「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」(18新改訳)<o:p></o:p>
聖書はイエス・キリストを石とよぶ。しかもただの石でなく、活ける石とよぶ。▼「そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、…その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」(ダニエル2:35同)ネブカデネザルの見た巨像の幻のように、人間の歴史と文化は金銀になぞらえられるが、キリストと神の国は、金属と本質的にちがう活ける宝石である。▼新しい家を建てるとき、古い家が取り払われて更地となるように、私たちの生涯に神の国が建設されるには、古い生き方という家が砕かれ、片付けられ、新しい地面にされることが必要である。▼ただイエス・キリストだけが、人をそのように扱うことがおできになる。あなたも「生ける石として、霊の家に築き上げられ」(Ⅰペテロ2:5同)、神に喜ばれる者とならんことを。<o:p></o:p>