鹿の鳴ける
なくしかの こゑをとめつつ あきはぎの さけるをのへに われはきにけり
鳴く鹿の 声をとめつつ 秋萩の 咲ける尾上に われは来にけり
鹿が鳴く
鳴く鹿の声に誘われて、秋萩の咲く山の峰に来てしまったよ。
「尾上(をのへ)」は「山の頂」「峰」の意。鹿と萩の取り合わせも定番ですね。
鹿の鳴ける
なくしかの こゑをとめつつ あきはぎの さけるをのへに われはきにけり
鳴く鹿の 声をとめつつ 秋萩の 咲ける尾上に われは来にけり
鹿が鳴く
鳴く鹿の声に誘われて、秋萩の咲く山の峰に来てしまったよ。
「尾上(をのへ)」は「山の頂」「峰」の意。鹿と萩の取り合わせも定番ですね。
初雁を聞ける
はつかりの こゑにつけてや ひさかたの そらのあきをも ひとのしるらむ
初雁の 声につけてや 久方の 空の秋をも 人の知るらむ
初雁の声を聞く
初雁の声が聞こえてくるにつけて、空が秋の気配を帯びてきたことを、人は知るのであるよ。
「久方の」は「空」にかかる枕詞ですね。
この歌は続古今和歌集(巻第五「秋下」 第459番)に入集しています。
たなばた
たなばたの うきふしならで よをふるは としにひとたび あへばなりけり
たなばたの うきふしならで 世をふるは 年に一度 あえばなりけり
たなばた
七夕の織姫と彦星が仲たがいもせずに過ごしているのは、年に一度の逢瀬があるからであるよ。
第二句「うきふし」は「憂き節」で辛く悲しいことの意。
夏神楽
ゆくみづの うへにいはへる かはやしろ かはなみたかく あそぶなるかな
行く水の うへにいはえる 川社 川波高く 遊ぶなるかな
夏神楽
流れる川のほとりの川社では、川波が高く、また神楽の音も高く響いているよ。
「川社」は、六月祓などに際して川のほとりに設けられる祠、またはそこで奏でられる神楽のこと。407 にも詠まれていましたね。
人の木のもとに休める
かげふかき このしたかぜの ふきくれば なつのうちながら あきぞきにける
陰深き 木の下風の 吹きくれば 夏のうちながら 秋ぞきにける
人が木のしたで休んでいる
陰深く生い茂った木の下に風が吹いてくると、まだ夏のうちなのに秋がやってきたようであるよ。
「木の下風」という語は万葉集、古今集、後撰集にはない一方で貫之集には複数見られ(150、794)、躬恒にも作例があることなどから、貫之と躬恒によって創作された歌語との説もあるようです。