まさに「三丁目の夕日」の世界。ちなみに僕はあの映画が嫌いです。昭和30年代は、あんな綺麗ごとの世界ではありませんでした。営利誘拐もあれば、犯罪も現在よりも多く、特に性犯罪は現在よりも野放し状態。食料添加物に大気汚染と、どちからと言うとロクでもない世の中でした。
言い方を変えます。生存競争の激しい社会でした。格差など当たり前。その格差を解消するために、より働き、より勉強をして、自分たちの環境をより良いものに変えようと、皆が競った社会でした。
現在は、どれだけ勉強やアルバイト、スポーツ、就活に頑張ったかには目を向けず、「格差があるのはおかしい」と叫ぶ人が多過ぎます。格差が無いなら、誰も頑張りません。よく見れば分かりますが、たいていの会社は1部の優秀な人たちが、他の仕事が出来ない人たちの給料分も稼いで、みんなが年功序列をベースに似たような給料を貰っています。これでは成績の良い人ほど給料に不満を持ちます。
現在のようなLGBTに関する考え方を含め、「共産主義」的な考えばかりが幅を利かす世の中に、いつの間に日本はすり替えられて来たのでしょうか?今度の五輪、トランスジェンダーか何か知りませんが、重量上げというパワースポーツの女子部門に、男性が出場するのをご存知ですか?体は男だけど心は女性だから、女子の部門への出場を認める。これ、正しいことですか?IOCが認めても僕は認められない。頑張って来た女性選手たちは、「冗談でしょ?」と、当然ですが反発しています。こんな頭でっかちな世の中が、素晴らしい未来だったとは、子供の頃の僕は思いもしませんでした。
写真は真ん中が僕で、駐車中の車の右、門柱のあるのが僕の自宅でした。若い人は知らないかも知れませんが、車の後方左の住宅が、「文化住宅」と呼ばれたアパートです。この写真を撮影したのは小学校に行く前ですが、この5人、全員年齢・学年が違います。僕は下から2番目。
この時代は、自宅の前や公園、放課後の学校、ため池、雑木林、いろんな所で皆で遊びました。自宅に籠る子供は皆無。(一人だけ私立を狙う勉強のため、姿も見せない子供がいましたが、入試に失敗!)テレビゲームは当然ありません。トランプや双六は雨の日だけ。それも皆で一緒に遊びました。
更に、一緒に遊ぶもっと大きい子供も大勢いました。ここに写っていないのは、彼らは小学校に行っている時間だから。(笑)子供の時の1年違いは、圧倒的に知力・体力ともに「差」があります。そういう中で揉まれるから、反骨心も競争心も、いろんな事が育まれました。
悪い事をしていたら、近所の大人誰もが、自分の子でなくても注意しました。だから、ほとんどの子供がたくましく育ち、競争心も独立心も旺盛でした。
今の子供は、親の過保護の下で育ち、塾通いや習い事以外に競争が無い。与えられたもので1人で遊ぶ。違う年齢層と触れ合う機会も少なく、「縦社会」を学ばない。保育園、幼稚園、学校と、常に同じ年の子供と仲良く競争も少なく「一緒に仲良く」過ごす。
これでは世の中、去勢された動物、飼育され卵を産まされる鶏、乳しぼりされる牛のような子供ばかり増えるハズです。僕が世界各国で見て来た国では、今も子供は競争中。そもそも飛び級もあるし、日本のように何歳から新卒で働くという概念もありません。
新卒採用なんて無く、学生でありながら授業料は会社持ちで働くなんてザラ。(バイトではない)大学は18~22の若者のものではなく、あらゆる年齢の人が行く。定年もなく、早くリタイヤしようが、死ぬまで働こうが本人の意思決定によるものです。
親に子育ての力が無くなった今の日本、学費免除はOKです。しかし、失われた子供たちの生きる力、世界に比べて圧倒的に軟弱なフィジカル・メンタル両面の強化は、一体誰がどのように施すのでしょう。
親子で例えばアメリカ社会を、1週間でも経験すれば(観光旅行ではなく!)、日本とアメリカの「人間の生きる力」の差を目の当たりにし、愕然とすると思います。今の日本人は、自分が普通と思う大多数の同じ階層の人間しか見ていないようです。財産があるか無いかではなく、溌溂と生きている人間と、なんとなく生きている人間の「違い」を知らなさ過ぎると思います。野生とビニールハウスの促成栽培の違いを知るべきです。
このままでは日本は終わります。自分の子供が、自分を超えた。トンビが鷹を産んだなんて話、今はほとんど聞きません。
日本人ほど「責任を取らない国民性」を持つ国は、他にないかも知れません。自分のこと、自分の会社のこと、自分の国のこと、全て他人任せで自分がどうこう言っても仕方がない・・と、自分で責任を負いながら何かをしようとする人が少ない。緊急事態宣言下でも「我慢ができない」と子供のようなことを言って、外を出歩く人の多いこと。
せめて自分の子供に対しては、責任を負って子育てをしないと、次世代は大変な時代になってしまいます。若者が重税に苦しむのではなく、老人が放置される世の中に。あるいは他の国に脅かされる国になっている可能性が大きいと考えます。