炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

文明機器の凋落化

2013-07-26 12:54:41 | Weblog
 最近、故障した文明機器を買い換えたが、その時の感想を書きとどめたい。
 一つは、エアー・コンディショナー、いわばエアコンであり、いま一つはハイビジョン・テレビである。いずれも日本の大メーカーの製品であり、保証期間を過ぎて故障したが、気に入っていた製品なので修理をすることを考えた。
 しかし故障修理するとすれば、高価な修理費用がかかり、むしろ新品を購入した方がよいと思わせるほど新品価格が安い。しかもこれまで親しんでいた日本国の大メーカーの製品である。エアコンもハイビジョン・テレビも新しい日本国の大メーカー国産製品と思いこんで新規に購入した。

 ところが届いた製品は、日本国内の大メーカーのブランドがついてはいるが、Made in Chinaと明確に記載されている。いずれも安価である理由は製品が届いて判明した。これらの製品を使いはじめて、文明機器の凋落をヒシと感じたのである。
 いずれも、できる限り安価にするための限りない努力が中国国内で行われたことは明らかである。エアコンは日本国の大メーカーにはふさわしくない粗雑なプラスチック外装であり、製品の機能もこれまでの至れり尽くせりの機能は単純化され、部屋の中が冷却しさえすればよいというエアコンとなっている。
 ハイビジョン・テレビも音響効果が甚だしく凋落している。背面の様々なコンセントも必要最小限になっているから、これまで接続していた外部録画機器などの接続に支障をきたしている。リモコンも何となくやぼったい。
 簡単な表現をすれば、グローバリゼーションの波風として中国大陸の文明機器と日本の文明機器は同一レベルになりつつあるといえる。凋落する文明機器の信頼性も疑わしい。いま、ある家電販売店の保証に加入すれば、一定期間の故障には対処できるが、その期間を過ぎて故障を起こした場合は、ふたたび安価な製品を購入することになりそうである。その時の製品はメイド・イン・ミャンマーかなという思いがよぎる。

 日本の工業製品は、極めて高い信頼性を誇っていた。
しかしながら戦後のある時期には、欧米諸国の模倣のもとに製品の製造を行った。模倣にとらわれて、必ずしも信頼性はよくなかった。メイド・イン・ジャパンという表現は安物で、しかも信頼性が低いことを意味していた。アメリカのお笑い芸人が「メイド・イン・ジャパン」というギャグを入れると観客が笑い転げる様子がテレビに映し出されたことを憶えている。東京オリンピック以前の時代であった。
 そのギャグを全く別の意味に変え、信頼性の高い製品の製造を行うことができるようになったのは、日本の素晴らしい信頼性にかかわる技術者の日夜をわかたない努力の結果である。その貴重な技術的資産は、他国での生産技術に導入されているであろうか。

 中国の長春のある食堂で、当地に滞在し衣服縫製の技術指導をしているという日本人に話しを聞いたことがある。その日本人は、まず環境の整備と清掃を指導したそうである。現地の職人からは、清掃作業が製品の製造にどのように結びつくかと詰問されたという。環境整備に関わるヒマがあれば、その時間を製品製造にかけた方がよいというのが言い分である。ホコリだらけの乱雑な環境で、優れた衣服の縫製ができるはずがない、とその日本人は答えたそうである。

 文明機器の凋落は、今回の参議院選挙で国会のねじれ状態を解消した自民党政権、アベノミクスの政策で改善されるであろうか。実態の伴わない仮想的な経済政策だけでは、これを阻止することはできないであろう。日本経済の本質的な実態を取り戻すばかりではなく、より昂進した経済実態をかもし出す政治を期待したい。
(応)