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漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 743

2025-04-28 04:56:05 | 貫之集

あひ知れる人の亡せたるによめる

ゆめとこそ いふべかりけれ よのなかは うつつあるものと おもひけるかな

夢とこそ いふべかりけれ 世の中は うつつあるものと 思ひけるかな

 

互いに知っている人が亡くなったので詠んだ歌

この世ははかない夢であるとこそ言うべきであったのだ。あのひとと共に生きたこの世の中には、確かな現実があると思っていたけれども。

 

 現実と思っていた世の中は、親しい知人を亡くしてみると、実は儚い夢であったのだと実感されたという詠歌。悲しい歌ですね。
 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第834番)、拾遺和歌集(巻第二十「哀傷」 第1318番)に入集しています。

 

 本日から、貫之集第八「哀傷」の歌のご紹介です。

 


貫之集 742

2025-04-27 04:17:10 | 貫之集

人の国へ下るに、旅にてよめる

いとによる ものならなくに わかれぢの こころぼそくも おもほゆるかな

糸による ものならなくに 別れ路の 心細くも 思ほゆるかな

 

人が地方へ下るに際して、旅の道中に詠んだ歌

糸に縒ることができるわけでもないのに、別れて旅路を行くのは、まるで糸のように心細く思われることであるよ。

 

 この歌は、古今和歌集(巻第九「羇旅歌」 第415番)、拾遺和歌集(巻第六「」 第330番)に入集しています。
 古今集のページでもご紹介しましたが、この歌に関して吉田兼好は徒然草第十四段で

 貫之が、「絲による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。

と記載しています。兼好は反論していますが、当時「歌屑」と酷評された歌でもあったのですね。

 


貫之集 741

2025-04-26 04:33:39 | 貫之集

信濃へ行く人におくる

つきかげは あかずみるとも さらしなの やまのふもとに ながゐすなきみ

月影は あかず見るとも 更級の 山の麓に 長居すな君

 

信濃へ行く人に贈った歌

月の光はいくら見ても飽きることはないけれども、君よ、更級の山の麓に長居してはなりませんよ。

 

 「更級」は信濃の地名。月の名所として、しばしば歌に詠まれました。
 この歌は、拾遺和歌集(巻第六「別」 第319番)に入集しています。


貫之集 740

2025-04-25 04:43:39 | 貫之集

師尹の頭中将、東へ下る女に、櫛の笥、鏡など調じて、やりたまふにそふとて

わかれても けふよりのちは たまくしげ あけくれみべき かたみなりけり

別れても 今日よりのちは 玉くしげ 明け暮れ見べき かたみなりけり

 

師尹(もろまさ)の頭中将が、東国に下ってゆく女に、櫛の笥(はこ)や鏡などをあつらえて贈るのにそえるとして詠んだ歌

別れても、今日から後はこの櫛の笥が、私だと思って明け暮れにみてくださるはずの形見なのですよ。

 

 師尹は藤原師尹のこと。本ブログのベースとさせていただいている木村正中校注『土佐日記 貫之集』では「もろまさ」とされていますが、ネット検索すると「もろただ」と出てきます。「頭中将」は、蔵人所の長である蔵人頭と、近衛府の次官である近衛中将を兼任した者対する通称です。「たまくしげ」は「明け」にかかる枕詞ですが、ここでは化粧道具や装身具をしまう箱の意も表していますね。

 貫之集第七の和歌のご紹介も残り二首になりました。

 


貫之集 739

2025-04-24 03:57:25 | 貫之集

源公忠朝臣の近江守にて下るによめる

ねになきて わびしとおもはぬ ほどなれど つねのこころに かはりけるかな

音に泣きて わびしと思はぬ ほどなれど つねの心に かはりけるかな

 

源公忠朝臣が近江守として任地に下るにさいして詠んで贈った歌

声を出して泣くほどわびしいと思う別れではないけれど、普段とは異なる心持ちであるよ。

 

 738 と同じく源公忠の赴任に際しての離別の歌ですが、あらためて詞書を付しています。また、別れの歌といえば時に大げさなまでに別れを惜しむ気持ちを歌ったものが多いですが、この歌は、「泣くほどではないが普段とは違う」と、一歩引いたような表現にとどめているのが印象的です。