遺産クラスの神社仏閣に関わる人達だけがそこを訪れる観光客の拝観料で暮らしている訳である。その人数は人口にして40万人の内の2~3万人程度だろう。そのような神社や仏閣の門前で飲食や宿泊を提供して暮らす人口も2~3万人程度で都合4~6万人が僧侶・神主あるいは門前観光で生活していると考えられる。40万人の更に残り35万人は全国の農林業を主体とした都道府県と同じくこの地域に相応しい農産物を生産して暮らしている。幸いな事に京阪神と云う需要地に近いため近郊農業として換金性の高い作物に特化している地域もある。後は100万人の京阪神へ通うサラリーマン人口のための地元生活を支えるサービス業に従事していると分析できるのだろう。-----
奈良県は歴史的に古代には都であったり中世には宗教組織が存在したため今もその一部が遺産として残っているのである。だがそれは歴史的にほんの僅かなものが継承されたに過ぎない。9割方は灰燼に帰していて埋蔵文化財としてほんの少し顔を見せるに過ぎない。-----
奈良県が「国文祭・障文祭なら2017(9.1~11.30)」として開催し行われるのは、年1回の自治会の夏祭り(盆踊り)であったり、サラリーマンの子供たちのピアノ教室やバレー教室の発表会であったり、娘さんたちの茶道・生け花の展示会であったり、高校や大学の文化祭であったりするのが現代の奈良県の伝統文化であり、猛烈サラリーマンであったお父さんたちが生活のゆとりの中で構成して来たものは高級サラリーマンのゴルフ場くらいのものだろう。本当に情けない程に日本の勤め人の生活は余裕が無くて文化の香りはどこを探しても無い。カフェ文化もあるようでなく名古屋からコメダ珈琲に進出されている。-----
文化とは石器・縄文・弥生が示す通り生活様式であり、生活の余裕の無い処に発展も無く、伝統文化が成立する訳もないのである。労働再配分が余りに少ないのか、資産を構成した人達の社会還元の奉仕活動が不活発なのか、生活から余剰として構成される後世に伝えられるような伝統文化は此処奈良県では何一つ育ってこない。戦後は特にそのようである。

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