炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

中国に進出した日本のソフトウェア企業での話題

2012-07-09 19:01:47 | Weblog
 つい最近、東京品川に本社があるIT企業を訪れた。
ある担当者の話しである。中国の上海にも企業進出しているという。
 ソフトウェア産業が急成長している中国なので、日本国内から依頼されたソフトウェア開発を人件費削減のために、中国に進出して生産していると想像し、そのように問いかけると、担当者は即座に「それは違いましてね」ときりだした。
「中国の上海には、多くの日本企業が進出しています。それらの日本企業は、中国にソフトウェアの開発を依頼できないというのです。中国のソフトウェアはどうしても品質がよくない。そこで優れた品質を誇る弊社にソフトウェア開発の依頼が、中国に進出した日本企業からあります。顧客は上海所在の日本企業です」という。
 どうして中国のソフトウェア開発の品質がよくないのかと聞くと「中国で開発されたソフトウェアは、仕様書通りに動けばいいとするのです。ところが仕様書にすべての要求事項を記述することはできません。仕様書には行間に隠されてしまっている事項が沢山あります。そのことを推量しながら、顧客の立場に沿って心のこもったソフトウェアの製品を提供しなければなりません。ソフトウェア製品は単にバグがないというだけではいけないのです」と説明する。「今の中国のソフトウェア開発技術には、このことが期待できませんから、日本企業の開発依頼があるのです」と。

 言語の相違による仕様書解釈の齟齬が問題を起こす背景とは限らない。
 筆者が1980年代に中国を訪れたとき、文化大革命で孔子廟はことごとく破壊され、廟の痕跡のみを目のあたりにした。文化大革命と共に儒教の思想も断絶させてしまったのである。
孔子は紀元前550年頃の生誕とされている。釈迦の生誕が紀元前460年頃と言われているから、孔子の思想は、釈迦の説いた仏教よりも古い歴史を持つ。
 人のあるべき姿は高い道徳にあると説いた孔子の思想、ソフトウェアも人が関わって作成することから心のこもった品質として込められて――その品質は必ずしも量的には明らかにはされないとしても――ハイテク世代に貢献をもたらす。
 あらためて筆者は、心のこもるソフトウェア開発のあるべき姿を教えられた。

 グーグルの攻撃的なソフトウェア、その宣伝文句に誘われて組み込んだところ、これまでのブラウザがグーグルに占領されてしまった。ブラウザ環境が急変して憤激をおぼえた後だけに、これを癒す薬効をもたらしたものである。
 IT世界の独占を目指すグーグルは、アメリカの開拓者精神がみなぎったソフトウェアを創出し、制覇をかけている。
(納)