あきといへば よそにぞききし あだびとの われをふるせる なにこそありけれ
秋といえば よそにぞ聞きし あだ人の われを古せる 名にこそありけれ
よみ人知らず
「秋」という言葉をさほど気にも留めずに聞いていましたが、不実なあなたが私に「飽き」て見捨てるということだったのですね。
「あだ人」は移り気な人、「ふるす」は飽きて見捨てる意。ここまでの数首、「秋」と「飽き」を掛ける歌が続きました。秋という物悲しい季節と恋の終わりが結びついた歌群ですね。
あきといへば よそにぞききし あだびとの われをふるせる なにこそありけれ
秋といえば よそにぞ聞きし あだ人の われを古せる 名にこそありけれ
よみ人知らず
「秋」という言葉をさほど気にも留めずに聞いていましたが、不実なあなたが私に「飽き」て見捨てるということだったのですね。
「あだ人」は移り気な人、「ふるす」は飽きて見捨てる意。ここまでの数首、「秋」と「飽き」を掛ける歌が続きました。秋という物悲しい季節と恋の終わりが結びついた歌群ですね。
あきかぜの ふきうらがへす くずのはの うらみてもなほ うらめしきかな
秋風の 吹きうらがへす 葛の葉の うらみてもなほ うらめしきかな
平貞文
秋風が吹いて裏返る葛の葉の裏を見るではないが、いくら恨んでもなお恨めしいことよ。
前三句が第四句の「裏見」を導き、この「裏見」が「恨み」の掛詞になっているという技法。従って、実質的に歌意を表現しているのは第四句・第五句のみとなります。「うら」という同音の繰り返しが歌にリズムを与えていますね。
あきかぜの ふきとふきぬる むさしのは なべてくさばの いろかはりけり
秋風の 吹きと吹きぬる 武蔵野は なべて草葉の 色変はりけり
よみ人知らず
秋風が吹きに吹いた武蔵野では、一面の草場がみな色変わりしてしまった。あの人も私に飽きが来て変わってしまったことよ。
「吹きと吹きぬる」の「と」は、同じ動詞の間に用いて「どんどん~する」意を表す終助詞。現代の「ありとあらゆる」という語(同じ動詞の間に置かれてはいませんが)も、この語法の名残でしょうか。一見すると草場が枯れつつある広大な野原の風景を詠んだ歌ですが、恋歌の章に置かれてますので、枯れ行く武蔵野の情景に準えて恋の終わりを詠んでいるのでしょう。
しぐれつつ もみづるよりも ことのはの こころのあきに あふぞわびしき
しぐれつつ もみづるよりも 言の葉の 心の秋に あふぞわびしき
よみ人知らず
秋が深まり、時雨が降っては木の葉が色づくけれど、それよりもあの人の言葉が心に飽きが来てすっかり変わってしまうことが辛く悲しい。
秋が来て木の葉が色づくことに準えて愛しい人の心変わりを嘆いた詠歌。「もみづ」は「もみぢ」の動詞形で紅葉する意ですね。「心の秋」に「飽き」を掛ける語法ももうおなじみですね。