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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

僕は話すのが下手だから

2012-09-11 10:57:07 | 日記
コメントをくれたTくん。
昨日はどうもありがとう。
最後まで静かに皆が聞いてくれたから、僕は最後まで静かにお話しが出来ました。
橋本先生とは違って僕は話すことに慣れてないから聴き辛かったかもしれないね、ごめんなさい。
橋本リョウタ先生は大学が同じで、共に学んだり遊んだりしました。
そんな僕たちも高校生だった頃もあったし、中学生だった頃もありました。
そして、その頃はお互いに知るはずもありません。
君の言う、「可能性」とは僕も同じように思います。
いつか友達になるかもしれない。
恋人になるかもしれないね。
結婚するかもしれない。
それは、誰にも分からない。
子ども達がいつか親友になるかもしれない。
それは、本当に誰にも分からない。
嫌いだなぁと思ってても、もしかしたら「仲間」になるかもしれないんだよね。
今、君を悩ませることは僕にも経験があるけれど、
「それは大したことじゃない。」
とは言えない。
何故なら僕たちも同じように悩んで、乗り越えたり、諦めたり、時間が経って忘れたり、解決してなくても消化するように解決してみたり。
悲しみや悩み、辛さに程度はないと思う。
最も辛くて悲しいのは、その人の中ではその人が一番なんだと思います。
それを相対的に比べてマシ論を繰り広げる人がいる。
それで勇気づけられたりするならいいけれど、大抵は傷つくだけだと思うから自分を鼓舞する時の他は僕は使わないことにしています。

世の中に、どうしてもなくてはならないものって、いくつあるんだろうね。

案外、少ないんじゃないかって実感としてあるけれど、人はどの位の便利さがちょうどいいんだろう?

その便利さが、もしかしたら人を貧しくしてるのかなぁとも考えたりします。
刃物を研ぐように、サビを落とすように、必要ではないかもよ?というモノを削ぎ落としてみると本当に大切なコトが残ったりするのかもしれません。
難しい!

それと僕はね、学びや気付きという言葉を乱用する人が僕はあまり好きではないんです。
いつか分かるよ、という言葉もここぞと言う時以外は、案外バラバラな言葉だとも思います。
どうしても辛かったらリョウタに相談して僕の家に泊まりに来ればいい。
好きなだけいればいいよ。
遠慮はいらない。
僕の息子達と遊んでもらえればそれはそれで嬉しいとも思います。

少しの年の差は、大きな年表で見たらどうだろう?
その人が86歳の時、君は84歳。
かわらないね。
そういうことなんじゃないのかなぁ。

頭に来るのは、少しだけ自分と似てるからだとも思う。
少し分かるからこそ頭にも来るもので、全く理解出来なかったらそもそも怒りようがない。

「大っ嫌いな先輩とも、いつか仲良くなる可能性があるのでしょうか?」

あるよ。
僕とタケチンが、そうだから。
タケチンは、二つ上。
最初、ケンカから始まったんだよ。

可能性はゼロではないと思います。

全てにおいて。
全てにおいてです。


辛過ぎてもうダメだと思ったら休めばいい。

でも、諦めたり逃げたりするのはよくない。
諦めることの方が、僕は難しいことのように思います。
コメント (1)
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