僕達が困り果て、僕達が泣いてた頃、遠く離れた彼等は一言も頑張れなんて言わなかった。
ホームセンターも開いておらず、ガソリンも乏しい。
お金なんて、他県に行かなければ何の意味もない時に、スコップとネコ(一輪車)を送って来てくれた。
頑張ってくださいという言葉もなく、
「こんな事しか出来なくて悔しい。」
という言葉と共に。
車をあげてしまって、気付いたら車がないじゃん!
って時に、車に乗って仙台まで来てくれた。
頑張ってくださいという言葉もなく、
「体だけ、気をつけてください。」
という言葉だけ残して。
どこにもドライアイスが売ってなくて、それでも諦めなかった僕達にドライアイスを送る仕組みを作ってくれた。
頑張ってくださいという言葉もなく、
「私たちに出来ることを示してくれて、ありがとう。」
という言葉を添えて。
「うぇい、うぇい、うぉぉぉぉぉ!」
って笑わせながら励ましてくれた。
頑張ってくださいという言葉もなく、
「ずぅっと、応援してるから。」
という言葉だけをくれた。
関西は、僕にとってそんな人達がいるところ。
いつでも彼等は明るくて、暗い気持ちだった僕等に「笑う」ことを思い出させてくれた。
ふざけるのとは違う。
今日のゴスペルのリハーサルを見ていて思ったこと。
人はそれでも生きていく。
人はそれでも進んで行く。
忘れることなんか、いつまでもないのだ。
ということ。
「僕は置いて行かれてないだろうか?」
いつだったか、そんな風に思った時があった。
周りの生活が「通常」に戻り、それでも僕等は取り憑かれたように毎週末、「現状」に戻るという時を過ごしていた頃、本当は焦ってた。
やらなくちゃいけない事を間違えてはいないだろうか?
それでも、あのお家の人達と話をする度に「やらなくちゃいけない事」を確認しながら生きていた。
僕達は、それでも生きていく。
あの頃、僕達はスコップ団だったねと笑える日が来たよ。
たった3人のカスが、今は5000人を超えて、僕達の想いは子ども達へちゃんと伝わっている。
「こんにちは。スコップ団の平です。」
今日、高校生に話し始めた僕達の団体名は少し笑われた。
僕はそれでいいと思う。
最後はみんな、顔をあげて泣いていたから。
どうもね、大人に責任がある気がするぜ。
伝えるべきことは、伝わるべき事柄だけではない。
目には見えないチカラを、目には見えない勢いで燃やす。
伝えるチカラなんぞいらない。
伝わるチカラが欲しいと思う。
それもまた、目には見えぬのだろう。
きっと、目には見えぬのだろうよ。
みんな、今日はありがとう。
年下のクソ生意気なカス団長ですが、今年もよろしくお願いします。
僕の消灯時間まで、僕は置いて行かれたとしてもブレずに生きる。
それだけのことが起きた。
それほどのことが起きたんだった。