漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 514

2024-09-11 05:17:23 | 貫之集

あしひきの やまのさくらの いろみてぞ をちかたひとは たねもまきける

あしひきの 山の桜の 色見てぞ をちかた人は 種もまきける

 

山の桜の色を見届けてから、山から離れたところの人たちは稲の種を田に蒔くのであるよ。

 

 山で桜が盛りを迎える頃が、秋の収穫に向けた田に蒔きの季節ということですね。「あしひきの」は、「山」にかかる枕詞です。


貫之集 513

2024-09-10 05:10:44 | 貫之集

おなじ年四月の、尚侍の屏風の歌、十二首

ちとせといふ まつをひきつつ はるののの とほさもしらず われはきにけり

千歳をいふ 松を引きつつ 春の野の 遠さも知らず われは来にけり

 

同じ年四月の、尚侍の屏風の歌、十二首

千歳を寿ぐという小松を引きながら、春の野の遠さも忘れて私はやって来た。

 

 「おなじ年」は普通に考えれば 508 の詞書と同じ年、つまり天慶五年(942年)となりますが、508 には「九月」とあり、こちらは「四月」なので、歌が詠まれた年代順に並んでいるとするなら天慶六年(943年)ということになります。しかしそうすると今度は「おなじ年」ではなくなってしまいます。よくわからないですね。^^;
 「尚侍」は藤原忠平(ふじわら の ただひら)の娘、貴子(きし/たかこ)のこと。この二人は、「左大臣殿の御親子」として、332 にも登場しました。
 「十二首」とありますが、実際の収録は十一首です。

 


貫之集 512

2024-09-09 05:31:01 | 貫之集

稲刈りほせる

あさつゆの おくてのいねは いなづまを こふとぬれてや かわかざるらむ

朝露の おくての稲は いなづまを 恋ふとぬれてや かわかざるらむ

 

稲を刈って干す

朝露が置く晩稲の稲は、妻を想って涙する私と同じように、稲妻を恋しがって涙の露に濡れ、乾かずにいるのであろうか。

 

 第二句「おく」は「おく(て)」と「(露が)置く」が掛かり、第三句「いなづま」の「つま」には読み手自身の「妻」の意が掛かっています。


貫之集 511

2024-09-08 06:51:33 | 貫之集

九月九日

ももとせを ひとにとどむる はななれば あだにやはみる きくのへのつゆ

百年を 人にとどむる 花なれば あだにやは見る 菊の上の露

 

九月九日

百年の齢を人にもたらしてくれる花であるから、菊の上に置いた露をいたずらに見過ごすことはできない。

 

 菊の露が長寿をもたらすという謂れをモチーフとした歌もたびたび登場しますね。


貫之集 510

2024-09-07 05:51:22 | 貫之集

返し

やどちかく うゑたるむめの はななれど かにわがあける はるのなきかな

宿ちかく 植ゑたる梅の 花なれど 香にわがあける 春のなきかな

 

返し

わが家のそばに植えた梅の花ではあるが、私がその香りを飽きるまで味わった春はいまだにありません。

 

 509 に対する返礼歌。梅の花や香に飽きる/飽きないという言葉上のやりとりに、思いを寄せる相手への心情を載せているのですね。