えしぇ蔵日記

えしぇ蔵日記のブログ版です。

高野山・京都の旅 最終日

2009年10月16日 | Weblog
また5時起床。朝食を終えて7時40分出発の強行スケジュール。今日も晴れ!
まずは大覚寺へ。和尚さんのお寺は真言宗大覚寺派。つまりはここが会社で言えば本社だ。和尚さんの息子さんたちがここで修行したそうな。
ここでワシは初めて写経というものを体験した。筆で字を書くのは好きなのでチャレンジしてみたがなかなかにおもしろいもんだ。
お庭や寺宝も見せて貰ったりして午前中いっぱい楽しんだ。
嵐山で昼食し、桂川にかかる渡月橋を眺めると心は遠く平安時代へ・・・。なんか雅な眺めやなぁと一人佇む。
最後の目的地は神護寺。ここは石段が結構きつくて皆さん大変そうだった。なにせ平均年齢が高いので脱落者もいた。(笑)
拝観した後は時間が押していたので急いで京都駅へ。運転手さんのおかげで帰りの新幹線にギリギリセーフ。
 
今回は和尚さんのおかげで貴重な経験をさせて頂いた。そして一生の思い出を頂いた。こうやっていろんな経験をし、いろんな人に会うのは全て意味があるわけで、一つとして無駄はないとワシは信じている。経験と出会いは何にも勝る師だ。今回の機会を与えて下さった和尚さんとお世話になった皆さんに感謝の意を表明して今回の旅の記録は終わりとしよう。
 
(和尚さんありがとうございます。添乗員さん、ガイドさん、運転手さんお世話になりました。同行の皆さんお疲れ様でした。)

「桂川」

佇みて 何かおもはん 桂川
我ここにある 意味を探りて
 

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高野山・京都の旅 2日目

2009年10月15日 | Weblog
昨夜は同室のお二方は9時前に寝てしまうし、ワシもつられて9時半には寝てしまった。おかげで今朝は5時に起きてもすっきりとした目覚め。
6時からは朝のお勤め。さすがに高野山の朝は早い。冷気は身を引き締め、境内には読経の声が響く。静寂と荘厳。
外国人のカップルも宿泊しており、朝のお勤めにも参加していた。この空間が彼らにどう映るのだろうか。
朝食後、8時には出発。早いやね。高速に乗る前に根来寺の横を通った。戦国時代には鉄砲持った根来衆がこの辺をうろうろしていたんだろうか。
高速に乗ってしばしドライブ。お昼に京都に入った。今日の最初の目的地、智積院で昼食、そして拝観。
この智積院では日本画の田渕画伯の襖絵の特別拝観ができた。墨の濃淡だけで表現した四季には言葉を失った。優れた絵は見る人の想像力が加わって初めて完成する。ワシが眺めて、ワシの頭で完成するのだ。そのためにはせめて30分くらい眺めていたかったがツアーではなかなかそうもいかない。またいつか見たいものだ。
智積院もそうだがお次の仁和寺でも庭の美しさを堪能した。京都のお寺は庭が必見。どこもそれぞれに美しい。仁和寺の案内役の僧侶の方はその軽妙な語り口で楽しませてくれた。
今日の最後のメニューは太秦。昔はよく仕事人が好きで見てたが確かここで撮影していたと思う。秀さんが走ったのはこの辺か?八丁堀が懐手で歩いたのはこの辺か?と考えながら歩いた。
京都の日中の陽射しはきつかったが西に傾くと肌寒い。寒暖差があるから紅葉している木々も見られた。それにしてもいい天気でよかった。夕べは雷雨だったのに今朝は快晴。今回はついてるな。
今日の宿は湯の花温泉の渓山閣。大きな観光ホテルだが和風な雰囲気をうまく演出していた。
ワシは和尚さんと同室。まずは二人で温泉にぼーっと浸かって疲れを癒した。
宴は昨夜とうって変わり大いに盛り上がった。舞妓さんの挨拶のサービスがあった。なんとまぁ美しいこと!ちんとんしゃんときた。いいもんだな。舞台の上は18 歳。舞台の下の平均年齢は・・・う~ん。
料理が結構よかった。ワシは料理人がいい仕事をしていると思った時にはご飯粒一つ残さない。これは料理人に対する敬意と感謝を自分なりに表現しているわけだが、仲居さんが気付いて「綺麗に食べて貰ってうれしい」と言われた。
この仲居さんがワシはちょっと気に入った。きびきびした動き、酔客の揶揄に対する当意即妙な受け答え、酌をされればコップ一杯くらいはキュッとあけるきっぷのよさ。プロの仕事だなあと思った。
宴もたけなわの時、急に和尚さんがワシをみんなの前に立たせて「私の無二の親友です」と紹介してくれた。身にあまる光栄・・・対等に口をきくのも憚られる身分差なんだが。全くこれ以上の恐縮はない。
それにしても今日も腹いっぱいの一日だった。明日は最終日。
 
「墨の桜」
 
襖絵の 墨の桜は 見るほどに
染まりゆくかな 我がおもふまま
 

 
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高野山・京都の旅 1日目

2009年10月14日 | Weblog
今日から高野山・京都二泊三日の旅。朝5時起きで支度して空港へ。
雷山千如寺さん主催のツアーに和尚さんのはからいで同行させて頂くことができた。誠に恐縮の極み。
参加者は70代以上の人が多く、ものすごい平均年齢!ワシは40にして最年少。40といえば江戸時代では既に翁の部類に入る。それで最年少だからなんとも気恥ずかしいものがある。
空港での添乗員さんの話では「バスで飛行機までご案内します」とのこと。なぜに?搭乗開始すると本当にバスに乗せられ空港の端へ連れて行かれた。そこに待っていたのはプロペラ機。マジで?対馬に帰るんじゃないんだから。関西空港まで大丈夫かいな?と思ったが幸い天気がよくてほとんど揺れなかった。ANAの経費削減も凄まじいな。
関西空港からすぐにバスで移動開始。大阪はほんの一瞬よぎるだけですぐに和歌山県に入った。
しばらく走ると華岡青洲の生家の近くを通ったが、思えば有吉佐和子は紀州和歌山の人だ。なるほど。つまりは郷土の偉人を取材したわけだな。休憩は紀ノ川のほとりの道の駅だったが「紀ノ川」も彼女の代表作だ。
紀ノ川を渡ると高野山への長い山道が続く。くねくねとひたすら登る。こうやって車で行くにも難儀な道だ。いにしえの参拝者の苦労はいかばかりか。
途中、九度山への分かれ道があった。紀州九度山といえば真田昌幸・幸村親子が幽閉された山だ。こんな山の中から風雲乱れる時を待ったわけだ。その心中や如何。しかし幸村はここから大阪城に向けてよく無事に脱出できたもんだな。
高野山に入るとすっかり観光地と化した街並みがひろがる。かつて弘法大師が入った頃は民家の一軒もなかった。それが今や観光地。そして世界遺産としてその名を世界に轟かすわけだ。全くすごいやね。
昼食の後、まずは奥の院へ。ここは古今の墓地の集合体。天を刺すように真っ直ぐに延びる高野槇の林の中に所狭しと並ぶ歴史上の人物のお墓。その数には圧倒される。歴史好きの人間にはこたえられない。立花宗茂に始まって親鸞聖人、平敦盛、熊谷直実、源満仲、武田信玄・勝頼、伊達政宗、石田三成、明智光秀、法然上人、今井宗久、結城秀康、豊臣秀吉、春日局、島津家、毛利家、井伊家、片桐家、浅野家、山内家、黒田家、松平家、最上家、・・・墓以外にも上杉謙信の作った廟や松尾芭蕉の句碑、司馬遼太郎の文学碑もある。もしワシ一人ならここに三時間くらいいたかもしれない。
その先にあるのが様々な伝説を持つ弘法大師御廟。信仰は伝説を生み、伝説は浪漫を生む。そこはもはや科学的な証拠やデータなど無意味の世界だ。それぞれに信じるものに従うというのが人間のひとつの習性なのかもしれない。
お次は主役、総本山金剛峯寺。ここは襖絵に魅力されたんだが撮影禁止。だが撮影できてもうまくは撮れないだろうな。秀次切腹の間では、あぁこの辺まで血しぶきが飛んだのだろうか、無念やるかたない眼差しで畳を睨んだだろうかと思うとさすがに胸が詰まる思いだった。
最後の壇上伽藍ではその大きさと美しさにこれまた圧倒された。信仰の力とはすごいものだ。
高野山の街中を歩く若き修行僧の姿。中にはブロンドのかわいい女性の修行僧もいた。最近は外国人も修行に来るらしい。これも一つの時代の姿か。
今日のノルマを終えて宿泊先の宿坊の大円院へ。ここも由緒ある寺で歴代住職の中にはあの滝口入道もいる。名前は立花宗茂の法号からとったそうな。
高野山では何もかもワシの興味をそそる。しばらく滞在してみたいやね。
宿坊というのはどういうものかと興味津々だったが、別に普通の旅館と変わらない。働いてるのが僧侶の人たちで、料理が精進というだけ。
部屋は三人一部屋だったがワシと同室のお二人はかなりのご高齢。「私は徴兵検査は甲種合格だった」「僕は乙種だった」なんて会話をされてる。曾孫までおられるとのこと。すごくないか?
風呂で汗を流してから精進料理で食事。なんとお酒が出た。いいの?その辺は厳しくないのかな。
今日はかなり歩いて皆さんお疲れの様子。食事の後同室のお二方はすぐに寝てしまった。ワシ一人日記を書く高野山の夜・・・。
 
「奥の院」
 
もののふの 御霊集まる 奥の院
因襲越へて 語りあふかな
 

 
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水滸伝

2009年10月12日 | Weblog
今日は3社。普通に仕事してるし。
 
帰りにゆめタウンで「水滸伝」を買った。仮にも物書き志望の人間が中国の三大奇書を読んでないというのはいかにもまずい。「三国志」と「西遊記」は読んだので今回の「水滸伝」で完了だ。本当なら「金瓶梅」も読むべきなんだろうがそっちにはあまり食指が動かない。まぁ三大奇書だけでいいやろ。(ちなみに「金瓶梅」を入れると四大奇書になる。)
こういった中国の古くからある物語というのは、日本の場合と違って誰がいつ書いたかというのがはっきりしない。長い年月をかけていろんな人たちによって書き加え、書き換えられて現在に至っている。だからどの時点で完成かというのもはっきりしない。特にこの「水滸伝」は70回本、100回本、120回本などいろんなパターンがある。今回ワシは岩波の100回本にした。いろいろ調べるとどうもこの100回本が本当の水滸伝だという意見が多いようなので。
それにしても久しぶりに新刊本を買った。ピカピカの本なんて久しぶりだ。いつも古本屋かオークションだから。なんだか嬉しいやね。
 
「水滸伝」
 
ひもとくは 水のほとりの ものがたり
心踊らす 百八の星
 
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最後のトレーニング

2009年10月11日 | Weblog
午前中は「マツノデザイン店舗建築」さんへ。午後からは姫を「ベジキッチン」まで迎えに行ってそのまま志賀島へトレーニングに行った。今週は忙しいのでおそらくこれで最後のトレーニング。1週間あくけど大丈夫かいな?
 
姫: 「お昼何食べたと?」
ワシ: 「明太子パスタを作った。うまかったよ」
姫: 「いいなぁ。食べたい」
ワシ: 「コツはね、明太子を日本酒でとくことよ」」
姫: 明太子をニボシでとく?
ワシ: 「・・・・・・」
姫: 「(笑)なんて言ったと?」
ワシ: 「日本酒じゃ!」
姫: 「あぁ日本酒ね(笑)。なるほどね」
 
今日の志賀島は晴天で風も強くなく気持ちのいいトレーニング日和。ただし日差しは結構きつかった。今日もタイムを計ったが、なんと55分8秒。前回より4分も縮まった!本番もこれくらいで走れれば作戦成功なんだがな。
 
「志賀島」
 
潮騒と 風したがへて 志賀島
汗はかわきて 塩となりけり
 
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神無月忙殺

2009年10月10日 | Weblog
そうか。世の中3連休なのか。どうりで朝は車が少なかった。今日は春日で2社、飯塚で1社。
 
日中、車の窓を全開にして走るのにちょうどいい気候になった。洗車してピカピカのリカちゃんで飛ばしたいところだが、もうそんなに無理はさせれない。21万キロのご老体。別れが近づいているのかもしれないと思うと寂しいものがある。これ以上にフィーリングのあう車にはもう出会えないだろうな。これもまたいい出会いだった。
 
今月は高野山への旅行と志賀島マラソン大会と続く。こういう時に限ってなぜか仕事も立て込む。ようやく一息つけるのは10月末か。11月にはまた小説書きたいやね。
 
「あけび」
 
恋人の 前で食べれぬ あけびかな
 
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推理小説

2009年10月08日 | Weblog
推理小説というやつをいつか一冊書いてみたいと思うが、暗算もできないこの頭では所詮無理かなとも思う。だいたいワシが考えつくくらいの展開やトリックはもう既に誰か書いていると思う。エドガー・アラン・ポーに始まり、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ・エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー、G・K・チェスタトン、アイザック・アシモフ、イーデン・フィルポッツ、F・W・クロフツ、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張・・・・・・もうこのへんの大御所たちがほとんどあらゆるパターンを網羅してしまったのではないだろうか?
 
科学技術の進歩というやつが推理小説を面白くなくしてしまったと個人的には思う。DNAをはじめとした生物学的知識や情報技術の進歩、交通機関の発達、セキュリティの強化などはかつての名作の中の犯罪をどんどん不可能にしてしまう。だからこの現代において未だに果敢にも推理小説に取り組む作家には脱帽せざるを得ない。
 
推理小説の名作に出会った時の感動というのは爽快なもので、「あ!そうか!その手があったか!」と思わせてくれる作家には感謝の念すら覚えてしまう。逆に「そんなの無理やろうもん」と納得できない時は怒りを覚える。だから買う時には慎重にならざるを得ない。ネットで評価をチェックしたり、傑作のランキングを見たりしてほぼ間違いないかなと確信を得たところで買う。だから我が家にある推理小説はおおよそ傑作が揃っている。それらが並ぶ本棚をたまに眺めてほくそ笑んだりする怪しいワシ。
 
作家が長編推理の傑作を書くのは6つが限界だと言ったのはヴァン・ダイン(そう言う彼は12作書いたが、確かに面白いのは前半の6作のみ)だが、その点についてはワシも同意見だ。どんな優れた作家でもそうたくさん傑作を書けるものではない。だから書けば書くほど駄作の比率が増してくる。もし横溝正史や松本清張が推理小説をせめて20作くらいにとどめておけば、彼らの評価はもはや伝説の域にまで達したのではないだろうか?ところが悲しいかな二人ともあまりに多く書きすぎた。だから駄作も結構ある。買う時には注意が必要だ。極めて優れた傑作をほんの少しだけ世に残して去って行くみたいな作家がいいやね。
 
「ミステリー」
 
ミステリー 納得いかず ヒステリー
 
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夜の志賀島

2009年10月06日 | Weblog

仕事が終わってから急いで志賀島へ。2回目の志賀島トレーニング。6時前くらいから走り始めた。陽が落ちて暗くなる前に走ろうと思ったが甘かった。走り始めこそ暁に染まるイワシ雲が美しかったが、4km地点の国民宿舎に来た時点で既に足元がよく見えなくなった。問題はその先だった。民家もないし街灯もない。道路の白線がかろうじて見える程度。たまに通る車のサーチライトで先の方を確認するしかなかった。これじゃ危なくてしょうがない。失敗だったなと思いつつもなんとかペースを緩めずに走ろうと必死で頑張った。たまに民家があるとホッとする。これじゃまるで旅の侍。今宵の宿はあの庵か、はたまた星の下か。

「もし、お侍様、どちらへおいでですか?」
「なに、拙者はトレーニング中であったのだが、秋の陽の落ちるに追いつかずこのていたらく」
「この先は危のうございます。あばら家でございますがどうぞお泊り下さいませ」
「かたじけない。では世話になるかの」
「せめてなりとも雨露しのぎにはなりましょう。どうぞごゆるりと」
「今宵は星の宿かと思っておったが、渡りに船じゃ」
「お疲れでございましょう。芋粥しかございませぬが、もしよろしければ」
「おぉ、これはいたみいる」
「褥は隣の間にご用意してございます」
「なにからなにまでかたじけない」

こんな感じで泊まった宿で、夜中に目を覚ましたら包丁を研ぐ音がシャッ、シャッ、とか聞こえてきたりして・・・・・・。

・・・・・・とかアホな連想をしつつ対岸の夜景を眺めながら黙々と走った。民家の多いところに来るとホッとする。そしてなんとか1周走り終えてタイムを見ると、59分12秒!おーかろうじて1時間きった(笑)。遅すぎ!10kmを50分切っていた頃が懐かしい。あの頃ワシは若かった・・・。
 
「夜の志賀島」
 
走るのは アホのみ 夜の 志賀島
 

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九尾の猫

2009年10月05日 | Weblog

今朝は術後の検診で「九大病院」へ。歯科の病棟の横に新しい病棟が出来て、これまで旧病棟にあった科が全てそこに移動していた。その1階が歯科も含め全ての受付として統一されていた。朝9時に行ったが既にかなりの人で混雑していた。当然誰しも慣れないので案内係があちこちに立っていたがその数が半端じゃない。行く先々に立っていた。なるほどこれでは迷いようがないな。しかしすごい人件費だ。さすが九大病院。
今回の検診では手術を担当して下さったS先生が診に来て下さった。患部を観察して、「うん。いいですね。もう大丈夫と思いますよ」と言われた時のその落ち着いた雰囲気。なんと頼もしいことか。奇跡のような手術をしたのに、S先生には日課のひとつをこなしたに過ぎないのだろうか?器の大きさというか人間性の深さというか、大した人もいるもんだ。本当にいい人に巡り会えた。
 
今日はハードスケジュール。あちこちと5社飛び回った。最後は「ランドリー・キッチン」さんで一人寂しく作業したが、隣室で親分が社員の人に「お前、このへんを全部網羅してな・・・・・・もうらってわかるか?モスラの親戚じゃないぞ?」と言っているのが聞こえてそれが妙にツボにはまり、一人でくすくすと笑ってしまった。
 
姫に借りたエラリー・クイーンの「九尾の猫」を読み終わった。めっちゃ面白くて夢中で読んでしまった。完璧な構成、納得のいく仕掛け、無駄のない文章、劇的な結末・・・楽しませてくれる。さすがは大御所エラリー・クイーンだ。
読み終わって実に嬉しかった。非常に嬉しかった。心底嬉しかった。ワシは犯人を当てたのだ!これが嬉しくないわけがない。たまにこうやって作者の罠に気付くと余計に楽しめた感じがする。フフフフ。ハハハハ。暗算もできんような頭で犯人を当てたぞ!
 
「秋の空」
 
犯人を あててきよけき 秋の空
 

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志賀島トレーニング

2009年10月04日 | Weblog
「志賀島マラソン」が今月18日。その前に実際に志賀島でトレーニングしておこうと思ったいたが、姫が「今日、ゴトー先生と一緒に走りにいこう」というので夕方志賀島へ。
現地で待ち合わせだったが先生がなかなか来ないのでワシは一足先に走り始めた。予想よりも起伏が少なく、国民宿舎を過ぎたところの坂さえ乗り越えれば、あとは全体に楽だなという感触を得た。距離感も大よそ掴めた。もう2回ほど現地で走っておけば大丈夫だろうと思う。身体が慣れれば景色を楽しみながら走れるはず・・・。
走り終わって、後から走り始めた姫とゴトー先生を待っているとメールがきた。「かもん」げな。車で拾いに行くと中間地点ぐらいでぶらぶらと歩いている二人を発見。なんじゃその楽勝トレーニングはぁ~!
 
「志賀島」
 
波にあそぶ 夕陽を愛でて 志賀島
流れし汗も 照らしおるかな
 
コメント (2)
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