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漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 684

2025-02-28 05:13:56 | 貫之集

延喜十九年、東宮の御息所の、右大臣殿の御賀奉りたまふとて、御かざしの料、保忠の右大弁のよませたまふ

こころありて うゑたるやどの はななれば ちとせうつらぬ いろにざりける

心ありて 植ゑたる宿の 花なれば 千歳うつらぬ 色にざりける

 

延喜十九年(919年)、東宮の御息所が右大臣殿の誕生日の祝賀の宴を催された際に、右大弁藤原保忠公の仰せにより、冠の花飾りを題材に詠んだ歌

思いを込めて植えた家の花ですから、千年の時を経ても色あせることなどありません。

 

 「東宮の御息所」は藤原穏子(ふじわら の おんし/やすこ)、「右大臣」は藤原忠平(ふじわら の ただひら)のこと。穏子は第60代醍醐天皇の中宮で、第61代朱雀天皇、第62代村上天皇の生母。忠平は、朱雀・村上両帝の摂政、関白として長く権勢を揮いましたので、二人は大変親密な関係にあったのでしょう。
 この歌は玉葉和歌集(巻第七「賀」 第1054番)に入集しています。

 


貫之集 683

2025-02-27 05:15:48 | 貫之集

すみのえの まつのけぶりは よとともに なみのなかにぞ かよふべらなる

すみのえの 松の煙は 世とともに 波のなかにぞ 通ふべらなる

 

住吉の松が遠く煙のようにかすんで、世を越えて絶えることなく寄せ返す波の中に佇んでいるかのようであるよ。

 

 変わらないものの象徴である松と波が遠く霞んで一体となった幻想的な情景を詠んでいます。祝意を抒情的に表現したということと思いますが、ここ一連の歌は祝賀の歌としては正直ちょっとピンと来ないですね。当時と現代の感覚の差なのかもしれません。


貫之集 682

2025-02-26 05:20:35 | 貫之集

としのうちに はるたつことを かすがのの わかなさへにも しりにけるかな

年のうちに 春立つことを 春日野の 若菜さへにも 知りにけるかな

 

年内に立春になったことを、春日野に若菜が伸びていることでも知ったことだよ。

 

 年内立春を察して芽吹きを早めたかのような野の若菜に準えて、誕生日の祝意を表現しています。


貫之集681

2025-02-25 05:11:14 | 貫之集

としをのみ おもひつめつつ いままでに こころをあける ことのなきかな

年をのみ 思ひつめつつ いままでに 心をあける ことのなきかな

 

年のことばかりを思いつめてきて、いままでは心を祝意で満たすことができませんでした。

 

 第四句「あける」は「飽ける」だと思いますが、あるいは「開ける(心を開く意)」とも解釈できるでしょうか。いずれにしても、祝賀の歌としては非常に間接的な表現です。こうした表し方もよしとされていたのかな?


貫之集 680

2025-02-24 07:09:29 | 貫之集

いはのうへに ちりもなけれど せみのはの そでのみこそは はらふべらなれ

岩のうへに 塵もなけれど 蝉の羽の 袖のみこそは 払ふべらなれ

 

岩の上には塵一つありませんが、その見えない塵さえも薄衣の袖で払ってしまったかのように一点の穢れもないあなたさまが過ごしてこられた長い年月をお祝い申し上げます。

 

 「岩」は堅固で変わらないものの象徴。「蝉の羽」は薄衣の喩えでしょう。非常に難解な歌です。私なりに、かなり言葉を足して解釈してみましたがいかがでしょうか。