流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

三宮神社

2018-10-17 | 神社・寺院
神戸市中央区三宮町に「三宮神社」があります。

三宮神社は、生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たります。
周辺の「三宮」という地名の由来にもなっているようです。


航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社です。
古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳との事。
祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っています。


史蹟神戸事件発祥地
神戸事件は、慶応4年1月11日(旧暦、太陽暦:1868年2月4日)に神戸(現在:神戸市)三宮神社前において、備前藩(現在:岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを
負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現在:旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件です。
大政奉還を経て明治新政府政権となって初めての外交事件でした。
本事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至るなどの動きにまで発展しましたが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見ました。
相前後して堺事件が発生し、共に外国人に切腹を深く印象付けることとなりました。

<堺事件>
慶応4年2月15日(旧暦、太陽暦:1868年3月8日)に和泉国堺町内で起きた土佐藩士によるフランス帝国水兵殺傷(攘夷)事件。
同じく2月23日(旧暦、太陽暦:同年3月16日)、大阪裁判所の宣告により堺の妙国寺で土佐藩士20人の死刑(切腹)の執行が行われました。


「大砲」<説明板から引用>
明治元年1月11日(旧暦)に三宮神社前で突発した神戸事件のとき外国兵との交戦に備前の藩兵は三門の大砲をひきいた応戦した。
この大砲は年代的にほぼ同時のものなのでここの据えて参考とする。三宮神社


「手水舎」


「拝殿」

神戸事件の結末は第3砲兵隊長・滝善三郎が詰め腹を切らされ、兵庫の永福寺の座敷で6カ国の立会人が注視するなかで切腹しました。
日本の政治体制が、まだ確固としていなかったためにこの悲劇が起きたと言われています。

神社参拝を通じて、教科書で紹介されていない歴史を知る事が出来ました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"

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