愛犬ラッフル

小型ミックス犬、ラッフルと過ごした思い出の日々を風景写真とともに・・・!

親切なバスの運転手さん

2021年12月23日 | 日記
ある日、国際興業の定期バスに乗った。


運転手さんには、丁寧で親切な方が多く、乗っていて癒されることがある。

この日は、ある停留所から、幼稚園児らしい子供を連れ、もうひとりの幼児をバギーカーに乗せた

若いお母さんが乗ってきた。


まだ幼い子を開いている席に座らせ、バギーカーをその席の横につけてお母さんは立っていた。

前後が席が空いていたが、お母さんは座らなかった。


運転手さんは、皆が席につくのを確認してからバスを発射させるのだが、

お母さんが立っているので、「座らなくとも大丈夫ですか?」と確認してから、

バスを発射させた。


そんなやりとりを見ていて気を取られていたせいか、次のバス停で降りるのを忘れたおばあちゃんが、

「あららさっきのバス停で降りるはずでした」と慌てて運転さんに訴えたら、

バス停でもないところでバスを停車させて、そのおばあちゃんを降ろしてくれた。


その運転手さんは、嫌な顔もせずねお客さんに対応していた。


親切な運転手さんに、バスに乗っていたお客さんたちは、何か心が和む思い出あった。

韓流ドラマ 「うそ」が描き出す韓ドラ。

2021年12月12日 | 韓流ドラマ
以前のような面白い大型韓流ドラマは、減っているが、

相変わらず韓流ドラマを楽しんでいる。


最近は、2度目3度目の観賞となるドラマもある。

その多くのドラマでは、ドラマの内容を面白くするためなのか、

「うそ」が多く使われている。


「うそ」をつけば、ドラマの内容が複雑化して、面白い展開となる。

ドラマを見ていて、そこで「うそ」をつくのか、と思うときが多い。


「うそ」を使わなければ、そこで話が終わってしまう。

そこで問題が解決されドラマは終わってしまう。


日本人としてのまともな考えであれば、嘘をつかないで正直であれば、終わってもいいと思う。

でもドラマは、続かねばならない。


ドラマの「うそ」が現実の「うそ」となって現れる。

「うそ」に対する罪悪感はなくなる。

「うそ」が普通になってゆく。


しかし、「うそ」が、正義となってはならない。

と、私は思っている。


自画自賛する人は、人から信頼されるだろうか?

2021年12月03日 | 人間
自画自賛する人がいる。


日本人は、謙虚であり、正反対の自画自賛する人に対しては、あまり良く見られない。


あることに対して、自分はよくやった、素晴らしいことだ、と自画自賛したとしよう。

ところが時間が経ってから、そのことが間違いであったと、わかった時、自画自賛した人は、

気まずいと感じ、人から非難されることになる。


たとえ一時的に自慢したいと思っても、自画自賛してはならない。


自分が馬鹿にされることになるかも知れないからである。


だから常に謙虚でなければならない。


自画自賛は、自己満足であり、他人を納得させるものではない。

かえって馬鹿にされることになる。


韓国は、よく自画自賛する。

国民性の違いであろうか、他人に対するリスペクトがないのだろうか?