フィーゴ語録

Luis Figoのインタビュー、コメントを翻訳中

Appiano: si ricomincia dalla Fiorentina

2009-03-12 | Weblog
アッピアーノ:フィオレンティーナ戦に向け再始動

夜中にマンチェスターから帰還、インテルは今日午前中遅くに次の試合に向けての最初のトレーニングを行った。試合は2008-2009セリエA第28節、2009年3月15日日曜日にミラノのサン・シーロにある“ジュゼッペ・メアッツァ"スタジアムにて(20:30イタリア時間)。
ジョゼ・モウリーニョと技術スタッフはチームを2つのグループに分けた。1つめのグループは昨晩オールド・トラフォード スタジアムでプレーした選手達:動的回復トレーニング、個人の要望によりグランドとジムで。もう1つのグループはウォーミングアップ、スピード、小さいコートでのミニゲーム。
個人メニュー:ニコラス・ブルディッソ(治療、整体)、クリスティアン・キヴ(15分間の有酸素運動、敏捷性のための跳躍)、マルコ・マテラッツィ(治療、整体)。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=44046&stringa=

(2009/3/12付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Manchester Utd-Inter 2-0, eliminati con onore

2009-03-11 | Weblog
マンチェスター・ユナイテッド‐インテル2-0、栄光とともに敗退

マンチェスター・ユナイテッド‐インテル2-0

得点者:4分ヴィディッチ、後半4分ロナウド

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=44034&stringa=

(2009/3/11付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

*訳者より:
フィーゴはベンチスタート、後半25分からバロテッリに代わり出場

Manchester: rifinitura all'Old Trafford

2009-03-10 | Weblog
マンチェスター:オールド・トラフォードで仕上げ

今日の午後ジョゼ・モウリーニョの召集メンバー22人全員がマンチェスター・ユナイテッド-インテル戦を控えて試合会場となるマンチェスターのオールド・トラフォードで仕上げのトレーニングを行った。試合はUEFAチャンピオンズリーグ1/8決勝第2試合('09年3月11日20:45現地時間。第1試合はミラノで0-0)。
インテルメンバーは一連のウォーミングアップの後、筋肉のストレッチ、ボールキープ、小さいコートでのミニゲームで終了。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=44027&stringa=

(2009/3/10付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Appiano: verso Manchester, l’allenamento

2009-03-09 | Weblog
アッピアーノ:マンチェスター戦を前にトレーニング

UEFAチャンピオンズリーグの試合を控え“アンジェロ・モラッティ”スポーツセンターでの2回目で最後のトレーニング。試合は1/8決勝第2試合、2009年3月11日水曜日にマンチェスターにある“オールド・トラフォード”スタジアムにて。
ジョゼ・モウリーニョと技術スタッフはチームを2つに分けた。1つ目のチームは直近の対ジェノバ戦でプレーした選手達、動的回復トレーニングをグランドで、ボール有り、無し。2つ目のグループにはワルテル・サムエルが参加、スピードのトレーニングをボール有り無しで、技術、ミニゲーム。
ニコラス・ブルディッソは1日休み。
マルコ・マテラッツィは治療。
クリスティアン・キヴは個人メニュー:治療、整体、強化をジム内で。

チームは昼食の後、マンチェスターでの合宿の本拠地となるホテルに移動。次の練習は明日の午前中“オールド・トラフォード”スタジアムで行われる予定。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=44020&stringa=

(2009/3/9付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Appiano: Massimo Moratti all’allenamento

2009-03-08 | Weblog
アッピアーノ:マッシモ・モラッティ練習に

マラッシにある“ルイージ・フェラリス”スタジアムでのリーグ戦、対ジェノバ戦勝利の後、対マンチェスター戦を控えて、今日の午前中“アンジェロ・モラッティ”スポーツセンターにてチーム練習。試合は2008-2009UEFAチャンピオンズリーグ1/8決勝第2試合、2009年3月11日水曜に予定されている。
ニコラス・ブルディッソとマルコ・マテラッツィを除いたインテルメンバーは動的回復トレーニング。グランドとジム内で、グループまたは個人の要望に応じて行った。

マッシモ・モラッティ会長、マルコ・ブランカ、ガブリエレ・オリアリ、ステファノ・フルッキが練習に立ち会った。

明日の午前中には、イングランドへ移動する前の最後の練習がアッピアーノ・ジェンティッレで予定されている。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=44012&stringa=

(2009/3/8付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Genoa-Inter: con Ibra e Balotelli, Genoa ko

2009-03-07 | Weblog
ジェノア-インテル:イブラとバロテッリでジェノアをKO

ジェノア-インテル:0-2

得点者:2分イブラヒモビッチ、後半16分バロテッリ

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43995&stringa=

(2009/3/7付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

*訳者より:
フィーゴは先発出場、後半27分にマンシーニに交代。



http://www.inter.it/aas/news/reader?N=44001&L=it&IDINI=44003

(写真:Inter.it インテル公式HPより

Appiano Gentile: rifinitura dinamica

2009-03-06 | Weblog
アッピアーノ・ジェンティッレ:活動的な仕上げ

今日の午前中“アンジェロ・モラッティ”スポーツセンターの“観客席付き”のグランドでジェノア-インテル戦を控えての今週最後のチーム練習が行われた。試合は2008-2009セリエA第27節、明日土曜日2009年3月7日(18時:イタリア時間)にジェノバの“ルイージ・フェラリス”スタジアムにて行われる。

グループはウォーミングアップの後、変化をつけた活動的な仕上げを行った。
個人メニュー:クリスティアン・キヴとワルテル・サムエル(二人とも負傷からの回復プログラム、調整と機敏のサーキット)。パトリック・ヴィエラは明日出場停止、グループ練習でトレーニング、続けてグランドとジム内で個人で強化トレーニング。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43987&stringa=

(2009/3/6付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Appiano: Balotelli in campo, tutto ok

2009-03-05 | Weblog
アッピアアーノ:バロテッリがグランドに、全てOK

ジェノア-インテル戦を控えての最初のチーム練習。試合は2008-2009セリエA第27節2009年3月7日土曜日にジェノバの“ルイージ・フェラリス”スタジアムにて(18時イタリア時間)。
2グループでトレーニング。昨晩のイタリア杯準決勝第一試合でプレーした選手達は動的回復トレーニングをグランドとジム内で。このグループにマリオ・バロテッリも参加。彼は後半に負傷(鼠けい部への外傷)を受け、昨日ジェノバの“サン・マルティーノ”病院で検査を行った。夜にFCインテルの医療部門責任者、フランコ・コンビ先生に付き添われて戻り、通常練習開始前“アンジェロ・モラッティ”スポーツセンターで休んでいた。

その他の選手達はウォーミングアップの後、ボールキープ練習、技術・戦術、ミニゲーム。このグループにはフランチェスコ・ボルゾーニ、ニコラス・ブルディッソ、ズラタン・イブラヒモビッチも参加。

個人メニューはクリスティアン・キヴとワルテル・サムエル:2人共、調整と機敏のサーキット-ボールを使わず-そして、ジム内で強化をして終了。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43980&stringa=

(2009/3/5付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Appiano: rifinitura e 5 individuali

2009-03-03 | Weblog
アッピアーノ:仕上げ、個人メニューは5人

ジェノバでの2試合を控えて今週2度目の練習。明日2009年3月4日水曜日にはジェノバのマラッシにある“ルイジ・フェラリス”スタジアムで、2008-2009イタリア杯準決勝第一試合をサンプドリアと戦う(20:45 イタリア時間)、そして'09年3月7日土曜日には2008-2009セリエA第27節でジェノアと対戦する(20:30 イタリア時間)。
グループはウォーミングアップのあと、トレーニングとミニゲームを行った。
個人メニューは:フランチェスコ・ボルゾーニ(25分間の有酸素運動)、ニコラス・ブルディッソ(整体治療)、クルスティアン・キヴ(50メートル反復)、ズラタン・イブラヒモビッチ(治療、整体、エアロバイク)、ワルテル・サムエル(速度変化をつけた有酸素運動、俊敏性、強化)。
ダビデ・サントンは休み(発熱)。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43954&stringa=

(2009/3/3付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

“La pelota me libero’ siempre”

2009-03-02 | Weblog
「ボールはいつも僕を自由にしてくれた」

「僕がバルサに留まると言ったとき、嘘はついていなかった。僕は残りたかったんだ」
バルサの象徴だった、その数年後には、バルサの大のライバルであるレアル・マドリードへ。ポルトガル人MF(1972年リスボン生まれ)は憎まれたのと同じくらい愛された。彼の険しい軌跡、カンプ・ノウへの帰還の議論、フロレンティーノ・ペレスとの対峙を振り返り、そして、彼の視点によるサッカー界の現状について語った。

インテルの練習施設はミラノよりもコモに近いところに位置し、ピネティーナ(訳注:イタリア語で松林と言う意味)として知られる。松の木がある、しかしアカシアが豊富だ。物淋しい印象があるが、落ち着く場所である。日差しがあり、午前中は心地よい。しかし、グランドは黄色く、この地の冬が厳しいことを思い起こさせる。その奥で、選手達がグランドから出て消えていく、トレーニングが終わったようだ。一番最後がフィーゴだ、チームメイトとふざけながらロッカールームへ歩いていく。いつものように、彼がそこを去るのは一番最後。1時間ほどかかる。その後、心からの挨拶。元バルセロナの選手であり、元レアル・マドリードの選手でもある彼はインタビューの間、何度も笑った。

質問:デビューから18年、あなたは楽しみ続けているように見えます。
応答:以前からずっと、練習は好きだ。サッカー選手の生活の一部だし、サッカー選手であることが大好きなんだ。でも、大切なのは勝ち続けたいという欲を持つことだ。そのために3年前にインテルに来た。なぜなら、プレーしたかったし、レアル・マドリードではそれをさせてもらえなかった。その上、16年間勝てなかったチームでタイトルを獲得しようという挑戦があった。それは魅力的だった。プレーせずに居残り、フロレンティーノ(ペレス、当時のレアル・マドリードの会長)がプレーすることを望んでいない自分なんて、頭に浮かばなかったよ。お金をもらって居残ることも出来たんだろうな。素晴らしい所、最高のチームに居たんだ。でも、僕はそんな人間じゃない。

問:会員として、ペレス氏がレアル・マドリードの会長選に立候補するという憶測に関して、意見はありますか?
答:彼は選挙に立候補するだろう。彼はあそこにいるのが好きだから、戻るだろう。彼はそれが好きだし、おそらく彼に恩恵が与えられる。僕は忘れていないよ、彼のやった良い事。とても良い事だ、レアル・マドリードに対して。彼は人に知られていないような、技術的なことにまで関わっていた。人は全てのことを知っていると思ったとき、たくさんの間違いをおかすものだ。フロレンティーノには1つ問題があった。

問:どんなことでしょう?
答:彼は、彼の周りの人間が彼が聞きたくないことを彼には言わない、という事に慣れている。だから、僕に対して怒った。僕にとってはフロレンティーノもドン・ぺピートも同じようなものだ。彼に何か言わなければならなかった時に、僕は彼にそう言ったんだ。彼が技術的なテーマに介入し始めたとき、僕はプレーをやめた。僕らがアウェーでアルバセテに勝利して帰ってきて、バルセロナとベルナベウで対戦するという時、(バンデルレイ)グルセンブルゴは僕を外へ追い出した。

問:彼自身が言っていたことによれば、ルクセンブルゴはウィングを使うことを好んでいなかったと。
答:そのせいではなかった。個性的だった。彼はそんなふうで6ヶ月居て、またリオに帰った。僕には競争が必要だ。僕のサッカーの本質は競争力、勝つことだ。そのために働く。勝利すること以外に報われることは何も無い。他の事は考えもつかない。それが僕のやり方なんだ。もし、プレーできなかったり勝てないと、今でも同じように腹が立つ。チームメイトは年寄りの妄想だって言うよ。ずっとそんなだった。

問:契約よりも大切なことがある、とも言っていました。
答:バルセロナ、レアル・マドリード、インテル・・・ もしも、良くも思えず感謝も無ければ、出て行くものだろう。だから、僕は出た。クラブのためにしていたことが感謝されていないと思えていたからだ。お金の問題だけではなかった。取り決めの問題だった。僕は常に自分に責任を持っているし、敬意を求める。

問:あなたは昔の共産主義者の名がつけられた通りがある地区の生まれです。ガラクティコの一員とうい立場に置かれて居心地は良かったのでしょうか?
答:あだ名を気に入ったことは一度もない、それはやめてくれ。もし、戻れるなら反対するよ。僕らを攻撃する為の口実のひとつだった。僕らよりも会長は気に入っていた。商取引の促進の為だったんだ。うまくいったのかどうかは知らない、でも僕らは傷つけられた。

問:どんな点まで、あなたのレアル・マドリードへの同化はラウールが決め手だった?
答:とても。僕にとっては良い時期ではなかった。バルサでは全て持っていた。ラウールが僕を助けてくれた、イエロもだ。ラウールの助けは感動的だよ、勝者だ。彼は全ての攻撃を被るんだ、生え抜きだからね、でも、内面の強さでそれを乗越える。イエロとは知り合いだった。共通の友人を持っていたからね。複雑な時期だった、でも、僕はそういう時に成長する人間だ。僕はプレッシャーにうまく適応する。僕は順応していたよ・・・うん。(笑)。僕が価値を示さなければならなかったとき、非常に緊張感が高い時期だった。それは僕が一番良い成績を出していた時だ。プレッシャーは僕に注意を喚起し続ける。好きだよ。だから、常にボールを求め続けた。僕は危険を冒すのが好きなんだ。どう説明したらいいのか分からない。でも、ボールは僕を熱中させてくれる。ただ、プレーすることだけを考えていられる、そのことだけを。ボールと居ると僕はプレッシャーから解放されるみたいだ。だから、それほど好きなんだ。

問:レアル・マドリードに居た時は、バルサに居た時より幸せが半分だったと言いましたが、満足はしていた?
答:半分だか、2倍だかは分からないが、とても幸せだったよ。全て上手くいっていた。バルサでは全てを持っていたし、リスクも負っていた。でも結局、決定が下された。レアル・マドリードでは団体としても、個人的にも名声を勝ち得た。もう1つの現実を知った。つけられた値段(6000万ユーロ)なりの価値を示そうというモチベーションがあった。5年後、挑戦を受けるには相応しかった。1つの決定が下された。でも、僕のバルサに居た数年間について不平を言うつもりは全くない。自慢するよ。あそこでプレーしていたことは名誉の1つだ。僕の人生の中で自慢の5年間だ。過去を変えることは出来ないし、したくもない。

問:しかし、カタルーニャで最も嫌われた男でした。
答:自分の責任はとる。僕がバルサを出て行けばファンは嫌う、当然のことだ。自分の過ちと責任は負う。彼らが、僕と一緒にプレーしていたんだということを形にしたひとつの回答だった。僕の唯一の間違いは、あの数日間に行われた1つのインタビューの中で、僕は出て行かないと言ったことだ。

問:スポルト紙のトニー・フリエロス氏に。バルサのユニフォームを着て、あなたは残ると言った。その後、出て行った。
答:嘘はついていなかった。バルセロナに残ると言った時、僕は残りたかったんだ。会長(ホセ・ルイス・ヌニェス)も初めから全て知っていた。

問:なぜ:一度も本当のことを言わなかったのですか?
答:決定を受け入れた。その時から、上から僕をつぶそうとする、何をしても無駄だった。おしまいだ。その上、人々の意見を変えようともしなかった。なぜなら、優勢なマスコミや会長に対抗して争えるわけがなかった。説明したって同じことだっただろう。8万人の内5千人が僕を理解してくれたとして、7万5千人はメディアを信用しただろう。僕が心を痛めたのは、家族や知り合いを巻き込んだこと、そして、友人だった女性が、あなたの家族には背を向けると言ったことだ。

問:あなたは戻りたかった?
答:戻るよ、もちろん。サッカーを辞めたら、スペインで暮らすつもりだし、バルセロナを訪れるだろう、間違いなく。サインを頼まれるかどうかは分からないな(笑)。でも、戻るだろう。良心に恥じるところは無い。僕は誰も殺してはいない。バルサのファンに対してはずっと敬意を持ち続けている。娘の1人はカタルーニャ生まれだ。僕はあの地で妻と出合った。僕にとって大切な場所の1つなんだ。

問:しかし、あなたは豚の頭を投げつけられた!
答:(笑い)僕は気付きもしなかった。それは後日、新聞で見た。でも、5年の間どのような待遇を受けていたか覚えている。恨む気持ちは全く残っていない。こうして外にいると、なぜ罪人と言われていたのかがよく分かる。マスコミの波がそれほど強かった。結局、彼らはそれを信じた。良い時代のことを考えたほうがいい。素晴らしい5年間だった。僕の青年期の最後の一番良い時期。僕にとって最初に母国を出た経験。ヨハン・クライフと一緒に働いた・・・。

問:あなたはいつも、ヨハン・クライフは素晴らしいと話します。
答:それが動機だった、バルセロナへ行くための。忘れがたい。僕はバルサでプレーしていたことを誇りに思うし、幸せだ。僕は自分の過去に対して不平は言わないし、捨てることも出来ない。バルサで僕は成長した。22歳で契約し、クライフと一緒に仕事することができた。最高だった。彼は14年前から監督業に就いていないが、たくさんの監督達の前に立ち続けている。彼のような人物には一度も会ったことが無い。彼は特別だ。

問:ファン・ハールも特別でした!
答:とても独特だ。人の取り扱いに関してはあまり繊細さは持ち合わせていなかったが、悪い人ではなかったし、練習に関してはとても良かった。細かいことにとてもしつこかった。それで、そう、1年後には、死ぬほどだ。ファン・ハールは悪くなかった。悪い人ではなかったし、悪い監督でもなかった。でも、しつこかった! 彼にはつくづくうんざりするだろう。バルサにはロブソンもいたな。

問:ロブソンはどんな人でしたか?
答:面白かった。年長の紳士。彼はバルセロナのプレー哲学を考える必要はあまりなかった。でも、僕らは凄いチームだった。結局、監督として一番重要なことは何だか知っているか? 集団を維持できることだ。デル・ボスケはグループの管理がとても上手かった。レアル・マドリードには彼が居て、僕らは幸せだった。それは彼がチームとして機能するようにさせたんだ。彼は僕らの扱い方を知っていた。彼はとても特別な人だ。彼は選手の取り扱いにとても気をを使う。

問:将来、彼はスペイン代表チームの指揮を執るように見えますか?
答:ああ。なぜなら、その上、彼好みの選手がたくさんいる。バルサの選手、例えばシャビ、イニエスタ、セスク・・・ボールが好きな選手だ。それに彼はグループを操ることが出来る。

問:それで、モウリーニョはその辺、どうなんですか?
答:彼に聞きなさい(笑)。

問:あなたに聞いているのです。彼はどうです?
答:もっとプレーしたいんだが、でも、まあ・・・ 彼は個性的で理解力がある。一般的に、耐えがたい監督というのは、攻撃的にプレーしろとばかり口うるさい、それから、少し突付かれると考えを変える。それに、バスを置く。その点、グラディオラは僕の期待を裏切らないだろう。彼には勇気がある。

問:グラディオラが任務を引き受けたことは、驚きでしたか?
答:彼が監督になるだろうということは、ずっと分かっていた。彼は病気だったからね。彼は勇敢だよ、それを試し、そして役に立つなら良しとする、もし駄目なら家に戻る。僕は彼が上手くやっていれば、とても嬉しいよ。彼はとても明確な思想を持っている。それを持ったまま死んでいくような男だ。そのことで、上手くいっても、悪くなっても構わないんだ。

問:バルサのプレーを見て、どの辺が彼の手腕だと分かりますか?
答:チームが勇敢だというところ。リスクを負っている。まあ、それはバルサのやり方だ。ボールを持つこと、相手陣内でプレーすること、サイドバック、面と向かってのプレー、開いたウィング・・・ 僕のサッカー哲学だ。なぜなら、僕はあそこで成長したし、とても好きなんだ。リスクはある、もちろん、でも、サッカーとはそういうものだ。リスクを負う。危険を冒さなければ勝てない。サッカーは勇敢な人間のものだ。もし、あの監督と契約するなら、リスクが最小限では済まないだろう。さらに、もし10人の人間にこんな質問をしたとする、バルサのプレーはどんなのが好みですか?選んでください。 上手くやってタイトルを獲ってくれれば嬉しいねぇ。

問:しかし、あなたはレアル・マドリードの会員です。
答:そうだよ。でも、友人が第一だ。若い頃に知り合った選手達がいるんだ。

問:確かに。あなたはシャビやプジョールと一緒にプレーしました。
答:彼らは僕と一緒にプレーしたんだよ! シャビは僕のことをマエストロって呼んでいた。良い若者だ。彼はペップのバルサで鍵となる選手のひとりだ。彼のプレーにはそれと分かるスタイルがある。もし最終的にバルサが勝ったら、僕は嬉しい。ペップは僕の同志だ。でも、レアル・マドリードはまた強くなってきている。それに、常に言われていたこと、あらゆる才能がある。疲れ果てているなんて思わない方がいい。僕らが何度も、最後の1分で勝ったことを覚えているよ。チャンピオンズでマンチェスター・ユナイテッドとの対戦を勝ち上がって、カンプ・ノウかベルナベウに戻れたら僕は嬉しいなあ。僕らはややこしくなっている、本当に。マンチェスターは強い。

問:ところで、どうしてポルトガルからはこれほどたくさんのウィングが出てくるのでしょう?
答:模倣の為だ。若者達は一番名高い人間に注目する。僕はフートレやチャラナの真似をした。相手をかわして一番目を引く選手達・・・ 僕は彼らを見ながら育った。僕たちは出来ることなら9番になりたいと思ったものだ、ファン・バステンのね。僕は彼に注目していた。その後、出てきたのがシモンやクアレスマ・・・

問:クリスティアーノ・ロナウドやメッシ?
答:彼らは違う。メッシは素晴らしいと思う。クリスティアーノ・ロナウドはユナイテッドを出て、新しい挑戦を探すべきじゃないかな。

問:あなたは最高の選手達と一緒にプレーしてきました。一番凄かったのはジダンですか?
答:一緒にプレーしたからといって、一番だとは言えないよ。プレーの起点としてはそうだ。でも、僕がサイドをやっていた中で、彼が最良のアタッカーではなかった。一番のアタッカーはロナウドだった。疑いない。誰も彼の速さを明らかにはできなかった。ジダンがやったすべてのこと、素晴らしいやり方でやったことは、概して、一番完璧だった。本当に僕は運が良かった。なぜなら、最高の選手達と一緒にプレーしてきたんだ。

問:それから、リバウドも。ゴールよりもパスが難しいと言われますが、あなたはそう思われますか?
答:そうだよ。だから、あまりゴールを決めずにたくさんパスを出していた。 違うよ! ゴールは難しいんだ。

http://www.elpais.com/articulo/deportes/pelota/libero/siempre/elpepidep/20090302elpepidep_23/Tes

(2009/3/2付 El Pais.com:原文スペイン語より翻訳)

Appiano Gentile: 2 gruppi e 5 individuali

2009-03-02 | Weblog
アッピアーノ・ジェンティッレ:2グループと個人メニュー5人

対ローマ戦に引き分けた後、今週最初のトレーニング。2試合を控えている、2試合ともジェノバのマラッシにある“ルイジ・フェラリス”スタジアムにて行われる:'09年3月4日水曜日には2008-2009イタリア杯準決勝第一試合をサンプドリアと戦う(20:45 イタリア時間)、そして'09年3月7日土曜日には2008-2009セリエA第27節でジェノアと対戦する(18時 イタリア時間)。
ジョゼ・モウリーニョとスタッフはチームを2つのグループに分けた。昨晩サン・シーロの“ジュゼッペ・メアッツァ”スタジアムでプレーした選手達は個人の要求に応じグランドとジム内で動的回復トレーニング。もう1つのグループはウォーミングアップの後、スピード、戦術・技術トレーニング、ミニゲーム。
個人メニュー:フランチェスコ・ボルゾーニ(有酸素運動)、ニコラス・ブルディッソ(治療)、クリスティアン・キヴ(歩調、強化)、ズラタン・イブラヒモビッチ(治療、整体)、ワルテル・サムエル(25分間のランニング)。

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43943&stringa=

(2009/3/2付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

Inter-Roma: 3-3, gol e spettacolo

2009-03-01 | Weblog
インテル-ローマ:3-3、ゴールとスペクタクル

インテル-ローマ:3-3

得点者:前半22分デ・ロッシ、前半29分リーセ、後半5分バロテッリ、後半12分ブリーギ、後半18分バロテッリ(PK)、後半32分クレスポ

メモ:観客数:51,497人

http://www.inter.it/aas/news/reader?L=it&N=43928&stringa=

(2009/3/1付 Inter.it インテル公式HP:イタリア語版より)

*訳者より:
フィーゴはベンチスタート、後半1分からマクスウェルに代わり出場。





http://www.inter.it/aas/news/reader?N=43931&L=it&IDINI=43936

http://www.inter.it/aas/news/reader?N=43936&L=it&IDINI=43936

(写真:Inter.it インテル公式HPより)