どこかの「丁寧に説明する」ためのマニュアルにはこう書いてあるのだろう。
① 答えをはぐらかす。
② 話をすり替える。
③ 都合の悪い事は答えない。
④ 同じ話を何回も繰り返す。
⑤ 話を長くして、混乱させる。
⑥ 独断的な理屈で、臆せず断言する。
⑦ その場その場で発言を少しずつ修正する。
このような手法を駆使した、「いわゆる、丁寧な説明」を尽くしたとして、ゆくゆくは「強行採決」ですか。これも結論の箇所に書いてあるのではないか。
ついでに、ある地方新聞のコラム欄の記事を紹介したい。
「<神が存在しないという証拠はない。だから神は存在する>。相手を言いくるめるため、論理の衣をまとったごまかしの主張を詭弁という。(途中、略)証拠がなければ神は存在するともしないとも分からない━。確かに言えるのはそこまでだが結論を断定されると人は惑い、ごまかされやすい。
(途中、略)
政府は集団的自衛権行使容認の根拠の一つに砂川事件最高裁判決を挙げている。判決には「わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得る」との文言がある。裁判では集団的自衛権についてまったく議論しておらず、判決も触れていない。それを「集団的自衛権を否定していないことははっきりしている」などとして容認の根拠にした。
(途中、略)
憲法学者が安保関連法案を憲法違反と指摘すると政府は反論に再び(これを━筆者注))持ち出した。詭弁を弄することを三百代言という。
(以下、略)
こんなことは書きたくないが、いい加減なごまかしで私たちの命がもてあそばれているようで、我慢がならない。(青)