流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

飛行神社

2022-01-05 | 神社・寺院
京都府八幡市八幡土井に「飛行神社」があります。

飛行神社は、日本で最初に動力飛行機を飛ばした二宮忠八(にのみや ちゅうはち)翁により自邸内に私財を投じて創建されました。
同神社は、特定の条件にあう死者を神社にあわせて祀るという招魂社の一種として靖国神社と同様の信仰基盤を持っています。


大正04年(1915年)03月10日、航空殉難者の尊霊を慰めるべく創建
昭和11年(1936年)11月08日、二宮忠八翁没
昭和30年(1955年)、二宮忠八翁の次男により再興


再興に当たり『空は一つなり』の信条のもとに全世界の航空先覚者並びに遭難者の霊を迎え祀り、今に至ってるとのこと。


<二宮忠八(にのみや ちゅうはち)翁について>
慶応02年(1866年)06月09日、愛媛県八幡浜市矢野町にて出生。
明治20年(1887年)、歩兵第十二聯隊(香川県丸亀市)付きの看護卒として入隊、陸軍従軍中に『飛行器』を考案。
明治24年(1891年)04月29日、ゴム動力を使った「カラス型飛行器」を作成し飛行に成功。
明治26年(1893年)10月、有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の縮小模型(翼幅2m)を作成。
設計図と上申書を軍部に提出するが、軍部は不採用。
軍の退官後、ライト兄弟が成功したニュースを聞き、夢を断念。
その後、飛行機事故で死去した人を弔うために当地にて飛行神社を私財を投じて創建、自ら神主となる。


「奉納飛行機」(飛行機手水)
手水鉢に飛行機を浮かべ航空業界を応援しようと始めているとのこと。
奉納飛行機の裏面に願い事を書いて手水鉢に浮かべます。


「鳥居」
錆や腐食に強いステンレス製の鳥居です。


「拝殿」
ギリシャ風の建築物です。


本殿では、次の祭神が祀られています。
第1殿 饒速日命 古代の空の神といわれてる饒速日命(にぎはやひのみこと)をお祀り
第2殿 祖霊社  航空事故で亡くなられた方々、技術革新、指導に当たられ航空業界に多大な影響を与えられた方々をお祀り
第3殿 薬光神社 薬業界の偉人とされる長井博士や二宮忠八翁が共に働いた武田長兵衛、田辺五郎、塩野義三郎などの薬学界の仲間を薬祖神としてお祀り


「二宮忠八資料館」
創建者である二宮忠八翁の多大な功績を称え、忠八翁の残された自筆の資料や写真等々が展示されています。
残念ながら館内は撮影禁止でした。


石柱「飛行機発明勲功績表地鎮座」


石碑「わが航空界の先覚者 二宮忠八翁を称える」(航空幕僚長 空将 白川元春)


「デハビランド式油圧プロペラ」
デ・ハヴィランド社(イギリス)が開発したレシプロ双発小型旅客機『DH.104ダヴ』のプロペラです。


日本では全日本空輸の前身となる日本遊覧航空(後の後藤田航空)、日本ヘリコプター輸送及び極東航空において国内ローカル線の主力機として運用されていました。


「零式艦上戦闘機の機首部」


零式艦上戦闘機は、第二次世界大戦期における海軍が保有していた艦上戦闘機です。
略称として、零戦(れいせん、ぜろせん)と呼ばれています。


同機首部は、昭和58年10月下旬、大阪湾漁場において大阪府岸和田市の漁師が底引き網操業中の漁網に機首部が掛り、岸和田漁港に引き上げられた物です。


航空機エンジン「J79-IHIー11A」


1950年代後半から1960年代の超音速軍用機に採用された1軸式ターボジェットエンジンです。


国内では、航空自衛隊で運用されていた要撃戦闘機「F-104J/DJ」に同種エンジンが装備されていました。


同機種の開発当時は、卓越した高速性と形態がミサイルを彷彿させ、『最後の有人戦闘機』と称されました。


展示エンジンは、石川島播磨重工業(現在:IHI)によるライセンス生産されたものです。


参拝した印として「飛行機手水」を奉納させていただきました。

本神社の参拝を通じて感じた事として、歴史に「もし?(IF)」は禁句ですが、二宮忠八翁からの上申書を軍が受理して開発に着手していればと思うと残念が気がします。
航空機の歴史、さらに日本の歴史が大きく変わったかもしれません。

飛行神社の参拝により、二宮忠八翁の功績及び航空機の歴史を改めて認識できたことに感謝します。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚

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