あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

長谷寺・高野山参拝の旅(その5)

2017年12月12日 | 旅行記

高野山壇上伽藍の後編です。

六角経蔵はブラタモリにも登場しました。
それによれば、鳥羽上皇の奥さんが仏教のお経約5千を自筆で写して旦那様の供養のために納めたそうで、とっきを持って1周すると5千のお経を唱えた事になるという事でした。
番組ではタモリさんと近江アナウンサーが回していましたが、この日も回っていました。









経蔵のそばの山王院は奥の御社の拝殿で神仏習合の名残でしょうか・・









三鈷の松がありました。
空海が自分の開きたいお寺はどこにあるか、中国から三鈷杵(さんこしょ)を投げたところこの松に引っかかっていたそうです。









珍しい3本の松の葉が落ちています。
これを見つけたら空海と縁を結びよいことがあるらしく、みんな探しています。
ガイドさんが言うには、松は2本あって、1本は普通の松なので、そっちを探してもないよとのことでした。
私も運よく3本の葉の松をゲットできました。









金堂の裏手には弘法大師がご入定後、師の御影を安置する御影堂(みえいどう)があります。
















右手のチラ見の朱色が根本大塔、左手が金堂、奥が御影堂、御影堂の左の朱色の柵が三鈷の松という配置になっています。









高野山は標高が約800mあるため、落雷による火災に何度も遭遇しました。
金堂が火災になったときに、炎が御影堂まで迫り、柱が少し焼けて形が変形しています。
ブラタモリでやっていたので、おお、これだとちょっと感動しました。









御影堂は弘法大師の御影が安置され、最も尊厳を尊ぶ堂のため、万が一周辺が火災になったら、ここから水が噴水のように湧きあがり延焼を防ぐそうで、これもブラタモリを見なければわからないことでした。









そして根本大塔のそばの1町の町石を見つけたときはうれしかったです。
慈尊院から壇上伽藍まではスタートが180町で数がだんだん減っていきましたが、ここから奥の院の御廟までは36町でだんだん数が増えていきます。
ここは金剛界の1町なのです。
昔の人は壇上伽藍でお参りをしてから、ここをスタートして金剛峯寺にお参りし、奥の院まで足を進めていったわけです。


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