11月3日(月曜日)、埼玉県狭山市に所在する航空自衛隊入間基地にて開催された『入間航空祭』へ行ってきました。
関東圏に所在する航空自衛隊基地では一番の来場者があります。
確かに、あの西武電車の混み具合は・・・・(×_×;
平日の東京駅構内の方が断然空いてます。f^_^;
基地内は人が多すぎて、歩けません・・・・(×_×)
基地正門近くのグランド周辺から移動し、「旧装備品展示」を見学しました。
航空自衛隊で使われていた往年の航空機や装備品等が展示されていました。
「移動式3次元レーダー J/TPS-100」
移動・再配置可能なレーダーシステムであり、固定レーダーサイトと連携して対空警戒に使われました。
地対空誘導弾「ナイキJ」
アメリカ製の地対空ミサイルです。
航空自衛隊では、地対空誘導弾「ナイキJ」として配備されました。
三菱重工業によってライセンス生産され、平成6年まで使われました。
初等練習機「T-34」(71-0419)
ビーチエアクラフト社が開発した練習機です。
通称“メンター”と呼ばれたそうです。
愛称“はつかぜ”というのもあったそうです。
練習機「T-33A」(51-5620)
アメリカ空軍のジェット戦闘機P―80から開発された初の複座ジェット練習機です。
航空自衛隊では、パイロット養成以外にも訓練支援や連絡業務に使われました。
輸送機「C-46D」(91-1145)
カーチス・ライト社が製造した輸送機です。
昭和29年、航空自衛隊へ36機が配備されました。
同機種は、飛行点検隊でフライトチェック機としても使用された他、
独自の派生型として初の国産電子戦機材J/ALQ-1を搭載し電子戦訓練機とした『EC-46D』、
F-86Dレドームを機首に装備した飛行試験機『C-46D FTB』なども保有していたそうです。
C-46Dは、胴体後部に乗降扉を追加した人員輸送型の派生型です。
戦闘機「F-86F」(82-7807)
ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機です。
航空自衛隊では初の戦闘機として、アメリカから180機が供与され、300機がライセンス生産されました。
愛称“セイバー(Sabre)”で呼ばれ、略して“ハチロク”とも呼ばれていたそうです。
初代のブルーインパルス(当時:第1航空団)の機体として活躍しています。
要撃戦闘機「F-104J」(56-8666)
ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機です。
当時は、卓越した高速性と形態がミサイルを彷彿させ、「最後の有人戦闘機」と称されました。
画像のとおり「旧装備品展示」エリアは、のんびりしていて良かったです。
まったり感満載でした。(#^.^#)
<<番外編>>
「航空歴史資料館 修武台記念館」
航空自衛隊員に対する航空歴史教育を行うことを目的に建てられました。
昭和16年3月、行幸の昭和天皇より『修武台』の名が与えられました。
当日は、残念ながら一般開放されていませんでした。(×_×;
戦後、当地が「ジョンソン基地」であったことの石碑と思われます。
細部は英語で記されていて・・・・・(×_×)
昭和20年9月、アメリカ陸軍航空軍第5空軍が同地に進駐
昭和21年 、ジョンソン基地と命名
昭和27年3月、アメリカ空軍第41航空師団司令部が編成
昭和37年6月、第41航空師団司令部は横田基地へ移転
昭和53年 、基地が米軍から全面返還
石碑「雄飛」
昭和59年7月1日、入間基地において航空自衛隊創立30周年記念式典が挙行されたことにより建立されたようです。
入間基地は、南東北・関東・中部・近畿地域の防空を担当する中部航空方面隊の司令部が置かれている航空自衛隊の主要基地です。
人員のみならず面積においても最大の規模があるそうです。
今回も当イベントの本丸である航空機展示場(エプロン)への進攻を試みましたが、
あまりの渋滞や人混みで断念しました。
本当に意気地なしでごめんなさい。
m(_ _)m
個人的には、他基地の航空祭でも見れない移動警戒隊の装備品を見れたのが大きな成果でした。
入間基地の隊員の皆様、ありがとうございました。
<(_ _)>
関東圏に所在する航空自衛隊基地では一番の来場者があります。
確かに、あの西武電車の混み具合は・・・・(×_×;
平日の東京駅構内の方が断然空いてます。f^_^;
基地内は人が多すぎて、歩けません・・・・(×_×)
基地正門近くのグランド周辺から移動し、「旧装備品展示」を見学しました。
航空自衛隊で使われていた往年の航空機や装備品等が展示されていました。
「移動式3次元レーダー J/TPS-100」
移動・再配置可能なレーダーシステムであり、固定レーダーサイトと連携して対空警戒に使われました。
地対空誘導弾「ナイキJ」
アメリカ製の地対空ミサイルです。
航空自衛隊では、地対空誘導弾「ナイキJ」として配備されました。
三菱重工業によってライセンス生産され、平成6年まで使われました。
初等練習機「T-34」(71-0419)
ビーチエアクラフト社が開発した練習機です。
通称“メンター”と呼ばれたそうです。
愛称“はつかぜ”というのもあったそうです。
練習機「T-33A」(51-5620)
アメリカ空軍のジェット戦闘機P―80から開発された初の複座ジェット練習機です。
航空自衛隊では、パイロット養成以外にも訓練支援や連絡業務に使われました。
輸送機「C-46D」(91-1145)
カーチス・ライト社が製造した輸送機です。
昭和29年、航空自衛隊へ36機が配備されました。
同機種は、飛行点検隊でフライトチェック機としても使用された他、
独自の派生型として初の国産電子戦機材J/ALQ-1を搭載し電子戦訓練機とした『EC-46D』、
F-86Dレドームを機首に装備した飛行試験機『C-46D FTB』なども保有していたそうです。
C-46Dは、胴体後部に乗降扉を追加した人員輸送型の派生型です。
戦闘機「F-86F」(82-7807)
ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機です。
航空自衛隊では初の戦闘機として、アメリカから180機が供与され、300機がライセンス生産されました。
愛称“セイバー(Sabre)”で呼ばれ、略して“ハチロク”とも呼ばれていたそうです。
初代のブルーインパルス(当時:第1航空団)の機体として活躍しています。
要撃戦闘機「F-104J」(56-8666)
ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機です。
当時は、卓越した高速性と形態がミサイルを彷彿させ、「最後の有人戦闘機」と称されました。
画像のとおり「旧装備品展示」エリアは、のんびりしていて良かったです。
まったり感満載でした。(#^.^#)
<<番外編>>
「航空歴史資料館 修武台記念館」
航空自衛隊員に対する航空歴史教育を行うことを目的に建てられました。
昭和16年3月、行幸の昭和天皇より『修武台』の名が与えられました。
当日は、残念ながら一般開放されていませんでした。(×_×;
戦後、当地が「ジョンソン基地」であったことの石碑と思われます。
細部は英語で記されていて・・・・・(×_×)
昭和20年9月、アメリカ陸軍航空軍第5空軍が同地に進駐
昭和21年 、ジョンソン基地と命名
昭和27年3月、アメリカ空軍第41航空師団司令部が編成
昭和37年6月、第41航空師団司令部は横田基地へ移転
昭和53年 、基地が米軍から全面返還
石碑「雄飛」
昭和59年7月1日、入間基地において航空自衛隊創立30周年記念式典が挙行されたことにより建立されたようです。
入間基地は、南東北・関東・中部・近畿地域の防空を担当する中部航空方面隊の司令部が置かれている航空自衛隊の主要基地です。
人員のみならず面積においても最大の規模があるそうです。
今回も当イベントの本丸である航空機展示場(エプロン)への進攻を試みましたが、
あまりの渋滞や人混みで断念しました。
本当に意気地なしでごめんなさい。
m(_ _)m
個人的には、他基地の航空祭でも見れない移動警戒隊の装備品を見れたのが大きな成果でした。
入間基地の隊員の皆様、ありがとうございました。
<(_ _)>
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