酒のさかな

平凡な笑市民が日ごろの暮らしの中で出会ったこと
【縦横無尽探険隊別館】

震災まとめ【その2】

2011-04-02 11:40:03 | のほほん日記系
3月12日
携帯が鳴った。
「献血のことで、職場に電話してくれ」
K課長から、山で芝刈り中だから代わりに対応するよう〔命令〕
非常事態だろうから、職場に電話してみる。
「社長のツイッターに献血の書き込みがあったので至急検討するよう」
なんでも、震災で輸血が足りないらしいから仕事帰りでも献血できるように血液センターの時間を延長しろとのことらしい。
なんて勝手な言い草!
支援したいのなら会社休んででも支援しろよ!
いいことしてやるんだから自分の都合に合わせろってことですかぁ!
『バカこけって回答したらどうです?』
「なぜ延長できんのか」
『延長して何になるんです?全く意味ないです。意味あるんなら言われんでもやってます』
「でも善意の人が・・・」
『無責任な善意は邪魔です。こんな非常時にテイサイなんか取り繕わないで、実だけとりましょう』
実は、血液は足りていた。
被災地直下の病院に運搬する機能が一時ストップしていたのである。
血液は短いもので4日しかもたない。
さらに、日常から普通の必要量の2倍近くがストックされるようになっている。
被災地で足りない分は、周辺からじゃんじゃん供給されるし、その連携は普段からうまくいっている。
足りないところへは順送り、少し時間をおけば九州からだって1日で輸送されるのである。
全国の余剰分を順繰りにかき集めれば突発的な対応に不足することはないのである。
ただし問題は被災地への運搬は困難だっただろうから輸血が不足しているという情報は現地からは発信されたかもしれない。
しかしそれは献血が足りないのではなく、運搬が困難だったのであり、たくさん献血してもしょうがないのである。
さらにこういう非常事態には必ず善意ぶったバカが横行する。
阪神大地震の時もボランティアという名のバカモノが迷惑ばかり起こし、本当の支援者や被災者の邪魔をしたのである。
「困っているから助けたい。いいことしてるんだから自分のやることが正しい」
善意って大切だ。
でも結果的に困っている人の迷惑になる行為を善意って呼ばないよ。
自分が被災地に独力で行って手を差し伸べてあげられないのなら、直接被災地を支援している者の言う事に協力するくらいしかできないじゃないか。
自分で最後まで責任を持てないのなら口だけ出すのはやめて欲しい。つくづくそう思う。
ツイッターとかに便所の落書きを書くヒキコモリよりも、お母さんとお年玉を募金箱に入れにきた小学生のほうがよっぽど現地の人の役に立ってるよ。

ちなみに、ネット上のツールは何よりも現地の生の情報が早く手に入ることは間違いない。
しかし、ツイッターなどに書き込む心境は「なにかを感じた」からこそ書かれる。
リアルタイムの生の情報ではあるけれど、悲痛な叫びがたくさんあるように見えるけれども、それは悲痛な叫びを集めたものにすぎず、印象深い事象にだけ極端なバイアスがかかった情報でしかないのである。
ツイッター信者はツイッターに世間一般の重要な情報が流れていると思っているが、一般の人は決して便所の落書きに重要な情報を書いたりしない。
なぜなら【自分を助けてくれる人がそこにいるとは思えないから】である。

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