漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

来期の履修科目

2018-02-25 20:16:11 | 雑記


 近隣の河津桜もすっかり色が濃くなり、隣家の庭の梅もほころんで、目に映る光景は「春近し」の様相です。でも実際にはまだまだ寒いですね。昼間、2時間ほど散歩に出ましたが、マフラーにダウンジャケットでちょうど良い、という感じでした。


 さて、大学院は3月末までの長い春休み期間中ですが、来期の履修科目を決めました。ちょっときついのですが、今回は2科目を履修します。



<道を極める-日本人の心の歴史>

 講義概要には、

 『日本には、歌道、芸道、茶道、あるいは剣道、柔道、弓道など、「道」がつくものが数多くある。それぞれ芸術や武術の専門技芸だが、その修練の仕方も含んでおり、絶えず深めるべきものとされるので、単なる術ではなく「道」と称するのである。各道により成立の仕方も、修練の内容も様々であるが、いずれも長年にわたって身心を鍛練した果てに行き着く「おのずから」なる芸や無心の技が究極のものとされる。本講義では、代表的な道の創始者や中興者を取り上げ、彼らが時代と社会の中でどのように道を深めたのか、実際の修練の過程を窺い、それを通じて深まる生き方、極めていく中で達した思想について考えてみたい。「道」を視点として日本人の心の歴史を考えてみたい。』

とあります。取り上げられるのは、紀貫之、西行、世阿弥、松尾芭蕉、葛飾北斎といった人物。後半には宮本武蔵を始めとする武術関係の人々も登場するようです。さまざまな領域の偉人たちを、「道を極めた人々」という共通の視点でとらえようという着眼に魅かれました。



<宇宙、地球、そして人類>

 『地球、生命や人類は、膨張する宇宙の進化の中から誕生したものである。これらの創生をもたらした物質やエネルギーの源は何か、また、その転化・変遷・循環のしくみはどのようなものかを本科目で講義する。また、本科目では、宇宙の中の惑星の一つとしての地球、宇宙と地球環境および人類文明の関わりについて、トピックを紹介しながら、学際的な仮説について論理を積み上げて検証する方法を学ぶ。』

 広い意味での「言葉」「日本語」の学習を主眼に大学院に籍をおいていますが、こうしたちょっと脇道(自分にとっての)の分野の科目も自由に履修できるのが放送大学の良いところ。興味はありましたが、宇宙のことを勉強したことはありませんでしたのでいきなり大学院科目は厳しいと思い、準備としてこの半年、関連する学部科目を聴講してきました。と言っても所詮付け焼刃ですので講義についていけるか、ちょっと心配です。。。


 最初に書いた通り2科目同時履修はちょっときついので、4月の開講を待たずにできるだけ前倒しで学習していきたいと思っていますが、いずれにしても、新しい世界を覗く前のわくわく感に浸っています。3月・4月は仕事もなかなか厳しい時期で今から少し憂鬱ですが、そこからの精神的な「逃避」も含まれているかな。(笑)


きみがよは ちよにやちよに

2018-02-24 22:13:25 | 和歌
 古今和歌集、ようやく巻第六まで読み進み、四季を詠んだ歌が終わって「巻第七 賀歌」に入りました。その「賀歌」の最初に採録されているのがこの歌です。


 わがきみは ちよにやちよに さざれいしの いはほとなりて こけのむすまで


 一読してわかるように国歌「君が代」のもととなった歌ですね。作者は「よみ人知らず」。初句が現在の歌詞とは異なる「わがきみは」となっていて、また写本によっては第二句が「ちよにましませ」とされているものもあるそうです。事実上の国歌となったのは明治期、法律で正式に国歌とされたのは1999年のこと。初句に関しては、『和漢朗詠集』を始めとする後世の歌集では「きみがよは」としているものが圧倒的に多く、全体としては「わがきみは」の方がレアなようです。象徴天皇制の現在にあって、もし歌詞が「わがきみは」のままであったなら、この歌が国歌とされることはなかったかもしれませんね。


 古今和歌集収録の1,100首のうち、今回ご紹介したこの歌が343番目とまだ三分の一ほど。これまであまり和歌に親しんでこなかった私にとっては初見の歌がほとんどですが、百人一首に収録されているものや今回のこの歌など、時折知っている歌が出てくるとなにやらホッとした(?)ような気持ちになります。(笑)

 奥深い和歌の世界に、しばらく浸っていきたいと思っています。
 


かたじけなさに なみだこぼるる

2018-02-11 09:50:02 | 和歌

 なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる


 12世紀の歌人、西行法師が伊勢神宮を訪れたときに詠んだ歌とされます。伊勢神宮にお参りしたことのある人なら誰しも、自身の神道信仰の有無とは関係なく、おごそかな気持ちにさせられる経験をお持ちだと思いますが、まさにそうした気持ちを歌にしたものでしょう。

 とはいえ、いかに仏教に帰依する法師といえども、伊勢神宮にどなたが祭られているか知らなかった、ということはないと思いますので、冒頭の三句は、自分をここまで荘厳な気持ちにさせるものは何なのか、その本質的な正体(?)はわからないけれども、くらいの意味でしょうか。


 明治天皇の御製に

 めにみえぬ かみにむかひて はぢざるは ひとのこころの まことなりけり

という歌があるそうですが、この両方の歌には相通ずるものがあるのかもしれません。

(明治天皇御製は、「めにみえぬ かみのこころに かよふこそ ひとのこころの まことなりけり」 という資料もあるようです。)

今年も ^^

2018-02-04 06:45:08 | 雑記


 このところ毎年ご紹介していますが、今年も自宅近くの公園の河津桜がきれいな花をつけました。時期はいつも決まって2月の初旬。特にここ3年は日付までほぼ一緒で、人間(私)は「今年の冬は寒い!」とか「暖冬だね~」などと勝手な感想を口にしますが、自然の営みとはすごいものですね。

 さて今日は何をして過ごそうかな・・

古今和歌集を読む

2018-02-03 10:33:29 | 和歌
 古今和歌集を少しずつ読んでいるとご報告していましたが、通勤時間などを活用してようやく最初の二百首ほどまで進みました。高校時代に受験のための知識として選者や成立年、最初の勅撰和歌集であることなどは学習していましたが、中身を実際に見るのはほとんど初めてなので、今更ながらの個人的な「発見」もたくさんあります。例えば・・・


<真名序は巻末にある!?>
 古今和歌集にはかなで書かれた「仮名序」、漢字で書かれた「真名序」の二つの序文があることは知識として知っていましたが、購入した書籍(「新版 古今和歌集」高田祐彦訳注 角川ソフィア文庫)では「仮名序」は巻頭にある一方、「真名序」は巻末に置かれています。「序文なのに巻末!?」とびっくりしましたが、同じ書籍の解説によると、「真名序が先に書かれ、それを基に書かれた仮名序が正式の序文になった、という説が有力」で、「仮名序はすべての伝本に備わるが、真名序は欠けていたり巻末に置かれていたりするなど、扱いが不安定」なのだそうです。面白いですね。


<四季ではやはり春と秋の歌が多い>
 巻頭からの巻第一~第六の6巻が四季を歌ったもの。四季なのにどうして6巻あるかと言えば、春と秋がそれぞれ上下に分かれて2巻ずつあるからで、選定されている歌の数でも、夏歌34首、冬歌29首に対して春歌は134首、秋歌は145首と圧倒的に春と秋の歌が多くなっています。春と秋によりたくさんの歌が詠まれるというのは、感覚的に良くわかりますね。


<最多は恋の歌>
 春歌、秋歌以上に多いのが恋歌。巻第十一~第十五の5巻にわたり、360首もの歌が選定されています。男女の恋愛が数多く歌われるのは、今も昔も変わらないということですね。


<短歌だけではない>
 古今和歌集は万葉集と違い、選定されているのは短歌だけだと勝手に思い込んでいましたが、巻第十九「雑躰」には、長歌と旋頭歌(五七七五七七の六句からなる和歌)も採録されています。


・・・などなど。そんなことも知らなかったのかと言われそうで恥ずかしい「発見」も多いのですが、やはり何事も百聞は一見に如かずですね。(笑)

 一読して解説を読まずとも意味もわかり、よみ人の心をなぞらえられる、というような領域にはまだまだほど遠いですが、変体仮名の読みと同様、少しずつ学んでいければなと思っています。しばらく楽しめそうです。 ^^