次世代のスパコンのことをこのシリーズでは、より上位のエキスコンと位置づけて様々な話題を取り上げている。前回のエキスコン(9)では、メモリを中心としたシステムの出現可能性を述べた。Googleが構築している巨大なメモリをネットワーク接続構成しつつあり、これこそメモリ中心システム実現化の例であると説明した。
その検索エンジンは、辞書式検索としてモデル化できることも述べている。
コンピュータには中枢的な機能を持つ演算器がある。この演算器の演算速度は、いわゆるスパコンの能力の指標となっている。
しかしながらヒトの脳にはコンピュータと同じような演算器は存在しない。どのように計算能力が高いヒトにも演算器はない。ヒトの脳に存在するのは、辞書式検索メモリといってよい。
小学生の低学年のときにかけ算の九九を覚えさせられたことを思い起こして頂きたい。
かけ算を辞書的に記憶し、二組の数値をキーワードとして計算結果は脳メモリの中から取り出すのである。日本では9×9までであるが、インドでは計算が得意となるように19と19までのかけ算を覚えるという。
コンピュータでもこれと同じように二組の数値から計算結果を辞書式に引き出せばよいのではないか。そうすれば演算器はなくともよい。
その通りである。
しかしその演算器と同等の辞書は膨大なメモリを必要とする。32×32ビットのかけ算器をメモリで構成するものとしてみよう。かけ算結果は64ビットになる。概略の計算であるが、2の70乗個程度のメモリ素子が必要であり、これは10の20乗個以上になる。エクサの単位で表すとほぼ4Eとなる。論理素子を用いたかけ算器は遙かに少ない素子数で構成できる。したがって演算器の代わりにメモリを使うことは当分の間はあり得ないであろう。
それではエキサ単位のメモリでどのようなことが可能か考えてみよう。
2011年2月現在、動画の記録・再生にはブルーレイ方式のレコーダが使われている。最近の情報によるとTDKが6層の記録層により512GBを記録できるシステムを試作している。これでBSディジタルの1920×1080ピクセルの動画は約20時間分が記録できる。
1EB(エキサバイト)には約40000000時間、つまり24時間×365日×4600年=40296000時間であるから、約4600年にわたる動画が記録できることになる。動画の情報量は、文書データなどの情報量とは比べものにならないほど大きい。Google は世界中で発生するありとあらゆる種類の情報を記録して、2009年には280EBの情報量を蓄積していることを前回のキスコン(9)において引用により紹介した。
大容量のメモリは、演算器には及ばないとしても、何らかの大きな可能性を秘めていることはわかる。しかしながらこの膨大なメモリに、いかにアクセスしてどのようにして活用できる情報を引き出せばよいか。
ITに関する今世紀の最も大きな課題の一つかも知れない。Googleの傘下にある多くの頭脳労働者は、ありとあらゆる分野からその課題解決に日夜取り組んでいると想像する。
ここまで書き進んだとき、京都大学の入学試験でインターネットを用いたカンニングの報道があった。試験中に問題をサイトに投稿して回答を求めるという事件である。警察はプロバイダに残された記録をもとにこの受験生を特定、逮捕して、現在なお捜査が行われている。
インターネットの巨大メモリに携帯電話の通信機能を用いてアクセスし、これに書き込みを行う。メモリに書き込まれたのは単なる問題としての情報に過ぎないが、その情報にアクセスした別人がこれに回答を寄せ、それを再び通信回線でアクセスしてメモリに書き込んでいる。
回答の作成はプロセシング、すなわちデータ処理と見なすことができる。この回答作成であるプロセシングには直接コンピュータが行っていない。
別の言い方をすると、いまの巨大メモリ・システムつまりクラウドには、コンピュータ内部で行われるような情報処理機構は存在しない、といえそうである。
手元にあるIEEEのSpectrum、2010年12月に ‘The Brain of a New Machine’ という記事がある。ヒトの脳と同じようなコンピュータができないだろうかという内容であり、コンピュータの未来志向を暗示していることは興味がそそられる。その中でメモリとメモリの間にプロセシング機構を入れて接続すれば、ヒトの脳の機能に近くなると主張している。さらに開発段階ではあるが、それが実現できるようなデバイスもありそうだという。この記事の著者は、ボストン大学の M. Versace とB. Chandler である。記事の中に「脳(機能)の統一的な理論がないことが最も重要(な背景)である」とあり、いまだに解決しなければならない課題があることは確かである。
私も脳神経の機能について興味を持って資料を集めて調べているが、神経細胞の情報伝達は一方向なのか、あるいは両方向なのかさえよくわからない。この両者の差違は神経細胞での処理機能に大きく影響すると考えている。多分両者の神経細胞がヒトの体の中で住み分けているのではないかと推量している。もとよりそれだけでは神経の処理機構の統一的理論が構成できないであろう。私は神経細胞内の信号伝達速度差が別の処理機能に拘わるものと考えている。
コンピュータができるがヒトにはできないこと、逆にヒトはできるがコンピュータではできないことがある。
それらは何であるか。
この課題を提示して、この回のエキスコン・シリーズ、ひとまずの区切りとする。
(納)
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