「彼はアカシヤ材で香の祭壇を作った。長さ一キュビト、幅(はば)一キュビトの正方形で、高さは二キュビトであった。祭壇から角(つの)が出ているようにした。」(出エジプト記37:25新改訳)
幕屋の前の部分は聖所(せいじょ)と呼ばれ、そこにあったものはパンの机と金の燭台(しょくだい)、それに香壇(こうだん)の三つであった。これらも主イエスを象徴(しょうちょう)している。▼そのうち、いちばん奥、へだての幕の前にあったのが香壇である。これはイエス・キリストのご生涯(しょうがい)が父への崇高(すうこう)な祈りに満ちていたことをあらわす。主は一二弟子たちとイスラエルの国内を廻(まわ)られたが、毎朝早く起床(きしょう)しては寂(さび)しいところにひとりで行き、天の父に祈られた。すなわち、香壇で香を焚(た)かれたのだ。あるときは、一晩中祈りながら、朝を迎えられたこともあった。まさに人の子は祈りのご生涯を送られたのである。▼おなじように、モーセの幕屋では、毎朝毎夕、祭司が中に入って香壇の上に香を焚き、そのため、幕屋全体が香の煙につつまれていた。私たちキリスト者の生涯も、初めから終わりまで祈りの煙に満ちたものとなったら、なんと幸いなことだろうか。