「荷造りをしようか。」
「しないとね。」
「しないと帰れないもんね。」
バーでモヒートでも飲もうか?
そんな予定をやめて、二人で荷造りをしてます。
今回の出張の最後の晩となった昨夜。
北京路を案内してもらった。
僕の小さい頃、仙台にもあんな雰囲気があった気がした。
エンドーチェーンの屋上とか、地下とか。
とても活気があって、新しくも古くもない混乱。
アメ横みたいでもあり、ちょっと違う。
日も落ちて腹も減る。
「よろしければ、伍さんも一緒に夕食をいかがですか?」
「はい、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。」
サダポンと二人で気に入ったチャーハンを出してくれる広州料理のお店に行って、ご馳走をしました。
「コリアン!また来たのね!」
「日本人でござるぞ。」
とてもお世話になったし、とても真面目で頭のいい伍さん。
今後は通訳だけではなく、ファンキーベイビー工務店として仕入れの仕事をしてくれることになりました。
僕はとてもラッキーです。
「是非、こちらこそよろしくお願いします。」
そう言うと伍さんもとても嬉しそうに笑ってくれました。
「平さん、私、平さんの事が好きになりました。」
お茶を吹き出しそうになると、伍さんはこう続けます。
「中国ではネットワークに規制があるので、おそらく少ししか見れていませんが花火の記者会見を見て、私は泣きました。」
「そうでしたか。」
「とても感動しました。私はこう思います。天国は空の上にあるし、みんなの手を合わせる気持ちはなんと言いますか?」
「追悼?哀悼?」
「いえ。くやお?」
「供養ですね。」
「そうです、供養の気持ちは天国まで届くでしょう?山の上からなら。すごくいいアイデアだと思いました。」
僕は少し悲しい気持ちになったけど、少し嬉しい気持ちになりました。
世の中の大半は誤解で出来ていると思う。
確かに中国の人達は声が大きくて、早口で、やな奴!って思う時があります。図々しいに近いかな?接客も日本のそれと比べたら雑だし、割り込みするし、ハッキリとモノを言うから面食らう場面も多いです。
でも、僕はこう思います。
大声で早口で「ライター貸して!」と言ってきても、彼等はちゃんとハッキリと全員がお礼を言います。
「謝謝。」
日本人は、殆ど謝る。
「すみません。」
同じ漢字だけど意味も似ているけどなんか違う。
「ありがとう!」
ってちゃんと言った方がいいなぁと思いました。
このように、日本では謝る時と感謝する時が同じ言葉だったりするわけです。
意思をハッキリ。
日本語は便利だからモヤッとさせる事が出来るなぁと思った。
母国語だからなのかな?
でも、どうも違う気がしてならないんです。
サンキューって言うけど、ソーリーは言わないでしょう?
もちろん、同じ日本人でも考え方の合わない人はいるし、僕はそれを否定した事はただの一度もない。
それでこそ社会だから。
でも僕は陰口も嫌だし、コメントやら掲示板に書いちゃう悪趣味もない。卑怯だからね、そんなの。恥を知れ。
花火の時、世界中から取材が来た。
本当に世界中から。
タイからもブラジルからもニューヨークからも…あと忘れた!
今日、伍さんと話をしてて、その事を思い出した。
そんな事を伍さんと話した。
「僕は世界は誤解で成っていると思う。一部の人達はとても中国の人を誤解してるし、中国の人も日本の人に対してそうかもしれません。」
「そうですね、ごく一部ですけどね。」
「こうして友達になってしまえば、それが間違いだと分かります。一部が全部じゃないからね。だから僕は人の言うことを聞かないんだと思います。これは決して遠回りではないんです。目で見て、食べたり飲んだりして、荷物を背負って歩いて初めて分かる事があります。聞きかじった事だけで判断すると、どうしようもない誤解に発展し、それが真実みたいになっちゃう怖さがあります。」
「日本のテレビが急に見れなくなったりします。確かにそうですね。個人的にいがみ合う必要はないです。」
「ね。だから仕事を通してでもいいから、僕たちは助け合わなくちゃいけないと思う。そして、子ども達に【そういう風に出来ている】という事を正しく伝えられたら素敵だなぁと思って、教育って大事ねって思ってんの。どうぞ宜しくね。日本にも来てくださいね。」
「はい、最近ツアーが減ったけれど、行きたいです。スコップ団にも会えますか?もし政府同士が仲が悪くなったとしても、私達には関係ないです。」
スコップ団は至る所にいっぱいおるわい!そして当たり前田のクラッカー!
と言おうとしたら、
「ほ~らね。」
サダポンが急に入ってきた。
「何がだよ?」
「DANCHO出るじゃん?」
「え?」
「漫画、漫画。DANCHO。」
「あぁ、はい。それで?」
「そういうこと。」
「どういうこと?」
「俺さ、英語と中国語も出すって言ってたでしょ?これなんですよ、これなんです。み~んなとは言わない。君の生き方にね、なんとなく【参加】する人が増えるんだよ。未来では。」
「ふ~ん。」
「伍さん、この子ね、生意気だけど宜しくお願いしますね。男気のある人でね。僕はホラ、先に死ぬことになってるから。流れでは。だからね、生きてるうちに彼に出来ること全てするんです。僕はね、僕の遺伝子を残したいの。隔世、遺伝ね、彼に。」
「嫌だぁ!嫌だけどなんか分かるぜサダポン!カタコトだし!」
「聞きなさい。それが文化なんですよ。」
そう、ブームではない文化を起こさなくてはいけない。
ブームなんて簡単です。
文化は大変。
皆で続けること、が先ず来るからね。
皆が参加し、続けることが大変なんです。
「なにか中国から出来ることはありませんか?今はもう食べ物はありますか?お店は開いてますか?」
ありがとう。
その気持ちだけでありがたいです。
どんなに疲れても、それでも僕は発信をやめないことにした。
何もしないけどね、ナニカすんの。
「今回、お二人は仕事ですか?遊びですか?」
「なんて言うんだろうね平先生。遊びではないけど、遊びみたいな要素も多いね。でも、仕事!って言いたくない。そんな時は?」
「人生です。仕事でも遊びでもない。人生とは学び。だから今回の広州・ミャンマー出張は人生。僕たちは音楽と企画・デザインという全然違う道を歩んで来ましたが、実はとても似ています。伍さん、分かりますか?」
「分かりません。」
「二人ともね、生きるということには直接は【無駄】なことなんですが、豊かな人生には【必要】な仕事をしています。」
「お洒落もそうですね。…。あ、分かった、花火もですね。」
鋭い!!
ほ~らね!
という彼の言葉が、なんだかリフレイン。
さて、空港に向かいます。
日本に戻ります。
日本には、会いたい人も待ってる人もたくさんいます。
だから、僕は少し急いで帰ります。
待っててね。