漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 1005

2022-07-31 06:33:59 | 古今和歌集

ちはやぶる  かみなづきとや  けさよりは  くもりもあへず 
はつしぐれ  もみぢとともに  ふるさとの  よしののやまの 
やまあらしも さむくひごとに  なりゆけば  たまのをとけて 
こきちらし  あられみだれて  しもこほり  いやかたまれる 
にはのおもに むらむらみゆる  ふゆくさの  うへにふりしく 
しらゆきの  つもりつもりて  あらたまの  としをあまたも
すぐしつるかな

 

ちはやぶる 神無月とや けさよりは くもりもあへず
初時雨 紅葉とともに ふるさとの 吉野の山の
山嵐も 寒く日ごとに なりゆけば 玉の緒とけて
こき散らし 霰乱れて 霜こほり いやかたまれる
庭のおもに むらむら見ゆる 冬草の 上に降りしく
白雪の 積もり積もりて あらたまの 年をあまたも
過ぐしつるかな

 

凡河内躬恒

 

 十月になったからというわけか、今朝からは、すっかり曇りきりもせずに、初時雨が紅葉とともに振り、古都に吹く吉野山からの山嵐の風も、日ごとに寒くなってゆくので、玉の緒がほどけて玉をしごき散らしたように霰が散り乱れて、霜が凍り、いよいよ凍てついて固まっている庭の地面に、あちこちに見える冬草の上に降りしきる白雪が積もりに積もって、そうして年を重ねて、私も多くの年を過ごしてきてしまったのです。

 1002 の貫之歌、1003 の忠岑歌に続いて、撰者の一人である躬恒の歌。古今集の詞書は「冬の長歌」ですが、「躬恒集」では「大内に奉りたる長歌」とありますし、古今集での配置場所からしても、この歌も古今集奉呈に添えた歌なのかもしれません。

 

 

 


古今和歌集 1004

2022-07-30 05:38:42 | 古今和歌集

きみがよに あふさかやまの いはしみづ こかくれたりと おもひけるかな

君が代に あふさか山の 岩清水 木隠れたりと 思ひけるかな

 

壬生忠岑

 

 こうしてあなた様の御代に生れ合わせたとはいうものの、逢坂山の岩清水が木々の中に隠れているように、自分もずっと日の目を見ないままだと思っておりました。

 「君」は醍醐天皇のこと。日の目を見ない人生を嘆く歌とも、日の目を見ない人生と思っていたがそうではなかったことに感謝する歌とも解釈できますが、この場所に配置されていることも含めて、やはりここは醍醐天皇の命を受けて古今和歌集を編纂・奉呈できたことの感慨の歌と考えたいところです。


古今和歌集 1003

2022-07-29 06:23:30 | 古今和歌集

くれたけの  よよのふること  なかりせば  いかほのぬまの 
いかにして  おもふこころを  のばへまし  あはれむかしへ 
ありきてふ  ひとまろこそは  うれしけれ  みはしたながら 
ことのはを  あまつそらまで  きこえあげ  すゑのよまでの 
あととなし  いまもおほせの  くだれるは  ちりにつげとや 
ちりのみに  つもれることを  とはるらむ  これをおもへば 
けだものの  くもにほえけむ  ここちして  ちぢのなさけも 
おもほえず  ひとつこころぞ  ほこらしき  かくはあれども 
てるひかり  ちかきまもりの  みなりしを  たれかはあきの 
くるかたに  あざむきいでて  みかきより  そとのへもるみの 
みかきもり  をさをさしくも  おもほえず  ここのかさねの 
なかにては  あらしのかぜも  きかざりき  いまはのやまし 
ちかければ  はるはかすみに  たなびかれ  なつはうつせみ 
なきくらし  あきはしぐれに  そでをかし  ふゆはしもにぞ 
せめらるる  かかるわびしき  みながらに  つもれるとしを 
しるせれば  いつつのむつに  なりにけり  これにそはれる 
わたくしの  おいのかずさへ  やよければ  みはいやしくて 
としたかき  ことのくるしさ  かくしつつ  ながらのはしの 
ながらへて  なにはのうらに  たつなみの  なみのしわにや 
おぼほれむ  さすがにいのち  をしければ  こしのくになる 
しらやまの  かしらはしろく  なりぬとも  おとはのたきの 
おとにきく  おいずしなずの  くすりもが  きみがやちよを
わかえつつみむ

 

呉竹の 世よの古言 なかりせば いかほの沼の
いかにして 思ふ心を のばへまし あはれ昔へ
ありきてふ 人麿こそは うれしけれ 身は下ながら
言の葉を 天つ空まで 聞こえ上げ 末の世までの
あととなし 今も仰せの 下れるは 塵に継げとや
塵の身に 積もれることを 問はるらむ これを思へば
けだものの 雲にほえけむ 心地して 千々のなさけも
思ほえず 一つ心ぞ ほこらしき かくはあれども
照る光 近き衛りの 身なりしを 誰かは秋の
来る方に あざむき出でて 御垣より 外の重守る身の
御垣守 をさをさしくも 思ほえず 九重の
中にては 嵐の風も 聞かざりき 今は野山し
近ければ 春は霞に たなびかれ 夏はうつせみ
なきくらし 秋は時雨に 袖をかし 冬は霜にぞ
せめらるる かかるわびしき 身ながらに つもれる年を
しるせれば 五つの六つに なりにけり これにそはれる
わたくしの 老いの数さへ やよければ 身はいやしくて
年高き ことの苦しさ かくしつつ 長柄の橋の
ながらへて 難波の浦に 立つ浪の 波のしわにや
おぼほれむ さすがに命 をしければ 越の国なる
白山の 頭は白く なりぬとも 音羽の滝の
音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を
若えつつ見む

 

壬生忠岑

 

 世々に伝わる古い歌がなければ、どのようにして思う心を述べればよいのでしょうか。ああ、その昔いたという人麿という人こそは、ありがたい人です。身分は低いながら、歌のことばを帝のもとにまで申しあげ、末の世までの先例として、そのおかげで、今も勅命が下るのは、その例に倣いなさいということで、塵のような私に数多く詠まれてきた歌をお尋ねになるのでしょうか。このことを思うと、あの獣が薬を飲んで天に昇って吠えたという故事のように、とんでもなく畏れ多い気持ちがして、数々の思いも吹き飛んで、ただこの道に励んできたことが誇らしく思われます。
 このように誇らしい気持ちではおりますが、帝のお側を守るお役目でありましたのに、誰が秋の来る方に誘いだしたのでしょうか、皇居の外側を守る身となりましたが、きちんとその役目を果たせるとも思えません。内裏の中にいる間は、嵐の風も聞こえては来ませんでした。今は、野山が近いので、春は霞がかかるように心が閉ざされ、夏は蝉のように一日泣き続け、秋は時雨に袖を濡らすように涙に濡れ、冬は霜にせめられるように、つらい思いをしております。
 このように苦しいわが身ではありますが、宮仕えをしてからの年を数えてみますと、三十年にもありなりました。これに自分の年も合わせてみますと、ますます老いが積もりますので、身分は低いまま、念をとってしまったことの苦しいこと。このようにしながら、長柄の橋のように今にも朽ち果てそうに長生きをして、難波の浦に立つ波、その波のように皺だらけになり、その皺に溺れてしまいそうですが、そうはいっても命は惜しいので、越の国の白山のように頭は白くなったとしても、噂に聞く不老不死の薬がほしいものです。そうすれば、帝の君の限りないご長寿を、私も若いままで拝見できましょう。

 詞書には「古歌に加へて、たてまつれる長歌」とあります。撰者の一人である壬生忠岑が、古今集奉呈と併せて詠んで奉ったということですね。
       


古今和歌集 1002

2022-07-28 06:03:24 | 古今和歌集

ちはやぶる  かみのみよより  くれたけの  よよにもたえず
あまびこの  おとはのやまの  はるがすみ  おもいみだれて
さみだれの  そらもとどろに  さよふけて  やまほととぎす
なくごとに  たれもめざめて  からにしき  たつたのやまの
みおぢばを  みてのみしのぶ  かみなづき  しぐれしぐれて
ふゆのよの  にはもはだれに  ふるゆきの  なほきえかへり
としごとに  ときにつけつつ  あはれてふ  ことをいひつつ
きみをのみ  ちよにといはふ  よのひとの  おもひするがの
ふじのねの  もゆるおもひも  あかずして  わかるるなみだ
ふぢごろも  おれるこころも  やちぐさの  ことのはごとに
すべらぎの  あおほせかしこみ まきまきの  なかにつくすと
いせのうみの うらのしほかひ  ひろひあつめ とれりとすれど
たまのをの  みじかきこころ  おもひあへず なほあらたまの
としをへて  おほみやにのみ  ひさかたの  ひるよるわかず
つかふとて  かへりみもせず  わがやどの  しのぶぐさおふる
いたまあらみ ふるはるさめの  もりやしぬらむ 

 

ちはやぶる 神の御代より くれ竹の 世々にも絶えず
天彦の 音羽の山の 春霞 思ひ乱れて
五月雨の 空もとどろに さ夜ふけて 山ほととぎす
鳴くごとに 誰も寝ざめて 唐錦 立田の山の
もみぢ葉を 見てのみしのぶ 神無月 しぐれしぐれて
冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり
年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ
君をのみ 千代にといはふ 世の人の 思ひするがの
富士の嶺の もゆる思ひも あかずして 別るる涙
藤衣 織れる心も 八千種の 言の葉ごとに
すべらぎの おほせかしこみ 巻々の 中につくすと
伊勢の海の 浦の塩貝 拾ひあつめ とれりとすれど
玉の緒の 短き心 思ひあへず なほあらたまの
年をへて 大宮にのみ 久方の 昼夜わかず
つかふとて 顧みもせぬ わが宿の しのぶ草おふる
板間あらみ 降る春雨の もりやしぬらむ

 

紀貫之

 

 和歌は、神代以来、幾世代も絶えることなく続いてきて、音羽の山に春霞に花が見えずに思い乱れて、五月雨が空も響くほどに降って、夜が更けて、山ほととぎすが鳴くたびに誰もが目覚めて、立田の山の紅葉の葉を見て賞美する。十月になって、時雨が降り続き、冬の夜の庭にまだらに降った雪が、すっかり消えてしまうような思いをして、毎年、その折々に「ああ、すばらしい」ということを言いながら、あなた様だけは千代の長寿をと祈る世の人のような思いをする、駿河国の富士の嶺の燃える思いを詠んだ歌、満ち足りることなく別れる涙を詠んだ歌、喪服の藤衣を織って着る心、数多くの和歌のそのことば一つ一つに、帝の仰せを拝受して、巻々の中に収め尽くそうと、伊勢の海の浦の塩貝を拾い集めるように、多くの歌を収録したのですが、短慮では考えも及ばず、やはり何年も宮中でお仕えして、昼夜を分かたずお仕えするということで、顧みることもないわが宿のしのぶ草が生えている板間が荒れているありさまなので、降る春雨が板間から漏るように、すぐれた和歌を漏らしているのではないかと心配しています。

 詞書には「古歌たてまつりし時の目録の、序の長歌」とあり、古今集編纂の前段階と位置付けられる「続万葉集」を撰録・献上したときの目録に付した歌ということと思われます。


古今和歌集 1001

2022-07-27 06:09:34 | 古今和歌集

あふことの  まれなるいろに  おもひそめ  わがみはつねに 
あまくもの  はるるときなく  ふじのねの  もえつつとばに 
おもへども  あふことかたし  なにしかも  ひとをうらみむ 
わたつみの  おきをふかめて  おもひてし  おもひはいまは 
いたづらに  なりぬべらなり  ゆくみずの  たゆるときなく 
かくなわに  おもひみだれて  ふるゆきの  けなばけぬべく 
おもへども  えぶのみなれば  なほやまず  おもひはふかし 
あしひきの  やましたみづの  こがくれて  たぎつこころを 
たれにかも  あひかたらはむ  いろにいでば ひとしりぬべみ 
すみぞめの  ゆふべになれば  ひとりゐて  あはれあはれと 
なげきあまり せむすべなみに  にはにいでて たちやすらへば 
しろたへの  ころものそでに  おくつゆの  けなばけぬべく 
おもへども  なほなげかれぬ  はるがすみ  よそにもひとに
あはむとおもへば

 

あふことの まれなる色に 思ひそめ わが身はつねに
天雲の 晴るる時なく  富士の嶺の 燃えつつとばに
思へども あふことかたし 何しかも 人をうらみむ
わたつみの 沖を深めて 思ひてし 思ひは今は
いたづらに なりぬべらなり 行く水の 絶ゆる時なく
かくなわに 思ひ乱れて 降る雪の 消なば消ぬべく
思へども えぶの身なれば なほやまず 思ひは深し
あしひきの 山下水の 木がくれて たぎつ心を
誰にかも あひ語らはむ 色にいでば 人知りぬべみ
すみぞめの 夕べになれば 一人ゐて あはれあはれと
嘆きあまり せむすべなみに 庭に出でて 立ちやすらへば
白妙の 衣の袖に 置く露の 消なば消ぬべく
思へども なほ嘆かれぬ 春霞 よそにも人に
逢はむと思へば

 

よみ人知らず

 

 逢うことがめったにない人を思い始めてから、わが身はいつでも空にかかる雲のように心が晴れる時がなく、富士の嶺の煙が絶えないように、いつまでも思いの火に燃え続けているのだけれど、逢うことは難しい。
 だが、どうしてあの人を怨むことがあろうか。大海の沖が深いように、深い思いを寄せたその思いは今はむなしくなってしまいそうだ。流れてゆく水が絶える時がないように、ねじれた形をした菓子のように思い乱れて、降る雪が消えてしまうように、わが身も消えてしまいたいと思うけれども、煩悩に満ちた人間世界に生まれた身だから、やはり思いは止むことがないほど深い。
 山の麓を木の陰に隠れて激しく流れる水のように、わきたつ思いを誰に語ろうか。そんな思いを顔に出せば人が知ってしまいそうなので、夕暮れ時になると、一人座って「ああ、ああ、」とため息をつくがそれでもおさまらず、どうすることもできないので庭に出て、行ったり来たりしていると衣の袖に露が置く。その露のように消えられるものならば消えてしまいたいと思うけれど、それでもやはりため息が出てしまう。春霞がかかるほど遠くでもよいから、あの人に逢いたいと思うので。

 

 今日から、巻第十九「雑躰(ざったい)」の歌のご紹介。「雑躰」は、長歌(五首)、旋頭歌(「五・七・五・七・七・七」 四首)、俳諧歌を収録した、古今集の中でも特異な巻となっており、その冒頭が本歌。奇異なことに、この歌の前、すなわち「雑躰」巻の冒頭には「短歌」との記載があります。ここまで収録の歌はすべて現代で言う「短歌」であり、初めて長歌が出てくるまさにその場所に「短歌」との記載ですから何かの誤りには違いありませんが、そんなことになってしまった理由はよくわからず、古来不審とされています。