漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 1097

2022-10-31 06:27:27 | 古今和歌集

かひがねを さやにもみしか けけれなく よこほりふせる さやのなかやま

甲斐が嶺を さやにも見しか けけれなく よこほりふせる さやの中山

 

よみ人知らず

 

 甲斐の国の山々をはっきりと見てみたい。それなのに、心なく横たわって視線を遮っている小夜の中山よ。

 この歌と次の 1098 は「甲斐歌」。「甲斐が嶺」は、富士山、白根山など特定の山を指すとの説もあります。「けけれなく」は「こころなく」の東国なまりのようです。第五句の「さやの中山」は、0594 にも出てきた地名ですが、「さや」に見たいのに「さや」の中山が邪魔をしているという洒落(駄洒落?)ですね。

 

 さて、この連載も今日から4年目に突入。それと同時に巻第二十「大歌所御歌」も残り3首、「墨滅歌」まで含めた全巻読み切りまでもあと14首になりました。あと二週間で古今和歌集の日々紹介もおしまいかぁ。。。

 


古今和歌集 1096

2022-10-30 06:15:43 | 古今和歌集

つくばねの みねのもみぢば おちつもり しるもしらぬも なべてかなしも

筑波嶺の 峰のもみぢ葉 落ち積もり 知るも知らぬも なべてかなしも

 

よみ人知らず

 

 筑波山の峰のもみじ葉が落ち積もって、知っている人も知らない人も皆いとしく思われることよ。

 一つ前の 1095 で、その慈しみの恩恵を称えられた「君」が、こちらでは逆に民衆への慈しみを歌っているものと考えられています。

 


古今和歌集 1095

2022-10-29 06:08:38 | 古今和歌集

つくばねの このもかのもに かげはあれど きみがみかげに ますかげはなし

筑波嶺の このもかのもに 蔭はあれど 君がみかげに ますかげはなし

 

よみ人知らず

 

 筑波山のこちら側にもあちら側にも蔭はありますけれど、あなたの御影にまさる蔭はありません。

 詞書には「常陸歌」とあります。「君」はお仕えする主君とも、愛しい異性ともとることができそうです。前者と捉えれば「みかげ」は恵みによって守られること、後者と捉えれば文字通り「お姿」の意ですね。

 


古今和歌集 1094

2022-10-28 06:11:27 | 古今和歌集

こよろぎの いそたちならし いそなつむ めざしぬらすな おきにをれなみ

こよろぎの 磯立ちならし 磯菜つむ めざし濡らすな 沖にをれ波

 

よみ人知らず

 

 こよろぎの磯をさかんに歩き回って磯菜を摘む少女を濡らす出ない、沖にいなさい、波よ。

 詞書には「相模歌」とあります。「こよろぎ」は相模国(今の神奈川県)の地名で、後には「磯」にかかる枕詞として使われるようになりましたが、ここでは「相模歌」ですから実際の地名(「小余綾」)を表しているのでしょう。0874 にも出てきた語ですね。「めざし」はもともとは目にかかるほどの長さで前髪を切りそろえた子供の髪型の意で、そこから少女そのものを指すようにもなりました。ここでは後者の意味ですね。


古今和歌集 1093

2022-10-27 06:34:18 | 古今和歌集

きみをおきて あだしごころを わがもたば すゑのまつやま なみもこえなむ

君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ

 

よみ人知らず

 

 あなたを差し置いて他の人に心を寄せるようなことがあったならば、末の松山を波も越えてしまうことでしょう。

 「あだし」ははかない、変わりやすい意で、「あだし心」は他の人に心を移す意で「浮気心」。末の松山を波が越えるとは、ありえないことが起きることの常套表現ですね。